参議院選に向け、護憲派は緊急事態条項に狙いを絞ったのは本当らしい。
SNSでその手の書き込みを見かけた。
で、どうするの、緊急事態に? と聞けば、相変わらずのノープラン。
東日本大震災のときの迅速さで満足ならそれでいいけど。
そうではないらしい。
そんときはそんときで、また文句言えばいいのか。
賛成反対いずれであれ、
緊急事態を対象とする法律を問題にして、
緊急事態の対応について何も考えていないのはおかしい。
それで何故結論に到達できるの? 不自然過ぎる。
そう問うても、
彼らから自らの思考を省みる反応はない。
煙草スパスパ吸いながら食の安全説くようになるよ。そりゃ。
彼らやり方は十分に情報操作的に見えるが、
マスコミはあえて、緊急事態条項の危険性に触れないらしい。
嘘つきが相手を嘘つきと罵るのは常套手段である。
彼ら自己矛盾を感じない免疫がある部族に属している。
ドリーマーというTribe。
部族による社会の断絶はより深化するだろう。
結論ではなく、思考プロセスで部族に分かれる必要性を痛感。
緊急事態条項の阻止に狙いを定め、ネガティブ・キャンペーンを展開している。らしい。
産経というバイアスかかった記事ではあるが、
SNSでの自分の体験と照合するに、あながちガセではないと思うに至る。
緊急事態条項の阻止に狙いを定め、ネガティブ・キャンペーンを展開している。
http://www.sankei.com/column/news/160426/clm1604260010-n2.html
世論操作を目論んでるのはどっちだろうか。
朝日新聞は戦前のドイツで「ヒトラー独裁に道を開いた苦い歴史もある」(平成27年4月3日)といい、サンデー毎日も「『緊急事態条項』は国家総動員法そのものだ!」と決めつけた鼎談(ていだん)を載せている(2016年2月21日号)。
反対が現実に対してノープランなのは相変わらずである。
多賀城市長と市議会議長から「私有地における廃棄物も含めて処理するためには、財産権の問題に関する制度的解決が必要であり、国として早急に結論を出してもらいたい」旨の要請があったという(www.env.go.jp/jishin/attach/110320-21_sendai.pdf)。
反対派は現行法だけで首都直下型大地震などに対処できると本気で考えているのだろうか。彼らにとって大切なのは、実は国民の命より「改憲阻止」ではないのか。
緊急事態法では、意思決定の迅速さとその範囲のみを扱い、
瓦礫処理は災害対策の関連法で処理されるべきと思うが、
(これはテロ対策でも有事対策でも同様に。)
基本的人権が制限されるからというのが、反対派の論拠で、
どの事態に、どの範囲で制限されるのか考察は何もない。
SNSの私の体験では、現行法で対応できるとも言わない。(ある意味良心的だが)
緊急事態を問題にしてるのに、それ何も考えないで、
反対という結論に到達している。
その思考プロセスをデマと呼んで差し支えないと私は断じる。
具体策から始めて、必要なら憲法も修正というプロセスで。
災害、テロ、戦争という緊急事態で、迅速な判断が必要という想定があるなら、
この範囲でと対策しようと考えるのが、乱用を避ける為の法治である。
何でも反対の結果、
現実と遊離した曖昧で理想的な法律と、どうとでも解釈できる運用を生む。
空気の支配を助長する。戦前と何が違うのだろう。思考プロセスそのまま。
何でも反対は一億玉砕を鵜呑みにした人たちと瓜二つである。
方向変えれば、なんとかなるものではない。
緊急時に通常の手続き飛ばして、迅速な処理のため新たな仕組みが必要なら、
緊急事態法案のあり方から先に考えよう。
その法案が憲法と矛盾する部分あるなら、憲法を修正しよう。
緊急事態法にかぎらず、それが法治国家として普通の姿。
まだ、我々日本人に安全を政策として考えるだけの能力は無い。
現状、神学論争に終始してるのは、その証拠だろう。
タブー視するように世論は誘引され続けてきた。
たぶん、GHQはそうとう上手くやったんだろう。
戦前から戦後、マスコミと教育。
戦意高揚強く煽った存在が、より反戦を訴えるのは偶然ではない。
我々にはまだ、安全を安全の問題として扱えるだけの能力は無い。
火事が怖いから、火は扱えない。
逆に振れても、単純な二元論に陥る人は陥るんだから、
結論でなく、思考プロセスで部族分け出来ないかな。
それが辛いのは、ここが空気の支配のクニだから。
敵味方を決めるのは、結論の賛成反対だ、
島は逃げ場ないから、多様性には乏しい。
町長選は天下分け目の関ヶ原、三成は打首だよ現代でも。
空気読んで、どっちにつくか瞬時の判断が要求される。
理屈は後から探せばいい。
じゃあ、どうするの? って、その答えを考えてる暇はない。
結論でなく、思考プロセスで部族分けられるといいんだが、
現実は厳しい。
選挙前は特にそれ感じます。
一番良いのは良き友人が居ること。
次に良いのは友人が居ないこと。
悪いのは、悪い友人に囲まれること。
結論はどうでも、思考プロセスが伝染るのが怖い。脳に悪い。
で、どうするの?
