国家とは国語

ども、ホーチミンは雨季らしい天気で、よくスコール降ります。
ワタクシは弾丸な旅も終盤、疲れたまってます。
今日は友人に誘われカラオケに、定番な曲歌いました。

カフェで休憩中に一冊電子書籍で読みました。

ま、読まないでも内容は想像できるんだけどさ、
それでも買って読もうと思ったのは、

ロングステイの取材とか重ねるなかでね、

誰でも知ってるような一流企業を務め上げて、いまリタイヤメントな方で、

ビザ更新で付き添いなしとか、
店員に英語で注文とか、
LCCのチケットをネットで予約とか、

中学英語で十分だろうってこと、
で、
できるとか、できないとか、

そんなもん慣れろよ、こっちにずっと居るんだから、
グチグチグチグチ何言ってんの、いつまでも。

簡単な英語で話しかけられるだけで、
しかも、定形な単語だけなのに、

タイ語やベトナム語だったら、そりゃまだ分かるけど、
何年英語習ったんだよ。
 
まあ、オレがイライラするのは、余計なお世話だが、
大多数の日本人に英語要らない、にしても、

いかがなものかとは思う。
今60歳で大企業なら、一流大学卒だろう。

その謎を知りたくて、読んでみた。

ま、トバッチリだよそれは、って思う部分も多いんだが、
あ、そうか、って分かったことがある。
 
 
話しは実用としての英語に集中しましょう。

趣味で将棋の定跡を覚えるように、
英語の勉強してる人達のことは、
関係ないじゃん。攻撃することないよ。

趣味は好き好きだし、
英語と人物の見識とは無関係だよ。

将棋が指せる射せない、強い弱いってのと、
人物の見識に関係がないのと一緒。

東大の例も出てくるけど、
学歴と見識に関係がないのと一緒。
(多少はあるかな?)

あ、あと、英米文学とか学術的な分野もそっとしておこう、

成毛氏は面白く書くために確信犯的にやってんだろうけど、
そりゃ、関係ないよってツッコミどころは満載だ。

ここでいう「英語」とはあくまで、実用。ってことにしよう。
コミュニケーションツールとしての英語。
 

で、実用についての英語に限定した場合、
投資効率、生産性で考えましょうよ。

基本はそんな話し、
 
楽天の社員食堂で英語のみだから、みんな日本人なのに、
ぶりの塩焼きが salt broiled yellow tail
と訳させるとか、極端な狂った例もあるけど、

基本は、
英語全然使わない企業で、TOEICの点数、重視するのって、
結局、学歴と大差ないよ。

無意味かもしれないけど、暗記中心の科目で、ハイアベレージって、
均質でかつ従順な人材ってことでしょ。
無駄に努力できる才能って指標としたら、同じことだよ。
むしろ、英語力必要としない、ドメスティックな企業がTOEICの点数求めるのは、
少子化の結果、学歴が信用できないって、ただそれだけのことじゃん。
  
