「エンドレス・ポエトリー」感想 ストレートな上京ものがたり 続き気になるから死ぬ前に撮りきってくれ。

映像だけで、1,800円の価値はあります。スクリーンで観たいものです。


ホドロフスキーという人の予備知識はありませんでした。
チリの寺山修司みたいな米寿の人で、余生で自伝映画全5部作完成させる予定らしい。
これは2作目で青春編、上京を決意し国を後にするところで終わります。
 
ま、とにかく続き気になるから、生きてるうちに撮ってくれ。
 
 
有楽町で観たのですが、20:50からの回だけって、、、
 
まあ、今働いているので、ちょっと残業して寄ってみようか、
終わって11時過ぎじゃ、翌日に響くから、往くなら金曜だな。
ちょと残業して寄ってみようか、
 
今働いてます。
これぞ日本株式会社的な巨大組織の末端で。
一ヶ月のスポットでピンチヒッターで、
いまどきプログラマーなのに、スーツで出社ですよ。。
 
洋服の青山に行きました。サンダルの代わりに革靴も買いました。
毎日、髭も剃ります。満員のメトロにも乗ります。
 
ふと、パキスタンで民族衣装着て、髭を伸ばして、
街に紛れようとしてたこと思い出します。
オートリキシャの方が快適だったなぁ。値段は似たようなもんかな。
 
今回も一ヶ月のビザです。就労ビザですが。
日本産業国で、しばし過ごしてます。
 
ま、その国の話は一段落してから、書ける範囲で書こうと思いますが、
しばし映画評おつきあいください。
 
 
 
で、ホドロフスキーさん。
題名は「終わりなきポエジー」。
詩と訳すべきか、詩情ともっと広義に許容するものか。
 
詩自体は、ジャームッシュほど説得力を感じませんでした。
演劇や映像にもウエイト同様で、前衛的な作風なので、長生きした寺山修司なんだなと観てました。
 
チリなのになんで、ロシアっぽい名前なんだろうって気になったら、
ロシア系のユダヤ人でチリに移民の息子らしいです。
フェリーニ好きだけど、ちょっとシャガールぽいとこもあるよね。
 
予告編と説明みて、ラテンアメリカなガルシア・マルケスのような表現とのこと。
確かに、南米スタイル。

日本は苦手にしてるのかと思いきや、日本からクラウドファンディングで随分と出資してる。
ああ、オレもできたら良かったなぁ。
橋Pなんか「あしたのジョー」なのに(By宇多丸)って悔しがる気持がちょっと分かります。
 
 
前作は観てませんが、チリの田舎で育った幼年期で、
田舎から首都サンティアゴに一家で出てきて、
父親に反発して芸術活動にのめり込み、
更にパリに往く。父親を断捨離と(心のなかで)和解しながら船に乗るとこまで。
 
 
 
表現は過剰ですけど、内容はストレートな上京ものがたりです。
ただ、表現の過剰さが、物語への感情移入分散させてしまうマイナスもあって、
まるで滝沢カレンのナレーションみたいで、集中できない。
そのあたりがカルトな所以でしょう。 
 
まあでも、映像はとにかく楽しい。
あの、難しくはないです。ストレートなメタファーとでもいいましょうか、
群衆役の人は無表情な仮面被ってるとか「へうげもの」でもやった表現とか、
分かりやすい誇張です。
 
思わず頬が緩んでしまう。ニヤニヤしちゃう。
感動というより、ホントに楽しい。
それだけで充分ではあるのですが、
 
 
 
テーマは家族、父親からの自立ですので、
みんな顔が似てます。
こういう人はこういう顔って、演出でしょうね。
 
詩人の男性というと、プリンスと藤井聡太先生を平均した感じ。
短歌革新運動的な前衛芸術の朋友も、顔似てるとおもったら、やっぱユダヤ系なんだ。
チンコノーカットでしたので、ユダヤと言えばって思わず。
 
マツコ・デラックスみたいな恋人と母親が似てるとは思いましたけど、
二役なのは気づきませんでした。そういう演出って思ってました。
 
カネにし興味なく風流韻事を解さない父親役に自分の長男、
青年時代の自分役に四男を。
どちらも、当時の本物によく似てるのでしょうね。
 
映画に一緒に出るってことは、
自分と違って、息子達は父親と折り合いよく暮らしてるってこと。
よかったね。出来た息子さんたちで。
 
インタビューによると、
食事の前に詩の朗読強要させたりしてんだもの。
自分の親父と同じことしてんじゃん、方向性違うだけで、
それでよく嫌われもせず。佐藤浩市みたいに。
 
って、感心しました。
やっぱ、好き勝手に生きるって大事なんだな。家族と決別しても。
見習いたいものです。
 
 
 
ボクはラストをとても評価します。続きが気になります。
現実は、決別したまま、フランスに渡ってからはもう二度と会うことはない。
映画の中では、「描くえもん」のように現在の監督が、
若き寺山修司に向かって、街に出る前に、和解しとけと諭します。
 
「愛なきことで、愛の重要性を教えてくれた」
と言って、感謝と許しを告白する、米寿の巨匠に感情移入しました。
 
ま、それは齢を取って逆の立場にもなってからの受容。
それを抜きにしても、いい言葉ですね。

ボクもそう心の中で言ってみました。
もう会うことはないだろうけど、
 
映画は言葉も通じぬ(といってもフランス語とスペイン語だけど)大都会へと、旅立つとこで終わります。
時代は、ピノチェトのその前の自由が禁じられてゆく時代。
 
マルセルカルネが大好きなのは、最初から描かれてますから、
花の都で、どんな自由を表現するのだろう、ああ続きが気になる。
 
 
 
実は、開演まで、一時間以上時間あったので、
上京ものがたりの本家、サイバラ画伯の本三省堂で買って、読んでました。

女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと
自分が高知の貧困から、東京に脱出してくる頃を重ねて、
今は娘が自分に反発しつつ自立してく姿を、母目線で語ってます。
 
何もない、ここでは得られない、そう思ったら、
徒手空拳で都会に出て、掴み取るしかないよね。
税務署と戦って、追徴課税一億って言われたら、会社潰せばいいって言ってます。

自分を生きれば、社会からはみ出そうがどうでもいい。
凄惨な経験あっても、家族愛を歌えるんですから、凄いな。
 
ワタクシも最初の会社辞めるときに、救われたんですよ。
「サクサクサークル」とか読んで。
手に職つけて、自立的に口を糊してゆこう。
 
自分を客観視して、突破口見つけようって、
たんぽぽの綿帽子のように、飛んでゆこうって、
 
 
ただ一点同意できないことあって、
ジャームッシュやビスコンティに時間泥棒されたって言ってますけど、
「ぼくんち」の山なみとかは、やっぱ影響受けてるし、
 
 
で、今スーツ着て巨大な官僚組織の中で働いてみて、
昔のこと思い出したりしています。
生きてゆくワタクシ。
 
こういう組織がこういう組織であることには、そういう理由もあるんだなって、
もう組織の人になることはないし、なるのはちょっと勘弁だけど、
 
個人的な和解。
昭和な日本株式会社との和解。
 
たぶん、向うの方が年寄りなので、先に死にます。
IT産業は、インドとかに行っちゃいますかね。昔の第二次産業に似て。
「非効率で無意味なヒエラルキーが故に教えてくれたこともある」
自立とはなにか、自由とはなにか、
抱きしめておあげなさい。
 
人は許した方が、自由になれるそうです。
 
 
質問コーナー、お問い合わせは、sanpome.net@gmail.com まで。

  
 

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