「パキスタン紀行2014春」#42 20140525 カイバルマーケットを勧められる

腰痛は少しラクになってる。快眠だと分る。復調の手応えを感じる。
PCの時計では朝8時、今後の予定を立てる。
いや、電子じゃなくて、紙に書こう。
 
ノートを取り出し、出国のフライトから逆算してゆく。
不測の事態を想定して余裕は持たなければいけない。
だけど、ペシャワールがいいか、ピンディがいいかと言われれば、
極力ペシャワールに居たい。
ネット接続の困難さは似たようなもの。宿代も同じ。
人はペシャワールの方が明るい。
そしてなにより食べ物がお腹に優しい。

 
手持ちのルピーを数え、何処で何泊するか、
移動費込みで、滞在に耐えうるか算段する。
ペシャワールにあと何日滞在して、その間に何するか、書き込んでみる。
 
 
目処が立って、身支度して、受付へ。
宿泊延長を依頼。先払いする。
 
受付のスタッフから観光のプランを訊かれる。
今日は博物館に行こうと思う。
ペシャワール周辺で他にオススメはあるかな。
 
カイバルマーケットと要塞
要塞は見てきた近いし、カイバルマーケットとは?
古くて由緒あるマーケットらしい。モスクも勧められる。
なるほど、行ってみることにする。
礼を言って、オートリキシャを拾う。

 
ミュージアムまで幾ら?
私が分からないので、英語でハンドレッドと言い直してくれた。
ちょと高い気もするが、まあ外人だしお願いする。
 
幹線を西へ走る、要塞を過ぎ、さらに駅の方向へ
ああ、インフラの整備まだまだ拡張するんだな、この都市は、
幹線沿いだから当たり前とは言え、発展の実感が一番高い都市だ。
 
で、博物館にはスグ着いた。隣りにツーリスト・インフォメーションセンターもある。
が、今日は日曜で休館だそうだ。隣りも同様。
日曜に安息して、どうツーリストに対応しようと思ってんだろうと思うが、
それを言っても始まらない。
ドライバーにカイバルマーケットと言うと通じた。
「カ」は「KH」、通じるように発音も頑張った
ま、今日はそこに行けという、神様の思し召しであろう。
予定変更。
 
思った以上に近い。
でも、丁寧に対応してくれたから、50プラスした。
気前良すぎかとも思ったが、
実際開かない博物館の門の前で、おいてきぼりにされても文句言えないところだったし。
 
ここからは歩きで、門の中がマーケットだと言う。 
リキシャを降りてズンズン進むと、雰囲気が変わる。
本屋を見つけて、地図無いかと訊いたが、大きな地図だけで、
ペシャワールシティの地図は無かった。残念。

で、隣りの、豆腐みたいな食べ物が気になったが、
それは後回しにして、先に進む。
出来るだけ、真っ直ぐ進む。
網の目のように広がる、マーケットの路地を歩く。
日用品のエリアから服飾のエリアを過ぎて、
香辛料とお茶のエリアへ。
更に進むとそろそろ行き止まりらしい。
かき氷売ってたが冷たすぎてもお腹やられそうでパスした。
で、ケバブ屋さんが。あんまりお腹は減ってないんだが、美味そうである。
誘惑に負けて、2本くれと言ってしまった。
 
皆んな気さくで、話し好きで、
何処から来たのか、どのくらいペシャワールに居るのか、とか訊いてくる。
ウルドゥが分かればもう少し会話が弾むのだが、言葉で伝わるのはその程度。
基本、親日国家なんでしょうね。日本と言って、悪い反応が返ってきたことは無い

程なく、焼きたてがやって来る。
旨いねぇ。ヨーグルトのつけダレもイイね。 
何の肉か分からないが、つくねよりも食感はフワフワしてる。
はんぺんやちくわに近い。練り物の焼きたてという表現が一番近い
かまぼこの語源がこの形状であるように、肉か魚かの違いはあれど、
練り物の手法は西の方から伝来したのかもしれない。

緑茶までごちそうになり、ゴチになってしまった。
ありがとうございます。と日本語で、その場を辞する。
道を戻りながら、左に折れる(門から入ると右手)。
 
肉屋のエリアは山羊より牛が多いのね。
それから食器のエリアかなぁ。食器屋さんはいろんなとこにある気もするが。
川というか下水が流れてる。
モヘンジョダロ以来、下水はどの都市でも流れる先がある

まあ、この暑さでは、ゴミ収集でも、トイレでも、
甘い処理すると、あっという間に伝染病が蔓延してしまうから、
都市設計の基本で必須なのであろう。 
 
路地裏にコンピュータの学校があるらしい。
本屋でもC#の本とかあった。
この国ソフトウエアはいいと思うんだよね。インドのように。
英語と数学教育次第だろうけど。
ソフト屋って、女性あんまり関係ないし、

