映画「ELLE」 イザベル ユペールという怪物のC’est la vie は反応しない稽古 。 宇多丸さんに感謝。

ポール・ヴァーホーヴェンはトータル・リコールの監督というくらいの無知でした。
宇多丸が選ぶ 2017年映画ベスト10
で褒めてたこともあり、
これと、トニエルドマンは2017年見逃したと前々から気になってました。マン・オン・ザ・ムーン好きだし。
どちらも親子関係が順調でないところに、人間の業を感じます。

エンドレスポエトリーパターソン は、2017年、
観るチャンスがあって幸運と思ってました。あとは勝手にふるえてろかな。
「ELLE」はようやく、次いでカウントすることが出来ました。 
 
とにかくも、宇多丸師匠に感謝です。
ドリームはパスする(後述)、ムーンライトは観たかったけど、、
大作は2017年気分じゃなかったし、アクションものにそこまで思い入れないし、

そんなとき、 
幸運にも、年明け新文芸坐で掛かってて。
ほんとに観れてよかった。

エンドロールでの感想は全く同じでした。鳥肌立ちました。

ポール・バーホーベンがついに牙をむいた……牙、むきすぎでしょ?っていうね。ほぼほぼ全方位的に牙をむいているというか。まあ、攻めてますよね。どう攻めているかは評の中を見てくださいよ。ただこれも、やっぱり言っていることは超過激なメッセージですよね。本当に、いろんな人から非難を浴びることも覚悟な上の過激なメッセージをしながらも、同時に誰が見ても面白いじゃないですか。誰が見ても面白いサスペンスであり、メロドラマにもなっているしというか。で、シレッと終わる。「普通の映画みたいな顔をして終わってるんじゃねえよ!」みたいな(笑)。「なんなら、さわやかな感じで終わってるんじゃねえよ! 怖えんだよ、ジジイ!」みたいな。

たとえばほら、劇中でいちばんタチが悪いかもしれないある人物のサラリとした流し方みたいな。「いや、流してんじゃねえよ!」みたいなさのとかも含めて、見た目以上に毒が強いんですよね。気がつくと全身に毒が回っているというような、本当にすさまじい作品でございました。ポール・バーホーベンの映画はもう年一で見たい。全ての映画をポール・バーホーベンが撮ればいいのにっていうね。そうなったら大変困ります……ということでございました。

で、ハリウッドでは不可能で、
フランスだから初めて可能な個の戦い。という面にも意識すべきことありますよね。 
 
 
ぜひ、皆様にも観ていただきたいのですが、
何から話そうか、

構成(全方位とミステリの二部構成)
ロードラマvsハイドラマ(by岡田斗司夫)
テイストは藤井健太郎(笑いは攻撃)
テーマ(宗教vs人間賛歌) 
仕事としての評論(町山vs宇多丸)
で、欺瞞と正直(ハリウッドとおフランスの底力)、
 
の各対立軸ごとに分けて語ろう、ネタバレ全開でぶっちゃけたい。
本当に、映画館で観れてよかったな。
 
 

 
構成(全方位とミステリの二部構成) 
冒頭、ショッキングなレイプシーンから始まり、容疑者というカードの配布。
尋常ならざる主人公であることの提示、 

お嬢さんなヒロインの各々問題抱えた人間関係が順に示されます、
レイプ犯のストーカー、なかなか壮絶な家族関係、離婚に不倫、会社ではエロコラのクラッキング、、  
 
 
犯人の謎と、不運てんこ盛りな人生と、
事業程度は当然成功させる常人ならざるパーソナリティが順を追って展開されます。

大きくは二部構成で出来てまして、
状況を明らかにしながら展開してゆく前半と、
解決しながら、収束してゆく後半。後半は解決編と後日譚に更に分けられますが、
まあ、二部構成でいいでしょう。

で、復讐の話じゃありません。

モンスターな人生の達人の生き方の結果、解決してくだけで、
恨みや憎しみを動機としたアクションではない。
そんな安いとこには、着地しません。
それが、心底怖いです。
 
