アジア各所の映画祭で評判を呼び、
ついに去年10月、日本でも公開された。が、
私は発見することが出来ず、見逃してしまった。
今回、再度上映の運びとなり、幸運にも観るチャンスに恵まれました。
これが卒業制作だというのは驚きです。
中国で表現の自由は、まだまだ大変なイメージですが、
人口も多いので、こういう才能も生まれるのでしょうか。
アマプラなどでも有料で視聴可能でした。
凄いことなのに、あまり話題になってない。
映画系youtuberで、紹介してたのは2件だけかな。。
まあ、彼らの多くは、再生数回さなければならないので、
「アフターサン」とか「ルックバック」の絶賛とか、
「室井慎次」の酷評とか、
話題性は確保しなくてはならない。
そんな縛りの無い私なのだから、アンテナに引っかからないのはイカンですね。
何人かの映画系が、23年ベスト10に入れてて、
このペーソス溢れるコメディを、その時に初めて知った程度でした。
いやー素晴らしい。
急速に発展する青年期を過ぎて、
夢敗れたおじさんおも描く衰退期に入った中国経済。
と観ることもできます。
が、そんなことは一旦忘れて、余韻に浸りたい。
心地よいビターなテイスト。
最近の日本だと、ベタな感動でないと話題にならない気もしてます。
「アフターサン」があれだけ持ち上げられるのと比べると、
不当に無視されすぎ。
良いものは、出来る限り褒めたい。
褒めるのは貶すより難しいけれど、行う人稀なので、隗より始めてみます。
以下の3つにまとめました。
1.笑いの間のセンス 2.物語を紡ぐ力量 3.若いのに抑制できる度量
1.笑いの間のセンス
泣かせるより、笑わせる方が数倍難しい。
コメディは成功しても、それほど褒められないのに、失敗すると酷評の嵐。
三谷幸喜監督のように。
そんな割に合わないジャンルで、観客をちゃんと笑わせるのだから、
もっと称賛しよう。
脚本家としてどんなに名声を得ていても、”間が悪い”演出を付けてしまうと、台無し。
三谷幸喜はギャグをただブッコんでしまう。リズムが悪い。
一方、本作は、
主演のヤン・ハオユーの演技も素晴らしいのですが、
笑いを誘う演出が巧みです。ちゃんと間を作る。
ややもすると、”オフビートな笑い”と、何でも一緒くたにされてしまいそうですが、
ジャームッシュとかとも違い、
余韻をウエットに残す伝統的な喜劇。
人生に敗れたおじさんの哀愁と笑いは、
寅さんとか、チャップリンとか、いにしえからの王道だった。
ただ近年では絶滅危惧種で、
全盛期の松本人志の「トカゲのおっさん」が、
成功を目撃した最後か。
漫画だと、テーマも笑いのテイストも似ている、
とか↑ あるけど、スマートな堤真一主演では意味が変わってしまう。
三谷幸喜も松本人志も苦戦する映画での笑いの演出。
ハイセンスで達者でないと至難の技なのに、それを成立させても、
おっさんの哀愁では、今の日本じゃウケない可能性も高い。と思う。
卒業制作で、客に媚びず自由に作れたことも大きな要因だろうけど、
喜劇の遺伝子を受け継いだ才能が大変貴重。
現代日本に居て、この才能を堪能できるのは大変貴重。
2.物語を紡ぐ力量
奇しくも、先週観た「ルート29」と同じく、
山奥の異世界で異人に出会うロード・ムービー。
エピソードのイメージとアイディアが豊富。それだけなく、
渓谷で出会う新郎新婦が、ちゃんと回収されていて驚いた。
ただのイメージの投げっぱなしでなく、
序盤、中盤、終盤とそこに意味を保たせている。最後まで、整合性を取っていた。
個人的には、
強引に辻褄合わせるものより、無理に意味を付けない方が好ましいのだが、
もちろん強引さや雑さは感じさせない。
エピソードのアイディア出しの後、
脚本の完成度を上げるため、かなり労力を投じたと想像される。
