「戦争できる国」だと何が悪いの? ノーベル平和賞候補に寄せて

ども、憲法9条がノーベル平和賞候補らしいですね。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141010/k10015285701000.html
受賞者は在日米軍でしょうか。
 
 
そういえば、常々疑問なこと書きます。
 
サヨクの人がよく言いますけど、「戦争できる国」ってフレーズありますよね。
戦争できる国だと、何が問題なんでしょう?
 
思考停止しないで、そこチャント論じてよ。
 
 
私、個人の心情として、どうしても納得行かないのは、
 
アメリカの空爆による市民の犠牲には反対する人達が、
内戦の結果犠牲になる市民については、口をつぐむことです。
 
殺した人の種類によって、命に差があるんですかね。
人道主義なら、等しく言及して欲しいものです。
 
 
あの文章、旧社会党が主張したような非武装中立みたいなのが、
素直な解釈ですよ。
 
論理的には、こういう話になります。

集団的自衛権の話じゃなく、解釈改憲の否定です。
 
ただ、私は岡田斗司夫とは意見が違うのは、
、もう解釈改憲やめて、堂々と改憲しろよと。
 
一旦国体が破壊されて、独立戦争を経て、民族自決に基づく統治の回復。
これは、彼が言うほど低コストではありません。
今のシリアやイラクを見たって悲惨ですし、
 
国家が分断され、同じ民族が殺しあうこともあります。
国際社会が見捨て、無法地帯になり、
殺し合いが果てしなく続く例多数だし。
 
最大限、自衛の努力した方が、まだコスト低いでしょう。
 
 
米軍基地と憲法9条がワンセットなら、
さすがに、日本の平和維持されるでしょうけど。まだ暫くは。
 
 
集団的自衛権については、海外派兵を想定して、
サヨクな人達は、地球のどこでも戦争出来る国って言いますよね。
 
個人的には、周辺有事に関しては、自衛権の行使を定義し、
国外の有事の際の邦人保護も自衛の一部として規定して欲しいです。

東アジアの先のことは、平和維持活動への貢献として、
自衛権とは別に定義すべきだと思います。
 
日米の軍事同盟だけを背景に何処でも戦争できるって、
話に落とし込めれば、都合いい人もいるかもしれないけど、
 
そこまで、単純じゃないでしょ。
 
人間は武力無くして、平和維持できるほど、賢明な存在ではないよ。
少なくとも、今のところ。
 
 
だからさ、
内戦で死ぬ命と米軍の空爆で死ぬ命の差について、言及してよ。
米軍の空爆の死だけが悪っていうなら、反対だけど、理屈は認めるから。
 
 
多国籍軍の武力が、綺麗だとも、公平だとも言わないけど、
 
むしろ、アメリカは軍事費削減し、世界の混乱を演出をしてる今、
戦争できなければ、それで善なの。
 
 
私の経験上、平和主義者な大人はイジメに対しても戦わなかった。
それが不戦の誓いというものだろうか。

ポルポトを擁護してた人達って、言い方は、
我ながらアンフェア過ぎるけどさ。
 
都合のいい死にしか言及しない人を信用しない。

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