前回のブログ書いたあと、
↓読んだ。
「キモチワルイ」 シン・エヴァンゲリオン感想・考察
https://note.com/wakari_te/n/n0ba0c462e025
ああ、やっぱそうだよねという同意と、
いや、それはまた別の問題じゃん。
2つありまして、観てない映画のこと書きます。
最近急に活動停止してしまったので、私ブログ書いてます。
主張で、最もなのは、
これも昔からの悪癖だが、庵野は自分に対する自己批判を視聴者に投げかけてしまう癖がある。旧劇場版で提示された「フィクションを通じてしか現実を認識できないオタク!現実に戻れ!!!」というメッセージも、エヴァQで提示された「エヴァに呪縛されたオタク!現実に戻れ!!!」というメッセージも、本当の意味で刺さるのは庵野秀明ただひとりだけである。
山田玲司は庵野秀明の問題意識について肯定的だけど、
小山晃弘と同じく、私も否定的だ。
オウムが跋扈した時代ならまだしも、今それじゃただの老害。
他者はあなたじゃない。
境界性パーソナル障害だとそれの認知が出来ない。
あなたじゃない他者の中には、地に足つけて大変な現実生きてる人は山程居て。
そのお陰で、アンタはただウジウジ悩める貴族みてーな人生享受してんだよ。
個人的には、
エコとか二酸化炭素とか言いながら、
中国でガンガン生産されたパーツのスマフォ使う先行者利益。
ひろゆきが言ってたけど、
ヴィーガンのくせに動物実験の恩恵で成り立つ化粧品は使って、
目に見える食品にだけ目くじり立てるのはご都合が過ぎねえか?
ってのに似た、
反感を庵野秀明の主張には覚える。
山岡士郎が深酒な生活習慣なのに、食べ物だけには健康に留意する如く。
それはさておき、オレとアンタは違う。
ワンネスと繋がりとか言う人に限って、人格が幼稚。
私の経験上。
他者を他者として世界に許容するような認知を、
自分がどう認知し把握してるのかというような、メタ認知の能力が低い。
自分と他人が違うということが分かってない。
麻雀に例えると、
プロの打牌批判をして気分良くなってるアマチュアも居る。
中にはなるほどもあるけど、そういう人はそんなに安易な批判はしない。
「その何切る?」はただの牌効率だけど。
条件戦のこの局のテーマで、この場況。
ここで上がりに最短で向かう牌効率を優先することが、
他を優先した思考より優位であることをまず説明しろよ。
a.今、最優先にすべきことは何か。
b.aに基づいた最善の行為はどれか。
の順なのだけど、
aの比較検討がなされた形跡が無い。
そして自分がどの程度、aが行えているかの判断がない。
ファスト思考での最善の選択を、最善と判断している。
メタ認知能力が著しく低いのである。
アンタとそのプロは違う。
どちらが優秀かは、一旦おいて、
違う思考で打牌したということが分からないのは、
認知能力が低い。
現実では無能と評価される可能性は高い。
それが、かつて名を成して、今認知力が低下した場合、
老害と呼ばれる。
今はもう、
他者を許容しつつ、自分で始めた物語は自分で終わらす覚悟持つものが、
主人公になる時代。
既にアンタより大人なんだよ。現実は。
脱線してしまった。。
他者が他者ってことが分からないのは、境界性パーソナル障害。
というんだっけ、
加藤諦三のどの本か忘れた。
無条件の愛情を受けて子供は育つから、
母親と隣のおばさんの違いが、認識出来る。
違いという概念を体感する。
幼年期にそういう経験が壊れていると、
自分と他者の区別が、苦手になる。
私も多分そうだから良く分かる。
そこで、
シンジ君のように育てられた人の本、読んでます。
パートナーが出来たというのは、救済になったようです。
自殺未遂を最後にやった後で、彼に話を聞くと、「いっしょに年をとっていく未来を思い描けなくなった」っていったんですね。私が死にたい、死にたいっていうたびに、むかしはいっしょに生きて年をとってって思っていたけど、それができなくなったって。あのとき、私はこれから彼をちゃんと愛して、生き抜いて、彼が未来をまた思い描けるように、おじいちゃんおばあちゃんになれるようにしたいって、強く思いました。そして、愛したいって思ってから、不思議なことに、自分も愛されてることに気づいて……。
そして、
家族もカウンセリングするって、目からウロコでした。
