久米宏さんから学ぶ世界は完璧。暗いと文句をいう人はダサい時代にいずれなるらしい。

アウトプット、何もなくて久しぶりの更新となりました。
仕事してた頃のこといろいろ思い出していました。
 
さてこれからどう生きてゆこうか。
充実感もって過ごせないと幸せになれないので、
何か活動するなら、何を変えればいいのかな、
ジタバタしても仕方ないので、内面の改造にフォーカスしてます。
  
 
都知事選で、「どうせ変わらないから」という棄権の理由ありますよね。
それ口にする人たちって、何を、どう変えたい、ものがあるのでしょう?
まあ、
具体的に政治力で変えたいものがある人は、その理由で棄権しないんじゃないかな。
 
なら、「どうせ変わらないから」じゃなく、
 現状であれば、そんなに多くは政治に期待しなくてもいい。
 他に投票したい魅力ある候補もいないし、
 投票いくのめんどくさい。

で、「消極的現状肯定」を理由にしたほうがいいよね。
 
 

「どうせ変わらない」は無力感と隷属の肯定。
「消極的現状肯定」は主体的選択。

政治的課題にさほど関心なくて、立法や行政にそこそこ満足してるなら、
自分の無力感や隷属感をわざわざ育てる必要はない。
マスコミに毒されすぎ。
隷属的な人が多数なほど、マスコミは商売しやすいのだし。 
「責を負うと人は賢くなってしまう。」
まあしかし、賢くなっただけでは、何もいいことないので、
賢くならないのも、適者生存な知恵でもあるのかな。
 
戦後以来のそんなWin-Winは終わってゆくんだろうなと、
「伊集院光とラジオと」の 久米宏さんの回聴いてて、しみじみと思う。
 
 
で、改めて、
ニュースステーション」と「インターネット」ウィキペディアで沿革教えてもらう。

 番組の開始はインターネットの学術利用開始と同年。
 番組の終了の翌年にyoutube始まる。
神の采配なのかな。
  
久米宏さんが電通と組んで、報道をニュースショーに変えていった。
マスコミが公共性を失ってゆく時代を振り返ってみた。
公共性の拠り所であった、不偏不党や客観報道を捨てた。
主観で溜飲を下げるというのはエンターテイメントである。
 
結果として、インターネットの登場でマスコミは衰退してゆくのだけれど、
公共性捨てて衰退したのでなく、
衰退は必定だから賢い人が最後の旨味を意図的に食い潰したのかな。
 
 
正直、
人生70年以上生きて、暗いと文句を言って明かりをつけない人は、尊敬できないし、
できれば、明かりをつける側で老いてゆきたい。
 
 
彼は、喋りの技術的な問題で身を引いたけど、
世界はもともと完璧で、
久米宏さんの人生とマスメディアの興亡は、一致するように出来ているのではないか。
 
まあ、予定説を信じてしまうような、
そんなラジオの覇王のインタビューでした。
 
 
世界はもともと完璧で、シナリオは既に出来ている。
って信じてしまったほうが、課題の分離がやりやすいなら。

暗いと文句を言って明かりをつけない人がダサいと、
評価されるような時代に、
なっていくようにシナリオが予め書かれている。

滑舌おぼつかなくなった、彼の声聴いて、
直観的に予定説を信じた。

心配や不安からフリーになって、
課題の分離を徹底して、
で、ついでに明かりをつける側の人になれたらいいな。
 
ま、予定通りの人生を生きて、死んでゆきます。

 
 

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