労働そのものに特別価値がある訳じゃない <労働再入門>

職場という場所に居ると、4月は人の出入りも激しい。
まあ、30代くらいで一度、キャリアの転換期来るよね。特にITエンジニアだと。

で、改めて思うのは、
働いてるだけの人って、さほど尊敬する気になんない。
良い方向で価値の交換を実現しててかつ、リスクテイクもしてる人が尊いと思う。
 
 
目的よりも、仕事してること自体が好きなんだろうなって人を見てて、そう思った。
「仕事好きな人」ってことで憶えられたいか?
 
どうせ働くなら、もうちょっと手広く、価値の交換が出来る人になりたい。 
 
 
うーん、価値の交換の結果として、リターンを得たいよね。
昔の職場で、「おいしい」仕事で喜んでるようなレベルのとこあって、
まあモラルの低い大手メーカーの子会社のシステム会社だったけど、
そういうとこに居ること自体、自分のキャリアにとって損失だから、急いで辞めなきゃ。
 
どうしても労働は、時間をおカネに換える行為だから、
リスクテイクをすることに比べると、限界を感じてしまう。
 
といっても、取り立てて何してる訳でもないんですけど、
 
 
 
ITエンジニアである程度以上からは、どんな価値を提供して生きて行くか、
考えてないとヤバイとは思う。
 
ワタクシ昔、ぶち当たった壁で、結局、
マネージャーとして、人使う方にシフトするぐらいしか、転進の道ないんだよね。
 
アスリートにも似てるとも言える。
生涯現役って、道も無くはないけど、それだって、
若い人方が安くて、伸びしろあるから、山本昌やカズやイチローみたいになるのは、
マネージャー目指すより、たゆまぬ努力必要そう。
 
せめて、技術革新が起これば、人より早く新しいの習得するって道あるけど、
停滞してるときは、スペシャリストはコモディティ化しやすいから。
 
 
30くらいで、一度は転機迎えることになる。
この先、どう進むのか、
単に、労働力を提供するのでは、正直キツイ。コモディティ化は先がナイ。
 
 
ただ、マーケットはごく狭くてもよくて、例えば、
その職場がマネージメントボロボロで、自分がまとめるの人並み以上なら、成立。
技術力低いとこなら、人並み以上に高けりゃOK。
だったりする。それが希少でかつ需要あれば、

逆に、創造性要求されないルーチンワークで、オリジナリティ発揮しようとしてもムダ。
魚いないとこに投網打っても。
 
 
交換が成り立つところで、好きと得意が一致するといいね。
って、去ってく人、やって来る人みてて思う。
 
 
 
ただ、どこかで早いうちに、リスクテイクする訓練はしといた方がいいよ。やっぱり、
「サラリーマンとして働くことが好きな人」と憶えられるのは個人的にはちょっと辛い。
 
そんだけ経験あるなら、自分でオリジナルな価値提供したいなとは思う。
当時、そこのジャンプアップが出来なかった。
募集してる案件に、手を上げるだけだもの。
 
まあ、とりあえず頑張っておカネ稼いで、
その原資で次考えるでもいいんだけどさ。
 
残された時間少なくなってくると、より時間は貴重だなって、働いてみてあらためて思います。
働いてると、退屈せず時間は過ぎてくもの。
それが怖いです。
 
 
何もせずに、散歩してビール飲んでるだけの日々と比べて、
働いてるから、尊いとは思わない。
 
取引するもしないも、自由だもの。
愛せない組織に属することでおカネと交換するより、
建物に代わりに生活の場提供できる方がよっぽど幸せ。幸運だ。
 
 
去る人、来る人見てて、
自分の居る環境で、よい価値の交換成立するといいね。って。
 
思いつつ、ひるがえって、
意義もある仕事してるんだけど、もうちょっと価値の交換、手広く出来なくちゃ。
 
 
 
ちょっと、バタバタしてて不規則な更新になります。

 
 
質問コーナー、お問い合わせは、sanpome.net@gmail.com まで。

  
 

社会・経済ニュース ブログランキングへ

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村

カテゴリー: 2017, プログラミング パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*