喜多方で絲山秋子「薄情」 良いよそ者という距離感 <山都便り>

「人間関係はかけ算だなぁ ただ、神様への祈りだけは足し算だったらいい」

というオサレな惹句に惹かれ、偶然手にとった、

 
知人のクルマで喜多方に行く。
午前迎えに来ていただいて、昼買い物。
別件で用があるというので、夕方図書館の前で拾ってもらう。

買い物の後、ファミレスでランチと安酒で長居してしまった。 
ほろ酔い気分で、1時間程度しか猶予がない。
  
本は読みかけのまま山都に帰った。
いっそ借りてしまおうかと思ったが、返却は重荷だ。
 
 
途中であっても、
震災後の群馬県高崎市が舞台の、地元民と移住者との物語だということは分かった。

よそ者が本当によそ者になるのは、よそ者と言われた瞬間からなのだ
地方都市に暮らす宇田川静生は、他者への深入りを避け日々をやり過ごしてきた。

  
どんよりとした、寒々しい季節の喜多方で、読むと、

まるで我が事のようにシンクロする。 
ここは高崎よりも冬は厳しかろう。まして山都は。
  
谷崎潤一郎賞受賞作だと後で知った。
カスタマレビュー評価は賛否分かれてるようである。
この空気感、実感できる人とそうでない人の断絶は深いと想像される。
 
著者のインタビューも見つけた。 
https://www.sinkan.jp/special/interview/bestsellers77.html
ワタクシは番外地に住んでいる、お陰で町内会の回覧板も廻って来ない。
他者を気にせず暮らすには絶好のロケーションである。
長く居ると、関係は変化するものだろうか、
いまくらいの距離感が心地良くて、こんなに寒いのに長居してしまっている。
  
  
山都への入り組んだ坂道をドライブしながら、
助手席のワタクシは訊ねられた。
 
-普段はどんな生活なのか
 パソコンに向かって、幾つかの作業をしてる。
 外に出るのは、買い物に行く時だけ、なんと言っても寒いもの。
 でも雨が降らなければほぼ毎日。

-山都での交流は 
 買い物で言葉を交わす程度、でもそれでいい。
 
-仙人みたいな生活したい人には、うってつけの場所だね
 はい、ただ灯油は買わないと生きていけないし、
 貨幣経済に背を向けてる訳じゃないですよ。
 
-海外ではどうだったの、言葉とか、
 基本、今と変わらない。
 数字さえ分かれば、買い物は出来るし、
 英語通じるとこも多いし、
 通じなくともそれくらいは意思疎通出来る。
 ベンガル語の数字の読み方とか、必要なら覚えるもんです。
 今、日本語でしてることと、あまり変わらないし。
 
-今とどっちが快適なの
 そりゃ、海外に居るほうが。
 寒いとこには行かないし、飽きれば移動しちゃうし、
 人付き合いの煩わしさが無いのは変わらないけど、
 開放感はあるもの。
 
  
人間関係は掛け算だから、ゼロには何掛けてもゼロ。
それはそれで、心地良いことである。
 
買い物の途中、神社に立ち寄ったりはするけどさ、
祈りくらいは、足し算であってもよいとは思う。
   
 
もう移動しようかと、しばしば思うものであるが、
寒さに耐えかねて、また灯油を買った。
 
 
 
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