売れるが正義「室井慎次」(観てないけど)。クリエータは趣味が丁度いい「変身」。しみじみと聴く「スタイリッシュ・ウーマン」 参考「USJを劇的に変えた、たった1つの考え方 成功を引き寄せるマーケティング入門」

フジの映画化に負け無し。凄いね。
今回の「室井慎次」も前後編併せて40億円程度の興収を見込むらしい。
「ミステリと言う勿れ」からTVドラマからの映画化は百発百中。
良いものが売れるんじゃない。売れる商品が良いんだ。
勝った奴が強い。それが正義。
 
将来の無いTV本体には注ぐ労力を制限して、
利益の出せるところでは、きっちりと勝つ。
なんてスマートなんだ。
  
企画力、マーケティング力の勝利。
一見、時代の遺物のように見える組織には、
凄腕の人材と当てるノウハウが詰まっている。
 
 
多くの映画系youtuberは酷評しているが、そんなことは誰でも出来る。
まあ、それで再生数が回り、さらに話題で入場者増なら、美しい共生ではある。
が、
 クオリティが壊滅的でも、何故売れるのか?
その問いに答えてくれる人、ほぼ居ない。
今週も引退したその道のプロが、興行の視点で言及しているが、それくらい。

 
同窓会映画としては、同じキャストを揃えるのはまず無理で、
ギバちゃんが承諾してくれたなら、
引退後の室井さんのスピンオフの一択。
で、
それなら内容に関わらず、充分な集客力。
と読み切った企画の勝利。
 
当初はBSフジの連続ドラマで、というプランだったそうだが、
どうせヤるなら前後編の映画で、二度美味しい40億と、舵を切ったのがファインプレー。
 
観てないから想像だけど、
連続ドラマ用に準備しておいたエピソードを前編で配列して、引きを作り、
後半は、君島脚本得意の割り切りで、さっさと物語を畳む。
酷評はすれど皆、前後編とも足を運び、
室井さん以外の同窓会があれば、また参加するだろう。
 
”踊る”の魅力はストーリーではないのだから、
昔なじみのキャラと元気に再会できれば、それで充分という計算があるのだろう。

フト、凄腕マーケターのことを思い出す。

日本では、多くの企業でマーケティング思考が出来ないという。
マーケティングとは売れる仕組みづくり。消費者と商品の接点を制する。

1.消費者の頭の中を制する⇒ブランドイメージは既に制圧している。
2.店頭を制す⇒380館強で、強い競合も居ない。先行上映も仕掛ける。
3.使用体験を制する⇒後編まで惹きつける、悪評もまた良し。

マーケターがやるべき王道は、商品やサービスのR&D(研究開発)に対して、消費者が喜ぶものをあらかじめちゃんと作らせておくことです。研究室のこだわりではなくて、本当に消費者価値につながる(素人の消費者に違いがわかる)商品を実際に作っておくこと。当たり前ですがこれ以上の対策はありません。

”踊るブランド”では、ストーリーは破綻していようが、重要ではなく、
馴染の魅力あるキャラが閉鎖的な社会で右往左往、喜怒哀楽を活き活きと表し、
王道を外しつつ、コミカルにカタルシスを味合わせる。

この市場構造を1つの機械(マシーン)と捉えて、その仕組みをちゃんと理解することが重要です。どの利害関係がどう繫がっているのか、何が何によって決まっているのか、どこを押せば何がどう動くのか……。構造をよく理解して、効果的なマシーンの操縦方法を解明しなくては、自ブランドを勝たせることができません。市場構造を無視した手前勝手な戦略を推し進めても成功することは難しいのです。

 
ストーリーの問題は、昔から君塚脚本を批判してる宇多丸師匠に登場願おう。
 
長いので、かいつまんで言うと、主に2点。
 1.事件は勝手にやって来て、勝手に解決する。主役の関与不要。
 2.脚本家の偏見が酷く、社会的問題を扱うとあまりに的外れ。より老害化が進んでいる。
それはそのとおりなんだと想像してます。
が、セールスに影響与えないんだろうね。
 