それで日本の生産性いいのかって疑問は尽きないが、
基本フォーマットは何も変わってないってことさ、
 
他の資格でも、TOEICでも学歴でも、ペーパー中心のハードルって、
結局、基本フォーマット変わってないんだよ。

学歴が信用できないから、TOEICってことでしょ。
それは、一流企業の団塊な世代が、英語のメニューでまごつくのと、
実は等価だ。
 
英語というコミュニケーションの問題じゃなく、
点数で以下に輪切りにするかという古来チャイナの以来の伝統でないか。

ワタクシは、意味があるとも思えないので、
自らの愚かさを知って、田舎に引っ込むけどね。
 
ま、資格と実用の間には、深くて広い河が横たわっている。
それは、ワタクシがフィリピンでイライラする理由と一緒だ。

で、英語勉強するよりも、
投資効率よいこととして読書のススメを語る、元日本マイクロソフトCEO。
 
更に、言語と民族や文化について語る。
いや、やっぱ、フィリピン人は言語能力に長けてると思うよ。

フランス人の英語は日本人の英語ほどひどくない。
フランス語で極力話しかければ、英語でもオープンに対応してくれる。

50%も海外で一旗上げようって若者いれば十分だろ。
オレはむしろそんな日本人の若者ばかりに会うが、
「海外は危険だし、メリットない」って意見はアリだと思う。
 
 
ま、それはさておき、言語と文化侵略の話。
ミャンマーの上流階級な方は、実に美しい英語を話す、
Rが巻き舌な、下品な英語でなく、
発音も文法も由緒正しい、クイーンズ。
仁で、お武家様のお嬢様な綾瀬はるかみたい。
さすがに、Brokenな私は恥ずかしいでござる。

一方で、マンダレーの王宮跡では、
大英博物館というところが野蛮な泥棒の結果と知る。
二度退けたたが、三度目で帝国主義の物量に力尽きた。
 
 
まあ、文化の話と、実用としての英語は分けよう。
あくまで、資本主義的なCCRで英語を考えよう。

最低限の実用、ビジネス用、ネイティブな日常会話、
に分けるのは合意。

中学英語で十分なんだから、テストの点数がどうであれ、
レストランでの注文程度の最低限での実用はこなせよ。
小学校から始めるか、TOEIC何点かとか、関係ないだろ。そんなこと。

で、ビジネスは、単語限られてるから、なんとかなるよ。
逆に対象に対する理解が深いのと、単語はそもそも英語だから、ハードル低い。
実際に日々使う実用としての英語は慣れる。心配しなくていい。
ビル・ゲイツに文句いった彼とワタクシも同意見。

あと、ネイティブとネイティブ並の会話は、
まあ、必要な人はやってくれっていうよりないよ。

シェイクスピアが前提ででることが高尚な文化みたいにいうけど、
そんなの、峰竜太はマスオさん、っていうのと一緒だよ。

今回のプロジェクトは、三顧の礼で迎えられて参加した。
くらいは、通じるだろ。
 
そういう文化的な背景を前提にした言い回しは、別に大英帝国の専売特許じゃない。
 
 
ま、大抵の人は必要ないし、必要になってから対応しても十分だし。
子供に海外で英語ネイティブにして自分喋れない親は、昔の学歴信仰と変わんない。

学校教育が英語にかぎらず、実用に関係ないって符号でもあるね。
ま、お金に余裕ある人が子供とKL移住するのはいいけど、
英語より、お金の知性教えなよ。
そして、そんなに英語が好きなら、子供と英語で会話してあげなよ。
  
 
ミャンマーやフィリピンと英語できるだけで、
戦おうったって、戦えるの?
オレの実感では、それなりに優秀で安いよ。
同じ生活レベルの所得でやれるの?
普通の日本人って、オレより対応力ないだろ多分。
で、ハングリーでもないし。
 
 
英語信仰の根源は、学歴信仰と実は一緒。
ペーパーで簡単に判別したいだけだろ。
生産性は関係ない。

短所じゃなく、長所に着目せよとドラッカー先生は言う。
 
  
おっと、脱線。
そんなことはもうどうでもいい、
住みたきゃ、どこでも移住しろよ。
結局、住めば都さ。
どこだって、メリットもデメリットもあるよきっと。
 

閑話休題。 
一国の首相なら、
ロバート・ライシュやジャック・アタリやフリードマンは一般教養だと思うけどさ、

それ日本なら、日本語で入手可能ってアドバンテージあるよね。
でもまあ、あの人はスタンフォード卒なんだから原書で読んどけよって思うが。
(フランス語は知らんが)
「中国との付き合い方」って論外としても。

もいちど閑話休題、
言語と文化侵略の話をすれば、
大和民族がこれほど、英語苦手で、
ベストセラーな専業作家が多数いる。ってことは、
日本の文化、ステイブルだよ。

東野圭吾や宮部みゆきみたいな、フランス人てそんなに居るか?

