この河を渡るのは手強い。
ベトナムに慣れた私といえども。特に朝10時という渋滞時は。
ペシャワールはホーチミンほどバイクの量は多くない。
だが負けず劣らず交通は激しい。
特に歩行者が道路を横断するのは、ホーチミンより難しい。
パキスタン人の運転は荒い。
そしてベトナムみたいなアイコンタクトは難しい。
どちらが、先にゆくのか判断つかないこと多し。
幹線のG.T.ロードは両方向の計4車線で、
朝は西向きの、サダル方面への交通量が多く渋滞している。
反対側はそれほど混んではいないが、ひっきりなしで、
一番渡りにくい状態である。
ホーチミンより、スピードは速いので怖い。
行き先はネット屋である。
ホテルの受付で、ネット屋の在処を訊いた。
スタッフは通りの向いの携帯屋に訊けばスグ分ると言う。
で、難度の高い時間に渡ったのだが、
携帯屋に誰もいない。
仕方ないので、通りの先のコピー屋で訊いてみた。
あそこだと、簡単に答えてくれた。
この路地を歩き3つ先を曲がれと。
そんな近くにあったのか、、
(写真は撮っていいかと訊くと断られたので割愛)
店に入ると、パスポートを求められたり、幾つか質問されたりした。
オーナーも出てきてOKを貰う。
これから朝食だったらしく、
ご相伴に預かってしまった。
オムレツとナンとチャイ。美味しゅうございました。
よく聞かれること以外に、
日本と中国は違うのか、お前は中国人が好きか、と訊かれてしまった。
(まあ、良い中国人も悪い中国人も居るからなあ。。)
思ったまま、そう答えた。
パキスタンでどの都市が良かったかも訊かれた。
ペシャワール、ラホール、カラチ、ピンディ、イスラマバード。
お世辞抜きに、ペシャワールが一番。次にラホール。
イスラマバードは最下位。
利便性は似たようなもの。
飯はダントツでペシャワールがラク。人もダントツ。
カラチ、ピンディは人も僅差で、悪くはない。
イスラマバードの人はちょっとなぁ。
ああ、不思議なことに、街の活気もこの順か、
いや、ピンディ、カラチは逆転するかなぁ。勢いなら。
細かいことは伝えられないが、そんなこと思い出しながら評価してた。
で、5日ぶりのネットアクセス。
メールチェック、フェイスブック、それからメルマガ配信した。
久しぶりなので、安否確認の意味もある。私は元気です。
東京都の観光課から返信が来ていた。
この東京の旅行代理店の件は、改めて書くことにして。
もっと驚いたことがある。
22日にタイでクーデターが起こっていた。
あーあ、
バンコクに戻ったら、戻ったで、どうなってるんだろう。
心配しても意味ないことが頭をよぎった。
王様が健在なうちのラストチャンス。このままではどうせジリ貧。
しかも、軍と司法は味方(警察は敵)。
ではあるんだが、
タイは結局、民主的な手続きが根付かない国、
そういう評価を世界に与えてしまっていいのだろうか。
王様後を睨んで、今後も混乱は続くかもしれない。
経済の停滞はやむないかもしれない。
つーか、オレの心配しろよ。
まあそれは、スワンナプームに着いてから考えよう。
一時間ほどで、PCを片付けると、
料金はいいとオーナーが言う。いや悪いよ。。
ガンとしていいと言うので、朝食に続いて、ありがたくゴチになることに。
まだ、11時。
今日はあと博物館に行くくらいしか予定はない。それで充分と思う。
暫く、歩き廻ることにする。
要塞まで出て、昨日歩いてないエリアを闇雲に歩き廻る。
あ、こっちには栄えてるジュエリー街があるんだ、
こんだけ店舗あるなら、供給過剰な気もする。
その路地はパスして、大通りを歩く。
この辺は病院を中心としたエリアなんだ。
その周りには薬局が並ぶ。
日も高いのでそろそろ休憩しよう。
道端のヨーグルト飲料屋でしゃがむ。
パンと高菜漬けみたいなのも勧められた。お昼だし食べることに。
飲料2杯飲んで計70だからパンと高菜は10なのね。
パンは味はあるんだが、パサパサしてビスケットみたい。
飲料無ければ、喉に詰まる。
それと飲料は甘くなかった。ヨーグルトを氷水に溶いてるだけみたい。
先日の白い粉は砂糖だったのかと気づく。
満腹になって更に歩く、
影がもう短い。このまま調子に乗って歩くとちょっとヤバイなぁ。
そう思いながら、出来るだけ日影を歩く。
途中、職質されたりもした。
一瞬ドキっとしたが、旅行者だと答えると、ああそうなのかと去っていった。
要塞周辺だからだろうか、制服の警官は見回っているのかもしれない。
闇雲に歩くと、カイバルマーケットに出たりもする。
それから、ホテル街に到達、あ、これがシネマ通りか。
確かにシネマの看板が。だが、そんなに博物館に近い気がしない。
頭の中で、「歩き方」の地図を反芻するが、もっと近所だったはず。
