死にたいと思ったら、それはトランジションの訪れ。変容のチャンス。 

前回の続きでもあるのですが、
死にたいくらい精神的に辛いときは、
今の現実を捨てて、新しい現実を選び直す機会。
 
トランジション(移行期間)はサナギの時間で。
 芋虫からサナギへ、
  それまでの細胞を溶かして、次への再構成する。
 そして、殻を破って飛び立ってゆく。
 
それまでの芋虫の現実は、自分自身含めて全否定ですので、
精神的にとても辛いです。
チャンスを掴みきれず死ぬ人も沢山いますね。
 
あの孤立無援の中、なぜ生き残れたのか、自分でも不思議ですけど、
ともかく、幼年期に変容を経験したのが、人生の基礎になってる。
それからは、
7,8年周期で違う現実を選び直すようになったのも、
あれが原体験だったのか、
 

そういえば、
家庭と職場で、人生の転機となるショックを受け、
強烈に襲ってくる、虚しさ、怒り、悲しみとともに過ごしながら、
ついに、
現実を選び直そうとする頃には、
自分自身も変わっていて、もう昔の自分には戻れませんものね。
昨日まで会話出来た人ともう、心が通じない。
 
東京で暮らしていて、ようやく、
変容とは何か、解ったみたいです。
 
 
 
いざというときアテになるかどうか? 信じるべき人そうでない人。

 日本でベトナム人と結婚して子供も出来たけど、
 まあ、彼はダメな夫でダメな父親。
 縁切って、日本でシングルマザーとして生きる覚悟を決めようか。
 背中を押してもらう。
そんな内容なのですが、
 
大愚和尚曰く、
 いざというときアテになるかどうかで、
 信用していい人かどうか判断しましょう。

そしたら、
前回に引き続き、
小学校の2,3,4年生のころ、思い出しました。
あれが原体験だった。
ショックを受け、移行期を経て、変容してます。 
 
 学校全体も当然そうですし、
 (元)親もイザというときは自分の味方ではない。
 助けが必要だけど、孤立無援。
 ということが判明して、絶望しました。
 
死ねなかったんですけどね、
理由は分かりません、ただ生きようと覚悟決めたらしいです当時。
世界中は全て敵。それでも生き延びようと、強烈に意識したのは、
今でも残ってます。
 
闘い方はまったくクレバーではありません。それは今も治ってないです。
上手に逃げることも出来なかった。
敵でないのに、無駄に傷つけてしまった後悔もあります。

古い自分と違う自分になった点は、
 信じるべきでないものは信じなくていい。独りでも生きる。
 周りのオトナ達の意見は無視していい。
 見識は本にのみ求めよう。探そう。明らかにレベルが違うし。
 
無理に言語化すればそんなことですが、
高学年のころには、世界に対する見方は以前とは変わってましたね。
精神的に安定はしませんけど、
 
何も信じないけど、生きる。 って決めたのは、
我ながら男前だと思います。キレキレでしたね。
自灯明法灯明。
当時の自分は凄かったんだなぁ。
 
 
 
それから振り返ってみれば、
高校生のとき、
 大学行こうって決めたのは、変容かどうか、
 無人島だと泳ぎ着いたら味方が居て、嬉しい現実の変化でしたね。
 学歴社会はもちろん信じていませんでしたが、
 大学行っといた方が選択肢は増えると思ったみたいです。
 で、大学行って、就職して、
 世界は敵ばかりというわけでもないって、変容してるようです。

最初の会社辞めたとき、
 これは確実にいろいろショックで、
 潰瘍患ったり、めまいに襲われたり、無気力感よく感じましたね。
 経営が根本的にダメという現実を受け入れず、闘ってましたね。愚か。
  手に職つけて、いつ会社潰れてもいいようにしようと、
 辞めることが出来たころには、明らかに違う自分に成ろうと意識してました。

サラリーマンから独立、さらにフリーランス、
 最後に勤めたとこも、ショックを受ける環境で、
 こんなとこ居ちゃダメでしたけど、
 その会社に就職する前から移行期始まってました。
 サラリーマンのまま自立って矛盾感じてたようです。
 依存的体質な人との縁どんどん切ってます。このころ。

 で、起業しようとして大失敗して、またショック受けて、
 フリーランスで再起。
 決別したのは、属することで安心を得ようとすること。
 ここも、典型的な変容のプロセスでしたね。

