齢五十にして、
仕事とも家族とも離れ、社会との距離を置く。
しがらみから解放され、自由に自分を生きる。
そんなリタイア生活を、古来インドでは林住期と呼ぶ。
ニコラス・ケイジは、これから林住期に入る。予定。
私生活でもいろいろあったし、しゃにむに仕事も選ばず働いた。
そして遂に借金も完済。
今は名声でも金でもなく、出たい脚本だけ選んで、
とうとう出演100作目の本作を節目として、引退を計画している。
興収はイマイチでも、概ね好評と知る。
それでも最近のA24はあざといからと、あまり食指が動かなかったのですが、
ホラーでもなく、社会風刺でもなく、
初老の厄介な承認欲求の話と聞き、俄然スクリーンで観る気になりました。
↑お話の解説でもなく、ただの感想だけでもなく、
話題にならない映画でも、中立な立場で評価をしてくれるので、
映画館に足を運ぶかどうか迷ったとき役に立ちます。
自分の意思決定に際して、
エンタメ全振りな評価は、補正すれば充分機能します。
アート系の場合は、
その視点だけでは不十分かと判断することもあります。が、
どんな視点でも欠陥は欠陥というケースも多い。
本作では、エンタメとしての盛り上がりに欠けるという指摘あり、
ダサい味付けにしてしまっては作品が台無しだから致し方なし。
とも思う反面、
シナリオ上の工夫がもっと有っても良かったかな。(後述)
監督が如何せん几帳面過ぎる。
それはさておき、
今回、推理作家による評のメリットは、
老害化する承認欲求の問題を正面から取り上げてくれたこと。
他のyoutuberには無い。
老化が進むと、自己認知能力が落ちます。
しがらみが減る分、付き合いも減り孤独にもなります。
その結果、
承認欲求ダダ漏れのクレクレ星人に成っても、自分では気づけない。
対価を払わず、タダで尊敬されようとすれば、
軽蔑こそされ、得たいものは手に入らない。
そんな当たり前のことさえ、分からないまま人生の終点を目指すのは辛い。
傍から眺める分には、ただ厄介なだけですが、
自分のことは自分では分からないのだから、恐ろしい。
人生は苦しみで出来ていると諦めるしか無いっす。
そんな感慨を思い出しつつ、
モト冬樹と共演NGの名優も林住期に臨み、
敢えて最後にそんなテーマに挑むのかと、
興味惹かれました。
一方で、
洗脳社会への批判は、散々コスられた内容。で浅い。
あまり興味は湧きません。
腰の引けた安全なものなら、国家権力。
ちょっと気骨あれば、マスコミやコマーシャリズム。
君塚脚本なら、ネット。
が悪役を演じます。
ま、設定に至るアイデアは秀逸だと思う。
“This man“からの連想で、
ユングとSNSを結びつけ、
更に、「エルム街の悪夢」へと発展させる。
↑こちらも単に物語の解説だけでなく、中立な批評をしてくれるので、
観る前の判断に役立ちます。
本作は、
少し不思議な近未来SFとして観るがよろし、ホラーではなく。
そして素晴らしいラストの余韻に浸れ。
老害化に注目するかどうかは、観る側の年齢に依るとも思われ。
ありふれた社会風刺に着地する訳じゃないから、大丈夫だよ。
と、後押しされました。
ただし、
こちら↓にも後押しされたのですが、
不条理劇として観るのは無理でした(後述)。
それとは別に、なるほどと。
ニコラス・ケイジ主演、アリ・アスター制作という、
ビッグネームのため権利も高く、
この入りでは損益分岐点超えられるか微妙とのこと。
ホラーじゃないんだから、ホラー推さない方が良かったんじゃないかな。
「世にも奇妙な物語」みたいな少し不思議で行けば。
ホラーと言った方が売れるのかな? そこ失敗するのは辛いね。
正直に作品の魅力を訴求出来なかったかな。。
いや、例えば、「”それ”がいる森」のように、
笑いどころ満載で、怖がる要素は一切無いのに、
ホラーと言い張って、客もそれを頑なに信じる。
そんなの、誰も幸せにならない。
あのコメディは冒頭で、
パンサー尾形が、
ツッコミどころ満載のコントみたいなの演じて、
特撮のクオリティも、作品のリアリティラインも、
提示してくれてんのに、
頑迷にホラーなのにと信じ、怒っているのは、ヤバい宗教かと思ったよ。
この国にはホラー映画に関する宗教が蔓延してるのだろうか?
