「江戸しぐさ」にゲンナリして「春宵十話」を欲す

知じゃなくて、智慧って書く方の智に接するのは、困難な時代。
ファスト思考する訓練を常に課せられている我々。
「江戸しぐさ」の問題点の指摘を読んで、つくづく思う。
ま、生きてると潤いも必要だから、良質なものにも接しよう。

ども、
米の麺に飽きたので、即席麺をチョイスしてみました。

25000vnd。旨し。

 
地下鉄工事いよいよ進むホーチミンは、降ったり止んだり雨季らしい天気です。


 
 
ところで、

“偽物の歴史”を教育に用いるのは、倫理の根幹を破壊する行為
 ~「江戸しぐさの正体」著者・原田実氏インタビュー
http://blogos.com/article/96470

「江戸しぐさ」最近話題ですね。私も軽く驚きました。
 
 
昔、地下鉄の駅で見たことあります。
記事には、「専門家なら」スグ嘘と分るとありますが、
専門家でなくとも分るでしょ。
文化風俗の時代背景が江戸じゃないことくらい。
 
UFOやネッシーと同じようなトンデモの類だけど、
強い主張がある訳じゃないから、他愛ないものと思ってました。
大して、気にも止めず眺めていました。
 
 
 
それが、教育の現場で採用されるとは、
最初は見過ごしてて、気付いた時には、、
って、プロパガンダとはそういうもんですね。
 
まあ、教育機関に事実検証とか、高い倫理とか求められる場所ではないとは、
昔から感づいてはいましたけど、
 
リテラシーを低下させることに危機感が無いほど、
もうリテラシーそこまで破壊の危機にされている。
ということなんでしょう。
 
 
正しいことの為なら嘘をついても構わない。って、
健康のためなら死んでもいい。みたい。
 
これじゃ、朝日新聞と一緒じゃん、って思いますが、
伝承されなかったのは虐殺されたからって言い出すらしいので、
ホントに、そういう人達って体質は一緒です。
 
思想とは目の前にあることさえ否定できるっていいますが、
人は信じたいものしか信じないように出来ています。
 
 
「正しいことの為なら嘘をついても構わない」を自分に許しちゃうと、
モラルハザードいつか起こす。
信じたいから信じるが習慣になり、判断力を失う日が必ず来る。
 
 
結論の為なら、プロセスはどうでもいいってのは、
目的の為なら手段を選ばないってことで、
その姿を子供に見せて、教え込んでる。
 
結果が善ならそれでいいってだけじゃ、
まともな判断力が育たない訓練してるようなもの。
 
 
もうひとつ気になるのは、
マナーは外側のことで、
嘘付かないは内側のこと、
 
学校が教える道徳らしいといえば、らしいけど、
表面的な善ばかり好きでいいんだろうか。
 
 
 
とか、書くのは蛇足なんだけど、
コメントとか読んでみるとね、、
 
時代劇の演出と事実として認定されてしまうことの違いが分るのもリテラシーの内だし、

リテラシーの低い人間をどんどん育ててしまってるかもしれないって、
危機感を持たない程にリテラシーが低い状態にあることに自覚ないのも麻痺だし。
 
 
情報リテラシーの質と、
主張をする際に、守るべき一線のモラルって、
たぶん、同じことなんだろうな。

意識が無ければ、気づけなくなる。
普段ただでさえ、ファスト思考のバカになる訓練を強制的にさせられてる。私も。
個人的にはまだ、その空気から離れることができるけど、
教育としてまで、それが行われるのでは、逃げ場ないね。
 
 
って前振りなんですが、
 
日本人の品格的なので、読んでて好ましい、精神が正常に戻るようなものないかな。

角川のセールでお安くなってるし、砂漠で潤いを欲するように読みました。
 
 

数学教育の目的は決して計算にあるのではない。
かたく閉じた心の窓を力強く推し開いて清涼の気がよく入るようにするのにあるのだ。
数学教育は大自然の純粋直観が人の子の情緒の中心によく射すかどうかに深くかかわっているのであって、
計算が早い、遅いなどというのは問題ではない。
私たちは計算の機械を作っているのではないのである。
数学の教え方としては「よく見極めて迷う所なく行い、十分よく調べて結果が正しいことを信じて疑わぬ」ようさせるのがよい。
ー中略ー
「よく考えて迷う所なく行う」という頭の回転様式、これを数学的というのである。
「結果を信じて疑わぬ」ようにするには形式を重んじないことである。
ある形式どおりにやったらそのとおり結果が出たというのでは数学ではない。

とまあ、教育のお話。
 
 

右足を出してはそれに全身の体重を託し、
つぎに左足を出してはまた体重を託するというふうに一歩一歩踏みしめて進んでゆくのが科学の学び方にほかならないのだから。
しかしこの学び方ができるのかどうかは小手先の技術の問題でなく、むしろ道義の問題である。
ある程度「人」ができなければ、何を学ぶこともできないのではないか。
室内で本を読む時、電燈の光があまり暗いと、どの本を読んでもはっきりわからないが、
その光に相当するものを智力と呼ぶ。

 
 
 
岡潔先生は、紙一重な逸話も多いそうだが、
文章はやさしいい。とてもやさしい。
 
で、ムダもないから、付け足して書くこと何もないや。
同じ数学者の書いたものでも、「国家の品格」とかとは格が違う。
 
 
正直に告白すると、
人が人に見えず、虫みたいと思うことがある。
計算だけなら、もう機械の方が速く最適な答えを出すよ。

累進課税強化を話題にしてて、
寄付文化が根付かないことと税制に言及が及んでも、
法人化で節税とか、
自己の損得のみにしか関心が向かわない人達に接するとき、
特に強くそれを感じる。
 
 
もうちょっと、高級なのに接したい。
正気を保ちたい。

そんな時にオススメ。
 
 
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