あけましておめでとうございます。
年末から気になるニュースもあり、コミュニケーションについて考えていました。
絵に描いたような勝ち組なサラリーマン大家さんが、逆恨みされ亡くなりました。
これは仕組みで解決できない。
会話の成り立たない相手にどう対処するか、
コミュニケーション能力の真価が問われる場面。
お花畑系、または操作系のコミュニケーション論が巷に溢れる今日この頃、
地に足のついた能力も必要と、コミュニケーションについて点検してみました。
小細工で成果を得ようとするのはリスキーだと常々思ってます。
パキスタンでインドのスパイと間違われて、
公安らしき私服の二人組にホテルで尋問され、
パシュトゥン語もウルドゥー語もできない私は、
カタコトの英語でただの観光客だと分かって貰わなければならなかった。
拷問は嫌だ。
正しく伝える。小細工はしない。
合意点の想定を誤らない。気に入られる必要はない。
状況と相手と自分を観察して、
関係性の見極めが大前提。
誰とでも、仲良くすればいいってもんじゃない。
避けられなかった危機に有効でなければ、メソッドの価値は無い。
逆恨みされるのは、コミュニケーションの失敗だと思った。
得るべきゴールは達成できたとしても、
前提として、
前のオーナーは入居者に手を焼いて売却したものと想像され、
物件調査時に見抜けなければ、不良な入居者さんを防ぐことは不可能。
そして、こんなリスクは想定できないけれど、
ただし、ちょっと抜かりがあったかな。
買うのであればなおさら、
買う前から地元の不動屋さん(管理会社)に聞き込みして、
連携取っておきたかった。
管理会社の選定も行っておきたい。
自主管理は一切お薦めしない。
5%の管理費用が、その対価に見合わないと考える人の生産性を疑う。
その5%で損益分岐下回るようなら買っちゃだめ。
特に対人トラブルでは、第三者に間に入ってもらった方が良い。
こじれるリスクと労力は絶対に見合わない。
更に、
問題の入居者に、お引取り願うのに5年は掛かり過ぎ。
トラブルの早期対応は絶対。初動が大事。
手順を尽くして、強制執行に至ったのだろうけど、
引っ越し代くらいは出す用意は以て交渉したのだろうか?
相手に対して洞察を怠ったコミュニケーションだったかも。
情動的に表現すれば優しくない意思疎通。
心の病を抱えていることはすぐに想像がつく。
身寄りが無いのであれば、治療を受けるよう支援してもらうのが先決。
施設に引き取って貰えればベストでしょうけど、
何はともあれ、治療受けるよう手引したいところ。
禄に収入ないなら、生活保護貰うしかないでしょう。
それも含めて、福祉の出番。
引っ越し代くらい包む前提で、治療に専念する環境に移って貰う。
それがベストではなかろうか、
自分の都合だけでなく、
相手の人生の最善の選択について、想像力は働かせたい。
それをサボる人は多い。今回ITの仕事日本でして良く分かった。
サボった分だけ、知らずともしっぺ返しを食らう。
マネジメントってそういうもんだよな。
極力、病んだ入居者さんの不安を取り除く形で問題解決しないと、
解決に失敗するだろう、こじれて強制執行に至る。
被害者の大家さんは正しい。
でも、まあ失敗は失敗。
最善を尽くしても、結果が伴うとは限らないが、
関わらないにしても、戦うにしても、
相手への理解を怠った。か?
参考
リアルではWant-toで相手は選べないこともあるが、
関係性を見極め、抽象度を上げて共通のゴールを目指す。
それは、取り入れたい。
入居者さんは安心できる生活の確保で、
大家は良い入居者さんに住んで貰うこと。
”健全な状態になるよう治療に専念する” でまずは合意したかったね。
また、
コミュニケーションで成果を上げるには、知識で勝っていることが必要とあり。
精神疾患抱えている人を入居させるって、どういうことか?
分かってなかったと思うよ。
自分がマインドフルな(客観視できる)状態で対処する。
(間に第三者入れた方がいい理由)
相手をよく見る。相手の満たされ無さを見極める。
伝えにくいことを上手に伝える能力がコミュニケーション能力。
多少お花畑系ではあるが、原則論は善き。
リクエストは何かを忘れない。
観察をサボらない。
リクエストを飲んでもらうには、プレゼントが必要。
最近、
TVに無いものが見られて、かつTVに勝る編集力の動画にハマってます。
かつ、他のyoutuberには真似が出来ない。唯一無二のコンテンツ。
忖度なく訊きづらい視聴者の疑問を尋ねる。
私もかつて、しばらく金沢でお世話になったことがあり、
近江町市場は華やかで楽しいけれど、海鮮丼食べる気にはならなかった。
回転寿司のクオリティが高いので、
お昼のセットに2、3品好きなネタ追加して、
ビール一杯くらい注文した方がお得に感じられた。
非常にわかりやすく、市場の構成や性格が理解できて、
フラットな評価、知識経験に裏打ちされていて、結論ありきにはしない。
TVが既に失ったもの、かつ、インスタ映えを目指す配信者では出来ない。
状況を把握している能力がそもそも極めて高いと想像される。
”観光地価格ですか?”
って直球で訊ける人は多く無いと思う。
逆にアスペ的に空気読めないだけだと、ここまで視聴者に配慮した動画に出来ないはず。
コミュニケーションというと、
円滑にみんな仲良くな技術にされがちだけど、
真価を問われるのは、そこじゃない。
サッカーの森保監督続投決まったけど、
世界の観客とのコミュニケーションは歴代最強で、
今回のW杯の監督の中でも随一でしょう。
あれだけ立派な立ち振舞いをしたことはとても大きい。
ブラジルはイスラムの国で猫をぞんざいに投げたし、
オランダは敵役になり、アルゼンチンが観客を味方にした。
デンベレやグリーズマンが不調だったのは、差別発言の呪いかもしれない。
いろんな意味で、国内で足引っ張る人はいても、
無視すべきを無視しつつ、聞くべきを聞けるのは卓越している。
オシムはセルジオ越後の批判に激怒して健康を害したとも聞く。
情報の取捨選択は当に編集能力で、
広告代理店の都合やスポンサーへの慰問などで、
今回振り回されなかったのは、地味に大きかったと想像している。
スポンサーやメディアと良好な関係を築きつつ、
コンディションを優先できるようにリクエストを通すことも必要だろう。
会見で選手欠席させて罰金払えばいいという判断をする監督では、
いかなる戦術家でも、世界一には成れないだろう。
戦術で勝てると思ってる人たちは、
組織を率いて成果を出すことを義務付けられた経験あるのか、
大変疑問である。
残念なことに、
コミュニケーションで上げねばならない成果が存在し、
それは日本の常識や洗脳とも全く違うが、サボると対価を払わされる。
そんなことを痛感した、年末年始。