バックパッカーが社会復帰できなくなる理由、理性と感情両方分かってこそマトモ。

若い人はマトモな人が多かった。
ここで言うマトモとは、社会復帰できるという意味で使ってる。
ま、役職や職業はその人のポテンシャル次第で様々だけど。
 
沖縄出身の若者に、「そのやり方は戦略的に賢くない」と言ったところ、
怒った姿を見て、むしろ希望を感じた。
 
 
能力があっても、一見感情のバランスがとれてるようでも、人当たりが良くても、
このままでは、社会復帰は難しいだろう。
長く日本人宿に居て、そういう人に一定の割合で出会う。
インドでは特にそうであった。
 
 
あ、初めに小狡く予防線張っとくと、
オレ、騒音とかで、人に迷惑掛けたことだってあるよ。
むしろ人より多いかもしれない。
 
 
で、特に驚いたのは、
「会社辞めて、今インドに来てます。」という人の多さ。
有給で趣味の旅行を繰り返して、最後には会社を辞めてしまう。
頭のOSが日本社会用から、バックパッカー用に徐々に書き換えられて行く。
まるでマイルが溜まるように。
チケット手に入れて、ポイントオブノーリターンを越える。
 
昔はもっとマトモだったんだろうな、もう戻れまい。
逆に、
まだ若いんだから、逃避してないで、
今なら間に合うんだから社会復帰目指せばいいのに。
そう思うこともあった。
 
 
タイの場合、私も含め、旅行者というより生活者と会うことが多い。
年金だったり資産運用だったり、生きてく分くらいは、
それなりに、始末をつけて、ウダウダ暮らしてる人と会話する機会の方が多い。
 
一方、インドで出会うバックパッカーは、為替も株価も話題に登らない。
お金を投じるということはリスク請負い、損失を許容するという行為。
彼らには無縁である。
旅の話、いや自分の話をいつもしてる。
私の目からは無内容と思える関心事を、隙あらば話し続けている。
会話の為の会話は辛いものである。
 
 
 
旅人という環境は非日常で、旅の恥はかき捨てと言われる。
他者との関係性は、
 常に、一時的なもので、いつでも好きに解消できる。
 旅人の側にコミットメントが発生する可能性はほぼゼロである。
 
 
マザーテレサのボランティアしてて、そのことに気づいた。
というか、その旅人の立場を恣意的に利用することだけはやるまい。
他人の作ったルールが守れないなら、せめて、自分のルールくらい守ろう。
其の程度の自制心はオレにもある。さすがに。
 
 
ってことを、ある記事が増幅させてくれた。
 
「子供の声がうるさい。騒音」住民から寄せられる苦情。
それを見た管理人が配布した「意見書」が胸に刺さる
http://cadot.jp/impression/4863.html

 
感情の消費を旨とする存在を引用するのは心苦しい。
が、あまりに気持ち悪すぎるので、引用。
 
えーっと、何から話そう。 
 
 
苦情は言うが、防音の申請しない。ただただ気持ち悪い。
 (原因に関わらず、)騒音が発生した。
 対処を管理側に要求。
 管理側は防音対策を発表。
 
 ここまでは極めて、健全なプロセスである。
 あとはただ、その対策に応じれば、問題解決ではないか。
 なにも、感情はいらない。全くいらない。
 
 ところが、苦情は言うが対策には興味がない。
 目的は騒音の除去ではなく、感情の消費だとしか見えない。
  
 理性が飛んで、表面的な感情だけ肥大したグロテスクさを感じる。
 
  
  
原因によって、判断を変えていいこと悪いこと、あり。
 子供の声なら良い、で、「うるさい」を抹殺するのは危険思想。
 
 子供の声、ピアノ、カラオケ、深夜の酒盛り、
 原因によって対応を変えるの?
 そのジャッジメントを管理がするの?
 
 それ、管理の仕事じゃないでしょ。
 裁判官は兼ねないよ。
 
 発生してしまった騒音に対応する。
 ということ以上でも以下でもない。管理の仕事は。
 
 1)騒音の問題は問題として存在する。対処は必要。
 2)子育て中の住民に心情としては理解する。隣人として。
 
 1,2両方が分かってこそ、理性ある大人である。
 人間は感情の動物であるが、感情だけの動物ではない。
 
 苦情は言うが対策に関心ない人間と、
 社会の非寛容「だけ」問題にする人は、双子より瓜二つである。
 
 仕事に仕事として適切に対応してんだから、それでいいじゃん。
 というのが第一点。
 
 
 次にジャッジメントは兼ねるな。という話。
 それは管理の越権行為だ。
 金持ちが人殺しても、貧乏人がヤっても、
 殺人という罪に変わりはない。情状はあってもそれ以上ではない。
 それが社会のガバナンスというもの。
 
 その判断を管理に任せると、
 仲良ければカラオケOKで、仲悪ければ子育てNGとなるよ、いずれ。
 
 
 
こんな話を聞いた。 
ある会社で、法務部がうるさいという。
重箱の隅を突付くようなことばかり、大局を判断できない。
これじゃ契約を締結できない。ビジネスチャンスを逃してしまう。
担当者だったら、法務部を敵視する。
 
