書評「反省させると犯罪者になります」真の罰は無限ループと悟る。

「反省させると犯罪者になります」正論としか言いようがない。
精緻な分析と実例に基づくので、とても重い。
反省させたいのは許せないからで、
許すの前には、裁くという行為がある。
裁くのは神と考える一神教の方が救われるかと、フト思う。
 
 
ども、相変わらず、バンコクでウダウダしております。
行けるうちに、イラン行ってみたいなぁと思っております。
全くツテ無しで観光してこようか、迷ってます。
もし、イラン関係でツテありましたら、ご紹介いただけるとありがたいです。
sanpome.net@gmail.com までメールください。

ところで、フトしたキッカケで、町山智浩氏の映画批評聴いてます。

ああ、そういえばと、思い至り、この本キンドルで買って読みました。

そりゃそうだなと思います。
誰だって多かれ少なかれ、
謝罪する側、される側、両方の経験あれば分ること。
 
反省が加害者側にどんな効果をもたらすか、
精緻な分析があり、かつ実践家の言葉ですから、重いです。
 
 
私も元々、裁判の反省による量刑ってもんに昔から不満でした。
 
ヒトは心までは裁けないし、裁くべきでない。
行為が法のバイオレイトかどうかのみに焦点あてろ。

過失やミスは意味あるけど、
ヤルと決めてヤったことに、反省意味あるのか?
ヒトは心までは審議できない。

結果、模範的反省文が溢れることになる。
 
 
すぐ、「すいません」って口癖のように言う奴いませんでした?
悪いかどうかじなく、それ言えば許されるから言う。

また、その上辺の謝罪は通用しないよ。って看破すると、
途端に態度豹変する場面に出くわしたことありませんか?
 
 
人は悪いと思うことは初めからヤラない。
それが道徳や社会規範に反しようと、ヤル理由があってヤルんだよ。
 
それが、大いに同情されるようなのもあれば、
随分身勝手な理屈だなって、こともあるけど、
結局、ヒトはヒトの心は裁けないよ。

ジンカンに必ず神様が介在する一神教はそこでは救いがあるとも思う。
 
 
こないだ、朝日新聞は反省出来ないし、謝罪できない。
http://sanpome.net/?p=2124
って書いた。
悪いと思ってないもの。
 
 
終戦記念日になると、「不戦の誓い」vs「英霊の供養」の二元論な日本。
なぜ、ここまで手酷い失敗に至ったのかという、
失敗の研究的な発想になること、いまだ希なのナンでだろうと毎年思います。
 
 
再犯への道だなぁ。ってあの本読んでつくづく思う。
 
時の軍部に騙された日本人は被害者で、
私達は悪い政府を糾弾します。
 
二度と過ちは繰り返さないという模範的反省文と、
戦前、戦中の朝日新聞の立ち位置は、本の中の実例と見事にシンクロする。
 
 
支持したんだし、失敗したんだし。
そりゃ、事情はあるに決まってます。
どういう状況に置かれたときに、どんな選択をしたか、
 
要するに、内実と社会との関係性との失敗でしょ。
正義がゼロかどうかとはちょっと違うんだよな。
例えば仇討ちは、美談なのか犯罪なのかはその時の社会が決める。
 
人は内実の関係性の整理が着いて初めて、
己の行為の是非に思い至るものだ、そうだ。
 
 
自ら後悔の念が生まれた時が本当の始まりで、
安易な贖罪主義との決別でもあるとのこと。
まあ、ギルティじゃなく、シンの方の罪の話だね。
 
 
ああ、で罰にもさ、
社会的(法的)なものと、内面的なもの別あるよね。
 
 
再犯ってのは、因果律に囚われた繰り返しのことで、
無限ループに陥ることが、本当の罰だって、
火の鳥みたいなオチが暗示されてる。

毒親の子が毒親になるって、潜在的リスク繰り返し語られる。
「他人に迷惑を掛けない」を強要されて、
人は自分がされたことを人にする。
 
 
子供のころから、そういう抑圧強いから、
無脊椎動物みたいになる。
外側から見ると一見しっかりしてても、骨格は無い、
骨の周りに筋肉が付いて動いてる訳じゃない。
外側との枠で、自らを守っている。
中身はあんまり育たない。
 
いい大人がファストな反応に飛びつくだけなのは、
そういうことなのだろう。
 
 
朝日新聞が廃刊に至るのか、何らかの形で生き延びるのか、
行き先は分からない。

これが、ワダチから抜け出すスタートになるのか、
今はただのポジとネガの反転に過ぎないのかも分からない。
 
 
アジア解放って面無いとも言えないけど、
それならもっと最初からイギリスとは仲悪いハズじゃないかな。
 
まあ、願わくば、
赤字国債発行みたいな、世代間リレーの轍を断つ、もんでありたい。
 
 
なんにしろ。一回感情全部吐き出さないと、整理は始まらない。
 
私にも、思い出しても許せない人間は沢山いる。
彼らは彼らのワダチの中で生きる。私は私のワダチを生きてる。

許すのは、最初に裁いてるから。
反省を人に求めるのは、裁きたいから、
それはやっぱ感情の消費だよね。
 
人と人の間に常に神が存在する一神教の方が、永遠の業から救われやすいかな。
 
 
かつて、投資家として成功した人が、
社会的不正義に納得いかなくても、損になることはしないという考え方もある。
と書いていて、
損得教の人達のストイックさに驚嘆したことがある。
 
この場合は損得という神だが、神は神。
オレを救ってくれない神。
 
 
反省の前に、失敗からの学習。
何を学習したかで、将来の行動が決まる。
 
無脊椎動物のような、表面的な模範的反省文は、再犯への道と知った。
もうちょっとマシな学習をオレはしただろうか。
許せない人がいる分だけ、無限ループの中にいるのだろう。
 
 
 
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