麻雀警察vs多井隆晴 から学ぶ、能力とか人間性に優劣を求めるのはそろそろ辞めよう。

昨日の続きで、
予定説といえば、映画「スラムドックミリオネア」である。
観てないけど。
 
宇多丸さんが酷評したのは聴いた。
ご都合な脚本嫌いなのは知ってる。
でもこれ、宗教的な背景あるかないかで、ぜんぜん違うんじゃないの。
そこ無視して語っちゃうのは、批評としてはちょっと欠落かな。この回は。
映画ってどうしても作った人の文化的背景無視できないからさ。
 
ま、宇多丸さんは、批評が批評されることも、
批判がまた批判されることも覚悟の上で語ってるので、
その点では、本業よりもプロだよなとは思う。
 
批評家として成立するレベルの人の態度とは?
を考えるとき、本業ラッパーの彼を基準にしている。私は。

そして、
彼が褒めてても楽しめないものや、
逆に貶してても自分には感動があるものもあるが、

それには傾向があるので、
この映画観に劇場まで足を運ぶべきかの判断では、
佐久間Pの次に参考にしている。
 
 
 
で、Mリーグ盛り上がったけど、
最近、麻雀警察vs多井隆晴の勃発を知った。
福地誠氏の記事↓
https://note.com/fukuchimakoto/n/n44609a3b5278
有料部分は福地氏の意見なので、特に読まなくても経緯さえ分かれば充分と思う。
 
なるほどな、
多井隆晴の主張には同意するけど、対応はよくないな。
麻雀警察さんへのレスポンスとして、もうちょっと辛抱強く説明すべきだと思う。
批判に対する批判者としての責任はあるんじゃね。
アカウンタビリティなのか、レスポンスビリティなのか、
勝手に打ち切るのは、それの放棄だよ。

 Mリーガはプロだから批判に晒されるのは構わない。
 でもエンジョイ勢に対してガチ勢がそれやるのは、ただのマウンティング。
 批判の対象がお門違い。正当性が無い。区別してほしい。
 麻雀の裾野を広げ、悪イメージの払拭に取り組んでる者として、
 マイナスな行為はやめてほしい。
 Vtuberに媚びてるとか、私的な視点での都合のいい解釈でなく。
 普及の観点からのマイナスな行為に対する批判を批判として受け止めて欲しい。

 
って、真摯に伝えるべきだな。
それでもまだ、
Vtuberに媚びてるとか、そんな視点でしか反論できないなら、
それはヤカラ。お話になんないけど、
もうちょっと説明続けるべきでしょ。ちゃんと名指しで。
批判を始めておいて、レスポンシビリティに欠ける。
それはずるい、麻雀警察さんが怒るのは当然。
 
 
それはさておき、ランキングとか好きだよね。youtube。
高木豊とか、ゲスト呼んでさ、
ベストナインとかどうでもいい。
その選手の当時のことをもっと聞きたいのに。
ベストナインとかタイトルにすると再生数伸びるらしい。
 
人間が承認欲求からフリーになるのは、悟りの境地だからね。
致し方ないことではある。
 
 
 
でまあ、 
麻雀警察さんが怒るのは当然だけど。
麻雀警察さんのVtuber批評はそんなに悪いコンテンツでもないけど。
でも、彼のMリーガの打牌批判は、好ましいとは思わない。
私は麻雀弱いので、正解は判断できないけど、過去の嫌な経験から嫌い。
実は、そのため肩入れできない。感情が移入しない。
 
 
Mリーグファイナル、近藤プロのビタ止めが伝説の局。
日向藍子プロのオーラス第一打が批判されていた。

うさぎせんせーの言う通り、

日向選手の思考無視して、
牌理つまり教科書的正解かどうかだけで批判してる人は、
多分仕事出来ないだろうなと、思ってしまった。
優先順位付けという判断力。

 エースを投入しても予想外に振るわず、  
 自分がようやくチームにトップを持ち帰るチャンス。
 逃す訳にはいかない。
 ここで1600点を捲られたら、チーム総崩れ。

 この局のテーマはアガリの効率を上げることじゃなくて、
 トップを持ち帰ること。
 
 微差なので、振り込みは絶対ダメ。差し込みも無理そうか、
 ツモられても親被りで、ダメそう。
 流局もテンパイ料次第なので、ラス親の自分が伏せられない。
 
 トップ変わらない脇決着がベスト。そのためのアシストはしたい。
 次善は、早上がりで、ライバルの手を潰してもう一局。

 とにかく振り込んだら、チームごとシリーズが終わる。
 
 
という日常経験しない重圧の中で、状況判断が求められる。
「責を負うては人間賢くなってしまう。」

そこで、教科書通りの正解が正解か?
その状況、テーマに沿った正解であるとの説明が付いた打牌批判は見かけなかった。
 
弱い私が麻雀の話して恐縮だが、
 一九牌でピンフ聴牌目指すのは、拒否したい。
 だから2ピンをツモっても嬉しくない。
 安牌抱えつつ、機動力あるクイタンに構えたい。
 
という状況で、ホントに教科書通りの9万が正解か?
弱い私には判断つかないが、
批判するなら、アカウンタブルに説明してほしいところである。

 教科書通りの対応しか知らないのはマニュアルくん。
 状況判断が出来ないのは指示待ちくん。
責任を徐々に負いつつ、判断能力を成長させ、経験を積む人材は希。

重箱の隅をつつくだけで大局のセンス無く口だけで、
無能で無責任なくせに人生の先輩風ふかすだけの、
責を負わないから、愚かなままなオトナにグルリ囲まれて、
ひどい目にあった過去もあるので、

裏付けの浅い批判を見ると、
(それがほんとは、どの程度深いか判断できんけど)
鮮やかに蘇る記憶があります。
ああ、学校で答えがあるって習うのホントに教育上よろしくない。

同じ局でも、木原プロのこの解説だと批評として堪能できる。
 
それでも、
あの席に座ってたら1ソー止まるって語る近藤プロと、
想像があってないけど。
  
 
で、いろんな状況コミコミで、一手ごとAIの評価値出ればいいのに、麻雀も。
間違った批判は減るよ。
でも囲碁将棋のように2人の対戦型でないし、不完全情報ゲームだし、
人間を機械が超えるのは、もうちょっと先かな。
って、想像したときに、気づいた。
 
 
状況判断の優先順位づけ込で判断出来るような人材が優秀だと、思っていた。
それは間違っていた。信じてたことが正しくなかった。
だから、仕事が苦痛だった。
 
そんな判断はいずれ、AIが情報処理するよね。
問題はどれだけ有効な情報を整理してAIに与えられるか。
AIのパフォーマンスどう維持するか。
 
人間の判断力の優劣が問われるような人はごくわずか。
むしろ、AIの出来ない単純でも人間の手が必要なことだけ残るのかも。
 
私はきっと、ゲームのルールを間違えていた。
会社は成果を競うところではなかった。
 
成果を追わないから、腐る組織もあるだろう。
それも正常な新陳代謝で、神様の予定どおり。
 
 
主観でしかないランキングとかダセエなとか感じるのは、
自己投影だった。
幼年期の終わりに、その優劣はもう意味がない。

↑ダイジェストでいいです。
 
働くことに違和感しか感じられなかった人生なのは、
ゲームのルールを知らないという原因がどこかにあるらしい。

きっと世界は完璧で、神様のシナリオに沿わないと、
幸せにはなれない。
私の基準での優劣は関係がない。

そう信じることにした。

 

 

カテゴリー: 社会変化 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*