何にせよ、強みを訴求せず、それで赤字じゃ勿体ないな、
もうちょっとヒットしてもいいのに。
ま、客を騙すような宣伝するといつかバチが当たる。
閑話休題。
そんなこんなで、物語の説明(考察系含む)でない映画系に後押しされて、往く。
水曜の午後。小さめの箱。観るには程良い密度。平日なので、この程度かと。
最近のA24とはいえ、北欧作で、アメリカ映画の嫌なところはありませんでした。
・音楽は押し付けがましくなく、適切。
・無駄にポリコレぶっこんで来ない、自然。
・安易な着地に逃げず、哀しくも美しいエンディング。
まず、印象に残るのは、ボルグリ監督の生真面目さ、かつ優秀さ。
冒頭から設定を手際良く説明する、抜群のプレゼン力。
画作りも端正で、雑なことはしないという安心感があります。
スクリーンで観たことを後悔することは無さそうと、すぐに思いました。
ただ、説明が上手なのに、話の展開が遅いと、
”分かったから、でどうなるのよ” とツッコみたくなる時間もあります。
進行の丁寧さは、監督の性格でしょうね。
実直なのでしょう、ハッタリやダサい演出はヤりたくないのでしょうね。
ホラーはホラーに、コメディはコメディに、
もっとクドくヤれる所も一定のペース。
素朴な人柄が伝わりますが、緩急の付け方は弱点とは言えます。
少し不思議のアイデアは秀逸ではあるけど、、
ザッカーバーグ風の黒幕は無い方が良いかな。
そこは説明しないで、不条理劇で押し切って欲しかったな。
種明かしは蛇足とも感じる。が、
整理整頓しないと気がすまない監督なんだろう。
寓意だけ提示して、解釈は観客に投げっぱなすとか、しない。多分出来ない。
イメージの飛躍が無いのと、ペースが一定なので、
エンタメ的に退屈と批判もあるだろうな。
演出の問題もあるし、
蛇足な種明かしをカットして、代わりに脚本をもうひと工夫したい。
物語の構造は、
10タイプの分類でいうと、これも”魔法のランプ”。
理由は知らねど、魔力を手に入れる。
紆余曲折あるも、願いを叶える。
ただし、”何を願うかが重要!” という教訓付き。
定石通りである。
ラストは「人魚姫」のように、美しくも哀しい。確かにF先生が描きそう。
が、ストレートで一定の進行は物足りなくもあり、
興味の行方が、単純な種明かしでの解決では、面白くはない。
種明かしは暗喩程度に留め、その尺に対立構造を入れてはどうか、
人魚姫にも恋敵が居るが如く。
社会のしがらみからも、承認欲求からも解放され、
幸福な林住期を送る友人を登場させるとか、
あるいは、
洗脳技術を一社に独占させるのではなく、
兵庫知事選のように、対立する陣営の洗脳合戦を設定し、
その間で翻弄される初老男を描くとか、
個人的には、前者推し。
林住期のニコラス・ケイジによる高齢の承認欲求というテーマが面白く、
カウンターとなる人物を出して欲しいところ。
全体的には、良く出来ているのだけれど、
不条理というにはウェルメイド過ぎて、
監督の生真面目さが、マイナスに作用したかもしれないね。
ま、それでも、
ニコラス・ケイジの生き様は興味深いし、劇場で観れて満足。
ただの浪費家かと思ったら、林住期に入ってました。
意外ね。
参考文献
社会から距離を置くのは、自分が老害にならないための知恵でもあり。
自分の人生を取り戻し、ここまで頑張ってきたご褒美でもある。
ただし、老いてゆくのは簡単なことではない。
しがらみを失うことは、孤独でもある。自由ととても相性が良い。
五十歳になったら、今の仕事から離れる計画をたてる。そのまま死ぬまで現在の仕事を続けたければ、それもいい。好きな仕事をして生涯を終えることができたら、それはたしかに幸せな人生である。
しかし、やはりひと区切りつけることを考えたい。その区切りとは、できることなら五十歳から七十五歳までの「林住期」を、生活のためでなく生きることである。
できれば生活のために働くのは、五十歳で終わりにしたい。社会への義務も、家庭への責任も、ぜんぶはたし終えた自由の身として五十歳を迎えたいのだ。
生まれてから二十五年間は、親や国に育ててもらう。それから五十歳までの二十五年間を、妻や子供を養い、国や社会に恩を返す。
できることなら、後半生を支えるプランを確立し、早くから五十で身軽になることを宣言しておく。
五十歳を迎えたら、耐用期限を過ぎた心身をいたわりつつ、楽しんで暮らす。それが理想だ。私自身は、いちど五十歳でリタイアしたが、また同じ生活にもどってしまった。おそまきながら最近ようやく「林住期」のペースがつかめてきたように思う。
