悪人が悪い学習することは阻止した方がいいと思う。罪悪感から悪人擁護はしない。

あの人のちょっとした悪をちゃんと咎めておけばよかったかな。
そんな後悔が私にはあります。
 
悪と言っても多少公衆道徳に外れて独占的な行動に出てるだけのこと。
オレだって、褒められた存在じゃないんだからと、
「人の振り見て我が振り直せ」的な処理で納得してしまった。
 
悪いと知らずにやってる人が本当の悪人なので、
たとえ世の中的にはちゃんとしてて、常識人と見られてても。

自分も悪人であるという罪悪感に負けず、割れ窓理論的に咎めるのが正解で、
あの人を「その程度なら大丈夫」と悪い学習させて野に放ったのは、
ミスチョイスだったか、
 
裁くのは自分の仕事ではないけど、
声を上げることが出来たのは、私一人しかいなかった。

そんな後悔が今まだ、あります。

まあ、その後悔のおかげで、
この人達に、ここで悪い学習をさせないこと。
私が阻止できるのだから、せめて可能な元親への最期の孝行だなと、
縁を切ることが出来ました。

とはいえ、
悪人を悪人としてフラットに眺められるようになるには、
その後悔から時を経て、さらに高い授業料を払ってからなのですが、
それはまた別のお話。
 
 
最近は出来ることも特になく、
とにかくマインドをほぐそうと、
反芻してしまう過去の負の感情を次々に手放そうとしております。
  
 
 
前回の続きなんですが、
いじめの非合法化を明確にして、
いじめを助長するコンテンツは公序良俗に反するものとして、
ゾーニングでされればよいのに。
 
誹謗中傷じゃなく、いじめで、
コンテンツの禁止じゃなく、ゾーニングで。

ポルノや煙草みたいな産業として成立するのがゴールのイメージ。
 
なんでも十把一絡げに、誹謗中傷を禁止することで、
収束を図るのはよろしくない。
悪人に間違った学習をさせる。
 
公共の電波でいじめを助長するコンテンツで死人が出たなら、
制作サイドに社会的責任が最初に問われるのは当然で、
社会的批判を浴びるのは、健全なことに見えます。
 
良識ある人なら、そんな番組見ないし、SNSで盛り上がらないですよ。
私は単に他人の恋愛に興味ないし、共同生活なんて密はできれば避けたいし、
不快なものは遠ざけます。と心が弱いので弁解しますが、
 
自分も悪人だからと他者の悪に寛容になるのは、
良いことではなく、自分の罪悪感を誤魔化しただけ。
自分の悪と他人の悪の間に相対関係はない。それぞれ絶対評価でいい。
裁くのは自分ではない。声を上げるべきところでは声は上げる。
 
あのときも、それが正解だったなと、今考えています。
今は良き学習となっているのであれば、悔いという過去の感情は手放せそうです。
 
 
公共の電波を使うテレビが依然強者で、かつ国家権力ほど批判にさらされず、
末期のため、その多くは劣悪な感情を煽るコンテンツビジネスで、
既に自浄作用は望めない。
 
この点を私は重視します。
 
学校のいじめで例えると、
問題が表面化し、首謀者グループの中の実行者が注目されてる段階で、
実行者は傍観者にランクダウンで現実から逃れようとしてる。
尻馬に乗ったり、見て見ぬ振りしてた連中も多い。
ただ、首謀者は教師や地元有力者に繋がってって、守られてそう。
「いじめはやめよう」の一般論だけで収束が図られそう。

そんな図式に見えて、
そういう処理で終わらすと、また同じことやらかすよ。
空気の支配のこの国で、その処理は止めておいた方が、よくないか?
  
制作サイドとテレビ業界がこのコンテンツ放置したことに関しては、
告発される方向を望みます。私は。 
SNSの規制よりも前に。
  
 
いじめてた奴が因果応報で、いじめられる方がまだ健全。
尻馬に乗ったり、見て見ぬ振りしてた連中が罪悪感から実行者を擁護して済ますのは、
悪い学習に見えます。
尻馬に乗ったり、見て見ぬ振りしてた、
その連中も因果応報でその分いじめられた方がむしろ当人にも良いよ。
 