まあ、こっから先は文明の力を借りて、到達しよう。
ちょっと余裕が出た。更に闇雲に歩いて、座って休憩できる食堂を見つける。
ペプシを注文した。
店先ではナンを焼いている。
ケバブ屋さんでもそうだったけど、美しい分業制だ。
生地を分銅で計って、一枚分に分ける。
分けた固まりを肉まん型に成形する。
肉まんを平らに伸ばす。
平らな生地をタンドールに貼り付け焼く。
焼けたナンを回収して店に並べる。
でも、さっきのパンでお腹一杯だ。
そろそろ1時。今から行って午後の部始まる頃だろう。
昨日休みだったが、営業時間は外に張り出してなかった。
その店もお代を受け取らない。イイという。
値段も分からないし、受け取りそうにないので、ありがたく頂く。
広い通りにでて、リキシャを拾うが、
ミュージアムが分からない。
近所だし、G.T通りだし。そんなハズないでしょ。
しかし、3人も空振りした。攻守交代じゃん。
さっきまで余裕ぶっこいてたのに、突然のピンチ。
道行く人が困ってる私を見て、何処に行きたいのか訊いてくれる。
ミュージアム、G.Tロードと言えば、ソッチだとスグ分る。
この差はなんなんだろう、
ようやく、一人のリキシャマンが捕まった。
G.Tロードと行ったら、とりあえず乗れという。
彼も行き先は分からないらしい、オレも詳細に説明は出来ない。
が、ともかく、G.T通りまでは出てくれるだろう。
暫く行くと、ワイシャツ姿のビジネスマンに声を掛ける。
この外人と英語で会話してくれと言ってるらしい。
G.Tロードのミュージアム行きたいと言えば、
そのエリート青年はスグ分かってくれた。
何語か分からないが、行き方を説明してくれた。
で、シネマ通りの先を進み、丘を越えると、線路を渡った。
G.T通りに合流した、と思ったらスグ博物館だ。今日は開いている。
ドライバーには100ルピー渡した。
ちょっと高いけど、分からないのに、何とかしてくれた代。
異邦人にとって、
何とかしてやろうと、面倒くさいから嫌、とでは雲泥である。
中に入ると小学生か見学に来ている。
開館時間は夏季は、8:30-12:30 2:30-5:30 2時半かよ。
幸いにして、敷地内の土産店にカフェがあった。そこで時間潰すことにした。
2時半になって、スタッフにクローズだと言われた。
炭酸飲料とグリーンティで35ルピー。間違ってる気がするがいいのか。
チラッと思ったのは、
博物館の休憩の間だけ営業してるのではないか。ということ。
土産屋もツーリスト・インフォメーションセンターも営業してる形跡が無い。
博物館を出たら、確かに閉まっていた。
とにかく、2日がかりで拝観である。
フィーは100ルピーなのだが、200プラスで写真撮っていいという画期的なシステム。
全部アップするのは何なので、なんとなくの雰囲気と、特に気になったものだけ動画に。
1階は2,3世紀のカイバル周辺の遺跡で発掘された仏教美術が中心。
仏教説話のレリーフや仏像など。保存状態の良い物を移設したのだろう。
他の博物館より、ギリシャの影響を如実に感じることが出来た。
断食するシッダールタもより写実的であった。
2階は向って右がイスラム文化。17,18世紀が中心。
このブルーは、柿右衛門からプルシアまで。
セラミックもシルクと同じで東西を渡るもの。
その中間な感じの土台にイスラムの様式美が分かり易い。
インダスが西に接したところ、という色彩は他で見るより色濃い。
左側は民族の展示。
衣装はもうアフガン。
あの足の短い椅子は、やはりこの地方のものか。
家具に関しては、今と変わらない気がする。
ペシャワールではブルカ被ってる割合も高い気がするが、
民族衣装はまた別なんだね。
女性はペルシャっぽい気もする。なんとなく。
同じパキスタンでも、州ごとの違いは、博物館でも感じるよ。
ラホールはムガールの中心でパンジャブの文化。
シンド州カラチは海洋民族。
モヘンジョダロはインダス文明発祥の地、どんな人達だったのか。
タキシラは山岳地帯の仏教集落。西の影響がチラリ。
ペシャワールまで来ると、西とインダスが交わるところ。
今日も午後は曇天が広がる、ありがたいが、
帰りはガスステーションまで歩いてリキシャ拾う。
80でホテルまで行ってくれた。
いつものチャイ屋でお茶すると、また奢って貰ってしまった。
暫くホテルで休憩して、夜お腹空いたら、ケバブっぽいもの食べよう。
「不動産投資の始め方」が発売になりました。
http://sg-biz.com/dvd/yamazaki.html
質問コーナー、お問い合わせは、sanpome.net@gmail.com まで。
メルマガ 三歩目の不動産投資で海外移住。