用意された答えは退屈(森 博嗣)、具体性が無いのも苦痛(大西つねき)。 なのは私個人の感想らしい。 どうやって人はノルアドレナリン消費するのだろう? 

私には、面白いと感じられないものがあり、
ノルアドレナリンの消費と密接なのかと、推測するに至り、
ただの悪口と愚痴かもしれませんが、アウトプットしたいので。そうします。
 
高評価をあてに、「面白いとは何か」に興味惹かれ読んでしまいました。 

ぜんぜん面白くないのである。私にとっては。
高評価がサクラばかりとは思えないのに、退屈であった。
 
自分にハマらないコンテンツ貶しても非生産的なんですけど、
ここまで、「面白いと感じられるもの」に対する感覚が他者と違うのかと、
ショックでした。
  
で、なぜ面白くないか分析してみたら理由は大きく2つ。 
1.人生の孤独とか別のテーマを混ぜる
  面白くない ≠ 孤独 なのに、
  あたかも、面白くない=孤独 かのごとく、
  自己啓発、哲学などで散々コスられた話題を展開。
  それが浅くてつまらない。新たな発見が無い。

2.用意した答えからの逆算は退屈
  助教授で推理小説家。
  入試問題も作品も予め答えを用意してから演繹的解法。
  途中質問コーナーでページ稼ぐも、用意してある答えが先に読める。
  子供のとき展開図に感動したエピソードが象徴的
  この著者にとって、用意した答えに収束してゆくのが面白い。
   
 
謎解きやどんでん返しだけで興味引っ張るものは、個人的には辛い。
展開が読まれたたら面白くなくなるなら、「ベロベロバーの笑い」(by宇多丸)と同レベル。
逆に、「展開が読める」かどうかに拘泥してるのも鑑賞のレベル低い。

なのですが、答えに収束させる作為に興ざめしてしまう。
伊坂幸太郎とか、苦手です。
スレッサーのように切れ味鋭く、上手に騙してくれない。
 
  
ま、それはさておき、
ああ、この人、答えがあるのが好きなんだな。
で、それに共感する人もたくさんいるんだな。
 
いやね、計画とか好きじゃないけど、
仕事なら頑張りますよ。計画とか進捗管理とかも、
予定されたところへ、収束させてゆくのが仕事ですから。
計画通りに収まれば安堵しますよ。

ただ、面白いかといわれたら、、、
未知なものに触れてるほうがドキドキします。
答えが無い分だけ、リスクあります。
まったくヒリヒリしないものに興味湧かない。
ドーパミンが分泌されない。
(快楽はこの物質の作用らしい)
  
ああ、この「正解」に落とし込もうと組み立ててんだな、
先生それ退屈です。
正解があるなら、インスタントにグーグル先生に教えてもらえばいいです。
退屈はノルアドレナリンの消費の妨げ。
(リスキーなときの選択にノルアドレナリンは有効だそうです) 
 
冒険の要素ないのに、かといって、
セロトニンも分泌されない、
(穏やかな満足がセロトニンとのこと)

私は、用意した正解への収束という人工物が退屈で、
そういうもの苦手です。

でも、
そういう人ばかりではないのね。

自分とは真逆の人が居て、かつそれなりに多数派なのかと。
世界は広いもんだな、とても驚きました。
 
 
 
そんなとき、youtubeにおすすめされました。

面白いこと言ってくれるのかと、観始めたのですが、苦痛で。
延々と抽象的なことぐるぐる。これが1時間続くのか、
結論から言ってくれよ。辛い。

え、政治志してんのか、なら、
具体的に政策を発表してくれよ。
 
正直、
結論を言わない人、抽象的なことしか言わない人は、
リーダーとか代表者とか責任者には向かないですよ。
その組織、何も決められないよ。
会議でも、内容のない演説延々として、仕事したことにされちゃうよ。
経験上、結局自分達が困るし。
 
 
でも、この動画1時間付き合える人も居るんだから、
そう、自分とは、興味が違う人が大勢いるんだよ、この世界には。
他者を認めて生きろよオレ。
 
 
 
すぐ観るの止めたあと、
「命の選択」で揉めてるの、後で知りました。 
令和新選組も山本太郎も支持してないけど、
路線正反対なんだから、とにかく別れて良かったね。
多数目指しての野合は、失敗例もうあるから、避けたいだろうな。
 
で、
抽象的で「答え」言わない人の動画の該当箇所が後ろの方と知り、
バーにマウス当てて、見つけて見ました。

「命の選択」の具体的内容は、「無駄な延命治療の停止」みたい。
政治目指すなら、政策としてハッキリ言えよ。
と終始、脳内ツッコミ入れてイライラしながら観た限りでは、

 どこから無駄って線引きするの?
 そもそも法的に延命治療を停止させること可能か? 
 医療の人的リソース軽減にどの程度効果あるの?(数字で示して)
 
 
などの疑問が先に立ってしまって、
この雑さで、「命の選択」という抽象レベルで議論できることが不思議だった。
尊厳死を認めるでもなく、法的に停止を定めるって主張らしい。

基本路線が違うなら、別れりゃいいけど、、
政策論争にはなりえないよなぁ。
 
 立法府の仕事で出来る事できないことあるし、
 解釈しだいで、運用にこまる法案じゃ仕事増やすだけ、
 焼け石に水みたいな効果ない法案に脱力するのも、できれば避けたい。
 
結局、政治に何を期待して、あの動画を見続けられるのか、分からなかったけど。
他者を認めて生きろよオレ。
きっと私には見えない何かが、見えてるのだろう。
  
  
 
イライラするのは、カルシウム不足でなくて、ノルアドレナリン過多ですかね。
危機において、より生存確率高める選択するに効果ある物質、
それがノルアドレナリン。らしい。
 
ですが、
生存の危機はさほどなく、選択ミスで死ぬ可能性低い現代の生活では、
脳から分泌されるノルアドレナリンが過剰気味らしいです。
 
適度に消費されてないと、イライラや攻撃性として裏目に出てしまう。

適度な運動は、ノルアドレナリンの消費には効果的らしいです。
あんまり運動しない私は、少しヒリヒリ感を感じると、
適度にノルアドレナリン消費されるのでしょう、 
 
それが気持ちいいんじゃないかな。
逆にノルアドレナリンが消費されないと、スカッとしない。

森博嗣、大西つねき、私が楽しめない理由はどうやら、それらしい。
 
旅をしてると、幸福なのは、
適度にヒリヒリ感があって、ノルアドレナリンが順調に消費されてるから、
確かに、選択間違うと、死んでも文句は言えないし。
 
現代の東京に暮らして、罰当たりなこと言ってしまうと、
コロナによって、少し消費されてる気がします。
喜んでいいことではないけれど、、
 
 
それと、
壊れたプロジェクト引き寄せガチだった自分の原因もコレか。
なんとかしなくちゃ、と頑張ると、その間は、ノルアドレナリン消費されて、
気持ちいいんです。
判断の連続ですし、

後で虚しさ感じたとしても、

終わると、消費しなくなるので、リバウンドが来ますよね。
 
快楽貪りながら、脳痛めつけていた。
 
今東京で暮らすのは、
断ヒリヒリという治療でもあるのだと知りました。
 
ノルアドレナリンを健全に適度に消費する生活。
確かにこれは宿題だな。

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