世間の評価を聞いて、映画「ルート29」が気になり観てきた。
クオリティは良きでした。
ビジネスとしては、惨敗のようです。
うーん、そもそも大規模でヤル内容じゃないし、
「こちらあみ子」の監督主演コンビで、テアトルの配給なら、
綾瀬はるか主演と言えども、ドメジャーな大衆娯楽にはならんだろ。
営業サイドの思惑は不可解です。
不可解といえば、
いやあ今でも、斎藤元&新知事については、
内部通報者の処遇を第三者に委ねず、保護せず辞職に追い込んだことは違法で。
行政の長として適切とは思わない。
グダグダな対応と、挙げ句に手のひら返しした維新に、
国政任せる気にもならないです。
が、
自公は壊滅的に壊れている機会に、
立憲以下、左派の人達って、ホントは責任ある立場避けたいんだろうな。
沖縄県知事みたいにイザというときの無能がバレるし、
マスコミのお通夜も、ウソな報道してたのバレるよりマシだからの演技だと。
と勘ぐっています。
ヘンな人達と(表面上は)関わらず、
”風通しの良い県政” くらい訴えていれば、負けようがないのに。
単に、”無能な味方”では説明がつかないくらいのオウンゴール。
ただ愚かだというだけでない、大きな力が働いているのではないかと、
勘ぐってしまいます。
なぜ、客として相応しい相手に、ベネフィットを訴求しないのだろう?
そこを起点に、規模を算出して、
勝ち目のあるプランを立案するというものではないのだろうか。
将来破綻がバレようとも、行けるとこまで行って破滅すればよい。
そんな遺伝子が日本人には、あるのかも知れない。
それはさておき、相変わらず、
イメージの飛躍に着いて行けないから酷評、というのは勘弁してほしい。
作品の質と、観客のリテラシーは別モノ。それは分けようよ。
今回は、映画系youtuberには取り上げすらされていなくて、一つだけ見つけた。
映画のデキよりも、売り方の戦略がどうだったか? 疑問。
という話。私もそれは同感。
「こちらあみ子」とある程度地続きで、決してほのぼの系ではない。
ハートウォーミングというより、意思疎通を諦めざるを得ない絶望。
オフビート系といっても、
ジャームッシュのような日常というより、常に不穏。暴力的でさえある。
殺伐として乾いている。ハードボイルドな装い、
キタノ映画にむしろ近い。
そこに、発達障害なワールドを描く森井監督の作家性があると思う。
欠点もあるけど、棒読みとかは意図的にヤッてる。
ロードムービーといっても、
心の交流を描くというには無理がある。ウソではないけれど。
発達障害で社会不適合者のコンビが、森という異界で、
社会から離れゆく異人達(死者、世捨て人、不適合者、超越者、etc)に出会う、
どちらか言えば「千と千尋」ライクな異世界モノ。
リアル路線ではないことは、予め申告しておきなよ。
その方が正直で客の信頼も得られる。
イメージをイメージとして受け取れるリテラシーある客をターゲットに、
「こちらあみ子」の唯一無二の世界感で、
森という美しい異世界で、人生が流れる豊かな、一瞬の時間。
他では得難い、アート系の映画体験を商品として訴求しつつ、
テアトル標準のインディーな規模で黒字目指す。
のが正解だとは思う。
ほのぼのでマスを狙うのは無理筋。
でまあ個人的には、その価値は高く評価したい。
手取り足取り、意味付けを行う、補助輪付きのコンテンツばかりの昨今、
散文的内容で、独特の世界を映像化してくれる作品は希少だもの。
とはいえ、
欠点も目に着くので、それに言及。
基本、オシャレな内容なのに、演出がダサ過ぎる。
キタノ映画的な省略は成功してるのに、勿体ない。
・音楽がお座なり過ぎ
音付けるなら専門家にヤらせろ。中途半端なら無い方がマシ。
・説明が下手すぎる
例えば、
冒頭付近のサッカーのシーンは要らん。携帯が川に落ちるシーンも不要。
犬を探してる隙に車盗まれ、
着の身着のままで、夜の森に置いてけぼり。
だけで、十分。
他にも、
心情や状況の説明をセリフでしようと試みるが、下手。
唐突過ぎるか、観て分かることの重複かどっちか。
(小学校教員の身内のセリフは、ネジの外れっぷりが良く表現されてたけど)
・人並みの感情は諦めろ
綾瀬はるかが”一人でさみしい”とか曰うが、強引過ぎる。
そういう感情を表現したければ、セリフでやるなよ!ダサ過ぎる。
そもそも、
このワールドでは、そんな分かりやすい感情は要らないとも思う。
あと、教訓としては、
客にリテラシーを求めてしまうと、
どうターゲット絞っても、
間違った客を一定数引き寄せてしまう。
それは覚悟せざるを得ない。
↓こちらの評価で、愕然とした。
公開時には観るチャンスを逸してしまって、アマプラで視聴。
こんな低予算ドインディーで、シネマロサくらいでしか掛からない作品でも、
イメージの飛躍が許せない客が居る!!
