お久しぶりです。
書きたいテーマ見つからず、おやすみしてましたが、見つかりました。
ひょんなきっかけから胸糞映画と評判の「ミスト」をアマゾンプライムで観ました。
とても興味深く鑑賞しました。
同じ製作者による、「ショーシャンクの空に」と対を成す作品で、
リーダーシップ、とりわけ自分に対するリーダーシップのあり方が、
絶望的な閉鎖空間の中で描かれていました。
思慮深く、忍耐強く、かつ勇敢な、あり方と。
短慮で、冷静さを失い、無計画な、それが、
主人公達のハッピーとバッドな結末を分けていました。
因果応報というか、勧善懲悪とも見えて、個人的には痛快でした。
どちらも。
愚かな人がノウノウとしてる方が、不快じゃないかなぁ。
アメリカの宗教や政治に対する暗喩は敢えて無視しました。
自分に対するリーダーシップのパターンとしては、大雑把に、
1.最初に離脱する母親
2.出ていく隣人の黒人弁護士
3.ショットガンを取りに行く男
4.うつつを抜かすカップル
5.役立たずな軍人達
6.狂信者
7.主人公の仲間
8.主人公
9.主人公の子供
で、分類されてるかと、なるほどと観ました。
1.最初に離脱する母親
子供に対するリーダーシップを最後まで放棄しない姿が、
主人公と対比的に描かれます。
正解はわからないけど、子供を助けることを常に優先した親。
好ましいリーダーシップとして扱われハッピーエンドです。
2.出ていく隣人の黒人弁護士
自分の自由意志でその集団を離れる。
対立する者を無理に傷つけようとはしていない。
中立な立場なので、結果も中立。
まあ、自己責任なので、映画側がそこには介入しません。
3.ショットガンを取りに行く男
Leadの語源は最初に死ぬことって、聞いたことあります。
最初に河豚を食べるような。
これはこれでアリなリーダーシップに見えますが、
我が身を犠牲にして、外に出るのは無謀と示しています。
現実は厳しいですね。
4.うつつを抜かすカップル
危機において、状況の認識が出来ないと、罰せられますね。
ホラー映画では定石。
5.役立たずな軍人達
ここで、率先して防衛に当たらないとは、、
当然の結果というのが、映画側の裁定でした。
6.狂信者
途中までは、上手くやってたのに、
判断のミスは主人公達の離脱を許さなかったこと。
2人生贄を要求したので、2発撃たれてます。
原発事故を煽って、最後には謝罪記事出す朝日新聞を思い出しました。
放射脳な方々煽動しましたよね。
放射能の危険を、政府や東電の責任を追求するが、
じゃあなんで、
仙台で普通に暮らしてんだよ、
俵万智みたいに逃げりゃいいのにと、
と指摘したら、黙り込む大のオトナにも出会いました。
今だって、武漢研究所のやらかしかどうか、定かでないですが、
似たような状況で、
不安を打ち消してくれる何かが人には必要で、
それが、根拠無かろうと、非合理だろうと、批判だけの愚かさだろうと、
何でもいいから、すがりたいもの。
そして、閉鎖空間では、集団にはスケープゴートが必要とされる。
テラスハウスでも、ホリエモンと餃子でも、なんでも、
そうした日常を生きてるのに、
しれっと、「群衆心理が」とか、非日常みたいにいうのは、なんだかな。
それはさておき、
アメリカの宗教や政治に対する暗喩は敢えて無視して、
これ日本だったら、もっと整然と救助を待つだろうな、とは思いました。
災害慣れしてるから、むやみにパニックにはなってない。コロナでも。
煽られたい人は煽られればいいって、成熟も感じますね。
悟りの国、日本すごいと、思いました。
で、不安の打ち消しと生贄でガス抜き、
最初、非人道的だけど上手く場を支配してたのに、
主人公達に呪いの言葉を掛けて追い出せば良かったのに。
判断を誤りました。
籠城戦では、適正人数でないと。食料もトイレも大変。
あの場面では人減るの歓迎だったのに、
成功体験あった生贄で処理しようとしたのが悪手です。
追い出しておけば、救援くるまで統治できたかもしれない。
7.主人公の仲間
主人公に同調して、脱出しようとしたこと。
安全を確保した場所で、
むやみに動かず、
救援を待つ。
こんなの鉄則じゃないですか。
燃料の補給も計画せず、ただ車で逃げるだけ、
そんなプランに同調してはダメでしょう。
この判断力では死と、映画側は断罪してます。
8.主人公
薬取りに行くにしても、夜が明けてから、
暗闇で危険な場所に行っては行けない。
旅してても、そんな無謀は死にます。
バスでも電車でも、飛行機でも、
変な時間にターミナルに着くことはあります。
そんなときは、
なるべく人の多い明るいところで、夜明けを待つ。
むやみに見知らぬ土地で動いてはいけない。
薬がどうしても必要なら、
決死隊の犠牲は覚悟の上で、薬だけは持ち帰る。
最小の犠牲で、必要な成果を手に入れる計画が必要。
とにかく、思慮に欠ける行動ばかりしてる。
それ以前の裏目は、不測であり、やむなしでも、
薬局以降は、恐怖に判断が負けてます。
そして、最も罪深いのは、
最初は集団に対して、リーダーシップ発揮しておいて、
自分達だけ逃げ出そうとしたことです。
この変節はいかんでしょう。映画の中で、最も罪が重い。
