⋱⋱上映作品が決定しました!⋰⋰
.. – . ℯ
早稲田松竹クラシックスvol.252
ヴェルナー・ヘルツォーク監督特集『アギーレ/神の怒り』
『フィツカラルド』両作品35mm上映
※4日間上映となりますのでご注意ください pic.twitter.com/nftrJAy5uv
— 早稲田松竹 (@wasedashochiku) May 24, 2026
35mmフィルムをスクリーンで観る機会は稀少、
しかも火曜日まで。初日に高田馬場へ。
早稲田松竹のW・ヘルツォーク特集
監督ヘルツォークと主演クラウス・キンスキー。
ふたりは映画界の“最狂コンビ”です。
完璧主義のヘルツォークと激情的な性格のキンスキーが、
撮影現場で度々衝突していたのは有名なエピソードです。
ふたりの才能と狂気が入り混じる濃密な関係性は両作品の背骨となり、
見る者の記憶に刻まれる唯一無二のスペクタクルを生み出しました。
-中略-
アギーレは、黄金郷を求めアンデス山脈を越え、
アマゾン川の激流を突き進みます。
さらにフィツカラルドは、アマゾンの奥地にオペラハウスを作る夢をかなえるため大船と共に本当の山を越えるのです。
もやもやした気持ちを吹き飛ばすほどの人間の情熱と狂気そして、
生命力がこの映画には宿っています。
さしたる予習も無く、
ニュー・ジャーマン・シネマという文脈は無視して。
(ヴェンダースとヘルツォークじゃ全然違うし)
2本連続の長丁場に挑みます。
《 開演 》
スクリーンで連続で観て、
その熱量に圧倒され、特異な作家性に納得。
このチャンス逃さず、よかった。
なにより狂気の撮影に唖然。
特に「フィツカラルド」は死傷者まで出していると、知りました。(後述)
ドローンやCGの無い時代というだけでなく、
今なら、
コンプライアンス的に完全アウトで、動物虐待や環境破壊でもダメでしょう。
冒頭から、絵画のよう。息を呑むような画作り。
時代考証も拘っているのだろうな。
風景は、文明の日常とは隔絶の凄さ。
すべて本物で、
アマゾンの濁流に筏が浮かぶのも、
ニ階建て蒸気船の山越えも、
狂気の撮影にあんぐり。
狂気と狂気が激突して、
風景だけでなく、人物にもアップで寄る。
途中からは、ドキュメントでした。
撮り方も内容も、
常軌を逸した撮影のドキュメントそのもの。(後述)
監督自身がドン・キホーテなドキュメンタリを思い出します。
反面、お話の運びは鈍重。
テンポは遅いし、繋ぎはバッサリ雑。
コッポラ「地獄の黙示録」や、
吉田喜重「嵐が丘」と、
比較してしまいました。(後述)
それと音楽は、感心しませんでした。
これなら、無くても、、
起伏に乏しい展開でも、音響で盛り上げて補うでもなく、
不安を煽るシーンで若干、それっぽい劇伴が掛かる程度。
だったら、いっそ割り切って、
物悲しい場面はサンポーニャ&ケーナ。
勇ましい進軍や神への歓喜はオペラ。
それだけで、良かったんじゃないかな。
ドラマを楽しむ作劇とは、別の作家性と承知しておいた方が良いです。
間違った期待は失望の元ですが、
承知の上で臨めば、満足は大きい。
そんな2本立てでした。
では、
個別に、2本を分けず共通の括りとして。
0.実在の人物らしい
0.1.ローペ・デ・アギーレ
0.2.ブライアン・スウィーニー・フィッツジェラルド
1.観て伝わる
1.1.どうかしている撮影
1.2.スペイン語(ポルトガル語?)でなくドイツ語のキンスキー
2.ドイツロマン主義
2.1.まんまフリードリヒの絵
2.2.ノヴァーリスの夢と情熱
2.3.1800年初期オペラのロマン主義 ワグナーは触れるだけ
3.作家性の比較
3.1.コッポラ「地獄の黙示録」 ベッケンバウアーの規律
3.2.吉田喜重「嵐が丘」 撮りたい画を撮るドキュメンタリ
※あらすじの説明は出来るだけ避けますが、
ネタバレ気にしません。
0.実在の人物らしい
史実をベースにした物語であることは、知っておいた方が良かったな。
展開で魅せる作劇ではないので、
ペルーのアマゾン流域では、こんな伝承が残っていると、
承知で観た方が楽しめます。
なんで、その展開なのか?
