渋谷でしか演ってない、ミニシアター系といえど、もう少し公開規模あってよい映画。
たまたま渋谷に用あってついでに観た。
とりあえず、巨匠カウリスマキの作家性を堪能。それだけでモトは採れた。
寒風吹きすさぶ中、木造船が漂着するニュースが日々報じられる島で、
この映画の難民問題への反応は相変わらず違和感を感じるけれども、
めんどくさい話はさておき、
主義主張に流されず、作品のクオリティを保つ銀熊賞納得の出来。
これ日本で撮ったら主張+三丁目の夕日なベタ映画になりそう。
そこに落ちないのは、至宝。
デジタルでない、目のご馳走、耳のご馳走
寒いけど柔らかい色彩。絵本のページをめくるように映像が続くので、
おとぎ話の中に居るような気分になる。
デジタルに抗う35mmフィルムのなせる技か、
そういえば、こういう風に視覚に拘る映画減ったよなぁ。。
画面に登場する車のように、どこかレトロで現代感覚を失わせる。
音楽も基本、バンドによる生演奏。
しかも、フィンランドの著名なミュージシャンばかりらしい。
映画じゃなく、舞台を観てるんじゃないかと、錯覚してしまう。
デジタル処理でないライブ感、手触りが伝わる。
伝わってしまうが故、クオリティは落とせない。
余計なことはしない引き算の演出を可能にするのも、細部に神宿るから。
ハリウッドならCGに頼り、日本の実写なら説明セリフに頼リガチ。
このコストの掛け方はもう不可能かも、三丁目の夕日と似て非なる現代のおとぎ話、
それ堪能するだけで、充分にリッチな時間でした。
北国のかおは無骨でないとね
男性のみならず女性も、役者さんの顔がいいですね。味わい深い顔。
寂れた港町の無骨な方々、
巨匠にとっては、手慣れたことなのかも知れないですが、
キャスティング。顔のチョイスが素晴らしい。
また、こういう顔の役者さんが居るってことがイイですね。
日本なら國村隼とか、
韓国映画のコクソンで監督が、顔でキャスティング決めたと言ってたけど、
綺麗な顔ばかり見せられても、フックが無くて物足りないですものね。
ああ、シンゴジラも役者は顔で選んだって聞いた気がする。
顔素晴らしくて、かつ余計なことさせない。ジャニーズな顔は居ない。
圧力から自由に作れるって、素晴らしいことですね。
フィンランドと言えば、今話題のトーベ・ヤンソンか? でもスウェーデン系だし、
あとF1とかジャンプか、
個人的には、
ノキアな日本より高い一人あたりの生産性、通貨の電子化、ベーシック・インカムとか、
先進的なイメージあるのですが、
作中お金は全部紙で、カードも使いません。(小切手あると嘘つくシーンが一箇所あるだけ)
そしてとても不景気そうです。
寒そうですが、道端で寝ても死んでません。
現実にはシュっとした顔の人も暮らしてらっしゃると思いますが、
乾燥した空気の三丁目の夕日の世界、構成するには顔は最重要課題だと思われます。
顔のチカラで、この作品成り立ってます。
日本じゃ迫りくる顔面なのは高橋英樹くらいまでですから、
この辺も、古き良き時代を感じさせます。
最近こういうの味わうことレアだなって、だけで充分ですが、
それ以外のことも書いとく。
ストーリーの提示、特に宗教とか
前半、オーナーと難民が出会うまでは、ちょっと退屈で眠たいかも。
状況説明に時間掛かる。ペースは坦々と一定ですからね。
また、博打で資金調達とかご都合すぎるという批判もあるかもしれません。
それでも、無駄なく最小限度の構成で進行してるので、
それはそれで良しとします。
フィンランドでは難民認定の審査が警察らしいのですが、
警察への道順を訊かれた駅の窓口の人が、「お勧めはしないけど、」的なこと匂わせます。
作中、あのアレッポで認定されない。朝来いと言われて昼過ぎまで待たされる。
