幸福学については、この本一冊で充分。よくまとまってます。
宝くじに当たるのは幸運、幸運と幸福はあまり関係が無いのは予想の範疇。
しかしSocial,Kind,Presentが幸福の三要素と解読したのは、凄い言語化。
東京暮らしで、幸せになる方法を習得しようと思った次第。
えーと、東京で働いてみて、
やっぱ、
福島で暮らしていたときより、幸福度は落ちるかな。働いていてもいなくても。
予想通りとはいえ、便利なのに、何故だろう。
これから暫くは東京で暮らすつもりなら、幸せになる方法を習得する必要ある。
むしろそれをテーマにするくらいで丁度いい。
ここでいう幸福は、一時的な快楽ではなく、
静かでも、持続的で、日々満ち足りた状態。
「パターソン」観た後だし、
ああいう精神状態を維持したい。
で、結局人との交流は福島でも、東京でもさして変わらない。
自然に囲まれている分、気持が安らぐのかな、
回りに人居ないから、集合住宅よりストレス低いのかな、
寒さがなければ会津の山奥の方が幸福。
それでも、価値の交換の豊かさというか、Social(人との交流)がないとダメかと、
そう思って東京で働いてみることにした。
うーん、ただ働くだけじゃダメだな。
大体引退したのは、働いても働いても、虚しさが募るだけで、
抜本的に人生変えなきゃって思い立ったのがキッカケだもの。
幸福とは真逆の虚しさに負けて働くの辞めたのだもの、
働いただけで、幸福得られる訳もなく。
至極当然の結論に再び達して、
自分の人生に幸福の総量増やさなきゃって、思い直している今日このごろです。
でまあ、幸福学の本何冊か読んだのですが、この一冊で充分でした。
物質的な満足には限界効用があること、いろんな例で語られます。知ってた。
あと、虚栄に属する分野で消費したり、名声得たりしても、それは一時的な快楽に属する。
って、別の本にも書いてありましたが、それも知ってた。
その辺は仕事辞めるときの準備で、ある程度は把握してた。
ただし、Social,Kind,Presentの三要素で構成されるということは知りませんでした。
なんとなく感じてはいましたが、そこまで明瞭に言語化も出来てませんでした。
Social(人との交流)が無いと、辛いというのは、
会津の山奥に居て、実感したことなんでしょう。
当たり前なんだろうけど、家族との関係が良ければ幸福度大きいらしい。
でも、オレに家族は居ないし、むしろ積極的に断捨離したし。
ユルイ関係のなかで、Social見つけるしかないね。
ああ、その上、遺伝子に刷り込まれた本能と、幸せも別物らしい。
遺伝子的には、私の命は遺伝子の乗り物で、
遺伝子を次に送る為に生きて、生殖すべきなのだが、
生殖の予定はとりあえず無いし、
生き延びる為には、危険を察知する能力の方が、幸せを感じる能力より大事だ。
たぶん、幸せになることは本能に逆行する行為が必要だろう。
東京に居るうちに、幸せを感じるSocial確立しないと。
それがテーマだね。
Kind(親切)は、ちょっと以外。
親切と感謝は対になっているらしい。
で、興味深いのは、
「一日一善」では幸福感は向上せず、
「週に一日だけ、5つの親切」だと向上するとのこと。
ある程度連続的に数こなさないと効き目が無いそうです。
これは、日々の工夫で幸福度上げられそうですね。
Present(今ここに在ること)は、マインドフルネスとか禅とかのやつ。
瞑想は良いものらしい。スマフォは悪いものらしい。
今、目の前のことに集中できるかどうか、これが幸福度に大きく影響する。
まあ、状態と精神の一致ですよね。
なるほど、
意義を感じられない仕事に時間を費やすことは、幸福を減退させるね。
日本に帰ってくるまでの時期は、
Presentが満たされていたから、幸福だったんだねぇ。
体感するものが、日々新鮮だし、
適度に緊張感あるのも楽しかったし、
で、その日々の新鮮さが、旅続けても減退したんだな。
まあ、旅にも飽きると幸福度も減る。
ホリエモンが泳いでないと死ぬ。ようなのと対照的なこと。
まさに「パターソン」的なこと。
かつて仕事で消耗していった理由もよくわかる。
前とは違うこと、実現しないとなぁ。
自分が昔と変わって、状況変える。そのプロセスの必要を知った。
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