「絆の病」ということでいうとね、それはその人個人の問題というよりも、つながり方の問題なんですね。つながりですから、その人だけを切り離して、いくら治療しても、薬を飲んでもらっても、何も変わらないということになりかねない。それこそ病人の役割をひとりに背負わせることになってしまう。むしろ両方の関係の問題だっていうことですね。
マインドフルネスでは、
呼吸はじめ、自分の知覚を認識しますが、それ有効な理由もあり。
自分を取り戻す。
精神医学ではそういうのを失感情症っていうんですね。子どもの頃に過酷な体験をすることが、ひとつの原因になるといわれています。自分の感覚に対して、感じるのをやめてしまうんですね。咲さんは、そこに血が通いだして、自分の感覚、感情を味わえるようになったのかもしれませんね。
ノートに書くのはとても役立ちますよね。
認知のノートは特にいいですね。
自分の心と感覚的につきあえるようになると、次は、心を分析していくくせもつけました。
その際によかったのが、対談でも触れた認知のノートです。つけていくと、それまではショックを受けて、自傷や暴力に走りがちだった自分に「待った」をかけてもらえるようになりました。
感情のまま書き出してみて、
それから第三者的に分類、分析して、
合理的な反応を見出してゆく。
ましかし、
自分一人で、克服せざるを得ない人については、
救いの無い本でもあるんだけどな。
そういう人は、
自分で自分を満たす。
自分の親に自分が成る。
というアプローチ採らざる得ないんだが、
終始恵まれない環境の人にも救いはあるんだけど、
それはまた、別のお話だね。
現実のシンジ君はさ、良かったね。
マリという新キャラは奥さんなのか、
脱力タイムズの小沢アナかと思った。
Qまで観た感触と、漏れ聞くネタバレから察するに、
精神的に安定してるのは、
このマリさんと、
渚くん、
あとは、順調に大人になった同級生達。
渚くんは、秀明君が成りたくて、欲しかった人。
ゼーレの側の人だとすると、
電通かテレ東に属する人で、クリエータを理解し助けてくれた。
でも、最後は利害が違うので調整難しい。
そんなモデルがいるのかもしれない。
傷ついたシンジ君を無条件に受け入れ癒やしてくれる環境は、
ジブリがモデルで、「風立ちぬ」で主役やってたころ。
「風立ちぬ」は、
人格はアレで、作品を作るしか能がない人間でも、
自己肯定して、呪いは成仏する。
パートナーの献身と、
幼年期に経験出来なかった、無条件の愛を受けて、
パーソナル障害の人が回復してゆく。
で、震災にも向き合って、シン・ゴジラ作る。
いい話じゃないですか。
小山晃弘さんへの違和感は、
私小説的なアプローチで作品を作る事自体は別に悪くない。
それで傑作もある。
作品の出来そのものを評価すべき。
オリラジ藤森と田中みな実みたいなカップル観て、
「ケンスケとアスカがー」って燃えてる、
心底気持ち悪いとしか形容できないファンに、
食い殺される恐れもあって、
現にガンダム作ったらガンダムしか作らせて貰えない人もいて、
「卒業してください、他の作ります。」って言わせてはあげたい。
まあ、作品の出来そのものは別の問題だけど。
オウム世代の作家の問題意識や世界観を上回る現実が、
津波のように訪れて、彼の自意識をペシャンコにしてうつ。
でも、そこから回復して、シン・ゴジラ撮って、
過去とも決別もさらに出来たのなら、
その事自体に否定的になる必要は感じない。
まあ、作品の出来は独立して評じればいいし。
小山さんは、
庵野秀明はもうエヴァンゲリオンを創れない
https://note.com/wakari_te/n/n1792bd55c379
では、シン・ゴジラにも言及してるけど。
他者なんだから、完全一致はありえない。
だけど、団結したり、連携したりすることはあるんだよ。
そうでなければ、先の戦争であんな派手な負け方してない。
原発の問題は解決してないけど、
吉田所長達が団結したお陰で、
この状態で食い止めたという面を見落とすのはフェアじゃない。
その糾弾は、山岡士郎と同じじゃねぇの。
繋がれるか繋がれないかという二元論じゃなく、
受け入れにも、拒絶にもいろいろあんだよ。
ま、それはさておき、
震災後、シンジ君が他者を他者として許容出来るようになったのなら、
おめでとう。
だし、エヴァンゲリオンを作ろうと辞めようと本人の好きにさせてやれよ。
ただ、
「卒業してください、他の作ります。」の今作の、
出来としては、同窓生には響かないかもしれない。
さっさと、次のステージに行こうよ。