映画「ダンシング・ベートーヴェン」感想 物語は諸刃の剣、糸井重里みたいにUNKOレーダー(byロッチ中岡)にバレる。

2014年 東京、モーリス・ベジャールの傑作を再演。そのドキュメントである。

素材は素晴らしい、それだけで観て良かった、1800円のモトはとれる。
が、
多くの人が指摘してるように、不満が残る。クロード・ルルーシュと比べちゃ酷か。
監督の解釈や意味付けも、とても安く感じる。
 
 
第九なので年末に観ようと、見逃したので年明けに観ました。
ま、2月からボチボチ活動する予定なので、昔みたいに正月は旧暦ってことで。
  
 
年末年始、
物語による誘導、そういう作為はもうバレると一番嫌われるから、
もう素材のままの方が良いんじゃないの。
安い調味料の味に飽きてる。
 
そんなこと思い浮かんだり、消えたりしてました。
この映画の微妙さも、シンクロしてしまいました。素材は120点なのに。
 
ああ、映画の感想を先に。
 
 
 
構成的なことから、
最初、インタビューが続き、若干退屈で、
ここで寝てしまったらそれで終了です。
 
途中から、ダンサー達が凄いので、稽古の様子で圧倒されます。
そこら辺が最大の見どころです。

アスリートの中でも、
バレエダンサーって最もストイックさ感じさせます。
稽古で捻挫して東京公演リタイヤする人出てきますが、
靭帯断裂とかじゃなくてとホッとします。

モーリス・ベジャールの振り付けって、荒木飛呂彦のみたいに変態的に関節曲がります。
ジョジョの方が影響受けてるんでしょうけど。
ああ、やっぱ肉体の限界ギリギリで踊ってるんだなって、わかります。
 
公演の様子は、
音楽と見事に融合してて、
耳のご馳走、目のご馳走でした。

舞台を観るチャンスはもう、再演いつあるか不明ですから、
それを思えば、良い音響の映画館で観れて良かった。
ただ、短すぎではないか、1800円払ってるんだし。
 
映画でモーリス・ベジャールといえば、ボレロですが、
カラヤンとかエデット・ピアフとか戦争に翻弄される人生映して、
最後に、ジョルジュ・ドンの鬼気迫るソロに収斂させてく。
巨匠クロード・ルルーシュって、クライマックスでしたけど、

やっぱ舞台本番の、歓喜の歌が最後にたっぷりと、でないとダメじゃないかな。
え、これで終わっちゃうの?って食い足りない感じで映画は終わってしまいます。
 
それと、最後に監督の主張的なこと言わせてますが、
蛇足という言葉がピッタリと感じます。
 
シラーの詩篇に、ベートーヴェン最後のシンフォニー、
それを鬼才モーリス・ベジャールがダンスと融合させた舞台なのですから、
言葉で自分の解釈を表現しても、随分と安く感じてしまう。
 
ダメな監督ってなんでいつもセリフに頼るんだろう。
120点の素材に40点の料理って感じです。
何もしないで、タダ海の幸焼いてくれればいいのにって、フィリピンでの日々思い出します。
  
  
  
監督の解釈については、宗教観にもよります、
一年、四季の移り変わりの中、ローザンヌと東京を行き来きする構成なのですが、
冒頭は、ローザンヌの冬。
 
ローザンヌのアンリという中世の異端の坊さんの話で始まります。
カソリック教会の腐敗のカウンターでもあり、清貧を説く人らしいのですが、
モノローグでは、グノーシス主義的な思想の持ち主で、カソリック側から弾圧されたそうです。
 

 
 
この世は偽りの世界で、偽物の神。
本当の神は遥か遠くから、光を届ける。
蛇はホントの神からの使いで人類に知恵を授ける。
だから、偽りの神によって人は追放された。

って、グノーシスの説明はデビルマンか何かで、読んだ気がする。
 
カソリック的には許せない異端で、徹底的に弾圧されました。
監督きっとカソリックの人なのでしょう。

ベジャールは人類みな兄弟をテーマとして据えたらしいです。
映画の最後で、セリフでグノーシス主義否定したりしてます。
 
でもやっぱ、愛だけで、
人間のダメさとか、生きることの苦しみを説明できるかというと、
やっぱ、現実を騙して、信じるのはキツイって人も中には居て、
それは、むべなるかなと、
宗教を聞かれると「仏教」といつも便宜的に答えるワタクシは思います。

で、「歓喜」を「Joy」って呼ぶんですけど、
一体感というか、スピリチャル風に言えばユニティ。宇宙との調和。
のことで、それを「人類みな兄弟」にしちゃうと、異教徒には安く聞こえます。
 
日本の評論家さんらしい人のインタビューは、その点よく説明してくれます。
ベジャールは禅を意識していた、禅はインド由来で日本で完成したらしいです。
死と再生、輪廻、円環の理を象徴するモチーフとして、
サークルの振り付けが多いそうです。
あの、肉体的なのに、幾何学的でフラクタル的で二重螺旋っぽい振り付けを説明します。
 
うん。そうだと思う。ワタクシも日本人なので、
その説明には共感します。
 
 
「歓喜」って往生って意味なので、
実際、合唱つきで踊るところは、天のアカギ死すを思い出していました。
よろこびって、「ああもうオレはオレでなくてもいい、飛散しろ」
そういう解放と一体化だと思うものです。
 
いつか、輪廻のワダチを抜けて、涅槃に至る。
 
それが「人類みな兄弟」ではなかなか救われないので、
監督の解釈が矮小化に見えてしまう。

イスラエルの指揮者がイラクやシリアに言及して、
この300年は最悪って言ってましたけど、
バビロン捕囚から出エジプトで、
その後、ずーっと殺し合い続けてるのに、300年で切り取るのはムリじゃね。
って、
あるがままに物事眺めない、不自然な感じ、違和感があります。
 
 
日本在住の素人の黒人の方々エキストラで集めるシーンはユーモラスなのですが、
表現としては分かりますが、本当にダイバーシティなら、
全世界から、人種や宗教に関わらず公募してこそって、感じます。
 

そう、もう作為では救われない。
 

安い物語は鼻につくもの。
最近は株式の勉強とかもしてるのですが、
「ほぼ日」の上場注目してました。

で、クリスマスツリーで炎上。
http://mb101bold.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/project-73ef.html 
いつから、そんなに下手くそになったんだろうって、
ああ上場の結果、個人商店からの脱却、権限委譲したんだろうな。
その結果、急激に企画のクオリティが落ちた。
 
糸井重里は堤清二に師事ってとこもあるから、やっぱ名は一代。
バフェットは誰が経営しても大丈夫な企業って言うけど、
経営代わったら、売るのが正解な気もする。
 

ま、それはさておき、見え透いた物語ブランディングは嫌われる。
消費者は皆、UNKOレーダー搭載済みだ。

芸人をセンスで判断しない『くりぃむナンチャラ』新企画  
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12122-146376/
年末、これ画期的でしたね。
糸井重里は物語が透けて見える時代の物語どう考えているんだろう。 

 
“人となり”と“過程”を重視して行う遊びが、「UNKOダウト」。

ベッキーが迷走するのは、ダウトだから。

ああ、もう今は、センスが無いなら、ヘタな演出は大やけどのモトだと知る。
テレ東の池の水とかが好調なの時代ですね。
ハイパーハードボイルドグルメリポート今年もやって欲しいなぁ。
 
 
消費も含め、いい投票行動を今年したいと思った次第。

質問コーナー、お問い合わせは、sanpome.net@gmail.com まで。

  
 

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