オレはグローバル企業現地法人CEOほどバナナじゃないから分かんかいけどさ、
日本の国語力かなりすげえって、思うよ。

それは、学歴やTOEICとか、ペーパーな輪切りと関係ないよ。もともと。

ま、そんなことはどうでもいいや、
夏目漱石のくだりで。

I love you
を、
そこは、

今宵は月が綺麗ですね、

と訳せという。
それだけで、購入代金の元は取ったかな。

宮崎駿の「風立ちぬ」だね、見てないけど。
戸田奈津子は、アラン・ドロンのJe t’aimeを
ありがとうと訳した。

たしか大岡信は、
背を向けて、地球を一周するようにしてしか伝えられないとこもある。と言った。

英語で講義するか、日本語にするかと問われて、
東大の学生は日本語でと、千円札の肖像に答えた。

オレもそうする。
英語なら、もっと格調高い人は居るだろう。
日本語の講義で、文豪レベルは稀であろう。
前任は小泉八雲ってのもすげえけど、

正岡子規は、彼の能力を評して、
西洋に通じる、あるいは、和漢に通じる博識はいるが、
彼のように、両方は見たことないと言った。

和洋中なんでもありの鉄人である。
坂井シェフが、鱧の骨切り和の包丁人より達者みたいな。

二葉亭も出てくるけど、彼はロシアやフランスが専門だろ。
で、日露戦争以降の、日本外交のあり方について、
精密な分析を新聞に載せて疎まれたと、

山本夏彦の「二葉亭の思ひ出」で知った。
国家の大事を論じても、それは評価されず、
望みもしない、文章力だけ評価された。

まあ、日本で最初に口語文で、美しい日本語書いたのだから、
それは仕方ないと思うが、

山本夏彦は、彼を書物で知り、
彼の撞着に親しんだという。
書物により、
生きてる人より死んでる人の方が生きてることを知ったという。

よく引用するけど、

今人のうちに友が得がたければ、古人にそれを求めるよりほかないと、
私は旧著のなかに書いたことがある。本を読むことは死んだ人と話をすることで、
私は本によって大ぜいではないが、何人かの故人を知った。
  
  
実はワタクシの人生はこの言葉によって救われている。
 
成毛眞は、
コミュニケーションとは、分かることを前提とするものでなく、
分からないを前提にて、組み立てるものだという。
 
 
そんなに英語好きな人は、
日本語で、日本語ネイティブに分かり合えないって経験無いのかな。

オレは、子供の頃から日常茶飯なんだけど。
いっそ、英語でいいよって、思う。
 
 
だってさ、

貴方が今、お金が欲しい、
家が欲しい、クルマ欲しい、ブランドバックが欲しい、
と言うが、
時の加速が、所有の重力を軽くするんだ。
マネーは崩壊する。価値を無意味化する。
重力と時間には密接な関係がある。

これだけは、言っておく、
そして、時は加速する。

って言うと、あんまり通じない。こともある。
日本人に日本語で語るのに。
  
オレの文章力のせいじゃないだろ!!!
   
  
他の日本人は、手段と、本質理解の乖離感じずに生きてるのだろうか。
ボールコントロールと得点能力がそんなに関係ないのと似てる。

ま、日本語のおかげで、時空を超えて、
何人かの友人に出会えたことは、僥倖だと思ってる。
その点は、日本に生まれてほんとに良かったと思ってる。

ま、あの本は、
英語の話しというよりも、日本語を母国語とすること、
についての話しだったのかな。

で、狂ったこと最後に言うと、
西行や芭蕉や牧水の正当な後継者じゃん、オレ。
柿谷のようにテクニックはないけどさ。
 
旅して、酒のんで、詩でも吟じて暮らせばいいと思うこともある。
  
それは多分、日本で生まれたせいだ。
 
今宵は、寝付けない。
宿の部屋の窓を開け、
月と影と三人で、もう少し盃を交わすことにしよう。
 

カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*