1.事件は勝手にやって来て、
 「島耕作」が代表的ですが、組織の中で右往左往する姿すら描ければ、
 事件そのものは、どーでもいい。勝手に解決してくれるなら、それもまた良し。
 というパターンなので、敢えてヤッてると思うよ。
 プロットを真面目に考えるだけ無駄と割り切ってるはず。 

2.脚本家の偏見が酷く、
 これはもう、誰も止められない。
 注意できないし、注意して改善するもんでもない。
 加齢とともに、認知の歪みは年々酷くなってゆくが、それでも影響は微弱。
 社会に脅威を与えるカリカチュアされた悪、チョットおバカな悪。
 を描ければ、とりあえず合格。大勢に影響は無い。

制作側は長年の学習を重ね、視聴者がコンテンツを育てたのだから、
売れる仕組みに、物語の質は関係無い。
その看破が素晴らしいね。
日本人はクオリティには真面目に成れるが、
勝つことに真面目に成れる人は少ない。
戦艦大和みたいな国民性と指摘されてるみたい。反省至極。
 
 
一方私は、商業レベルのクオリティに達してない映画を2千円払って観た。

制作側と和泉元彌が揉めたと想像している。
舞台挨拶があったのに、
 主役にクレジットされた人は来なかった。
 他に名のある役者は居ない。
この原作を映像化するにあたり、”虫をどう見せるか?” が当然問題になる。
特殊メイクやCGの予算が無いなら、
”虫の主観にして映さない。”という解が想定された。
が、
モスラ(幼虫)のラジコンに、たまに家元は声当てるだけ。
ダブルブッキングでもしたのか、
ほぼ登場せず、主役という露出は無い。名前貸しただけ。
 
舞台を室町時代の見世物小屋に設定したのは、
もともと狂言師に存分にパフォームしてもらう予定だったのではないかな。
 
妹がバイオリンを披露する場面とか、多少はなぞるのだけど、
原作で描かれるような、
 引きこもりとその周囲、特に家族との関係性は、真面目には掘らない。
お話としては、
 一家の大黒柱が倒れて、家族は生活水準を変えざるをえない。という程度。
 
映像と音楽は少ないリソースながら奮闘しているのだけれど、
原作のお話に取り組むだけの体力は無い。
描ける場面をなんとか繋いで、60分程度にまとめた。
 
 
もちろん、期待外れでしたよ。
猿楽師を存分に演じる和泉流で、カフカを今どき演るのか!!
と興味惹かれてしまいましたよ。
どう演じて、どうビジュアルライズするのだろうと。
どういう世界観を魅せてくれるのか?
 モスラとは、想定外でしたよ。
 ときどき声当てるだけとも、思ってませんでしたよ。

でもまあ、配信で観ることも出来ないだろうから、
このチャンス逃して、掘り出し物だったら悔しい。
時間とお金の無駄より、機会損失の方を重視しました。残念。
 
まあ、
このくらい肩の力を抜いて、趣味の範囲で作品作り続けていければ、
それはそれで幸せなのかもな。 賞を獲ったり、評価されることも無く。
ルックバック」みたいに、才能あって責任負ってしまうと、大変だもの。
才能も無くてクリエータの呪いに罹るのはもっと嫌だし。
モスラのラジコンで「変身」。それで衣装やロケはちゃんと拘っている。
Z級という割り切りとも違う。かつて観たことの無い制作スタンスでした。
これでよければ、確かに無理せず、やりたい範囲で続けられる。
こういう生き方もあるという勉強になりました。
 
 
そんなこんなで、映画のレビューや感想をyoutubeで探していると、
おすすめに表示された↓。

この曲の後、解散するんだよな。負債が原因で。
タイトルがジャズの名曲を想起させる。
スタンダード・ナンバーの方は、女性が振られる話だけど、
こちらは、男視点での別れ話。
ゴージャスでオシャレなのに歌謡曲みたいで、強く印象に残っている。
映画に手を出さなければ、
バンドの人気も続いて、もっと順調に継続できたはず。
今聴くと、映画への未練にも聞こえる。
 
 
この世の摂理に抗い、
話題にならずとも、スクリーンで観れて良かった。
と思える作品に出会いたい。
空振ることもあるけれど、
マーケットで勝つ人、趣味に徹する人、撤退する人、
人生いろいろと、思い知る。

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