映画「ギフテッド」 感想 醜いアヒルの子の幸せ。白鳥かどうかは別にして。

ええ、軽く泣きましたよ。

この同調圧力強い社会に子供として生まれて、醜いアヒルの子に感情移入せずにいられる大人は幸せ。
 
醜いアヒルの子の幸せをエゴでなく、真剣に考えてくれる人が回りに居ることは幸せ。
 
そして、自分の満足のためでなく、純粋に他者の幸せを考えて行動できることは幸せ。
 
 
基本的に、良作だと思います。
お話はストレートだし、類型的かもしれません。
ただソレを理由に、低評価つけらるのは、幸せなんだろうなぁ。
正しい評価とは何かは置いておいて、
救いがあって良かったなって感情移入が先に立ってしまった。
  
 
才能あるかどうかは別にして、
ともかく、人と違うと生きづらいもんです。
特に、
閉鎖してで、同調圧力強い空間で、
処世というもの知らない子供という弱い立場で生まれると。
 
で、この手の話になると、「才能を伸ばす為のびのびとした教育」的な話になって、
結局は、人間としてどう育つか、よりも才能を伸ばすにたかる側に関心を引くような、
そんな話題にいってしまう。
 
映画でも、敵役のおばあさんが一手にその役引き受けてましたが、
自らの野望を綺麗にコーティングしようとしない姿はいっそ清々しい。
現実の悪役はもっと醜悪。
  
  
お話にハマるキャストで成功しましたよね。 
正々堂々たるヒールの造形。英国式の発音がそれっぽくて、イイっすね。
人間臭くも、人格者なおじさんも、意外と難しい役どころだし。
なんといっても、
外見は姫川亜弓さんの少女時代で、力量は当時の芦田愛菜をオーディションで見つけたんですから、
贈り物受け取った時点で、映画としては勝ち。

個人的に好きなシーンは、
「貧乏だから白人の弁護士も雇えない」といわれて、
有能さを発揮する黒人ベテラン弁護士はスカっとするところ。

お陰で、裁判がまあ、そこら辺が妥当かなって、とこに落ち着く。
マシーンのように孫を鍛えようとする祖母に任せるのはダメそうだが、
かといって、
素行良しとも言えない男手一つに育てさせるのも気が引ける。
 
ここ公平感が低いと、納得行かないお話運びになるので、
脚本の成功と思います。
 
 
最後、猫でお話展開するのですが、
何匹も殺処分間際の猫を一緒に車に乗せるところは、
おじさんの人の良さ、伺えて和みます。
(ま、猫からしたらシンドラーのリストだけど)
 
 
でまあ、
落ち着くべきところに落ち着いて、
幸せな居場所見つかって良かったね。お互いに。
 
それまでが淀みないお話づくりだったことは大きく、
素直に、幸せって良いもんだなぁ。って思えました。
 
 
 
で、連想するのはトモエ学園なのですが、

ワタクシの少年時代、「窓ぎわのトットちゃん」流行りました。
親はこの本勧めるのです。
「いや、お前らこそ、無理解で回りに迎合するだけで、子供の味方になることもない側の人間だろ。」
と、心の中でつぶやきながら、
オレの人生「車輪の下」だなと、ヘッセ読んでたの思い出します。
 
まあ、つい最近まで、
「バカな大人を尊敬できないのは、子供のオレのせいではない。」
そう思っていましたから。
 
 
不幸だけど、学びの為には得難い体験ってこともあるし、
どういう人と付き合うかも含め、幸せは自分のチョイスだから。
人間関係断捨離できて、見方変わりました。最近。

最近、スポットで働いてて、もうすぐ終わります。
ITエンジニアとしては見るべきもの無ですけど、
投資家としては大いに学ぶべき点あります。
ファンダメンタルズな日本株投資始めるべきかと、考えるようになりました。

もう総括しちゃうけどけど、
「意思決定の責任問われるくらいなら、死ぬまで働いた方がまし」
 ミッドウェイの負け方でもう勝ち目ないが、
 特攻隊の碑をクラークでは見ました。

 トップマネージメントが機能してるようには見えないが、
 吉田所長以下、文字通り命がけで死守しました。

小学校の先生の労働時間最近問題になってますが、
「教室で起こったことは全て私が責任取ります」 って言えれば、
労働時間半分にできるでしょう。

生産性低かろうとも、責任取らなくて済むなら倍働く。

徳川の5人組的連帯責任型統治の賜物なのか、
右肩上がりならそれで良かった富国強兵政策によるものか、
多数決で決めましょうというGHQの洗脳のお陰か、知りませんが、

もうすぐ耐用年数切れそうなグランドデザインですが、
まだ脈々と生きていて、日本社会を支えています。

人を幸せにしない日本というシステムって人は言いますけど、
私には何が幸せかよく分かりませんもの。

今の私にわかるのは、未来には2つのシナリオがありそうということ。
 
良いシナリオは、
 責任取れず、シラミツブシに労働するは、機械の得意なジャンル。
 団塊の世代いなくなるころには、機械がその役を取って代わる。
 人間に出来て、機械に出来ないのは責任を取ることだけだから。

悪い方は、劣化スパイラルが止まらず破綻。

ボクは前者を推します。
まるで神様の意志でも働くかのように、
人が人であることの意味を問われる方が、
人類のシナリオにマッチしてるようで。
 
 
閑話休題。

今醜いアヒルの子に生まれたら、喜んで醜いアヒルの子を生きよう。
見識あって、人間らしい愛情も兼ね備えた大人が回りにいるかどうかは知らないが、
チカラ蓄えて、いつか飛んでゆけるように。

何が幸せかは知らない。でも、そりゃそうだよ。

この仕組みで何百年とやってきたのなら、同調圧力強いはずさ。
教師の仕事量減らす、ホントに健全な解決は、
責任を全て引き受けることじゃなく、責任の有限化。
無限に経営責任だけを問い、株主責任は問わないのは有限という概念が都合悪いから。

自由って、Own Riskってこと。
自立した個人は、幕府にとっては取り締まるべき存在だもの。
 
 
見識あって、人間らしい愛情も兼ね備えた大人が救ってくれるって、おとぎ話。
サイバラ画伯がいつも言うように
自分を客観視して、生きてく場所見つけて、たんぽぽのように軽やかに飛んでゆこう。
 
 
 
で、それより、
無償で人の将来願うことできるなら、それはきっと幸せ。
むしろ、人生の目的も失い、自堕落に生きてしまいそうなおじさんを救った。
  
愛することが出来たから、おじさんの方が救われているんだなぁ。
 
働いてみて、なぜ投資家志したか思い出したよ。
改めて、ひふみ投信読んでみた。

投資も消費も投票も、全ては投票行動で、
現在にエネルギーを投じて、未来から何某かのリターンを得る。

当たり前ですけど、忘れがち。
人を幸せにする会社ってどういう会社か、幸せが分からないボクには分からないが、
ボクが思う良い会社に、ボクは投票行動起こしても、いいんじゃないかな。
 
ボクには人間関係的な資産は少ないのだから、
金融の分野で細やかながら頑張るしかないんじゃないかな。

愛は地球を救うらしいし、
良いものを愛する。それを行動で示せば、オレだって救われるかも。
 
 
農業も自給自足もダメで、
職場という空間も違う。
来年はもういちど投資、できれば株式投資頑張ってみて、
それでもダメだったら、いよいよ出家するしかないな。マイ四門出遊。
そのときは鶴太郎さんみたいになって、即身仏か。
寒い処はムリと分かったので、暖かい方のインドの山奥で修行かな。

 
 
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