私は驚愕した。
確かにね、我々は、
従順な単純労働者になるように教育されつづけて来た。
常に予め正解は用意されていて、それらは総て言語的に説明が出来る。
出題者に忖度し、空気を読んで、パクパクと同じ説明を強要された。
戦後変わらぬ大量生産な、そんな洗脳を施されてきたよ。
ほとんどの会社の従業員、もしくはアルバイト、パートで働いている人たちは、事実上「時間給」で雇われていますから、「即断即決」しても、その後が休み時間になることはありませんし、「収入が爆発的に増える」こともありません。いや、むしろ「即断即決」して仕事の生産性を高めれば高めるほど、同じ給料でたくさんの仕事をさせられることになります。ほとんどのビジネスマンが「即断即決」をせず、だらだらと長い会議をしているのは、「即断即決してしまうと、別の仕事を振られて、仕事量が多くなってしまう(にもかかわらず、給料は変わらない)」からなのです。「時間給」で雇われている人たちの多くは「あえて即断即決しない」という判断をして、本能的に身を守っているのかもしれません。もちろん、それでいいということであれば私は何も言いません。他人に雇われ、他人の指示で動き、他人の決めた額の報酬をもらうことが最善だという判断をするのも、あなたの自由であり、自己責任の問題です。
でもねえ、
そこまで意思決定を伴わない、マニュアルな環境には適合出来ないよ。
人間だもの。
逆に思考停止の方が死という環境に適応するしかないね。私は。
と諦めるのだけど、現実世界の恐ろしさが身に沁みる。
それはさておき、
配信で観た作品の方は、
荒いとこもあるけど、良く出来た「カメラを止めるな」な手弁当。
大味にならず、小さな世界で機微を描いてくれるのが日本映画の良いところ。
高校生のほのぼのラブコメなプチロードムービー。
等身大の世界観にプラスのちょっとファンタジーが、
岸辺のパワースポット感あって、ロケーションの成功と思いました。
これが若手監督なら期待大だけど、ベテランだと当然な仕事かもしれない。
アイデアと脚本の勝利だな。
ただ唄ってるシーンに劇伴被せるのは賛同できない。
そんな演出なら無くていいよ。
ま、劇場で観れたら観たかった。
まあ、老害な昔ばなしをしてしまうと、
安部公房とか、フェリーニとか、普通にマスな消費されてた頃もあったの。
そんなこんなで、ようやく観ることが出来た映画化。
多分絶対、キム・ギドクは「他人の顔」観てから↓作ったと思う。
それはさておき、代表作のこちら↓以外でも、
シュールな作品が多数、普通に書店に並んでいたんだよ。当時は。
小説好きな青少年がちょうど背伸びして読むような対象だった。
振り返って思えば、
意味は分かんないけどクラう。
そんな体験は頭の柔らかい内にしとかないと、戦後日本の洗脳から逃れられない。
とは思う。
閑話休題。
勅使河原監督で岸田今日子の「砂の女」は昔NHKで観た。
でも、こっちは配信でも無いし、たまたまリバイバル上映されてチャンスを得た。
文豪自らの脚本で、
音楽は武満徹。凄いね。
仲代達矢に平幹二朗の共演。
キレイな女優さん達に不気味な岸田今日子と、
今観ると、とても豪華。
井川比佐志、田中邦衛、前田美波里がこんな役なのか。
チェーホフとかの新劇的でキザな長台詞を名優が朗々と演じ、
映像も音楽が上品なオシャレで豪華。
特殊メイクも、今の目で観ても自然である。
そして意外にも、ストーリーがちゃんとしてる。
若干のイメージの飛躍はあっても、エンタメとしても破綻なく成立している。
また、
反戦映画になってしまうところ、ギリ踏みとどまっている。
昭和的な言い方になるが、
男にとっての社会的なIDとしての顔、
女にとって命としての顔。
テーマとエンタメのバランスがとても上手に治まる。
原作の方は、
主人公の手記なので、強烈な妄執に着いて行けない。
”いい加減にしろよ”とツッコミみ、投げ出したくなるときがある。
映像は、
どうしても客観性があるので、
男の滑稽さや妻の悲哀も等距離に描かれていて、
それが、心地よく観やすい。
なんだ、ちゃんとエンタメとしても成立してるじゃん。
嬉しいと同時に、ちょっと寂しい。
まあ、配信で観られるようにはしておいて欲しい出来。