 
拡散と収束なので、構成的にはスッキリしてます。
提示の順番も全て、生活の時間軸に忠実で淀みない。
音楽が定石どおりで適切ってことも大きいですが、
お話を進めるにあたり、時間にスムーズに流れるのは、
複雑な人間関係描くに大きいと思われます。
 
恐ろしい攻撃性抱きながら、エンターテイメントとしても成立させるポール・ヴァーホーヴェンに舌を巻きます、Rの発音のよう。
  
 
イザベル ユペールのヌードのように裏と表あります。
劇中の設定は、不倫騒動でテレビから消えるころの麻木久仁子さんあたり、

綾部や春日でなくても、充分です。
見事におっぱいのハリでは体現されているのですが、
背中は実年齢64! 驚愕します。 

ああ、ポール・ヴァーホーヴェンといえば、氷の微笑だったなって、
途中で思い出します。後でシャロン・ストーン始めハリウッドスターから軒並み断られて、
イザベル ユペールが挙手して、フランス映画として成ったそうですが、
 
生涯現役で個人主義で通俗モラルより自由でないと、

ああ、それは後でハリウッドvsフランス映画で書こう、
構成の話、

前半上手いなと思ったのは、
ハンバーガーショプで見知らぬ夫人から、
「殺人鬼の娘」的な罵声浴びながら、マックセット的なぶちまけられる。
表情変えずに、平然と対処しながら、その夜は母と会い、服汚れてのでコート脱がない。
聖人でなく、欲望に自由だが、お釈迦様やエピクテトス級の常人ならざる人、
すでに、反応しない訓練が出来てる人格として描かれる。

ああ、これも宗教vs人間賛歌の話であとで、
 
とにかく、提示の手順は淀みない。
不運はてんこ盛りで、次々訪れます。
 
で、後半は収束に向かう、エンターテイメント定石どおりに、
 
生涯現役な母の死が大きな転換点。
 
社内の問題と近所のことが別で、部下のことはエロチックにマウントしてシュートし、
ご近所な犯人の判明があり、
 
それと平行して、母の死で決心し、
八つ墓村の懐中電灯頭に括り付けたような獄中の父親に面会決意。
受刑者はそれを拒絶して獄中で自殺。
 
そこから、運命だけでなく、意志として決着つけてきます。
不倫はバラして破局的に解消。 
モト夫は村上春樹と龍を間違えられるという気の毒さで恋人と別れる。
バカ息子は何かとアレだが、帰ってくる。
 
隣人との関係も全て暴かれ、正当防衛で精算。

 
モト夫には仕事あてがい、
なぜか息子夫婦はそれなりに暮らしてて、

難産なプロジェクトもリリースに漕ぎ着け、
ビジネスパートナで生涯の友であり、不倫相手の妻との友情は継続、
大円団なエンデイング。
 
なに、いい話風に終わってんだよ、怖えよジジイ。
 
 
淀み無く、テンポよく、変態でアブノーマルな日常を、
全方位的に攻撃性顕にしながら、エンターテイメントとしても成立させる。
達人です。
技量もあって、功成り名遂たし怖いもんなし。逆田原総一朗かな。
こんな風に年取りたいと思いましたよ。
 
 
 
ロードラマvsハイドラマ(by岡田斗司夫)
年明け、ニコ生で再放送してました。改めて観ました。

ベタな感動、二元論的処理をロードラマ、
もっといろんな感情が同時に湧き上がる複雑な感慨をハイドラマ、
どちらが優れているかは商業的成功とクオリティは単純なトレードオフじゃないですが、
 
新海誠が能力とスタッフを結集してロードラマに挑んだのが「君の名は」。
子供向けエンターテイメントでハイドラマやってるのが最先端の「アドベンチャー・タイム」。

笑いとは攻撃で、世界を救わない。
藤井健太郎の悪意がまさにそれ。
年末も藤井健太郎やってましたね。
ポール・ヴァーホーヴェンとこのテイストよく似てます。
それはあとにして、

新海誠の大ヒットな試みと対象的に、宇多丸いわく。

まさに最近の、キャラクターというものを類型的に描いて、「はいOK!」って済ます風潮の、真逆ということですね。これはね、「どっちが偉い」とか、そういう話はしていませんが

