徳之島なら、長期滞在できるかも。

[2015.10.10-2015.10.14]
奄美大島での移住プログラム日程消化。あまり手応えは無い。
しかし戻りの飛行機のチケットは余裕がある。
 
ここに居るよりは、候補を可能な限り探すべきだ。
 
徳之島はジャガイモ、沖永良部島は花。農業中心で潤っていると噂に聞いた。
フェリーでスグ行ける、どちらにしようか?
 
ネットで検索しながら迷っていると、
1,980円で個室の宿が徳之島にあると見つけた。
2千円弱なら行くだけ行って、それから探したって、
このまま奄美大島に居るよりはいいだろう。
と、行き先を徳之島に決めた。安易だったか。




 
 
焼き肉幸栄 1,980円/泊の宿
 個室(シャワー、トイレ付き)で普通の広さ(3畳とかでなく)、
 
 
 で、この価格は大変お得。テレビもエアコンも付いてる。
 が、夜窓を開けると下から焼き肉の匂いが。。安さには理由があるらしい。
 肉は高品質だったけど。
 
 
 ここ、亀徳港周辺の亀津の他に、平土野、伊仙と2つの街がある。
 他でも泊まろうと思ったが結局、4泊ここに泊まってしまった。
 窓閉めて、エアコンつければいいのだから、やっぱり破格だと思う。
 ただしWIFIは無く、有線LANの部屋は2,980円になる。
 
 
 
中心街、亀津はスーパー、コンビニ、百均、ファミレスあって、不便はない。
 
 
 
 特にジョイフルは重宝した。WIFIが利用できる場所はあまり無いので、
 
 ほぼ毎食利用してしまった。
 つまみと酒はスーパーダイマルで買って、部屋で飲んでいた。
 
 中心地は、奄美大島の名瀬より安定してる印象を受ける。
 店が健全に活きてる。
 意外と言っては失礼だが、閉まってる店は少なく、衰退は感じない。
 ただパチンコはやはり元気。
 
 
 二日目までは、雨だったので、あまり出歩かず、
 
 たまたま雨宿りで寄った喫茶店に親切にしていただく。
 農家のアテ、探してもらったり、
 徳之島の事情教えてもらったり、
 
 
 宿の近くに、生涯学習センターがあり、
 図書館と郷土資料館が併設されている。
 
 
 
 
 
郷土資料館で、徳之島の歴史概要知る。
 出身力士や闘牛についても説明あった。
 
 遣唐使の初期は奄美も航路だったらしい、
 そのころは交流があったと言うべきか、支配されたというべきか、
 ともかく、本土側との繋がりはあり、
 次第に別のルートが開拓されると、奄美と没交渉になり、
 島独自の豪族(?)による統治が続いた。
 
 15世紀に入ると、琉球王朝の支配が及ぶ。
 関ヶ原後、島津が琉球に攻めこむ。
 与論島までの奄美群島を直接支配、琉球を属国化。
 
 応仁の乱の頃からは、南の方どころでなくて、
 徳川の世になった途端、薩摩は南方の交易に活路見出す。
 偶然か必然か、薩摩支配の時代にサトウキビが奄美にもたらされ、
 苛烈な労働を強いられたらしい。
 
 以降、鹿児島県に帰属が続くが、
 終戦でアメリカの支配下に、
 その後、日本に復帰し現在に至る。
 
 そういえば、奄美大島に自衛隊が駐屯する。
 辺野古の問題がどう決着するか、多分これから裁判だろうけど、
 与論島を境にってことは、今後もあるんじゃなかろうか、
 「最低でも県外」ってときも、徳之島って話あったよね。
 
 
 
徳之島の農業
 晴れた日は、亀津を中心に3時間ほど歩いてみた。
 
 
 
