ども、バンコクはスコール襲来。もう雨季でしょうか。
今朝はちょっと涼しくて、過ごしやすい。
さすがに私でも、昨夜は暑くて、寝苦しかった。
ところで、昨日の続き。
個人攻撃になってしまうが、言うことにします。
パブリックな発言には注意しましょう。
そのとおりでしょう。
しかし、意識しても、見識がなければ。どうにもならない。
発言に気をつけましょうとは言うが、
発言に責任を持ちましょうとは言わない。
所詮、損得勘定なのだろうか。
不用意な発言をしてしまう可能性自体は、ゼロには出来ない。
今回の猪瀬知事の発言は、招致したいがためで、
それ以上の意図はなかっただろう。
むしろ、しなければならないのは、事後きちんと釈明すること、
単に都知事の批判で終わるのではなく、
事後対応を誠意もって行動するように、促すことではないか。
大事なことは、批判を恐れず態度を表明し、
過ちがあれば、それを素直に認めることではないか。
しかし、
発言に注意しようという人の発言が、
「招致活動の労力が無駄になりかねない」という所詮、
損得勘定にしか過ぎないものでは、、
事のデリケートさを考えたら、それは不見識過ぎると、
批判に対する批判をしたところ、
反駁も釈明も最終的には返ってこない。
大事なことは、発言に注意することなのだろうか、
見識を持つことも、
最後まで責任を持つことも、
無関係なのだろうか。
ああ、ちょっと、落ち着こう。
話戻します。
相手国の宗教というデリケートなことに対する、
センシティブな感覚に欠けるのは、猪瀬氏だけだろうか。
ある意味、彼が日本の首都の代表であるように、
日本人の内実を代表したのではないか。
私にとっては、大変不快な想像が、駆け巡りました。
想像してみよう。
日本の天皇陛下を、他国の公人が、侮辱したら、
どうなりますか。
猪瀬氏にそんな意図があった訳ではない、
が、そういう可能性を誘発しかねない発言であったということ。
それを、
「招致の行動規範に接触したこと」を問題と捉え、
「招致の努力が無駄になること」を最大の影響と認識している。
という見識で、いいのだろうか、
中身がそのままで、
発言を意識しさえすれば、問題解決するかな。
確かに、上辺は幾らでも、綺麗に飾ることは出来る。
摩擦を避けるような処世術でやり過ごすことも出来るだろう。
でもさあ、
どういう日本人でありたいの?
どういう人でありたいの?
損得が価値観の全てなのか?
日本民族って、損得だけしか考えない存在か?
日本は本音と建前の国だという、
人は見た目が9割だともいう。
中身にこだわるのは、
戦略的には、適切ではないのだろう。
まあ、選択と集中は大事だもの、
そういう見識でいいのかって、私が問えば、
答えは、きっとYesなのだろう。
人は見た目が9割。当に箴言。