とにかく、早く起きた。7時にはチェックアウトした。
制服姿のスタッフと出食わず。高校生だったのか、オーナーの息子かな。
きっと成績もいいんだろうな。
鍵はオフィスに置いてきた、また戻ってくるから。
そう言って、別れた。
通りに出て、とりあえず、タクシーを拾った。
200と言うが、そんな遠くないだろと100で。
ジェネラル・バス・スタンドと言うが通じない。
困ったな、初手から。
ちょっと移動し、ポリスマンと会話している。
ポリスマンは英語出来る。私に話しかけてくる。
「何処へ行きたい?」
「ジェネラル・バス・スタンド。」
行き先をドライバーのお爺さんに説明してくれた。
それなら200だよ。と言われる。結構遠いのか、
フト思い出したように、ポリスマンが問う。
で何処行きのバスに乗るんだ?
タキシラと言うとそれなら、スグそこのバス停から出てるよ。
確か、PTDCでも駅近くのバス停からタキシラに行けると言われた気が、、
ポリスマンは一言二言、ドライバーに語りかける。
で、すぐ着いた。
ミニバンが並んでいる。「歩き方」の地図でいうところの7番バス乗り場みたい。
タキシラと言うと、タキシラと応える。ポリスマン正解である。
ジジイは200と譲らない。こんな近くでふざけんなよ。100でも高いと思ったが。
正解をポリスマンから聞き出した情報代が100、送料50と考え150で妥協。
今日はとにかく、先を急ぎたい。
ミニバンに乗ると40ルピー。そんなに近いのか。。
果たして近かった。
都市部の風景が山がちに変わると、そこはもうタキシラ。40分程である。
「歩き方」を見てると隣の男性が観光かと話し掛けてくる。
そうなんだ、タキシラではまずミュージアムに行く。
そんな会話をしていると、バスターミナルで降りて、彼がコッチだと招いてくれる。
リキシャにミュージアムまで行ってくれと言ってくれた。
リキシャマンは200だという。ホントは乗り合いなのにキミ独り貸し切りだし。
距離も分からず、ここで交渉する気力も時間も惜しいのでOKという。
高いかと思ったが、
実際はかなり遠かった。デコボコ道を30分以上走った気がする。
多分開館より前についた。チケットカウンターに人はいない。
ただ、博物館にはスタッフは居るので、後で200払えばいいと言われた。
開館前なので、照明は点いてない。
それは関係なく、コレクションはなるほどと思う。
だいたい、紀元前2世紀から2世紀の間のものが多く、正確な年代特定はされていない。
左手側が仏教に関わる出土で、右は生活に関する発掘だ。
象牙や貝殻、勾玉の類は今まで見てきたものと同じ。
銅器、鉄器が多く残っていることが特徴か。
矢尻、刀、鋤、鎌、メス、手鏡、かんざし、などから文化水準は慮れる。
石臼やあぶみがあることから、粉物を食し、牛車や馬車を移動手段としたことは分る。
今でも麦作は盛んであるが、
当時、今のように麦を収穫してたのなら、もう少し農機具があっていいはずとは思う。
仏教関係はタキシラの遺跡群の中で保存状態の良い物を移設してる。
統治したイギリス人が遺跡の保護に熱心だったのだろう。
遺跡の状態を考えれば、保護すべきものは移設するとした方針は正解だろう。
失礼ながら、パキスタン人だけでは、
異教の遺産にこれだけの整理収集は出来てなかったろう。
特に感心したのは、2点。
遺跡の石の積み方にも様式があり、それが年代によって異なるという展示。
この後遺跡を巡ると、石の積み方に古人のコダワリを覚えた。
もう一つはビーナス像。
スカートの下半身と羽しかないが、ビーナスとひと目で分る。多分教科書で見たアレである。
名札を見るとダーマラジカという地で1世紀頃の作とある。アフロディーテと書いてある。
アレキサンダー大王がこの地を訪れたというが、確かにギリシャが来ている。
ヘレニズムというけれど、最初から仏像じゃなく、ダイレクトが輸入が始まりのはず。
いきなり、すき焼きが発明されるハズないもの。
ギリシャがその文化を残していって、その後仏教美術だと思うんだよ。
ま、ギリシャだけじゃないけれど、メソポタミアやペルシャにしても、
西方から、どんな文化がインダスにやって来たのか、ちょっと良く分からない。
コレクションはラフォールやカラチの方が豊富だけど、
そこで、西方の影響と呼べるものは、今ひとつ発見できなかった。
ビーナス像は一番の収穫かと思った。
ひと通りコレクションを鑑賞して外に出る。
庭は綺麗に整備されてる。モヘンジョダロでもそうだった。
これは英国式なのだろう。
まだ日もそう高くない。先を急ごう。涼しいうちの方がイイ。
