ども、先ほど.
ラオでは内戦終結後、アメリカ側についた山の人粛清、
国家を持たないマイナーな山の人。
反政府運動を焚きつけるには調度良い存在。
まあ、パキスタンの場合、自業自得な面はありますが。
私がインドのスパイと疑われるのも、西からのテロを警戒するのも、
ウラハラな関係にあります。
小学校が襲撃される悲劇に関心持つなら、
もうちょっと、寄り添ってみてはどうか、と思ってしまいました。
最年少ノーベル賞をただ無邪気に賞賛とか、
イスラムへの偏見を助長したりとか、
関係無い主張に利用したりとか、
無理解というか、人間とは、かくも無慈悲な存在かと。
と書いたのですが、気になるので、
順序立てて、整理してまとめときます。
間違いもあるかとは思うのですが、お気づきの方はコメントで指摘ください。
「国家を持たないマイナーな山の人」
モン族と言われる人達がいます。
中国の雲南省から、ミャンマー、タイ、ラオス、ベトナムなどに住んでいます。
元々国家という概念は薄く、国境を自由に行き来きする山岳民族です。
結果、どの国でも、マイノリティになります。
山の奥深い地域で国家の手が届いていなかったりすることもあります。
換金作物はケシの実だったりします。
ラオスでは、内戦当時、ベトナムと提携し、ソ連の支援も受けていた、
パテートラオというグループがアメリカと戦います。
その時、ラオの少数民族であるモンの人達を、
フランスそれからアメリカが反政府勢力として育てます。
ポーンサワンに行くと、不発弾はゴロゴロしてますが、
激戦の末、アメリカは撤退します。
残されたモン族の多くは難民となり、
また、戦後、大規模な粛清が行われたとも噂されています。
国家という概念すら希薄そうな少数山岳民族はこういう憂き目に遭いやすい。
博物館でラオの近代史をなぞりながら。そんなことを考えていました。
「パキスタンの場合」
で、
最年少ノーベル賞受賞者のマララさんはパシュトゥン人です。
アフガンのカンダハルからパキスタンのペシャワールあたりの山岳地帯で、暮らす民族です。
国家の手のあまり及ばない地域もあります。
現在はタリバンの温床で、山岳ゲリラはケシの実を栽培すると相場が決まってます。
タリバンは、ソ連のアフガン侵攻後、内戦の中で育った武装勢力です。
アフガンではパシュトゥン人は多数派で、タリバンはパシュトゥン人を中心とした勢力です。
アメリカも反ロシア、反イランの目的で支援しました。
インドと紛争を抱えるパキスタンも背後を突かれないよう、タリバンを支援しました。
タリバンは次第にモンスター化して行きます。
狂信的なイスラム原理主義とパシュトゥンの部族の掟に基づく支配を目指し。
アルカイーダなど、内外から過激派が集うようになります。
現在はテロ集団として、パキスタンも掃討作戦に乗り出しています。
そして、
子女に教育を受けさせない、というのは、イスラムの教えというより、
部族社会の因習に近いものです。
日本でも平等に教育を受けさせるべきと徹底したのは戦後ではないでしょうか。
それもアメリカの主導で。
日本は高い識字率を誇る国ですが、そんなに威張ることもないと思います。
世界には、「女だてらに学問なんて」という地域もあります。
そのタリバンが、パシュトゥン人の地で、襲撃したパシュトゥン人の女学生がマララさんです。
上記の本もどこまで本人が書いたものか疑問もあります。
イギリスの人権活動家がサポートしてます。
マララさんがタリバンを非難するのは当然かつ勇気ある行動ですが、
ノーベル平和賞は極めて政治的な賞ですから、
「タリバンはテロリスト」という広告塔の側面もあります。
この辺までが一般知識で、ラオでも山岳民族のこと考えてたら、
ニュースで知りました。
ペシャワールでタリバンが学校を襲撃し148名を殺害。
これは、パキスタンによるタリバン掃討作戦への報復だといいます。
今夏起きた、カラチ空港のテロ以降、パキスタンは攻勢を強めてるそうです。
ここまでが、これまでの背景と現在の状況で、
ちょっと、個人的なこと書きますが、
テロの件は忘れもしません。
パキスタン出国の直後でしたし、カラチ空港利用しましたから。
そしてパシュトゥンという民族のことを何故覚えているかというと、
ペシャワールでいつもチャイをおごってもらってたからです。
彼は学校の先生だと言っていました。科目はわかりません。
「パシュトゥン語は話せるか?」と訊かれ当然ノーと答えます。
「ウルドゥー語は話せるか?」それも当然ノーです。
片言の英語でやり取りしていましたが、
いつも緑茶の代金は先に払われていました。
ニュースを見聞きすると、やはり思い出します。
で、無慈悲というか、
日本人って冷酷だなぁって、こういうときにいつも思います。
「最年少ノーベル賞をただ無邪気に賞賛」
SNSなどで、ノーベル賞授賞におめでとうのコメント多く見かけました。
彼女の母国語がパシュトゥン語であることすら、知らない人もいるようでした。
ことの経緯を考えるとそれには違和感を感じたものでした。
例えば、
マザーテレサが授賞するなら敵は貧困ですから、
手放しの賞賛でもいいでしょうけど、
これは、
タリバンのテロという敵のある話で、
そこまで理解なく、飛びつくような内容とは思えません。
「タリバンに『良い』も『悪い』もない。最後のテロリストを掃討するまで戦いは続く」
ノーベル賞授賞に言及するなら、この件にも一言あるべきと思いますが、
コメントを見かけません。
ミーハーじゃないというなら、スタンス明確にすべきじゃないでしょうか。
悲劇に胸が傷むとか、安全な立ち位置は意味ない問題だと思ってます。
綺麗な人道的なこと言って平和になるようなら、小学校は襲撃されてません。
「イスラムへの偏見を助長したり」
パキスタン始め、イスラム諸国の現状が、女性蔑視だといい。
それを小学校襲撃の理由にする人達がいます。
西洋近代の視点でみれば、イスラム社会は女性蔑視的でしょうけど、
それと、今回のテロリズムとは次元が違います。
社会が学校へ行くことをサポートしてる中で起こったテロです。
悲劇に胸が傷むとかも印象操作的で、
私は悪質な行為だと断じます。
それに、付和雷同的に同調する者もいます。
「関係無い主張に利用」
この記事見て、国会議員なら、もう少し内容のあること言えないのかと、
ノーベル平和賞を見て感じたインドとパキスタンの割り切り方
式典で礼節ある対応することはそりゃ、常識の範疇です。
民族問題や地域紛争に政治家が首突っ込むのに、「みんな仲良く」では酷すぎる。
直接は関係ないかもしれませんが、
テロとの戦争を美談として利用するようなことだろうか。
そんなこと、全て分かったうえで、
そのような反応してるのかもしれないですけど、
軽薄すぎないか。
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