でも、それ違うよね、
法務部は法務部の仕事してるだけということが分からなくちゃ。
会社の体制の構造が客観的に頭に入ってなければいけない。
 
判断すべきポイントはどこなのか、
どういう条件を満たせばセーフで、どの欠落がアウトなのか、
その共有が第一のポイントで、
 
アンパイアはストライク、ボールの判定はするが、
ストライクゾーンとは何か、はルールブックに規定されている。
審判の癖や裁量はあるけど、ルールの認識は共有されている。
 
問題は、ルール自体はあって、法務がそれに則っているのか、
基準自体が法務のさじ加減一つなのか、
組織のデザインがより重要なこと。
 
ルールの決め事すらなくて、法務次第なら、
それはそんなグダグダな会社なんだよ。経営の問題じゃん。
目の敵にするのは法務じゃないじゃん。
そんな中で法務の仕事するストレスにむしろ同情するよ。
 
其の程度のことは、その場に居たら眺めて把握しろよ。構造的に。
誰に教わらなくても。最低限の客観性は自分の中に持たなきゃ。
 
 
社会復帰難しいバックパッカーには、その客観性は既に壊れて復旧不能だ。
恒久的な関係もコミットメントも、無いんだから。「ム」だもの。
そんな機能は必要ない。
テンポラリーな「ふれあい」が刹那に出来ればそれでいい。
その快楽を最大化するよう、OSに組み込まれている。
 
 
 
世界中を旅する40前のもう戻れないバックパッカーと、こんな話をした。
オレは感情のバランスが壊れてるから、ちょい激怒気味に。
 
独墜落機の副操縦士、過去に「深刻なうつ病」で精神療法=報道
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0MN0OM20150327

 
この件、真相はまだ確定でない。
が、そこで止まると話し進まないので、
「原因は副操縦士の精神疾患らしい」から始める。
 
ジャーマンウイングはLCCなので、遺族への賠償金も安いらしい。
バックパッカー曰く、「遺族の感情が大事で、賠償金が低いのは問題」らしい。
LCCの賠償金がレガシーのそれより格安なことをことさら問題にしていた。
 
 
それが問題になるとしても、
(金額と遺族感情に関連あるかどうかは、今は置いておく。)
それは民事側の問題で、
深刻なのは、精神疾患を知ってて搭乗させつづけてたのなら、
予見できない過失では済まない。
経済性の為、安全性に目をつぶったのなら、それは犯罪。
刑事的に裁かれなければ。
 
これは心臓発作を起こす可能性あるパイロットを飛ばし続けたのと同じこと。
(真相がそのとおりなら)
 
そのバックパッカーはLCCかレガシーかに拘り、賠償金の額を問題にしてたが、
その安い高いは、LCC乗る時点でリスクと値段をどこまで天秤に掛けたのか、
チケット買う側にも裁量の余地があり、
そういうことコミコミで額の妥当性は相対的に争えよ。
 
最大多数の幸福的な言い方敢えてすれば、
遺族の感情より、明日も飛行機乗る人間は充分大量にいるんだよ。
 
航空会社の社会的責任は、賠償がどうという前に、
飛行機を飛ばすことそののも社会性があるんだよ。
それはレガシーもLCCも一律。
レガシーでも羽田沖で逆噴射したこともあったんだよ。
 
ドイツの法律を知ってるかどうとか、関係ないよ、
航空業界そのものの問題。
 
 
安全性を犠牲にするような悪意があったとなると、
制裁が無いのは困るんだよ。
 
さらに、
肉体的健康診断だけでなく、メンタルチェックも徹底するよう、
航空業界全体で考えてもらわないと、困るんだよ。
 
明日も乗る身だから。
 
 
 
配慮とか寛容とか、兎角、美しい情緒な言葉でお茶濁すの日本人得意だけど、
それ、民度の高い社会だとは思わないよ。
 
航空の歴史は事故の歴史だと聞いた。
事故の記録を取り、原因究明し、対策を繰り返すことで、
こんにちの航空ビジネスが成立していると聞いたことがある。
 
そういう社会性、科学性ある人材が多く、航空産業に関わったことに、
オレは感謝しよう。
 
 
理性弱い大人か、利に聡いことにしか理性使わない大人か、
そんなのしか居ない、クソな社会を憎んだ、子供時代から、
オレはあまり成長していない。
 
奴らと同じように、
理性的に問題解決に取り組む能力が低い人間なのかもしれない。オレは。
 
 
その憎しみは今も変わらないけれど、
そうではない人達が居ること、居たことに感謝出来る程度にはなったか。
 
人は歳を経たから賢くなるような存在ではないけれど、
 
もし出来るんだったら、社会復帰した方が、まだ多少値打ちがあるのかと、
思わないでもない。
 
ボランティアしたご褒美をマザーテレサがくれたのかもしれない。
 
ま、自給自足を実現して、
もうちょっと世捨て人になれたらいいなと思っているんだが。 
人と接して、いいニュースはあまり聞かない。
 
小国寡民が理想だと、ニュースは教えてくれる。
 

質問コーナー、お問い合わせは、sanpome.net@gmail.com まで。
メルマガ 三歩目の不動産投資で海外移住。





無料メルマガ インフォマグ


社会・経済ニュース ブログランキングへ

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村

カテゴリー: ベンガルの旅2015初頭 タグ: , , , , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*