SクアドラントからIクアドラントへ、
 でも結局、職場というものの存在は変わらず、、
 働くことの虚しさが、ボディブローのように効いて来てました。
 資本主義経済の見方をイチから改めつつ、
 土日物件探し始めたころは変容ですね。
 芋虫→サナギ→蝶をイメージしてました。
 
 偶然、ベトナムのIT企業に潜りこめたのは、
 意識しない引き寄せですね。波動が変わったので、
 閉鎖的な空間は苦手になりますもの。
 
東日本震災が転機、(元)親との関係見直すことになったのは、
 当時、東南アジアでプラプラする生活は変わってないのですが、
 仙台で津波の爪痕残る海岸線で、ショックまた受けます。
 この人達の人間性に付き合うのも、ちょっとキツイか、
 いろんな文化圏のいろんな人に触れ、客観視するようになってますね。
 古い常識捨てながら、変容に至っています。

 ノートに書いて、いろんな出来事もあったのですが、
 同じたぐいでないものは、友じゃない。
 波動が違うものは交われないと、体感しました。
 ま、完全決着は、
 宿題があるような気がして、日本に戻ってからです。 
 
農業体験は、実は夫婦、家族体験だった、
 (元)親と距離置くようになって、反芻が酷くなります。
 当時は、理由分からなかったのですが、
 仲悪い夫婦見ると、触発されるらしい。
  
 完全に縁切ったのは東京で暮らし始めてからです。
 他の国では未知の発見に目を奪われ、内観に向かないでしょう。
 また、東京で働いてもそっちに集中しちゃう。
 ただ、働いてみれば、当時の労働に対する絶望思い出し、
 ああこれは宿題だと自覚できました。
 
 職場と家庭この二つで変容すること、最近は意識して暮らしてます。
 
家庭については、 
 ようやく反芻止まって、毒親二次被害の克服できました。
 徹底した受容と脳的なメソッドの獲得のおかげで。
 
 反芻(フラッシュバック)は苦しかったです。
 でもそれが、変容への入り口でした。きっかけは大抵ショックで、
 覚悟が出口です。
 自分が自分の親になると決めた。
 
 大愚和尚の相談者といっしょっす。
 ま、移行期は3年くらいか、ときおり仕事に集中する時期もあったけど。
 
職場については、
 ショックは東京で働いてみて、再入門しました。
 過渡期そろそろ抜けられそうな予感はあります。
 Noなものに、Noと言えるようには成った。
 あとは、覚悟もって徹底した受容が出来るかどうかです。
 そしたら、今までとは違う何かが見えるはず。
  
 歴史的にも、産業時代から情報時代への過渡期で、
 奴隷労働の解放はこれから起こると想定してるんですけどね。
 まだ、解けてないことあるかもしれない。
 単に成長実感ってことでもないんだろうなあ。きっと。
 
 
 
それまでの自分も現実も捨てて、違う自分になる。
ショックを受けて、過渡期(トランジション)を経て、変容に至る。
そんな解説本、読んだので、振り返ってみました。

変容のプロセスは機械的な調整というよりも、本質的には死と再生のプロセスだということである。

トランジションは現在の人生のステージにもはや当てはまらなくなったもの、あるいはそれとぴったりであるものを手放すことから始まるものであるということだ。

昔も読もうとして、挫折しました。
書いてる内容理解できず。訳も微妙だと思うんですけど、、
変容って概念、経験してるのに、分からなかった。

 死んでしまいたいくらいのショックを受ける。それが過渡期の入り口で、
 過渡期で、覚醒するかどうか、運命が分かれる。

 
とにかく、過渡期は辛い。 

覚醒する人は前進するが、幻滅する人はそこに留まって、同じことをただ役者を変えただけで繰り返す。こうして、幻滅する人は「本当の」友だち、「完全な」夫や妻、「絶対に信頼できる」先生を求めつづける。

最も苦しいのは、新しい何かを見つけ出すまで、虚無の時を過ごさねばならないということなのだ。それを予感した時、死や見捨てられ体験にまつわる過去の恐怖と、あらゆるファンタジーが呼び覚まされるのである。

多くの人々はニュートラルゾーンに入ると、本質的な空虚感を体験する。昔の現実は色あせ、もはや何も確かな感じがしなくなる。

 
 
