要求を通すというアプローチと、
何かを実現しようというアプローチでは、
一見似ているようでも、宗教が違うように全く違うと気付いた。
どちらが優勢なのかは、環境にも拠るんだなと気づく。
まあ、きっと、現実は想像の先をゆく。
ども、ターケークはちょっと寒いけど、いい天気です。
メコンの河っぺりで、ビール飲んでます。
ホルモン焼き8000kip、カオニャオ5000kip、ビアラオ10000kip。
こうやってまったりしてると、ラオに居るって実感が湧きます。
ところで、フトこんなこと書いてしまいました。
ノーベル賞受賞おめでとうとコメントしておいて、
この件について、何も言わないのは、なんか違うと思う。
ボクは支持します。何もできんけどさ。
「タリバンに『良い』も『悪い』もない。最後のテロリストを掃討するまで戦いは続く」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141218-00000074-mai-int
こういう戦争の現実があるからこそのノーベル賞受賞じゃないの?
綺麗なトコだけ見て、美談に仕立てて、おめでとうはないもんだと思う。
タリバン側の強い反発をも誘発するのは事実なんだし。
で、
返り血を浴びる気の無い、腰の引けた正義について、フト考えた。
最近こんなこと言いました。
気仙沼の巨額な堤防に、危険区域には「数軒しか」住民はいないと反対する他県の人、
強制退去を言う勇気もない。
エロ本コンビニは男性向けが多いから男女同権の視点で反対する女性、
コンテンツの暴力性には無関心。
未だに福島が危険だと言うなら、
避難地域の拡大くらい言えよというと沈黙する反原発派。
問題解決力の無さだけでなく、自分にしか興味の無い冷徹さに気づく。
返り血を浴びてまで踏み込む気はない。
強制避難くらい言えよといって答えがないのは分かり易い例ですが、
冷徹なだけでなく、ゴールが違うんですね。
問題を解決することがゴールじゃくて、
要求を通すことが目的で、その要求を実現するのは他の誰か。
だから、負の側面なんて考えなくていいんです。
左寄りとか右寄りとか関係なく、精神構造は同じもの。
この発想に、いつも憎悪に近い感情が湧く理由は、
1.問題解決に至る道でないから、状況の改善という生産性がないこと。
2.要求の負の側面には目を背けたままでいいという欺瞞の非倫理性。
だろう。
ボクが生きてく上で有効だと身につけたことからすると、狂気としか思えない。
が、
西洋近代の視点で、イスラム原理主義を理解しようとしても無意味なように、
何か、体系が根本的に違うのではないか、と、
フト思い至りました。
何かを実現するためのアプローチと、要求するアプローチは違う。
要求を通すためには、ワザワザ負の側面を見る必要はない。
それを考慮するのは他の誰かなんだから。
都合よいところを見繕って、できれば見た目美しい方が望ましい。
ああ、そういえば、
「戦争の出来る国」って言い回し、戦後教育的ですよね。
マッカーサーが日本から奪いたかったのは武力ではなく。
自ら問題解決できるような、独立した精神。
アメリカで銃の所持が認められるのは、
政府がダメなときには革命を起こす権利を保持するためだという。
イデオロギーが右でも左でも、
自立する能力さえ奪ってしまえば、それでよかった。
戦争が出来なければ平和が降ってくるというのは、もってこいだ。
なにしろ、イヤなことは見ずにきれいなままで居られる。
日本人は14才だと言うんだから、
戦前だって、似たようなもんだったろうとは思うけど、
実現とも、解決とも違う、要求を通すことが目的。
この体系を発展させた代償に、自らを省みるという矜持は失った。
さすがにこれは戦後教育の成果だよね。
先日、、斎藤淳さんの本読んだ。
http://sanpome.net/?p=2279
問題解決のためのアプローチ、そのツールとしてのリベラルアーツ。
これは確かに、戦後教育の真逆に位置するもの。
おそらく当時、
GHQが日本から最も取り上げたかったものはこれだろう。
武力よりも、天皇制よりも。
ボクらは最初から答えを与えられて、
それに早く正確に到達することが優秀と教えられてきた。
それなら機械で充分な時代なので、さすがに分が悪く、
「自分の頭で考える」とか言い出しますけど、
それは自分の頭で考えて発言して、子供に教えてんのでしょうか。
ま、それはともかく、
問題解決に向けての合理的なアプローチは自立を可能にする能力。
これを奪ってしまえば統治は容易になる。
その洞察の的確さに驚きます。
それと、説得力あっただろうな。
武器を捨てれば平和がやって来たのだし、
要求すれば、昨日より今日は良くなった。
アメリカには願いを叶えるだけの力もあったし。
「地球の歩き方」に乗ってない、ターケークの博物館に立ち寄った。
