木村花さんに学ぶ。 逃げるは勝ちだが、どうやって?

努力と根性で頑張って、他人の期待に応える人生。
その点において、
富川アナナイナイ岡村さん南キャン山里さんと、同じ種類の人です。
昭和の人。
 
逃げるが勝ち、わかります。
珍しいくらいの直球の正論ですよね。

なんでかっていうと、
私だって、死のうとしたことは何度かありますから。
特に選択肢もなく視野も狭い少年期は。
 
逃げられなかったのは、
 外側に求めていたものを手放せないから、
 逃げるための情報や協力者が無いから。

逃げることの優秀さを説いた情報は近年増えたと思います。
同時に、
「逃げられない場合はどうすればいいのか」というコメントが付くのが常です。
 
逃げ方、逃れられるような自分になることのノウハウは少ない。
辞めりゃいいじゃん、縁切ればいいじゃん、
そりゃそうだけど、方法の無い正論は、絵に書いた餅に過ぎない。
 
 その環境から逃げるべきという正しい判断に気づけるのか?
 その環境から逃げるというオプションを用意しておけるのか?

この点については、
学習と成功体験もあります。
随分と高い授業料払って、ようやく初歩ですけどね。
 
自己選択の裁量と自殺願望は反比例しましたので、
その結果、自由と生存に全振りするような人格になったようです。
 
 
それはさておき、

逃げられないのは依存
精神的に縛られているうちは逃げられません。
「逃げられない場合」というのは、精神的に解放されていない状態。

どんな現実的対処が可能なのかは、そのあと。
先に依存を断ち切らないと。

承認欲求とか、厄介ですね。 

  
木村花さんの場合、
母親の期待に応えるように育ったんじゃないでしょうか。
努力と根性という手段で、成功体験積んできたと思われ。
 
さらに、所属団体の期待も一身に背負ったんじゃないでしょうか。
テレビ番組で露出を増やし、知名度を上げて、
興行に足を運ぶファンを増やそうと目論んでいたんじゃないでしょうか。
現実は、誰も得しない(by ニューヨーク)でしたが。

共依存。
休みゃいいのに、辞めりゃいいのに、遮断すればいいのに、縁切ればいいのに、
逃げりゃいいんですけど、
依存が縛りますよね。その環境に。
オレがやらなきゃ、頑張らなきゃって。

 期待に応える=人生

ならば、
生きることから逃げるより、逃げ場はないですよ。
あと、生活保護は恥ずかしいとか、これも承認欲求ですよね。

その公式捨てて、初めて現実的な選択が視野に入りますもの。
私はそうでしたよ。

てか、私だっていまだに、
つい駄目なプロジェクトを助ける為に自己犠牲してしまいます。
まだ、完全に魂が自由ではありません。
 
 
外側に求めてる限り幸せになれないと自覚しない限り、
依存は断てない。親でも職場でも客でも。
 
 
 
承認欲求を捨てて自分を大切にすること。
そのためには、自分の不幸を受け入れるのが第一歩。
他人の不幸と比べる必要はありません。
  
日本で暮らすのはラッキーで、貧困や戦乱の国云々言う人、私は大嫌いです。
そんな国ばかりじゃないし、
より過酷な隣国に、自殺率No1の座をようやく譲った国の住人が言うセリフじゃない。
また、 
物理的に生きることに必死だと、死ぬこと考える暇ないし、充実したりします。
ソマリアで砲撃に会う高野秀行さんがイキイキとしてるように。
 
