駆け足で沖永良部島。ご縁がない理由を考える。

[2015.10.29]
沖永良部島に行ってみることになった。
 
奄美での農業のバイトを探したとき、
沖永良部島でのジョブがヒットしたのだが、
携帯でないと連絡が取れず断念した。
固定電話でよければスカイプから掛けられるのだが、
メールでのやり取りも好まない様子であった。
 
結果としてWWOOF制度を利用して今、与論島に居るのだが、
金銭のやり取りの絡む契約が不成立だったのは幸運であった。
 
その時は沖永良部島はご縁がないと考えていた。
それが今回、WWOOF受け入れ先のご提案で、一泊二日の滞在となった。
移住先候補としてよりも、自ずから、
与論島始め他の島との比較という視点で眺めることにはなろうか。
 
 
 
ウィキペディアで予習したところ、
与論島とは規模が違う。
観光はそれほどでなく、農業の島で特に花が盛ん。
徳之島とは違いサンゴ隆起でハブは居ない。
 
徳之島は薩摩の雰囲気残し、沖永良部島は琉球の方に近い。
気性が荒い徳之島と、穏やかだがハッキリしない沖永良部島というのは、
そういうことなのかと、想像した。
 
 
 
12時に乗船。

因みに、2つのコンテナがフェリーの窓口、与論島には待合所はない。
 
買っておいた弁当をフェリー内で食べると、後は寝るくらいしかすることがない。

たまには懐かしの味をいただく。
 
午後2時ごろ到着。

 
翌日の午前11時には港に戻る予定。
あまり散策出来ない。
和泊港から市街地までを歩く程度だろう。
 
 近隣の農業の様子。
 街の様子を確認するので、精一杯。
 
 
沖永良部島の土地勘は全くない。
とりあえず、待合所兼観光案内所に立ち寄る。

マップを入手し、待合所のWIFIに接続。宿のありかを確かめる。

大きな街は2つ、知名と和泊。
明日昼のフェリーで戻るので、泊まるのはここ和泊周辺。
アタリをつけて、和泊町の市街地に向かう。港から西に歩く。




 
 
 
和泊町たぶん最安の宿にチェックイン。
市街地を歩きまわりいろいろ探してみたが、港近くのココに決めた。

食事はやってないみたい。
ネットで探した3000円の宿も実際は3500円。
どうやらシングル素泊まりの相場は3500円、バックパッカー向けの宿は無い様子。
 
WIFIフリーで、テレビ付き。エアコンはコイン制。

トイレとシャワーは室外。

部屋は清潔だった。難点は少し壁が薄いか。
ま、コスパ的には充分かな。
 
 
 
西郷ゆかりの地で、
チェックイン前に、西郷記念館と南洲神社に立ち寄る。

 


書と漢詩は川口雪篷という書家に島で学んだ。

 
西郷隆盛は2度島流しに遭っているというが、
1度目と2度目ではぜんぜん意味が違うそうだ。
最初は、幕府の追求を逃れるため薩摩が奄美大島に匿った。
次は、単独行が過ぎる西郷に島津久光が激怒し、政治犯として流刑。
与論島では役所が無いので、徳之島から沖永良部島が薩摩の最果て。
 
吹きさらしの牢に監禁されていた、
死刑には出来ないので、島でこのまま病死してくれればいいと、
土持政照という役人が見るに見かねて、西郷の窮状を救ったという。
 
薩英戦争後、時代が西郷を必要として、鹿児島に呼び戻されるまで一年半。
島で、教育の普及と食料備蓄の必要などを説いたという。
 
 
館の方に案内を受けたのだが、
西郷どんに対する敬愛の念が伝わってくる。
地元の誇りになるものがあるのは、意外と大きなことである。
 
立地を活かして勤勉に農業に励んだのは、いわゆる「南の島」のイメージとは違う。
観光より農業の島。
主権国家たる自衛と自営を説いた人。
 
今でも、教育と農業を大切にしている。はず。
公民館と図書館は門弟の子孫が和泊町に寄贈した土地に建てたという。

この日はあいにく休館日だった。
 
 
 
和泊の商店街はご多分に漏れず、
パチンコ屋ないこともないが、荒れた感じはない。
おみやげ屋あるにはあるが、あまり活力は感じない。

商店街が衰退気味といっても、既に郊外型に街がシフトしたのか、
周りは、住宅地も広がる。
 
生協など大きめのスーパーはもう少し西の方、
徳洲会病院は知名の方、
ファミレスは見当たらない。
 

物価は高くない、暮らすには困らないけど、
車ないと不便だろうなぁ。
 
 
 
電照菊かな、サトウキビだけでなく。
海岸沿いから内陸に登ると畑が現れる。

たぶんキクじゃないかなぁ。ビニールハウスじゃないんだ。
 


ハウスはビニールでなく、蚊帳のような。
台風でやられるのと、温度は充分なのとで、このような形態かもしれない。

光だけは人為的に調節して、開花を早めるのだろう。
 

変わった匂いがした、牛とかの堆肥じゃない。

たぶん魚粉。
 

勿論、サトウキビ畑も多数。
 
 
ユリが有名で花は特に盛ん。 

農業は確かに盛んで、
「与論より10年は進んでる」と言われる故あり、
メガ農家も居るのだろう。与論とは規模もかなり違うのだろう。
 
 
昔、砂を運んで農地改良したと書いてあった。
赤土は思いの外粘土質で、水はけを考慮してのことだろう。
大掛かりに行わていたと想像される。
 

逆に、現在の整地では、土砂の流出を考慮せず畝を破壊するため、
赤土が海に流れ出してしまうらしい。
これがサンゴの生態系に影響与える。海が汚れてしまう。
奄美群島全域での課題みたい。
 
 
 
鍾乳洞やビーチや琉球時代の城跡などもあるけど、 
日程的に和泊周辺しか歩く余裕はないので、
自衛隊基地も見れない。
折しも、こんなニュース。タイムリーなのだが。

アメリカの駆逐艦、中国が造成した人工島の「領海」に侵入へ
http://www.huffingtonpost.jp/2015/10/26/us-destroyer_n_8395494.