私は本から情報を得て、見方が変わることが多いですが、
ヒントとなる鍵が手に入るまで、苦しい。

不幸なことに、離脱、解体、アイデンティティの喪失というプロセスを通過する時に遭遇する喪失感や混乱に意味を見いだせる人はほとんどいない。この状態を切り抜けるための鍵がないと、結果として起こる「方向感覚の喪失」も混乱としか思えず、混乱した人々は自分には改心したり修理されたりする必要があると思ってしまう。

でも、過渡期は変容のためには必要。

ニュートラルゾーンは、人生のほかのどこでも得ることのできないような人生の見方を提供する。

 
 
過渡期ではジタバタせず、内観を促すのが良い。
時間は掛かります。人間だもの。
 <内なる声を聴く>

真に必要なのは純粋な孤独である。孤独の中でこそ、人は内なる声を聞くことができるのだ。

 <振り返り、整理する>

なぜ自叙伝を書く必要があるのか。しかも今、この時期に。それは、これまでどう生きてきたかを理解することによってのみ、これからどう生きるかが見えてくることがあるからだ。回想は、何かが終わった時の自然な衝動である。何かを終える時には、過去を振り返り、整理しないと気が済まないものだ。過去を回想すると、昔のトランジション体験から有益なことが学べる場合がある。なぜなら過去とは人の想像の産物であり、おそらく見直す必要があるものだからである。

 
 <ただ感じること>

ニュートラルゾーンにいる時には、本当に自分の人生で何がしたいのかがわからずに、深刻な事態に陥るのである。覚えておこう。欲求そのものをどうにかしようとする必要はない。ただそれに気づけばよいのだ。「あなたが何かに魅力を感じているという事実」「あなたが何かに興味を抱いているという事実」を否定し自らの行動を抑制するのは、自分の首を絞めるようなものである。

 
 <死亡記事を書くワーク>

「終わり」はある意味では死ぬことなので、死亡記事は、過去を語るのにぴったりの文章である。ニュートラルゾーンの空虚の中にいるあなたは、過去をどう考え、どう感じるだろう。過去の生活の中の何が心残りになっているだろう――どんな夢が、どんな信念が、どんな能力が、どんな考えが、どんな素質が実現されなかったのか――。 あなたは、転換点にいる。今まさに、次の局面が姿を現そうとしているのだ。

 
 
そして、出口では、

外的な人間関係においても生じる。新たな「始まり」は、しばしば確執や裏切りの感覚を引き起こす。

かつて付き合ってた人とは、もう交われない。
会話しても違和感を感じる。ここは自分の居るべき場所じゃない。
そんな感覚が訪れます。変容の兆しです。
 
 
自殺大国日本でも、減少傾向にはあります。
それでも、連日そんなニュースばかり溢れてます。
原因分からないので芸能界の闇と決めつけていいかどうかも分かりません。
 
それでも、私にも出来るアドバイスがあり、
死にたいほどショックなら、苦しみが続くなら、
現状で頑張ろうとするのは辞めて、
変容の訪れと自覚した方がお得です。
 
私には、
自死という選択を否定は出来ませんし、安易な励ましも無理ですが、
変容して、違う自分になって、新しい現実を選び直した方が、
人生を何倍にも生きることが出来ます。
苦しい時間は長いけど、
それはそれで、変容は楽しい経験です。快感ありますよ。
 
死ぬ前に、変容トライしてみる価値はあると思うけどな。経験上。
ほんとに快感ですよ。
 
あんなに気にしてたのに、もうどーでもいい。
  
 
体の中で何かが変わる、体の隅々で古い何かが死ぬ。
体の中で何かが変わる、次の準備はもう出来ているのか、

その感覚を得て、
鮮やかに生きる。
 
その繰り返しなの、明確に思い出しました。 
 
 
 
麻雀で例えると、
優勝は二階堂亜樹
https://kinmaweb.jp/archives/114336

不倫火山とさんざん叩かれ、チームは最下位。
補強もしない、何が変わるの?
 
なのに、
前哨の監督戦も最強戦も優勝。

 一手変り三色とか、良い待ちとか、
 躊躇せず、即親リー。
 
 辺張きらって裏目っても、動じず234と引き戻し問題なし。
 
攻めるとこで、もっとこねくりたくなりそうなところ、
迷いが無い。
 
攻めの意識が変わったんじゃないですかね。
フライデーにすっぱ抜かれてから、キツかったと思いますよ。
離婚ですし。
  
あの動じなさは、変容したかもなと。思いました。
 
 
オカルト的には、
「点棒じゃなく運気の奪い合い」を実感する内容でした。

かつて救われたので、貼っときます。
 

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