いわゆる”説明不足”の感は否めない。
記録を中心に、なそっている。それが回答のようです。
が、
鑑賞中は、ぶつ切りの展開に興味失う可能性有り。
最低限の前提は、承知がベター。
0.1.ローペ・デ・アギーレ
『自由の王 ―ローペ・デ・アギーレ』
兵士としてスペインから新大陸に渡ったアギーレ。
クスコ(ペルー)にやってきた彼は、インディオとの戦闘、
フランシスコ・ピサロ、ディエゴ・デ・アルマグロといった
征服者たちによる裏切り、反乱、暗殺などに巻き込まれ、
やがてエルドラドを目指す探検隊に加わります。
その遠征中、アギーレは隊長を殺害し、
さらにはスペイン国王フェリペ二世にも反旗を翻し、
ペルーの独立を企てます。
命に背き、上官も殺し、黄金郷を目指しつつ、
ペルー独立に立ち上がる。
「地獄の黙示録」を連想し、狂信的人物をイメージしがちですが、
ちょっと違うかも。
劇中は、
無茶な行軍を続けるリーダーですが、
発狂という様子はそこまででもない。理性は残る。
裁判の手続きを踏み、
規律違反に厳格で、
私利私欲の上官から離反、
恐らく、
過酷な撮影をスタッフに強いる、ヘルツォーク自身の投影でしょうね。
0.2.ブライアン・スウィーニー・フィッツジェラルド
フィツカラルドも実在らしい
フィツカラルド。本名ブライアン・スウィーニー・フィッツジェラルド。
かれ自身はさておき、その(破綻した無謀な)トランス・アンデス鉄道は、
今世紀初頭のアマゾンの天然ゴムバブル業界の一大語りぐさだった。
資金的にも、技術的にも無謀のきわみ。
いまもイキトスからアンデス奥地に入ると、当時の駅の跡が残っている。
オペラに情熱を傾けていたのは事実らしく、
将来建てるはずのオペラハウスの図面を
いっぱい引いていたのが残されているという。
主人公が拠点としたイキトスも実在。
都市の発展は、天然ゴム産業の興亡と共に。
劇中もドリーマーな起業家で、出資者と交渉。
鉄道、ゴム、製氷そしてオペラと史実を踏襲。
船の山越えの伝承も、本当とのこと。
無茶な企画に、膨大な予算引っ張ること成功し、
多大な犠牲を払いながらも、情熱を結実させる。
当に、監督の投影そのもの。
完成まで4年の歳月を要した。
過酷な撮影に有りガチな、役者の降板、再撮も乗り越えた。
1.観て伝わる
観て、明らかに普通でない。
1.1.どうかしている撮影
死傷者出しても、構わず続行。
キンスキーは逃げ出さないけど、アギーレな振る舞い。
劇中のスペイン征服者は、全スタッフが果てて終了でしたが、
予算が続けば、
エルドラドへ到着し、
船で、山頂へ神が降臨。
というイメージを撮影していただろう。
後年の作で、大願成就。
監督の狂気が伝わります。
史実の”神の怒り”は、太陽が沈まぬ王国への反逆に見えて、
もし、まだ体力残れば、ヤル気満々という決意表明でしょうねえ。
恐ろしい監督。
1.2.スペイン語(ポルトガル語?)でなくドイツ語のキンスキー
常識的に考えれば、2作とも、スペイン語のはず。
主人公がアイリッシュだと言うなら、英語もあり得なくは無いか?
でも、船長はじめスタッフとの会話はスペイン語だろうし、
ブラジル経由で、ポルトガル語の可能性も除外出来ないけれども、
ドイツ語ってことはないだろ。
それに、娘さんにも面影残る、
主演の風貌は、金髪碧眼、これぞゲルマン民族という典型。
ラテンにも、ケルトにも全く見えない。
ドイツ映画だから、と言ってしまえばそれまでだけど、
何か意味が有る。と感じる。
ラテンなら、
狂信者の情熱を描きつつも、人物を客観視して悲喜劇に仕立てる。
あるいは、
神話と現実を融合させ、土着を感じさせつつ超現実的表現に寄せる。
そんな風味を残すだろう。
常人には及ばない情熱、
浪漫を真正面からド直球に描くのは、ドイツならでは。
2.ドイツロマン主義
1972年「アギーレ」
1982年「フィッツカルド」
と10年越し、
ベルリンの壁が存在した頃のドイツで、
伝統のロマン主義を監督は実践。と思われ。
2.1.まんまフリードリヒの絵
何より、画が連想せずには居られない。
ドイツロマン派の画家の解説は、五郎先生にお願い。
ドイツの戦後復興を感じさせるという解説はなるほど。
島国とは違う、不屈を感じさせる。
東西統一はもう少し先ですが、時代背景も、無視出来ない。
夢の実現が、あんなにハッピーエンドなのは、作り手自身の希望の象徴でしょう。
ドイツロマン主義と言えば、文学からも、
情熱が何の疑問も無く、ド直球。
2.2.ノヴァーリスの夢と情熱
ノヴァーリスの名言
・Jeder geliebte Gegenstand ist der Mittelpunkt eines Paradieses.