国全体が男子校のノリでもさ、
男女雇用機会均等を謳う日本でも、どうせ野郎ばっかりの産業だもの。
オレ高校は共学なんだけど、理系選択すると理系クラスになって、
女子は3人しか居なかったよ。薬科系を彼女たちは目指してた。
だから、男子校のノリ分るよ。
華は無いけど、陰湿さも無かったよ、ラクっちゃラクなんだよな。
ま、パキはホモ多いって言うけど、
じゃあ共学のタイはどうなんだよって、思うよね。
閑話休題。
重工業よりIT手っ取り早いと思うんだけどね。
ジェネレータ回すにしても、サーバーと空調だけなら軽いし。
 
更に進むと、背広、靴、帽子のエリア。
よく分かんないけど、なんとなくアフガンっぽい気がする。
その後、本屋のエリアなんだが、ちょっと寂れてた。
 
どうやら、一周したらしい。入り口に戻る。
気になってた、豆腐らしきもの食す。
多分、スイーツだと思うんだけどなぁ。
ビンゴです。「あんみつ」みたいなものであった。
細い麺みたいなのは、まんま、ところてん。
白い固まりは、乳製品じゃない気がする。甘くてね。
今まで食べた物の中では、あんこが一番近い。
やや黄色いのは、バナナアイスだと思う。
 
店のお兄さんが話しかけてくる。
彼らはアフガン人だそうだ、仕事を探してここまでやって来たそうだ。
この料理は何処の料理かと訊く。今まで見たこともない。
ペシャワールの料理らしい。
 
なかなか勘定受け取らなかったが、毎回奢って貰うばかりじゃわるい。
それにチャイほど安くないはず。
で、ペシャワルあんみつ60ルピー。美味しゅうございましたと別れる。
 
 
門から右手にマーケットが広がっているのは分かった、
今度は左手に行ってみよう。
甘いものの後はお茶が欲しく、スグに立ち寄る。
グリーンティかミルクティか英語で訊かれたので緑茶をチョイス。
以下、チャイは安定の20ルピーなので、今日はわざわざ明記しない。
 
そういえば、今気づいたんだが、この地でも、
ペプシとコカ・コーラの競争は熾烈だ。
ペプシの方が宣伝が派手なのも万国共通かもしれない。
ケースにLahoreと書いてあるから、工場で現地生産だろう。日本と同じ。
だから高くは無い、お手軽な飲み物。
ビール飲んでないから、たまに炭酸系飲みたくなるのは事実。
チャイもヨーグルト飲料も好きだけど。
 
 
一服して、更に左手の路地を登ると、
随分寂れたエリア。ここはジュエリー関係だ。
恐らく、
都市の発展と共に、宝飾、それから書籍は移って行ったのだろう。
日用品はまだまだ、健在だけど。
 
 
古来この街は、要塞が中心にあり、
その周辺に商業地も広がった。それがオールドシティ。
都市の規模が大きくなり、より西のサダルの方にニューシティが出来る。
ニューシティの郊外がオシャレな新興住宅地で、学術系もそちらに新設される。
そんな発展の歴史に従い、
高額な宝飾は金融の中心に近いところに移り。
書籍も、学術系が集中するエリアに移りつつある。
 
 
と、想像したりして歩いていたら。
目の前にモスクが。
モスクもオススメされてたので入ってみる。
民族衣装に髭面なので、靴を脱ぐ場所さえ間違わなけりゃ、
咎められることはまず無いだろう。
日本で育って、靴脱ぐとこで間違うことは、ほぼ無い。
 
中は、ドーンと中央にプール。
四方に蛇口が出てて、銭湯みたいに椅子が並んでる。
身を清めるのだと分る。
本質的には、日本の神社と一緒だ。
 
砂だらけの足をとりあえず洗って。
手を擦ってから、鼻、口とすすぐ。
本格的な作法は知らない。
 
方角は忘れたが、一方の壁に扉があり、そこに向かって祈りを捧げている。
そこは、さすがに屋根付きでファンが回っていた。
 
礼拝を繰り返す人、正座のような姿勢で瞑想する人、胡座で座る人、体育座りの人、
それから、モスクに付属のコーランを読む人などが居た。
寝てる人は、周りの日影な部屋。
 
私も正座で、姿勢良くする。
心の中で、これまでの旅のご加護の感謝と、引き続き旅のご加護を祈る。
 
一礼して、その場を辞する。反対側の道路へ出る。
広場に出た。
礼拝したお陰か、イスラムの様式美というものが少し分るようになっていた。
カーペットの文様や建築物から、その意識が伝わるのである。
トラックやバス、リキシャをデコレーションするセンスも理解した。
むき出しの車は無機質で殺風景なのである、なんか不吉。
曼荼羅のようなあの模様で飾った方が安全な気がする。
 