死んでいくためにはさらなる生命力が必要なのだと。ひまわりは燃えながら枯れていくのである。「落地生根 落葉帰根」と中国ではいう。
人間もそうだ。年をとる、ということは、自然なことだが、それは大変なことなのだ。老いることにも、死ぬことにも、育つことの倍のエネルギーが必要なのかもしれない。
五十歳から七十五歳までの二十五年間は、どんなに無為に楽をして暮らしたとしても、やはり困難な時期である。そこをどう乗り切るか。
ひとりを楽しめない人は、老後は大変そうです。
実際は、孤独と不幸は全くの別人なのですが、
人と一緒だと煩わしいと感じる私ですら、
働くというような、
社会参加をようやく諦めるまでには葛藤がありました。
暇でどうしようもなければ、何かを学び直すのが良薬のようです。
五木寛之も、和田秀樹も、内館牧子も、口を揃えてそう言います。
嫌やな人とは付き合わず、主体的に知的好奇心は満足出来ますからね。
そういう活動にも、社会との繋がりにも、
やはりネットは年寄りの味方にしておきたい。逆君塚脚本です。
年齢を問わず一人の時間はどうしてもやってきます。みんなの都合に合わせられなくて一人になったり、いつもそばにいる人が一人の行動を選んだときにはどうしても自分だけの時間が生まれてしまいます。
そういう時間を「さあ、一人になれたぞ」と喜ぶ人と、「一人にされてしまった」と腹を立てる人では、孤独の受け止め方がまったく違ってきます。喜ぶ人は孤独を幸福に感じるし、腹を立てる人は不幸に感じてしまうからです。
でも孤独を不幸に感じてしまったら、周りの人間や世の中を恨むしかなくなります。「わたしだけ一人にして」とか、「わたしだけ除け者にされた」といった怒りが膨らんできます。
一人の時間を楽しみ、一人で死んでいくという人生にも幸福はあると考える人が増えているからだと思います。「そんなの寂しすぎる」とか「不幸な人生だ」と思う人もいるでしょうが、わたしが自分の本の中でしばしば書いているように、幸せは主観的なものです。周囲がどう思おうと、本人が幸せだと感じるならそれで幸せなんだというのが現在の心理学の考え方になってきます。
孤独も同じではないでしょうか。 生涯、一人暮らしだなんて寂しすぎるとか不幸な人生だと思う人はいくらでもいるでしょうが、孤独を寂しいとは思わない人、もっと言えば一人のままでも孤独感を持たない人だっています。一人の暮らしに充実感すら持つ人もいます。自分を孤独と感じるかどうかも主観的な問題ではないでしょうか。
勉強のいいところは、いつでもどこでも一人でできてるということです。
誰かに教えてもらうことも含めて、一人で考えたり書いたり、自分なりの着想を育てることもできます。
じつは飽きっぽくて一つのことが長続きしない性格の人でも、勉強というのはちょっとやってみて飽きたら別の分野に変えたり、それも飽きたら雑誌を読んだり映画を観たり外に出かけて書店を巡ったりすることができます。もう大人ですから、時間割なんか作らないで気分任せでも楽しめます。
ネットの時代は便利だなあと思いますね。
どんな分野のどんなテーマでも、ダイレクトにアプローチできるからです。入り口さえわかれば、そこから先の資料や本もネットで探すことができます。ここまでなら家の中にいて自分一人でできるのです。
映画内のニコラス・ケイジは反面教師で、老いて依存を深める。
出版したいと言いながら、
研究も執筆も何も活動していない他力。
忍び込む労力も厭う泥棒。
社会をけしからんと言う暇があったら、
社会のことは社会に任せて、
自分と社会との距離を再設定する。
他人の頭のハエを追わず、自分の人生を能動的に生きる。
林住期とは、そういうものらしいです。
2024.12.05 18:00現在
師走に入っても±2σのレンジ相場に収まっている。
アメリカの数字は強く、なにはともあれ雇用統計待ち。
韓国は一瞬ビビったが、影響なさそう。
日本の利上げはありそう。アメリカの利下げもありそう。
バイデン政権の最後っ屁から、トランプ政権へ、
除々に世界情勢は移行してゆく様子。
大きな調整が一旦は来るとまだ思っている。
バイデン政権、岸田政権とも、
リベラルは弱者の味方ではなく、資本主義の味方だった。
政権交代でも、株高が演出されたのはそのままかどうか。
ちょっと信じてない。