 
沖永良部島に戦車など陸揚げ 自衛隊が訓練
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151027/k10010284151000.html

 
近くの公民館らしきとこに、ピカピカの車両。

夜は佐賀のニュースやってて、
自衛隊はいいけど、海兵隊はイヤだって。
まあ、確かに人の種類が違うからなぁ。
沖縄で、米軍が飲み屋街見廻り組が警備してたの思い出した。
自ら、呑んだくれた兵隊取り締まってるという。
 
佐賀はノーと言えて、沖縄はダメでは、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151028-00000111-jij-pol

こりゃ揉めるだろう。
 
自衛隊の需要は暫く続く。
 
 
 
晩酌は宿のそばの炭火串焼きで、
6時前に近くて開いてるお店無くて一択。
 
串盛りを頼み、その間、ビールと豆腐で自分を労う。
ま、限られた時間での情報収集は出来た。
 
早い時間から開けてるのは、大将の几帳面さだろう。
キレイにディスプレイされた串を見てそう思う。

 
 
串盛りはゴージャスだった。焼酎は地元の「天下一」、
コクがあるのに雑味なくすっきり。2杯頂く。

 
ホタテ、厚揚げは追加。 
 
豚足も追加。

焼きでプルプルは絶品だった。
 
健康のため、取ってつけたようにサラダ頼む。

 
炭火のチカラと素材を活かす軽めの味付け、美味しゅうございました。
〆て4350円。コスパも充分だと思う。
 
 
 
この島にはカフェもファミレスもない。
翌朝、どこで食事しようか、
散策してて思うのだが、カフェが無いのは難儀だ。
他の島ではそんなこと無いのに。
 
とりあえず、商店街で弁当を買う。
もしカフェ見つかれば、これはフェリーの中で食べよう。
 
 
ようやく一軒見つけた。

モーニングセット600円あり。

なかなかのボリューム。
 
今日のフェリーは和泊港に着くと教えてもらう。

港へ来た道を戻る。
 

海底の砂を採掘していた。
 
11時過ぎに待合所に着く。

 
 
 
西郷という人は高潔な人格者だけど、ドリーマーだから。
島流しされてなければ、
決起に早って薩英戦争あたりで早死してたろう。
仮に、島津に重用されたままでも。
 
で、天下国家の大事には必要だけど、
現実路線な政治となり出して、用済みということかな。
逆に高潔な人格を見て、島の人が助けたのだから、
運命は性格だと思う。
 
 
ところで西郷どん、奄美大島に匿われたときは、
現地妻が居て、子供も設けている。
その後、鹿児島に帰って、また結婚してる。
 
これが現代だったら、もう少し揉めそう。
「七人の侍」と「荒野の七人」ではエンディングが違う的な。
 
まあねぇ、
バックれて戻る男と一緒に代々木八幡の大使館に行ったこともあります。
ハンコもらって帰って渡しましたよ。
ワタクシは初めから風来坊なので、対象になりません。
 
 
でまあ、流刑と現地妻といえば、宇宙編。ダウンロードした。

鳥とか植物で、異文化を生きることや現地への同化を暗喩する。
 
子供の頃とは印象が違う点あり、
 「2001年宇宙の旅」と似て過ぎね、どっちが先だっけ。
 絢爛なコマ割り。ストーリーだけでなく表現も素晴らし。
 ヒロインは意外と小悪魔で性悪だった。
 死なないと知ってるなら、殺すの意味無いじゃん。
 
そして、
永遠のワダチを生きるという罰と、流刑とは別の罰じゃん。
どっちかにしてやったら?
 
何もない最果ての地では、
あんがい罰にならないんじゃないの。
それこそ、植物のように平穏に永遠の命を全うしてしまう。
 
人間(じんかん)を生きるからこそ残酷なのに。
 
 
薩英戦争の際、西郷は鹿児島への無謀な帰還を試みていて、
島民もそれに協力している。
引き止められたらどうしたんだろう。
愛憎渦巻かなかったのかな。
 
 
金融と人間の本性に精通してた分だけ、大久保の方が長持ちした。
 
ま、いずれ発展は行き詰まるのだから、
ブームに踊らず、自給をキープ。それはそれで卓見だね。
きっとメガ農家もいるのだろう。「マツコの知らない世界」で紹介されたように。
 
 
 
沖永良部島にご縁が無い理由
メガ農家を目指すなら、アリかもしれない。もし土地借りられるなら。
 
徳之島が一番生活には便利だと思う。
でも、そこも話は出なかった。
 
奄美大島は移住のイメージが違うし。
 
 
で今、与論島に居る。
小さくていいから、自給自足を実現する。
そう考えるなら、与論島が適しているのかもしれないね。
 
農作業手伝ってても、
大規模、機械化された商業的なものじゃないもの。今なら。
 
4つの島巡って、
自分の目的からすると、これで良かった。
たぶん、何かしら意味があるのだと思う。


では。

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カテゴリー: 沖永良部島, 移住先を探して, 農業 タグ: , , パーマリンク

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