官僚主義的で難民に非寛容な状況が提示されます。
庶民が匿うところは、まるで大戦中のドイツのよう。
状況説明の中では、
ともかくも、宗教的なこと、日本では縁遠いなあと、実感します。
難民がなけなしのコインを何度か喜捨する姿描かれますが、
日本人は世界で稀なケチな人たち、お金しか信じてない。って話思い出します。
寄付とか喜捨とか、宗教的なバックグランドないと、そういう感覚ないんだろうな。
ああここは、こないだまで、労働が宗教な世界一成功した社会主義国家だったのだもの。
SNSでの実体験でも、
それなりに裕福な投資家でも、精神は必ずしも豊かとは限りません。
税金に取られるという話には積極的でも、その代わりの寄付とか貢献は意識にない。
うーん、その点は、日本の方が特異と観るべきかとも思います。
極右なネオナチに絡まれるとこも描かれます。
最後ネオナチは「ユダヤ教徒め」と捨て台詞吐きますが、
セリフ過多かとも思いましたが、
難民では、働こうとしても難しいことも、先住者のイラク人から提示されます。
匿われてれば、待遇悪かろうと一所懸命働きますよそりゃ居場所確保ですもの。
移民難民の区別なく、経済的基盤を脅かす憎悪の対象としての、よそ者。
その象徴としての「ユダヤ教」と思うのです、
暴力的な極右は無知という解釈は、リベラルな方々お得意の論法に落ちそうで嫌です。
バカと言う方がバカ、無知という方が浅いのはありふれた話ですから。
おっと脱線。
セリフと言えば、イラン人とはアラビア語で会話してるみたいです。
わたしにゃ判別出来ませんけど、
犬のシーンで「アラビア語でイスラム云々」というシーンがありますが、
宗派違えど、大きくは同じ文化圏ということでしょう。
ワタクシ、アラビア語圏を旅したことないです。
パキスタンにも、バングラデシュにもクリスチャン居ましたけど、アラブ世界のことはわかりません。
イラク人とシリア人がビール飲みながら母国語で会話するのは象徴的だなぁ。
宗教に拘らない、同じ境遇の同胞感。
この辺日本に伝わりにくそうと思いました。
個人的な経験でいうと、
バングラデシュのパキスタンからの独立を説明しようとして、
なかなか分かってもらえませんでした。
そこは宗教の対立じゃなくて、民族の問題。スンニ派vsシーア派じゃなくて、
雑に言えば、ヒンズー教vsイスラム教で東西にイスラム教の人工国家が出来て、
その国は言語も民族も様々、宗教を旗印に独立。
東側のベンガル人だけ、孤立して更に纏まった。宗教じゃなくて民族の違い。
あと、パキスタンにもシーア派もいて、しばしばタリバンのテロの対象に遭う。
警察でシリア人は宗派を訊かれます。
スンニ派かシーア派か、アラウィー派かと訊かれます。
「宗教は棄てた」と答えます。ビール飲むのは不信心だからじゃない。
ここは、
ミサイルで家と家族失ったが、
政府か反政府か、ロシアかアメリカか、ヒズボラかISか、知らないというセリフが対比します。
更に無神論者かと訊かれ、無宗教ということで落ち着きます。
これも日本じゃ分かりにくそうと思います。
ポール・ヴァーホーヴェンみたいに、神は存在しないと信じる人と、
宗教を持たないことは違います。
日本人の多くは無宗教で、無神論者という訳じゃない。
喜捨はするけど、
宗教は持たない、持っても幸せになれそうな気がしない。
この辺の心情は日本で伝わんないのは、観客として損な気がします。
あと、原題が分かりにくいっぽいです。
フィンランド語で「それでもなお、私は願う」的な意味。らしいです。
英語は「希望の別の面」ですから、英語のタイトルもちょっと違う気がします。
otherじゃなくて、overとかbeyondじゃないの?