風立ちぬとかもそうでしたけど、
分かんない奴はそれでいい、ベタへの拒絶。
 
それは憎悪の対象で、

「正しさ」というものを錦の御旗にした人々が、いかに鈍感に、そして残酷になりうるかというのを、

な話は、町山vs宇多丸かハリウッドvsフランス映画の話題として、
 
全方位的な攻撃性はベタドラマじゃ絶対できないのに、
優れた作品というものは、エンターテイメントとしても成立させんだよなぁ。
 
 
 
で、テイストは藤井健太郎(笑いは攻撃)
とにかく欺瞞に満ちた世界に対する敵意、悪意に満ちてます。

今のテレビ番組の作り方が嫌いなんでしょうね。
旧来のどっきりにはもう飽き飽きだから、凄いとこまで逝ってしまった。

水曜日のダウンタウンでのクロちゃんがかわいそう!?最高に面白いクロちゃん
http://mitarashi-highland.com/blog/performer/kurochan
これ最初はお約束どおり笑ってても、だんだんと笑っていいものなのか、ホラーなのか、
クライマックスの落とし穴では、悲恋だし、仕事とは言え人権侵害かとも疑うし、
とにかく番組スタッフ怖ええよ。
 
ベタをのうのうと需給してる人たちへの攻撃性むき出しながら、
観るものに複雑な感情抱かせます。

今こういうところに居るんだなって確認するためにも、
観といてよかった。
 
 

ああ、長くなってしまった。  
テーマ(宗教vs人間賛歌) 
カソリックな人、大変欺瞞的な存在として描かれます。
監督無神論者です。神は死にました。
 
ローマ法王が裸足で性的虐待なのは、当てこすりで、
上辺キレイ事言うけど、お前ら人道的なる存在か、実際は?
悪を行う勇気が無いだけの人じゃないの、だから正義にすがるんだよね。
 
まあなので、宗教の反対は人間賛歌と思うものです。
アドラーとか、
旅先で信仰訊かれて仏教と便宜的に答えてます。
一神教の方々には、あれは哲学だからと一段低く見られるらしいですが、
ウソついて教義について訊かれたら答えられませんから。
 
序盤のハンバーガーぶっかけのシーンで示されるように、
ヒロインは反応しない練習を怠らない人です。

反応は我に属すものですから、選ぶことができる。
アドラーもお釈迦様もエピクテトスもそう説きます。

自分のコントロール外のものは、あるがままにアパタイアに受け入れ、
内なるものは全力を以って対するのが、人間の行使。

諦めは単なる諦めを越えて、自由を得るための諦めである。

 
すがるのは放棄。
 
さらに、聖人君子でないのは、エロくグロく描かれますが、
サイボーグではなく、恐れも憎しみも抱いて生きてる。
 
父親のニュース映像見て、呪詛の言葉を吐くくだりでそれもわかります。
で、収束に向かっては対峙して精算しようとする。
 

隣人はすがる人の欺瞞として描かれますが、
Noelって誕生祭って意味だっけ、その時期が画がれるのは象徴的で、

原作にないらしい、息子夫婦の出産が描かれます。
処女懐胎って、え、オレの子じゃないの? って意味ですよね。

バカ息子はバカなんじゃなくてどうやら承知の上。ヨセフのよう。
モト夫とバカ息子はダメな人たちだけど、善人に描かれてます。
ホーリーなもの感じます特に息子。ダメ人間だけど。
 
無償の愛なのか執着なのか分からないけど、
終盤なぜか奥さんより赤子の方に感情注ぎます。彼は。
ラストみると、アバズレな奥さんネグレクトしそうですが、、

なせか、ダメな身内だけ愛の人です。
彼女は何も信じない合理の人ですけどね。
まあ、この人格なら、事業の一つや2つ成功させるのもむべなるかな。
 
 
あと、モンスターなのは、過去の裏切りとかのデータにも頓着しない。

いくら警察信用しないからといって、
よりにもよって、山道で事故って助けに彼を呼びます?
助ける方も助ける方だけど、
 
ラスト、唯一マトモな常識人と見えてた彼女も、
ああ、やっぱ類友なのか、平然と許します。
あんたもかよ、そこは縁切れよって、爽やかに終わるんじゃねえよ。
 
あんぐりとしたままエンドロール迎えましたが、

過去のデータに囚われない、執着のなさも合理なんでしょうね。
 
人間賛歌の厳しさを教えてくれます。
ワンピースの否定は茨の道だね。
 
原作にない分も足して、
テーマに乗せて、多様な生き様描くの、見事でした。
 
 
 