(愛の対象はそれぞれ天国の中心だ。)
・芸術家は理論家と実践家の総合である。
・あらゆるメールヘンは、どこにも在るような、
どこにも無いような郷土的世界から生まれる夢である。
本当に、そのままだと思うのです。
情熱どストレートで、理論よりエモさ。
様式よりも写実。
更に劇中で、
音楽は、当にロマン主義の時代が描かれる。
2.3.1800年初期オペラのロマン主義 ワグナーは触れるだけ
きっかけは、ヴィクトル・ユーゴーのエルナニ事件から、
劇中冒頭の舞台の演目 歌劇「エルナーニ」
「フランス・ロマン派演劇の創始」とされるこの作品の初演は古典派の野次、ロマン派支持者の喝采の激しい衝突を呼び、その際の騒動が「エルナニ事件(戦争)」La bataille d’Hernaniとして知られているほどの話題作だった。
ヴェルディ作。
ヴェルディ(G. Verdi, 1813-1901)が現れます。ヴェルディは、ドイツで楽劇を創始したワーグナーと同じ1813年の生まれです。ワーグナーが歌劇作曲家として名声をあげ、1845年に《タンホイザー》を上演したのと相前後して、ヴェルディは1851年に《リゴレット》を発表し、歌劇作曲家としての名声を確立していきます。この2人の作曲家は、その後も、一方は伝統的なイタリア歌劇の世界を代表し、他方はドイツ歌劇、特に楽劇という新しいジャンルにおいて、それぞれの道をほぼ並行して歩んでいくことになります。
ここで一旦、ロマン主義の解説も五郎先生より。
漢文から和歌が正確とは言え、
文語から口語くらいのイメージで、どうでしょう?
近代日本の言文一致運動とか。
それはさておき、
ラテンからロマーナへの移行は、
グーテンベルク後の宗教改革時代、
近代化と特権階級の剥奪。
庶民的文化の幕開け。
ポピュラリティの獲得に、普遍を感じます。
ベッリーニはまたゆったりとした時間のスケールを作り上げようとした。このことは拍をまたいだ遅い三連符がこれ見よがしに続く導入部にはっきりと見てとれる。この点においてベッリーニはワーグナーとも接点を持っていたと言える。エルヴィーラの役はロマン主義的狂気の極致を示すもので、病的な状態と言うよりも、か弱い女性の、一部は抒情的で、一部はヴィルトゥオーソ的な変容として構想されている。
オペラは全く分かりませんが、
ドイツなのに、ワグナーの名は、セリフでちょっと触れられるのみ。
ドイツの見果てぬ夢と言えば、
どうしても、ヒトラーの野望を想起してしまう。
それで遠慮したんでしょうね。
ま、似たテーマで、コッポラが既に使ってますし。
3.作家性の比較
どうしても、連想してしまう。
3.1.コッポラ「地獄の黙示録」 ベッケンバウアーの規律
79年公開、コッポラの方がインスパイアされたと思われ。
画の創造性、スペクタルクルなドラマとの両立は、
コッポラの卓越とは言え、
過酷な撮影に、
内容は、
狂気の離反した指揮官に、
現地のゲリラ戦術に苦しめられつつ、大河を遡上。
連想しないのは無理。
ただし、
70年代アメリカンでドラッグな頽廃は、ドイツには感じられない。
戦争の終わりは、ドイツにとっては明るい話題なのでしょう。
当時は規律を重んじて、いたのだろうな。
ラテンの国に負けることもありましたが、
クライフのオランダを下して優勝。
(今のドイツサッカーには観る影もありませんが)
ロマン主義は民族主義的でもあり、
ドイツらしさ前面、勤勉に情熱ド直球のヘルツォークと観てました。
3.2.吉田喜重「嵐が丘」 撮りたい画を撮るドキュメンタリ
先日鑑賞しまして、
88年にカンヌ出展。
テリングは兎に角、
観たことない映像で、度肝抜いてやると、
セゾンは「フィツカルド」を観て、企画したのではないか。
ただし、
ヘルツォークは生真面目に常に全力。
監督のヤル気なのか能力なのか、比べて後発の日本は、
ムラを感じさせて、賞に届かず。
語りもドイツに軍配。(上手いとは思わないですが)
共通点は、
撮りたい画に情熱100%。
ドキュメンタリ的な密着長回しも多用。
実物で撮る、加工は邪道?
「夢の涯てまでも」で壊れた、
ニュー・ジャーマン・シネマで括られるヴェンダースもですが、
ドキュメンタリ方面に行く。
映像で伝えることに重きを置き、
ドラマ作りは頑張らない。選択と集中。
(優秀な脚本家が整理したら、松田優作も報われたか)
映像が雄弁だと、ストーリーで頑張るのは、
却って邪魔ですものね。凡事徹底。
あんな撮り方、なかなか出来ない。
途中からは、
フィクションにかこつけた、荒唐無稽な撮影のドキュメンタリ。
ドイツロマン主義の情熱、(映画産業復興の想いも強いのでしょう)
真っ向から浴びます。圧倒されます。
スクリーンで味わう貴重な体験であることは間違いない。
楽しめるかどうかは、観客次第ですが。
心置き無く、ワグナーの救済を聴いてみる。
2026.06.14現在
合意近しで、戻す。
来週は、ただついて行く。
