[2015.02.27,2015.03.01,2015.03.07]
インドはカーストな格差社会だと言われる。
コルカタは昔は酷かったと、かつてを知る人は口を揃えて言う。
で、
貧困とその格差の実態は果たしていかほどなのでしょう。
コルカタ到着早々、サダルストリート周辺を散策してみたら、
パークストリートから、
大通りへ抜けた。
ハイカラな世界へ、ようこそ。
それまで、庶民的な通りを歩いていたので、
数百メートルで、明確に区画が変わった。
道路や鉄道沿線の私有地でないところにバラック建てて住んでる人が、
恐らく、最貧の暮らしといっていいだろう。
居住エリアではないので本当は違法で、
住所不定あつかいになるのではないか。
と推定される。
日曜日公園周辺を散歩してみると、
お揃いのユニフォームでクリケットに興じる人達。
絵に描いたようなSunday in the park。
クリケットアカデミーもある。(サッカーもあった)
イクバルというインド映画を思い出した。
それから、プレムダンにボランティアに行った。
駅の近くだ。
住所のある貧困地域は、こんな感じか。
その道中、集合住宅も目にする。
この辺から、中産階級のランクインか。
中産にもグラデーションはある。
これがカーストかと言われると、うーん。
1400万人都市なら、こういうエリアはあってむしろ普通ではないか。
このくらいの貧困エリアはどの国にでもあるし、
フィリピンで見る強者の資本主義の方が厳しいと、感じないでもない。
イスラムの人多いエリア歩くと、
裕福という感じはないけれど、
だからといって、それを全てカーストで片付けていいものかどうか、
外から眺めてるだけでは、判断はつかない。(当たり前だけど)
ただ、生活レベルの全体的な底上げは、ある。成長率7%の街だもの。
緩やかに、中産階級の拡大は進んでいると想定される。
それは、身分制度を破壊する方向には、作用するだろう。
今のインドの貧困エリアで、
親と違う職業に子供が就けるかどうかは、外から眺めただけでは分からない。
靴の製造工からITエンジニアなれるかどうか、
ただ、今のインドの首相は、下層カーストの出身だと聞く。
インドにもドリームはあるのだろう。
とりあえず見てきて、言えることは、イメージほど酷くないし、
なんでもかんでもカーストに結びつけるのは短絡。だということ。
どうでもいい反面教師の例を一つ、
旅好き、話し好きで、仕事辞めてコルカタに来た中年男性が居た。
インドでは書類に個人情報記載する際、父親の名前をよく訊かれる。
母親の名前も訊かれることがある。
そんなケースに際して、彼は、
「カーストだから出生が、云々」と言った。
「ふれあいジャンキー」なバックパッカーはホントにクソだな。
一日中、喋ってる人間に中身なんか無い。
巧言令色鮮し仁とはよく言ったもの。
旅人という背景のない立場での人との交流に快感見出すのは怖いな。
って、脱線した。
父親の名前訊かれるのは、バングラでもパキスタンでも(確か)一緒だ。
イスラム教の国でも訊かれんだから、カーストのせいじゃない。
インド亜大陸全体の地域的な慣習と見るべきだろう。
もっと言えば、ミャンマーでも訊かれる。
分かりやすい例が、
「アウン・サウン・スー・チー」という名前。
アウン・サウン将軍の娘スー・チーさんという意味だ。
家系というもの、重視しながら、そうやって継承してるのかな。
個人をアイデンティファイするのに、これは特殊なやり方ではない。
日本の戸籍制度と何が違うというのだろう。
封建的な社会というのは、こういったものではないか。
未だに血縁の力強い、社会なんだろうなぁって、想像は出来るけど、
父親の名前訊かれたから、カーストに結びつけるのは、
ちょっと違うんじゃないかな。
おおやけにはカーストが禁止されてる国のVISA申請書類にも、
父親の名前の欄はあった(はず)。
ま、何が言いたいかというと、
内実が分からないのに、カーストのせいにするのは、不正確で危険。
なので、経済格差とカーストの関係には言及できない。オレには。
でも多分、
資本主義の波が徐々におよび、
10年後くらいに、インド固有の光景は無くなるかもしれないね。
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