これが、なかなか出来ない。
妥協せず、最後までやりきる体力のあるクリエータは希少だ。
現実には、生煮えのまま皿が出てくる作品の多いこと。
いろんな事情があって、妥協したのだと想像される。
でもまあ、志は低い。
テリー・ギリアム級に撮影時のトラブルが続くはずもないのに。
”物語を2時間ヤル体力が無いな。” 設定もキャラ造形もいいのに、
残念ながら、そんな感想に終わる作品も多い。
物語を走らせるため、最初からザルな設定だったり、
途中まで頑張っても、息切れしてお話が破綻してしまったり、
本来のテーマを諦め、表面的な描写だけであっけなく流したり、
名前は挙げないけど、”脚本の段階でもうちょっと頑張ってよ。”
プロの仕事なら、締切はある。が、それにしても安易に諦めてしまっている。
結局は、制作陣に物語を2時間紡ぐだけの体力が無い。
全盛期の黒澤明のように、複数の脚本家にアイディアを競わせる必要は無いけれど、
孤独な作業に耐えるべきところ、そう妥協しては、
クリエータとしてやっつけ仕事しか出来ないだろう。
と、監督のエンド・クレジットを眺めることもある。
現代だと、バカリズムのような孤高はそういう妥協はしないと信頼するのだけど、
思い出したのは、
↑の勢の部。トクさんとイズミは物語を磨きに磨く。
アマチュアの彼らに時間は無尽蔵で、
いつまでも喫茶店でおしゃべりを続けられた。
プロットの矛盾が解決するまで、妥協する必要なんて無かった。
”そんな動機で人は人を殺さない。”
当たり前の疑問が無視されるミステリが溢れる中、そのスルーを許さない。
体力も才能の内だと、つくづく思う。
3.若いのに抑制できる度量
ブレアビッチ風のモキュメンタリーという体でのスタート。
ということもあるけれど、必要以上に変なことしない。
結果、”実は”という種明かしで素直に驚ける。
効果的な演出しようと、無理なことして却って逆効果な例も多い。
無駄な足し算をしないので、後味良い余韻が残る。ストレートに残る。
逆「アフターサン」ですね。
新人さんだと特に、テクニック披露したくなりガチ。
私は、効果を挙げない技工は演出がヘタとマイナスに評価する。
ので、ウェルズ監督の才能は少なくとも手放しで褒められません。
”父親しか知り得ない情報を、現在の娘さんが如何に察することが出来るか?”
を工夫して欲しかった。”そこは神の視点なんだ”と、拍子抜けしました。
視点の違いで、今だから推察できる親側の事情を、表現したいところですけどね。
あんな小手先の工夫でなく。
ま、他の才能のことはいいんですけど、
工夫しなくていいところで、工夫しない。それが才能。
好みにもよるでしょうけど、
主人公の一人旅になってから、モキュメンタリー風よりも、
主観に近い撮り方に成って行くにつれ、
エモさの加速も丁度良く、距離感が心地良かった。
過剰なのって、押し付けがましくて、萎えるものです。
そういうところの無い作風は、最近本当に珍しく、希少です。
まあ、商業ベースを意識しだしたら、 ダニエルズ監督の「エブエブ」みたいに、
繊細さが失われてしまうこともありますから、
評価確定してよいものか微妙ですが、得難い才能と思ってます。
このままで、次回作を企画して欲しいものです。
現代の日本では、評価されにくい希少さかもしれないので、
見落とし易いと、言い訳も出来ますが、
感度良く、アンテナ張ってないと、いい体験出来ないですね。
つくづく痛感しました。
2024.12.01現在
もう一度-2σにタッチして、その後、
バンドウォークするのか、レンジに戻るのか、
あるいは、20MA抜けてレンジに戻るのか、
を想定しています。強い上昇はあまり想像できません。
ただの願望かもしれませんが、まだ売り目線。