 田園風景ではなくて、サトウキビ畑。
 
 
 昔はコメ二期作してたらしいけど、
 砂糖作(らされ)るようになってからは、稲作は廃れたらしい。
 
 日本一早い新ジャガだけなく、生姜も特産品。
 赤土と豊富な雨量で、根菜は強い、ウリ科も強い。
  
 ナス科はそれほどでもないかもしれない。
 生協で見たトマトは大分産だった。降雨量の多さが影響するかな。
 
 
 それと、なんといっても牛。
 
 匂いで堆肥作ってんのかなと思ったら、牛舎至るところに。
 
 さすが闘牛の島である。
 
 
 一番気になったのは、畑が傾斜していること。
 
 能登のキレイな棚田とは対照的だった。
 このことは幾つかのことを示唆してる。
 
  ・農地開拓が大変だった島の地形。
   海岸沿いから山が近い。
   ほとんど人力のみ。 
  
  ・それでもよく育つ、日照と雨量。
   寒冷地の棚田と違い、傾いててもスクスク育つ。
   そこまで水平でなくても、影響無いというプラス面もあっただろう。
   
  ・耕作放棄地は少ないかも。
   条件の悪いところから、雑草だらけだった。今まで見てきたところは。
   徳之島では、耕作放棄地を見かけない。
   森にしか見えないところが耕作放棄地なのかもしれないが、
   衰退の印象は無い。
   
 ま、イチから開墾も、出来るならいいんだけどさ、
 将来的に安く借りるって、出来るかなぁ。
 いずれにせよ、農家手伝いながら、関係築くの先だろう。
   
 
 
伊仙の街は新しく、小規模だが不便なさそう。
 晴れた日にバスで、
 
 伊仙の「ほうらい館」まで足を伸ばした。片道510円。
 
 隣接の直売所では、野菜の品揃えを確認。
 
 高齢化は進んでいるけど、人が減ってるとは一概には言えないんじゃないかな。
 団地も、施設も新しい。
 
 
 伊仙には生協あり、生活には困らないし、100均やコンビニもある。
 
 
 
 
 
 コンパクトにまとまっているのは、新しく発展してるということ。
 
 当然それなりに高齢化はしてるんだろうけど、
 農業で、潤ってる島。っていう情報を実感する結果ではあった。
 
 
 
徳之島は暖かい、九州は冬は違うみたい。
ブログ記事書いてて、モチーフは松本清張だと後で気付いた。
母の献身と、人生の意義。
 
フェリーに乗る日は、宿チェックアウトして、図書館に寄った。
大きな図書館ではないが、松本清張全集はあった。
「或る小倉日記伝」が目当てで、ついでに「西郷札」も読んだ。

外はいつか雪になる。おりおり足を刻んで駆けて通る伝便の鈴の音がする。

芥川賞受賞作の書き出しである。
九州の北は雪降るのか、キビシイものだ。
 
軍医にとって小倉は左遷なのかな。何かやらかしたのか、指原みたいに。
ま、少なくとも、松本清張は、
 小倉時代の文豪と、
 話すのも歩くのも生まれつき困難な主人公と、
 叩き上げの新聞記者で、やっと目が出るかどうかの自分と、
三重に投影している。
この作品で世に認められた、運命の一作である。
 
鴎外ゆかりの人物に不自由な体でインタビュー続ける主人公は、

「そんなことを調べて何になります?」

と、冷ややかに言われる。

主人公のモデルは実際は空襲で亡くなっているが、
作中では、鴎外の小倉日記が見つかる直前まで生きる。

田上耕作がこの事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福か分らない。

と小倉日記の実在が確認されて物語は終わる。
 
 
安易に自己承認欲求を満たしちゃうより、潔い死。
小倉の冬は寒そうだと思った。
 
ここは10月半ばでも半袖でいられる徳之島。
取っ掛かりは無いが、暮らすには楽なんだがなぁ。
 
まあ、島の様子は分かったので、一定の意味はあったと思う。 
喫茶店の女将さんに礼を言って、辞する。
お世話になりました。午後のフェリーで大島に戻ります。
 
 
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