脱線しましたが、
依存や願望で曇った目から脱して、
自分の不幸を直視せんとね。自分を大事にする第一歩。

私はかつて、
自分のお父さん、お母さんは、もっとマシな親なはず。
という願望の中にいました。

親子の縁は切れないという儒教的搾取の罠にもハマってました。
 
親子の縁は切れないとかいう、宗教はロクなもんじゃない。
アンタの師匠は、親子の縁も切って、地位も捨てて出家したんだよ。
で、一族滅んでんだよ。なに学んでんだよ。
 
 
幡野広志の人生相談はシンクロニシティで、共依存の話。
https://cakes.mu/posts/30305
慰めがシェア埋めるの疑問ですけどね。具体的アドバイスしてあげろよ。
 介護の自己重要感による共依存は避けること。
 ロクな大人が周りにいない自分の不幸を受け入れること。
 他人を変えることは出来ないこと。母親の自滅やむなし。
 アル中脱却のNPOに最初に相談して、可能な限り支援受けること。
 
   
親でも他人は救えない、変えられるのは自分だけですから、
外側に求めても無駄っす。
 
まあいまだに、ここ切り抜ければ、
このプロジェクトなんとか良くなるだろうとか、
 願望に生きちゃったり、
 頑張る自分に自己重要感感じたり、
してしまうものね。

そんな甘い幻想を打ち砕いてくれたプロジェクトには感謝しかない。
壊れたり、死んだりする人が出る業界なのには理由があります。
 
喪失をねちっこく歌うこの曲がなぜ、こんなに清々しいのか、

最近ようやくわかりました。
  
 
  
とにかく、ここに居ちゃ駄目だって決心できたら、
あとは以外と楽です。 
 
現実への対処は実践家を参考します。 

 常に選択肢を増やすよう心がける。
 今持っている選択肢を正しく確認する。
 そのためには知識、情報収集を怠らない。
 
 
駄目な自分の現実の中には、ロクな答えはありません。
自分の知らないどこかに、きっと答えはあります。
 
インターネットの無い時代はもっぱら本しかありませんでした。
知らなかった概念や物の見方は、地獄に垂れた一本の蜘蛛の糸でした。
今はもうちょっと、容易に情報収集出来る時代ですね。
  
精神的にその環境からの依存が抜ければ、
相談できる相手は見つかります。
私は、本の中に見つけました。
 
家庭の場合は、
 接触時間を減らすこと。
 誇り高く無視すること。

くらいしか出来てないかったですけどね。悪影響から逃れる為には、

現実を受け入れて、彼らに理想の親を望まない。
が、出来たら。
もうちょっとスマートに解決出来ていたなあ。
もっと早く縁が切れていたかもしれない。
 
それだけ、学ぶべきことが多かったのでしょうね。難度高し。
 
 
 
ま、あと会社を辞めて後悔なんて無い。
辞めて後悔するような人は辞めなくても、後悔します。
終身雇用や住宅ローンの昭和じゃあるまいし。
依存を脱するチャンスなのに、次の依存してるだけ。
辞めたことが悪いわけじゃない。

この本読んだのですが、あまり参考になりませんでした。

アンタみたいに才覚ねーよ。って思っちゃいます。
 
転職繰り返しって言ってますけど、
働くのは経験積むためって自覚してるので、
そりゃメリット無くなりゃ辞めるでしょ。
 
でもね、
 飲食店のオーナーとして、シェフと対立したとき、
 自分の方がマネージャ降りて、他の人に託す、
こんな選択出来るのは、参考にする点あるはず。
 
横山社長には、
 人を見抜く目と、
 人脈を作る高い対人能力と、
 自分を大事に出来る客観性と、
 卓越したマーケティングセンスがある。
 
よき相談役が居るので、自分が引くほうが最適と判断出来てる。
それが他店舗展開のきっかけになったり、
流行り廃りの激しい世界で、柔軟に業態変化もしてる。
 
凡人は執着が強いのでそれが出来ない。
そもそも自立した人なんだよな。 
 
執着減らして、あっさり捨てる。こだわらない。
そのほうがより楽しく生きてゆける。
 
見習えるところかと。
 
苦しいときは、間違った依存をしてること多いね。
 
 
歌詞の意味を確認するため、日本語で聴いてみた。
やはりオリジナル同様ねちっこいけど、爽快。

青い鳥はどこにもいない。

カテゴリー: メモ, 書評、映画評など パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*