更に乾物のエリアを歩く、
ペシャワールではオレを撮れとよく言われるけど、
写真出来たらココに送ってくれと、ウルドゥ語の名刺渡された。
どうしたもんだろうか。メルアドないのと訊くとノーと言う。
名刺はとりあえず受け取って、先を急ぐことにした。保留。
 
更に歩く、
マーケットの外れには、何故かDVD屋がいつもある気がする。
で、要塞に出た。
ああ、一繋がりなんだな。要塞越えると昨日の市場街だ。
 
宿の手前に、先日断られ続けたホテル街がある。
その手前は、モールらしい。そこまで歩こう。
しかしまあ、幹線からの南北に、これからインフラ拡張するなら、
相当な規模の都市なんだろうな。少なくとも勢いは一番。 
 
ああ、しかし楽しいな。一人旅っていいな。
体調も軽くなったせいか、不安が限定出来てるお陰か、
久しぶりにそんな実感が急に広がる。 
そういえば、知らない街を一人で歩くのは、ほんとに久しぶり。
去年のクラークは他に目的あったし。スラバヤ以来か。
 
 
モールでは、携帯屋が多かった、地下もあった。店内はとても涼しい。
ケバブ屋もあったから、食べたいときはここまで歩けばよい。
10ルピーのシロップ屋が珍しいのでトライしてみた。
なるほど、香水のような花の香りが漂う。味はただのシロップだけど。
 
更に歩くと、もう宿は近い。
途中、ポリスが交通取り締まりしていた。
日曜午後、交通量も多いのかな。
ビビって写真は撮らなかったが、
パトカーには「better late than never」という素晴らしい標語が書いてあった。
ワタクシもかくありたい。
 
 
一旦宿の受付で、ネット接続する方法を訊く。
ネットカフェあるらしいが、今日は日曜だから明日がいいと言われる。
じゃ、もうちょっと東まで歩こうか、幸いなことに曇天。モッタイナイ。
 
幹線を歩くと、空が拓けるから気づいたんだけど、
雲が覆っている。ありがたや。
現金なものである。
北陸にいた時は心が暗くなる曇りであったが、今や天の恵みである。
実際、疲労感がまるで違う。消耗しないのである。
 
15分位歩いたか、お目当ての品を見つける。
ここにバスターミナルがある。ミニバンが到着した場所とは違う気がする。
道路を渡って、行ってみると、ラホール行きかと訊かれる。
ラワルピンディは、と質問返しすると、向こうだと指差す。
おお、あるのか、これで戻れる。
ただし、
15分歩きで行けるかどうかは、曇りのお陰なので、追い風参考記録みたいなもの。
現実には100ルピー以下の金額で、リキシャだろう。
 
それはそうと、ラホール行きのバスは多い気がする。
最短で横断するルートなのだろう。
そういえば、確か「深夜特急」も、
インド国境からラホールに入りペシャワール行き、そこからイラン国境。じゃなかったか。
ま、当時は今とは事情が違うからビザも簡単だったのだろう。
沢木耕太郎はインドから逃げ出すつもりだったから、違う文化圏のペルシャへ急いだ。
だから、パキスタンはほとんどスルーだったはず。
それに、列車で行けとよく言われたと書いてあったが、
今は、バスの方がと言われることの方が多いだろう。
ま、パキの場合は、あんまりなロングディスタンスは危険らしいけど。
 
それはどうでもいい。
ともかくも、雲の傘のお陰で有力な情報をゲットである。
 
安心して、近くのヨーグルト飲料屋で一服。安定の30ルピー
ところで、
この丈の低い椅子。ペシャワールだけだったか。
ベトナムよりも低い椅子だが、しゃがむ姿勢が多い証拠だよね。
立ちションも座りだし、掃除もしゃがんで掃くから、
他の地方でも、あっていい気もするんだが、記憶には無い。

あと、屋台でテイクアウトすると新聞紙で包んで貰うこと多いようだけど、
新聞紙は輸入なんだろうか、不思議に思う。
 
 
そんな疑問を残しつつ、
冷たいものだけだと、後が怖いから、最後にチャイして部屋に戻る。
 
部屋に戻って、ちょっと感動した。
大したら、固形なのである。ちゃんと固形。
ヨーグルト摂取し、刺激物避け、油っこいもの避け、
冷たいの飲んだら、温かいの飲む。
 
旅行者にとってお腹の具合は常に気になるところであるが、
やっぱり、パキ飯は厳しいと、つくづく身に沁みる。

今日は文体がちょっと柔らかめな気がするが、
多分それは、なにかと気分が軽いからだろう。

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