日本語のは、ニュアンスは分かるけど、逆ですよね。
西原理恵子の「ぼくんち」みたいな絶望の果ての希望っぽいですよね。
天国のような地獄。地獄のような天国。
現実はきっと、もっと無慈悲で、
親切な人に出会えないかもしれない、
悪役が分かりやすい悪役とは限らないかもしれない。
盗んででも、生きなければイケないかも、
誤って、殺す側になってしまうかもしれない。
難民同士いがみ合うかもしれない。
居場所がないというのは、もっと残酷かもしれない。
それでもなお、希望を描く、
怒りや告発でなく、願うということですよね。
テーマに対する表現が実に適切で、手腕あっての作家性で、
続編も大変気になります。
適切な題名は何かと、フトこのタイトルが思い浮かんだ。
あと、映画と離れて難民とかの話。
それでも、お花畑な善意で地獄への道は敷き詰められてそう。
日本の人は遠い話と言うんですけどねえ、
こんな季節に木造船で日本海に出て、漂着する人が居るのに。
選択肢があれば、そんなことしません。
拉致すらできるのに、潜入者は万単位でいると言われるのに、
そんなブサイクなスパイ作戦は辻褄が合わない。
そりゃ、食い詰めているんですから、掻っ払いくらいするでしょうよ。
犬出てきますけど、
殺処分可哀想なだけで多頭飼しても崩壊するに似て、
ただ可哀想では解決しません。
一方で、奇形腫のブリーディングは人道的に如何なものかと思うのですが、
テレビではマンチカンもスコティッシュも「かわいい」と放送されます。
年末年始に報道のあり方のテレビ番組あった気がするけど、
筑紫哲也は報道は左翼でって、路線決めたらしい。
で、何かで聞いたの思い出すのが、
拉致被害が明らかになったとき、ショックを受けてたらしい。
そのことに私はショックを受けました。
被害家族に証拠はあるのかと詰め寄る議員とかは、
承知の上で、利害上、意図的に北に同調してるのだと思ってました。
旧メデイアとか、圧力とかお金で、そういう報道なのかと想像してましたが、
筑紫哲也は拉致はデマだと信じていて、報道してたらしい。
心底戦慄した。てっきり情報掴んだ上でのことと思っていた。
悪意は意外と勝手に自滅してくれますけど、
無知は罪で、善意な無知って殺傷力高いなぁと、驚いたの思い出します。
ああ、この映画も、
「差別がー」的なのに利用されるなら、渋谷だけでヒッソリと上映でいいや。
で、一方で、現実的な話しようとしても、
ここは、難民と移民の区別も出来ない島。
移民は政策上の問題で、ノーならノーでいいよ。
難民は反対して済む訳じゃない。
台風反対といえば台風が列島避けてくれる訳じゃないことも、
戦争反対といえば平和な世界になる訳じゃないことも、
知ってる分別あるなら、難民と移民も区別したらどうか、
いつ何時、なにかあって、
食い詰めた人たちが、佐渡ヶ島あたりに漂着しても不思議ではないのに、
溺死した赤ん坊の写真が世界中に配信されても、
断固ノーと言っていれば済むと考えるのは、
オレには、想像力の欠如に見えるんだけどなぁ。移民じゃないんだよ。
個人的には、
この島で暮らすことの馴染めなさ、再確認してしまった。
なんか不気味。
悲惨さと幸福度も関係無い。
だそうです、幸福学曰く。
あと、日本はお花畑でも平気な幸せの国という話もあるけど、
うつ病も自殺率もまだまだ上位の国なんだから、そんなに幸福度高いとも思えない。
いい国だと思うし、安全だと思う。
ここに生まれたのは幸運。
でも、幸せかどうかはまた別なんだな。
幸せはいつも、心が決めるもんなんでしょうね。
主人公のシリア人、悲惨だけど、それでも幸せそう。
ラストが絶命じゃベタで、
タバコ吸ってるのが、監督の矜持感じます。
生命の安全や生活の快適さだけで、脳が幸せと判断してくれれば良かったのに。
現実は厳しいものですね。
とりあえず、やっぱ天気よいとこで、最後は暮らしたい。
寒さ知らずで、お気楽で居心地の良い場所、そのうち見つけなきゃな。
居場所を見つけるというのは、大変なことですけど。
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