フランスの風刺画は支持しない、反テロの美名の下であろうとも。

人質の件の続きでもあり、別の話題でもあるんだけど、
タイミング外してしまいましたが、フランスの風刺画の件を。
 
反イスラム教という強い信念に基いて戦ってた訳じゃないのね。
「しかし、違法ではない」とか、随分、腰抜けなこと言うなぁ。
 
人を傷つけるかどうか、という視点で日本では取り上げられガチなようです。
表現の自由を錦の御旗に建てるなら、ポイントはソコじゃない。
 
 
  
ども、バスで東京に戻りました。
雪の中、インドビザ受け取りに行ってきました。
これから、実家にも立ち寄ります。
 
で、ストレートに書きます。 
 
 
 
私が違和感を感じたのはこの記事からです。
シャルブが活躍した子供新聞編集長を直撃
http://toyokeizai.net/articles/-/58416

表現の自由だ。宗教も風刺の対象として例外ではない。イスラム教徒の一部の人が自分たちの宗教を題材にした風刺画を好まないことは知っている。しかし、違法ではない

表現の自由の限界に挑戦してたのなら、死んでも本望と言えばいいのに。
 
「しかし、違法ではない」
つまり、表現の自由は法で守られてると言いたい訳ですよね。
表現の自由の為に命を賭けて戦ってます、ってスタンスとは違う。
腰抜けでもあり、良識でもあり、
 
中途半端な方が賛同、得られやすいからでしょうか、
キリスト教圏の連帯意識なのでしょうか、
そんなに支持集めるべきものじゃないよ。本来。
 
 
日本ではけっこう批判的に捉えられてますね。
ただね、傷つけることが、いいとか悪いとか、
そういうことじゃないと思うんだよ。この問題。

風刺画に批判的なことは一緒なんだけど、
文句言いたいポイントが違うんだよな。
 
で、文句言いたいところに文句いいます。
それは3つあり。
 
 1.表現の自由の根源的な信念
 2.内容が無く社会的に有害無益
 3.マスメディアという力の自覚
 
を順に語りたい。
 
 
 
1.表現の自由の根源的な信念
 
 人間を分けて2つ。捕まる人と捕まえる人。
 
 芸術家やジャーナリストは本来、捕まる側の人である。
 
 ろくでなし子さんは、一度勾留されても、懲りずまた捕まりました。
 アーティストというのは、そういうものでしょう。
 
 更に、風刺なら、ジャーナリズムの要素も加わります。
 風刺画の雑誌は東スポかも知れないが、
 権力のチェックだとかを拠り所に発言権増やしてきたはずだ。歴史的に。
 
 それを、「法律違反ではない」「表現の自由は法で認められている」
 とは、情けない。
 
 いつから捕まえる側になったのだろう。
 
 表現の自由が法規制されたときには、表現の自由を守れとか二度と言うなよ。
 あれ、支持してる連中も。
 だって、法が認めるってことが自由の拠り所なんだろ。
 
 自由は与えられるもので、勝ち取るもんじゃないんだろ。
 
 社会を敵にまわそうとも、 
 訴えたいことがある訳ではないんだろ。
 
 まあ、信念あって訴えたというには内容が稚拙すぎる。
 それ分かってるから、法律なんて外部要因持ちだすんだろ。
 内実が無い証拠。
 
 あんま腰抜けたもんに、表現の自由とか言って欲しくないんだよな。
 昔、ビートたけしがフライデー襲撃したとき、
 後藤田官房長官がたけしに同情的なコメント出した。
 それを受けて、
 ニュースステーションの久米宏が、
 「権力の側から、こんなコメント出されるようでは、
  報道の自由とか言っても説得力失う。」
 とどうでもいいプライバシー暴いてるマスコミ批判してたけど、
 
 自由を便法で使うなよ。
 
 
 
2.内容が無く社会的に有害無益
 内容がダメすぎです。あまりに。
 低レベルな見識を発露しただけのものを風刺と呼ぶだろうか。
 あれはただの揶揄。
 
 人質になった後藤さんの母親の会見、話題となった。
 「イスラム国」とは何か、よくわかってない説がある。
 私はその可能性大だと思う。
 
 イスラム教諸国と、過激勢力の「イスラム国」区別ついてないと思うよ。
 
 だけど、これ笑えないんだよ。
 
 パキスタンのタリバンの件でも書いたけど、
 イスラム教=テロリスト 
 というイメージ宣伝したい奴は世界中にいるんだよ。
 
 あの風刺画のやったことはそういうことじゃん。
 知る権利というけれど、伝える内容に正確さが無い、
 ただの揶揄。
 
 イスラム教全般の悪イメージ振りまいて、
 かつ、わざわざテロリスト挑発して、
 
 そこに何か社会正義があるのかな。
 
 偏見の助長を子供向けに振りまくというのは、より悪質じゃないかな。
 
 中身が無いから、
 「法律で認められてる」でジャスティファイしようとするんだろ。
 
 覚悟って、本人の内実に関わらず、
 行為に対して自ずから求められてしまうものか、とも思う。
 
 
 
3.マスメディアという力の自覚
 昔、有吉弘行が、ブレイクした(バカに見つかった)頃、
 さんまが言ってた。
 「下のときは毒舌はいいねん。立場が上になると難しい。」
 
 確かに、当時は先輩芸人をバカにしても笑いになったけど、
 あれだけ冠番組持って、発言権強いと、
 同じことしても、笑いとして成立していない。もうそれじゃ笑えなくなってる。
 
 フランスにおいては、ムスリムはマイノリティ。
 発信力ある、マスメディアがそれ攻撃すると、弱いものイジメに見える。
 
 弱いものイジメも表現の自由で、その限界に挑戦って堂々というなら、
 あっぱれだけど、
 後ろめたいから法で守られてるとか言うんだろ。
 
 日本の場合、なんでも弱者視点なら正義みたいなとこあって、
 それも嫌いだけど、
 
 無邪気に弱者を揶揄するのが、マスメディアのヤルことか。
 少なくとも、
 自分の力に無自覚で、法で守られた自由だからでは、
 賛同はできない。
 
 別の正義を建ててくれないと。
 これ支持した人は、ヘイトスピーチに反対する資格ないよ。
 
 
 
実家にも立ち寄ります。
何を支持し、何に反対するか、はっきりさせとかないと。
 
フランスの風刺画は回り回って、エスカレートさせるだけで、
伝えるべき役割は別にある。
 
こういうことする奴、間接的ではあるが、
オレにとってはマイナスな存在。
 
反テロの美名の下に支持することは出来ない。
 
 
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