だったら最初から、
隣人の弁護士のように、他者を巻き込まずに出ていけば良かった。
勧善懲悪な映画なので、最も罪深い人物が最も罰を受ける。
最もダメなリーダーシップを発揮した人が悲劇を迎える。
これで胸糞なのは、主人公の主観に踊らされる観客が悪い。
私はこの主人公に感情移入するのは無理です。
最後の選択も疑問です。
野生動物でも、雛を守るため囮役を買って出る親鳥も居るのに。
燃料を探す、怪物を陽動する、隠れる場所を探す。
まだまだ、自己を犠牲にして守るべきものを守る選択はありました。
とにかく思いつきで行動しすぎ、
親ふうで、親じゃねえよ。
端的に言えば、複雑さを解消し、パフォーマンスを次のレベルへ押し上げるために必要だからだ。
<中略>
何かをするということの意味が、これまでとは違った角度から検討されなければならない。
「立ち止まる」とは、自分に対しても他者に対しても意識的に一歩引くプロセスのことである。それは、真正さや、目的意識や、献身性を伴って先へ進むことを可能にする。
立ち止まることは逆説的に、目的を持ったパフォーマンスを強化する。
立ち止まることをやめたり放棄することは、回復し、リフレッシュし、集中し、つながり、明確さを持ち、イノベーションを起こす能力──この要求の多い時代に不可欠な能力──を放棄することに等しい。
1 振り返るために立ち止まる。物事がうまくいっていないときは、新しい方法を探るために一歩引く。
2 ミッションのために立ち止まる。道を見失ったとき、目的意識を取り戻すために立ち止まる。
3 前進するために立ち止まる。描いていた夢を、さらに大きく、あるいは新たな可能性のあるものとして構想するために立ち止まる。
9.主人公の子供
観てて、一番イライラしました。
幼稚園児ではなく、小学校低学年くらいに見えます。
もう分別はあっていい年頃です、自分の足で歩けます。
映画では象徴的にずっと抱っこされてます。歩けるのに。
「怪物に殺させないで」と他者が主語です、親が愚かでもオレは生きると言わず。
子供は、バカなオトナに運命を委ねたらすぐに死んでしまう程度には弱い存在。
弱い分、勘の良さを発揮して生き延びねば。
オトナは帰属するものを得ていれば、依存してでも生きられますが、
子供はそうとは限らない。
だから、自分の足で歩かなきゃ。
分別も自立心もなければ、死んでしまいますよ。
自分に対するリーダーシップの無さにふさわしい結果を得ています。
一切同情できません。
「ミスト」観るきっかけは、この動画で「チェンソーマン」紹介されてて、
さらに誰かの考察で「ミスト」との関連性指摘されてて、
それでミスト観ました。
仲間とか言わない、アンチジャンプなのは痛快ですよね。
で、オシャレですよね。とにかく。
映画的で、切なくて、オシャレ。
悟りの国日本、カッコいいじゃないですか。
ヤングサンデーが廃刊になったように、
青年誌と少年誌棲み分けるほどパイ大きくないんでしょうね今は。
個人的には、最近の展開にはちょっと不満なんですけどね。
十分に面白いけど。
強制的な契約は契約じゃないし、大事にしてない。
達成を邪魔することが、破棄になるって無理やりすぎるし、
「夢を見せる」を読み間違えていそうだし、
力あっても賢くなさそうなヒロイン兼悪役に魅力感じられなくて、
冷静だけど、地頭悪そうな碇ゲンドウ。
バトルのインフレ化というジャンプシステムの限界に捕まらないかと、
若干ハラハラしてます。
宇宙から戻るとか、楽園追放って象徴的ですが、
痛快なのは、閉鎖空間から逃れるから。
「ミスト」は正しいリーダーシップで、アメリカっぽいですが、
「チェンソーマン」は悟りの国なので、純真と無知の知。
誰が強いとか、階級とか、どうでもいいっすよ。
いつも機嫌よくいることができれば。
微笑みはリーダーの条件って小飼弾も言ってました。
自分の本能や感情に良きリーダーでいられれば、
人生それで充分なんだなと、最近学んだ気がします。
麻雀に例えると、昨日の日向藍子。
今期 #Mリーグ 初トップがとれました
攻守の悩ましい手牌が多かったのですが、
12000あがった東4局の手順を仲間と振り返り私自身反省しています
ミスはあれくらいだと言われ、ホッとしてる自分もいます毎週練習はしてるので、また調整します
ご声援ありがとうございます
ABEMASプラス域になった!— 日向藍子 (@hinaai0924) October 15, 2020
松もっていはいざ知らず、もともと守備的な選手が、
チャンスを確実にモノにし、リード。
またもや、精神的に弱いチームメイトの後を受けて、トップが是が非でも欲しい。
英断のドラ西切りは拍手でした。
コメント欄では例の如く、アンチが湧いてましたが、
批判ありきのアンチに対するアンチコメントも多く、
ああ悟りの国日本の判官贔屓的バランス感覚に好感しました。
以前、麻雀警察さんに言及しましたが、
彼に限らず、打牌批判系の人って、教科書的な牌効率とかだけで切り取ってて、
環境認識、場況の把握を行ってるのか怪しい批判も多いです。
私の雀力ではアレなのですが、正しい批判もあると想像しますが、
それただの手なりで、状況判断してるのか?