って、訊いてみて、その回答次第で、分類するしかないな。
世界は風雲急なのに、神学論争が争点のクニに生きるということ。
安倍自民党総裁の任期はあと二年。
改憲動議して、株価下げてる暇あるとは思えなんだが。
ま、右派に配慮あるだろうから、任期中やりませんとは言えないだろう。
ここで、ノープランな反対だけしか反対がないことは覚えておこう。
政治で出来る選択の余地はあまりない。
ダメかもしんないけど、
より能力マシそうなの選ぶしかないかな。
東京オリンピック終わるまでは保ちそうかな。
東アジア混沌として、アメリカが見捨てるとき、
今無い能力が本当に必要とされるとき、
そのときまでは、安定ありきだろう。
ドリーマーに国民が払うコストは10%程度でいいと思うんだが、
そんな反対しか、反対が無いから、安定してるんだよなぁ。
個人的には実に辛い仕組み。
ただ、その恩恵も享受して生きてる。
冬は円高進むだろう、島離れれば安らぐかな。
安定は無能の恩恵という話を最後に。
言い得て妙なので、引用します。
「アベ政治に反対」と野党が叫ぶほど、安倍首相が指導力を発揮しているイメージは強化される
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49086
「2/3をとらせない」というスローガンで人々の脳裏に浮かぶのは、55年体制下の社会党である。かの1/3政党が戦後政治の「ブレーキ」として果たした歴史的な役割は別に評価できるとしても、そのイメージはいかにも後ろ向きというべきだろう。
野党が「アベ政治に反対」を連呼すればするほど、安倍首相が指導力を発揮している躍動的なイメージは強化されるわけだ。政治のシンボル作用について、野党はもう少し慎重に考えてもよいのではないだろうか。
シンボル政治学の古典、マーレー・エーデルマン『政治の象徴作用』から次の一文を引用しておこう。
「政治的要職の現職者は攻撃を受けたからといって、力量ある指導者という印象が損なわれるわけではない。むしろ、攻撃が加えられた結果として、彼の行動が支持されたり称賛された場合以上に、そうした印象は強められるはずである。
攻撃をしかける側は事実上、現職者の目下の行動力や実行力を関係者すべてに保証しているのである。とりわけ、攻撃する側が現職者自身や彼が行っていることに対して好意をもっていないと分かっていれば、なおさら、現職者が事態に強い影響力を発揮していることを確証する十分なよすがとなる」
プロパガンダは同族には思った通りに作用し、
逆にはより逆に作用するということか、
ま、現実に対してより無能という印象は強化される。
1/3割るのは、魅力無いからだけど、
自らの体たらくを逆手にとるのは、身内にしか響かない。
アベ政治が嫌なら、もう少し能力ある野党に入れたいが、その選択肢はない。
部族の分派は進んでも、選択肢が増える訳じゃない。
これから大変だから、
改憲出来ない安定多数が一番いいのかとも思う。
上手く出来てるね、この国。
そんな現実も生きねば。
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