心ある人はそんな修羅の世界から離れればいいし、
声を上げろと心が命じたときは、損得でなく声を上げた方が病まない。
 
私刑は望まない。  
賭け麻雀は告発されて、
首謀者が俎上にも上がらず、実行者を擁護して蓋は、
より陰湿な社会に向かいそうなので、私は反対です。
 
 
実行者は首謀者ではないけれど、
麻原も新見もそれぞれの量刑で裁かれるのが健全。
麻原が悪いから新見が無罪というわけじゃない。
 
死刑は遺族感情のためじゃなく、
社会がそういうことは許さないという社会の機能。
人類が発展してきた生存戦略の一部。
 
恨みを晴らすためだから反対って言ってる人間は、
法がだれかの感情のためだと思ってる時点で見識が怪しい。と私は判断する。
(個人的には、無期が無期として機能するなら、国民投票で決めたらいいと思うよ。)
 
自分の反論出来る反対意見しか存在しないと脳が判断するのは、 
自分の人生の死活問題だと、いつも思う。
 
 
 
それはさておき、 
個人的には幼年期のいろいな経験のおかげで、
自分は悪人でも、尻馬に乗る人間に対して甘い処理をしなかった経験があり、
もっと感情使わず、裁かなれば100点だけど、
基本的には、ちゃんと伝えた自分の判断を褒めてやりたい。
 
悪人は悪人、確信犯でなければなおさら。
人は同じシチュエーションなら、同じことをする。
自分も含めそういう生き物。
  
 
個人的には、 
山里亮太氏に恨みはないし、憎しみもないし、
反省させて犯罪者になって欲しくもないけど、
変な擁護で守られるよりは、
そういう商売で歯止めなくなった分の報いは受けた方が、
社会にとっては、マシだと判断してる。
 
 
 
正直「謝罪」での悪手連発のせいで、同情する気になれない。
傍観者へのランクダウンでエスケープは通用しないよな。
そりゃ悪手。

「謝罪」のポイントは、
 1.迅速な対応。 
 2.過ちの地点までは素直に認める。
 3.自ら罰する。
 4.将来の復帰について言及する。
 

1以外は全部ダメだもの。
「出来ることはなかったか?」ではね。
そりゃ、燃えちゃうよ。
いい危機管理のブレインいない会社も末期だし、
自浄能力失ったメディアも末期なんだけどさ、
 
想像するに、せめて2は、どうかな。
「煽ることで、コンテンツの人気を維持しようとしてました。
 エスカレートしてゆく自分に気づけませんでした。」
って発言してたら、今と状況は違うはず。
 
下の立場のときは出来ても、強くなったら出来ない笑いがある。(by明石家さんま) 
 
 
ナイナイはまだ、有能な相方が居てよかったね。
3,4が当初曖昧だったけど、
「今後は常に、相方の管理下に置く」というところで、落とし所となったようで。
それでも納得出来ない人は署名活動すればいいけど、
対策としては、それなりに妥当なら、沈静化するだろう。
 
個人的には妥当だと思うけど。
なんか辰吉丈一郎にダブって見えて、もう休めよとは思うけど。
ま、それは余計なお世話。他人の課題だけどさ。
 
 
 
やっぱ仕事は選ばんとな。 
頑張りゃいいってもんじゃない。
山里亮太氏ほど才能あって努力した人はごく少数と思う。
なのに、
 
やっぱ場況読みの賢さって大事なんだなぁ。一番大事かな。
闇雲な努力は身を滅ぼすねやっぱり。
 
時代も変わり、自分の置かれた状況も変わるもんな。
 
そして、よき相談者を得ておきたいものです。
 
 
 
労働集約は終わるから、みんな仲良くも終わる。
密であることは、特に善ではない。
閉じ込められるから、ストレス溜まるのだもの。
 
疎でオープンなのが、健康にいいんだな。

常識に基づいた善悪なんて、所詮その程度のもの。
テクノロジー一発でひっくり返る。

仲良きことは美しかもしれないけど、
無理に頑張る必要もない。
間違った努力は身を滅ぼすな。
 
会社も学校もオンラインで済ませることは済ますように、
自ずから、なるし、
 
関わるものは、選べる時代になって欲しいな。
いずれそうなってゆくだろうし、それを望んでいます。 

強制的な共同生活って、実に象徴的です。
 
自動な自動車が普及するころには、
多分、トヨタみたいな昔の大量生産的なところじゃないんだと思う。
強者は。
この世は適者生存ですから。

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