  
仕事としての評論(町山vs宇多丸) 
この映画をちゃんと評論してくれた宇多丸師匠に感謝してます。
一方、師匠筋の町山さんも、「たまむすび」で紹介してるんですけど、、
https://miyearnzzlabo.com/archives/43536
 
実写版進撃の巨人の脚本書いちゃったからかなぁ、
評論の中でのいわゆる「左翼落ち」は自滅への道とも思え、
本人の信条がリベラルでも好きにしてくれればいいけど、
評論の中で、テーマ捻じ曲げて、主義主張に向かうのは劣化だよ。
 
山口敬之の件は事実関係を精査するよりない、
個人的には女性の主張も今ひとつ不自然なのと、
政治利用が勝ちすぎてる気はするけど、

事実次第なので、報道以上の材料なけりゃ判断はできない。
 

ただ、この映画を語るのに、レイプ被害の話に「類型的に」着地するのは評論失格。
というか、
攻撃はハリウッド的なるもの、リベラル的なるものに向けられるのだから、
そこごまかすなよ。
つーか、そこごまかす欺瞞が憎しみの対象。

オレ個人的に、
右翼より、保守より、リベラル界隈の方が自由の敵、脳に悪いと思ってるけど、
それ差し引いても、

映画評論家として、テーマご都合で扱っちゃダメでしょ。
 
 
正義にすがると、自分の仕事まで劣化させてしまう。
それ拒絶してこそ、ご褒美として年取ってもいい仕事できるってことだな。
逆田原総一朗。功績もあったと思うんだけどなぁ。
 
 
 
欺瞞と正直(ハリウッドとおフランスの底力) 
ヴァーホーヴェンというゲルマンっぽい名前で、フランス語のタイトル。
最初なんでだろって思いましたけど、

ハリウッドからの拒絶。
まハリウッド的なるもの、キリスト教も良識も軒並み否定してるんだもの、
当然と言えば当然で、

原作も主演も、プロデューサーもフランス人なので、フランス映画として成立。
この辺は、底力感じます。
 
ただ、日本語字幕が微妙にこなれてないのが、ちょっと気になりました。
いや、フランス語分かんないけどさ。

「ボーヴォワール読むような女は」とかセリフあるんですが、
フランスでこそ作れた映画だと思われ、
アメリカの良識じゃ、ノミネートまでが限界。
 
 
黒い服の授賞式が、平和な時の反戦論にしか見えなくて、
それ思い出してしまった。
 
反ハラスメントは絶対的な正義だ。それは誰も否定しないだろう。
だけど、功成り果てたセレブ達が、それを訴えるチャンスが何故今なんだろう。
そんなの、いくらでも見聞き経験してきて、今の栄光じゃないの。
 
ホントに弱い立場のキャストとか、待遇改善する気あんのかな、
だったら、もっと前に声あげてるはず、辻褄が合わない。

で、判で押したように、結論は政治利用。
オペラウインフリーを大統領に、らしい。
その政治の主張も常に反なんとかで、未来のビジョンも具体策もない。
 

ポール・ヴァーホーヴェン、ハリウッドのうわべさに耐えられなかったんだろうな。
もう充分だもの、残り時間も短いのだし、

有効な選択をしないと。
世界は日本化してて、同調圧力は加速している。
 
環境と付き合う人と、残り時間の使い方、
選ぶとは我がことを我で引き受けること、

適切なチョイスしたいと思った次第。
 

久しぶりにBGM流しながら書きました。

 
 
質問コーナー、お問い合わせは、sanpome.net@gmail.com まで。

  
 

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