フランスの再植民地化に抗い、ターケークでの作戦を練るスパーヌウォン殿下の図。
ここターケークで、赤い殿下はフランスの機銃掃射により瀕死の重傷を負ったそうです。
王族や他の指導者達も、妥協派も、中間派も強行派もいたそうです。
内戦というか、代理戦争の果てに、
インドシナ半島からアメリカを完全撤退させ、ラオでは強行派の勝利となります。
日本の降伏から共産党の今の体制になるまで30年。
同じ国民同士戦ったり、国が分断されたのは、日本じゃなく朝鮮半島だし。
深刻な民族や宗教の問題を抱える訳でもないし。
武器を捨てれば平和とか、要求すれば叶うとか、
そういう発想に信憑性を与えるだけの特殊要件が日本にはあるんだと気付きます。
ま、この世の中は適者生存ですから、世の中変われば、人も変わります。
気仙沼の地元では、スーパーな堤防の代案を皆んなで考えようという運動もあるそうです。
高台避難進み、堤防建設撤回した石巻の例も取り上げられてました。
昔、堤防と住居を組み合わせた建造物なら復興できると言う人に対して、
産業が無ければ、ハコだけ作っても意味ないと、反応したのは
たしか石巻のことだった気がする。
だから、堤防撤回のニュースも覚えている。
功利主義的に正しいかどうかは問題じゃなく、
リスクトレードオフを考えなければいけない問題では、
要求を通せばいいというアプローチは不適切。
気仙沼の状況はよく知らないけど、全国の署名は要らないよ。
市の決議が先じゃないの。
高台への移住を前提に、防災計画見なおせばいいだけじゃないの。
地元の意向に沿わない市議会ならとっととリコールしろよ。
おっと、脱線。
気仙沼でも、
当事者が主体的にリスクトレードオフに答えをだそうとしてる。
与えられた正解は要らないもの。
どちらであれ当事者として結論を出せばそれで。
戦後の終わりとはそういうことだと思っている。
斉藤淳のこと読んでたら、松田公太議員のこと思い出した。
この人は何故国会議員続けているんだろう。
多大な労力の果てに多数派を形成して、要求を通すよりも、
起業家として出来る社会変革はもっとあるだろう、
それだけの能力があるのだから。
http://blogos.com/article/101334/
今どきの若いもんの発想じゃないと思うのはオッサンの小言だけどさ。
要求を通す教も、信じるものは救ってくれるのだろう。
選挙盛り上がらない最大の原因はダメな野党で、その最たるものが「みんなの党」。
他人(有権者)のセイにすんなよ。
要求を通すという体系では、自らを省みてる暇は無いらしい。
みんなの党が消滅して、玉突き的に次世代の党が維新から飛び出し、
橋下ブランドの効かない第三極の議席が再分配されただけ、
それはそれで、妥当な結果にも見えるが、
自らの政党助成金の説明責任などを気にしていては、
要求を通すには、程遠いのだろう。
なんでこれ思い出したかと言うと、
マスコミも毎日この手のやり方に勤しんでいるけど、
始めに結論があって、それに都合のよいことだけ綺麗に取り繕って、
要求を通そうとする。そこに当事者性はない。
GHQの置き土産か、洗脳は今日も続く。
斉藤淳さんは、最初教育改革を目指して、国会議員になった、
しかし、この方法では理想の実現にはほど遠いと、
自ら塾を始め、リベラルアーツという武器を直接配ることにした。
悩める若手エリートたち:政治に関心が持てない。
http://www.ikedahayato.com/20141213/17856793.html
政治家になるためのプロセスは時間がかかりますし、
なったあとも本質的ではないことにエネルギーを割かなければいけないイメージがあります。
だとしたら、民間でやりたいことをスピード感もってやった方が、
社会のためにも自分のためにもいいわけです。
-中略-
合理的な判断ができて、顔が見える人を幸せにしたいと考える人ほど、政治家にはなりません。
「社会を変えるために」若くして政治家になるという人は、かなり奇特な人です。
マゾか!?と思います。
政治家になるというは「社会を変える」という目的に対して、
非常に遠回り、かつ不利益の多い道ですから。
社会を変えるなら、起業した方が早いですよ。二世議員とかは別なのかもしれませんけど。
ま、実際のところ、現実は想像より速く進化してる。
ただ河の流れを眺めてるだけの人が何言っても関係ないんだが、
この後、どうやって日本と関わってゆくのか、考える。円安だし。
とりあえず、好ましいものと、好ましくないもの、
はっきりしておこうと思ってるみたい。
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質問コーナー、お問い合わせは、sanpome.net@gmail.com まで。
メルマガ 三歩目の不動産投資で海外移住。