特に、この音楽は貴重だと思うんだけどな。
そんな映画体験をしている最近。
逆に、右脳的な領域の衰えは恐ろしいとヒシヒシと実感。
手ぐすね引いて待ち構えられているようで。
そういえば、旅をしていた頃は、
苫米地博士が言うように、
メニューを見たら即注文するように訓練をしてた。
正解かどうかは大した問題ではない。判断が遅いのは致命的。
ま、イザってときはあるからね。この路地一本入っていいかどうか。
瞬間の決断が出来ないと死に易い。
実際に生きていたら、
意味が言語的に分かりやすく飛び込んで来ることなんて無い。
イメージでのインプットを瞬間で処理出来ないと、死活に関わる。
そういうことって、ロジカルな言語的な理解では身につかない。
代表的なのは、皮肉なことに言語習得だったり。
ここでは”臨場感”と表現されている、全脳を活用しての入出力。
実践においては文法的に正しいか、どうかは問題ではない。
意図が通じるかどうかが死活に関わることがある。
必死に覚えなければならないことは必死に覚えたが、
不要と脳が判断したことは、すぐに忘れた。
何一つモノにならなかったが、
日本の英語教育受けても会話できるようにならないことは分かった。
フルに脳を活用して、意思疎通の目的に正対するもんでないと成長は無い。
ラワルピンディでチャイを飲んで”パインチ”と言われた。
それが5を意味すると後で知る。”ペンタ”に似てると思った。
ウルドゥー語の数字は語族が同じだからか、どこかラテンっぽい。
臨場感を伴うと、そんなことは今でも覚えている。
同様にローソク足のチャートを見て、
そこから意味を読み取れるようになるのに時間が掛かった。
本を読むだけでは、習得出来なかった。
数字の羅列では、グラフからの体感のようにはゆかない。
相加相乗平均の大小とか、しょうもないテクニックは習うのに、
統計的データとそこからビジュアル化して意味を読み取ることなど、
あまり熱心には習えなかった。
社会に馴染めないままサバイブするのなら、
己の意思決定が自己の報酬と損失に直結するゲームをプレイするしかない、
とも思う。
安全な現代の日本社会で、
イメージ処理する能力が決定的な違いを産むゲームは、
セールスの世界だと、にらんでいる。
後半はありふれた自己啓発的になってしまう部分もあるけれど、
前半は他に無い素晴らしさ。
服を買いに来た客は、店員に話しかけられるのは怖い。
この人のアドバイスは自分に有効と信頼獲得あっての契約成立。
売るのが得意な人は、むやみに話しかける代わりに、観察する。
黄色の服ばかり手に取るようなら、黄色の服を買おうと探している。
言語で説明されれば、当たり前のことはあるが、
マニュアルで出来るように成ることではない。
情報を全能で入力処理し、勝つための準備を怠らない。
言われずとも悟る能力は、そもそも欠ける人も居る。万人が持ち得るものではない。
歩合制も多く、勝敗が明確に着く世界では、
マニュアル的能力を発達させた個体は適者ではない。
この世界には、
客の欲するベネフィットを訴求出来る人とそれ以外が居る。
良いものを作れば売れる世界ではない。
まあ、
バイデンが無理と分かっては準備は間に合わず捨てゲーム。
それはやむを得ないにしても、
勝てるゲームをワザと負ける理由は無いと思うのだが、
理由が有るのかも知れない。
フト、
卓越した一握りの勝者と、それ以外の大勢で成る世界と思うことがある。
さて、
ドロップアウトしつつ、どう生き延びようかと考えることがある。
確かに、
右脳が弱いのは左脳が強いことを意味しないし、
逆に、理系が弱い言い訳なだけの文系も多い。
視覚が弱いことは、聴覚に優れることを意味しない。
スティービー・ワンダーはごく稀な存在。
それでもなお、
能力に欠損があっても、適した環境を見つけられないとは限らない。
自分に言い聞かせたりする。
2024.11.19 15:30現在
20MAを割り込んでから、どこかで-2σタッチはありそう。
その後どこまで割り込むかは、何だか分かんない。
12月の中央銀行次第とも思うが、
アメリカは利下げしなさそう。日本は利上げするかも、しないかも。
まだ期待は持ちつつも、
誤りを認める準備も始めるかな。
一旦の調整は入る気がするんだけどな。