博物館を出ると、オートリキシャに乗った男が話しかけてくる。
4箇所遺跡を周って、1000ルピーと。
遺跡が点在してることは「歩き方」に書いてある。
妥当な値段と考え。乗ることにする。
途中、水は買っておけと言われ、売店で1.5Lを50ルピーで買う。
水の値段はだいたい何処でも50。
それから、結構山奥の方に移動。道も悪い。
ここだ、と降りると目の前に綺麗な川、川というより水道。
ガイドはこれがイスラマバードの飲水になると説明、正真正銘の水道だった。
計3箇所遺跡を巡るのだが、どこも側に必ず川がある。
最初に訪れたのはジュリアンという遺跡。
壁が想像より、ずっと厚い。大きな石を等間隔で配置し、その間は薄くて小さい石で埋める。
漆喰らしいけど、黒く一部装飾されたところもある。
ストゥーパの彫刻は仏像や蓮というおなじみのもの。
仏像は手の形が違ったり、断食姿を描いたものもあった。
台座を支える動物に象や猿が居るのは普通だが、ライオンが居るので驚いた。
インドにトラは居てもライオンは居ないだろうから、西方からの影響と思う。
入り口で200ルピー。後で遺跡に居るガイドにチップで150払った。
100が相場だと思うが、他より説明が詳細なので妥当かもしれない。
その後、モハラモラドゥ、ダーマラジカと行く。
もう一箇所、ギリシャ人が作ったという遺跡は、
兵士にここから先は行くことは出来ないと止められた。
ガイドは交渉してくれたのだが、断念した。
形式は基本は同じ。
大きなストゥーパを中心に周りを大小のストゥーパが取り囲み、仏像が配置される。
ミャンマーで見てきたのと同じ設計。
その隣りに必ず学堂がある。多くの修行僧がいたのだろう。
これも、ミャンマーに似てる。
更に大広間やキッチンや浴場、洗濯場など生活関連の設備があったり。
集落を形成していたらしい。
想像だけど、昔のチベットやネパールもこんな感じじゃないかな。
水源豊富な小高いところに仏教施設を作り集落が点在する。
特筆することがあるとすると、
ダーマラジカだけは若干ギリシャっぽい形式を残していた。
柱を多用する設計で、他とは違う雰囲気があった。
仏教が来る前は集落の集合体という場所だったのかもしれない。
関所みたいな意味はあったのかもしれない。
水豊富で清く、信州みたいなイメージがある。
そこに、東西からいろんな文化がやってくる。
モヘンジョダロでもそうだけど、
仏教って、一時物凄い勢いで広まって、その後急激に滅ぶ。ここでは。
仏像の顔が破壊されていることからも、その激しさが知れる。
今では、インドより東にしか残っていない。
あ、もう一つ、
「歩き方」には200一度払えば、全遺跡共通で見られると書いてある。
ガイドもそう言っていた、そして交渉もしてくれた。
だけど、どこもココは別だから200払えと言われた。
ルールが変わったのかもしれないし、ただのボッタクリかもしれない。
でもまあ、それでもいいやと思ったよ。
ストゥーパって元々、仏舎利を保存する建物だから、
彼らのことは墓守と呼んでもいいだろう。
観光客は数えるほどで、
昔と違って、特にアドミッションフィーが高い外国人はレアであろう。
そういうところでは、墓守にワイロ払う方式になりがち。
補助金どれだけ出てるか分からないけど、
墓守にもいいことがないと、遺跡の保護もままならない。
200の入場料とガイド料100。計300のワイロってことでいいんじゃないかな。
曲がりなりにも仏教徒だし、仏教遺跡を守ってくれてる墓守にお布施。
観光が成立しない地域の文化財保護って大変だとも思う。
で、遺跡巡りも終了。
来たときと同じバスターミナルまで送って貰う。
何処に行くと訊かれたので、ペシャワールと答えた。
未だ日も高いので、これなら明るいうちに着くだろう。
ひょっとしたら、このペースなら、
ミンゴーラからギルギットへ抜けて、ラワルピンディ戻りも可能かもしれない。
大型か小型か訊かれて、迷ってると、ガイドが小型だなと決めた。
ペシャワール行きを確認してくれて150でミニバンに乗る。そんなに遠くないらしい。
ここでガイドとお別れ。サンキュ。
駆け足でタキシラを巡った。
他にも遺跡はあるし、宿泊施設も生きているかもしれない。
でも、これで十分だと満足した。
今は先を急いで、ペシャワールに着いてから計画立てよう。
「不動産投資の始め方」が発売になりました。
http://sg-biz.com/dvd/yamazaki.html
質問コーナー、お問い合わせは、sanpome.net@gmail.com まで。
メルマガ 三歩目の不動産投資で海外移住。