批判することが目的化してると感じる批判も多い。
無知の無知。
自分が正しいと信じることと、ほんとに正しいかどうかは常にギャップがあり、
人間である以上、このギャップからは逃れられないが、
メタ思考的な自己認知ができるかできないかは、決定的。
正直、メタ思考ができる打牌批判系は居なさそうです。
打ち手の思考と自分が正しいと信じる思考の、一局を通じての比較検討はなく、
自分の正しさを前提にした、批判ありきの切り取りばかり。
マスコミの手法に類似性を感じる所以です。
で、メタ思考出来ない人を批判するだけでは、自己矛盾劇場にハマります。私も。
ソクラテスの時代からいまに至るまで、「中途半端な知識人」の思考パターンはほとんど変わっていないようです。
「私は(他人より)わかっている」と公言すること、あるいはそのような認識によって他者を蔑む行為そのものが「何もわかっていない」ことの現れであり、まさに自己矛盾です。
メタ認知とは認知そのものを認知すること、つまり自分自身がどう物事を認識し、思考しているかを客観視することです。
「あの人は、他人の批判ばっかりしているからダメなんだ」
この発言の滑稽さ、おわかりでしょうか?
「あの人」について語っているその当人がまさに「あの人」と同じ、「他人を批判する人」になってしまっているのです。
本書のテーマは、このような「自己矛盾」です。
喜劇の登場人物の発言や行動は、それを見ている観客だと思っている私たち自身の縮図になっています。つまり、演者を見て笑っている観客(つまり私たち)が座っている(と思っている)観客席は、舞台上のセットの一部であり、私たちも「本当の観客席」から笑われているということです
「笑っている側だと思っている自分が、実は笑われる対象である」と気づくことで、客観的に自分の行動を見る「メタ認知」への扉が開きます。
もう許してやれよ、自己矛盾を攻撃する著者も自己矛盾なんだし、
と読み進めると、これでもかと自己矛盾の羅列が続き辛くなります。
教訓や対策も一応示されてて、
自己矛盾には三つの特徴があります。
①自ら気づくことはきわめて難しい(が、他人については気づきやすい)。
②気づいてしまうと、他人の気づいていない状態が滑稽でたまらない。
③他人から指摘されると「強烈な自己弁護」が始まる。
本書ではこのような自己矛盾の特徴を逆手に取り、それを前向きな思考に変えてしまおうという試みをします。
他人が陥った自己矛盾は情報として価値があります。それらを抽象化・一般化すれば、これまで気づいていなかったことを知る喜びが得られるかもしれません。
他人について「具体レベル」で意見するのは、「無知の無知」、自らの自己矛盾を露呈することになりますが、抽象化した教訓を導き出す癖をつければ、抽象化のトレーニングになります。
とりあえず、私。
日向藍子の意思決定を讃えます。
そして、批判ありきの承認欲求者も認めます。
あなたの気持ちも分かります、麻雀強くなって、
プロ・アマ参加の棋戦でタイトル取れるといいね。
今のままでは、成長ないけど。
マスコミみたいに自覚的に踊らす側なら見事だよね。
私が蔑む理由はないよ。みんな生きてるんだし。
自分は自分の選択をするだけだもの。
メタ認知が鍛えられると、受容が上手になるのでしょう。
慈悲の瞑想は有効みたいです。
自分の機嫌が取れるリーダーシップを自分に発揮出来てればそれで充分。
あとは運ゲー。それでいい。
解脱ってきっとそういうことなんだなと、想った次第。
チームメイトの多井隆晴プロまた燃えてますね。
サービス精神が裏目に出て、ちょっと気の毒です。
でも、
危うさを自己認知できれば、もっと凄い人なのだし。
矢地選手みたいに、同じ失敗繰り返すのは悲しすぎる。
きっといい薬。
ヒーローかどうかは別にして、リーダーなんだし。