もっともっと矢地祐介から学ぶ。目的と手段と、誰の声を聞くべきなのか【為末大】 やっぱこの世は適者生存。

以前も触れましたが、
予想以上に、矢地選手が同じように負けていました。
彼の闘う姿を観るのは辛い、正直不快でもある。
カミカゼが吹くと期待して特攻してるかのよう。
 
見切るべきを見切れないと犠牲が増えるばかりだ。
目的を見失っては、良い選択は出来ない。
彼から学べることは大きい。
 
 
 
具体性も自己分析もないので、

また戦えば、同じ結果を繰り返すと予想されます。
 
あの薄いグローブで鈍い音のするパンチを顔面と頭部に受け続ける姿は、
もうこれ以上観たくはない。
人生は長いし、壊れてからでは遅いし。
 

余計なお世話ではあるのですが、観てて辛いものね。
反応してしまう。
 
傍目からの反応は3つに大別されるようです。
 1.もう辞めたほうがいい。
 2.総合の練習に謙虚に地道に取り組め。
 3.次頑張ってください。応援してます。

私は1を支持しますが、
2は正論、3は残酷と、みます。
それぞれ、味わってみましょう。
 
 
 
3.次頑張ってください。応援してます。
毒親の期待にも似てます。
あのパウンドもらう姿を繰り返し何度も見て、
「次頑張れ」は残酷としか表現出来ない。
  
頑固な人は体で覚えるしかないが、犠牲が大きい。(by斎藤一人)
 
望まない結果が出るのは、信じてることが正しくないから。(by心屋仁之助)
 
結果が出たら、
 素直に正しくないを認める人と、
 同じ結果を頑固に繰り返す人と、
2種類に分かれます。
私もよく後者なので、身に沁みますね。
後者のため、
人生棒に振っていると見える人にも出会ってきました。 
  
 
ミッドウェイで負けを認めることが出来ていれば、
犠牲は最小で済んだはず。
もともと、
短期決戦しか勝機ないと承知し、そこで有利な交渉に持ち込む作戦だった。
プランBはもとよりない。
せめて、結果がどうあれ、そこで交渉と決めていれば。。
 
思考が変わらない反省は無意味です。
 
(方向性を問わず、)努力すれば報われると信じ、諦めない日本人のメンタリティ。
風土なのか、遺伝なのか、
 
合理を持つものからしたら、ただ恐ろしい。
高度成長期とか、目標が明確なときは、迷いが無い分強いが。
 
同じことをして、違う結果を期待するのは狂気。
それ回避するには、最近は、
急いで結論に飛びつかなくていい、立ち止まる勇気が大事だと、
少しは進歩したでしょうかね。私は。
 
 
 
2.総合の練習に謙虚に地道に取り組め。
ジークンドーから離れろ、ジム変えろ、youtube辞めろ。彼女と別れろ。
ごもっとも。
 
今伝授した技がその習熟で、試合に通用するのか、
それを考慮できないアドバイスが続くようでは、
軍師失格ですね。
 
戦略、戦術は実行者が誰なのかを無視しては成立しない。
アドバイス受ける側の心得でもあります。
する側の心得でもありますね。

武術の専門家も、その専門家の範疇でアドバイスしてる。
する側もされる側もその限界を自覚しておく必要があるということ。
 
あの華麗な立ち回りを見て、
魔法の杖のように問題解決してくれるのではないかと、
過度な期待をどうしてもしてしまいます。

自分の(相手の)全体統合に見合ったアドバイス。
心がけねばいけません。
  
 
 試合で悪い結果が続き、幻想にすがった、
 他で満足してるから、闘争心が薄れてしまった、
皆さん指摘してます。
  
本人も実は、競技者としての限界を自覚してるように見えます。
 
さかのぼって、調べてみたら、
2017年大晦日の五味隆典戦を境に、
身体能力的にもピークアウトしてるようです。 
 
以前と比べ、反応の遅さ、キレの無さについては、
筋肉の付けすぎを指摘する声も多いのですが、
逆に、
衰えを筋肉でカバーしようとしてるのではないでしょうか。
アスリートの30代は晩年に差し掛かっている。それが普通。
 
40過ぎのレジェンドに勝ってますけど、
全盛期をゴールデンタイムで観てた者からしたら、
当時だったらKO出来てた。結果は逆だと、思うことでしょう。

矢地選手は、
 ・KID亡きあと、環境が良くない。
  コーチ、トレーナ、練習相手に恵まれない。
  移籍できないのはしがらみか。

 ・スタンディングで、当てるより、もらう方が多くなる。
  元来荒い打撃の技術だが、
  身体の衰えから、パワーだけではスピードは補えない。
  実力者相手ではなおさら。

 ・マウント取られるとパウンド喰らう。
  五味戦でも、その兆しがあり、
  マウント取られても体を密着させず、
  リスキーなディフェンスしてる。
  ロートル相手には下から三角絞め決まるけど、
  間違った成功体験だったか。

スタンディングに自信ある者はKO狙い、
打撃互角なら、パウンドアウトを必死に練習するでしょう。
 
どうも、結果には必然があるように見えます。
そして、欠点を自覚してるか否かは定かではないですが、
正攻法の練習では、
反応の衰えを覆せないと、本能で知ってるのではないか?
だから、打たせないで打つ華麗な技にすがった。
一発逆転を信じた。
 
その結果、
現実を受け入れられなかった。魔法の杖は無い。
仮に解決策だったとしても、習得には時間が掛かる。
 
最低限、サトシソウザに瞬殺されたあとは、
敗因の分析が出来るまで、違う方向に歩きだすまでは、
休むべきでした。
 
間違った選択をして、結果ダメージを受けたなら、
最初は休む。回復を待ち、それから違う自分になってゆく。
トランジションのプロセスでは、
ゆっくりと、受容してゆくことが肝。
頑固な人は現実を受け入れず、繰り返しのプロセスに戻ってしまう。
受け入れる為にも、ゆっくり焦らず休むことが必要。
 
相手がグランドマスターだから、封じ込まれた。
もっと弱い相手なら、この方針のままで勝てると思ってしまった。
 
本来なら、気が済むまで失敗繰り返しても良いことですが、
格闘技でなければね。。
 
 
 欠点を自覚して、
 ランクを落として、
 もう一度謙虚に総合に取り込め、
というのは、正論です。
 
でも、
そこまでして、勝利を求めていない。
限界も感じている。
その気持が良く分かる。気がする。
 
 
 
1.もう辞めたほうがいい。
あの殴られ方では、後遺症が怖い。
それと、求めているのは、勝つことじゃないよね。
 
目的の勝利条件は、注目を浴びること。
軍人でなく、王様タイプなのだし。
それはyoutubeで実感出来てる。
 
勝利を彼に期待し続けるのは、毒親みたいな一部ファンだけで、
多くは迷走してる姿は観たくない。
コメ欄の比率からして、それはもう明らか。
 
目的に合致した手段を選んでないから、合理を感じない。
それは本当の目的を明確にしていないから。

例えば、
 試合に出続けることが目的なら、
 勝たなくても集客力やスポンサーあればいい。
 
 試合に出なくても、注目浴びられるなら、
 そのリングを選ぶ必要もない。
  
目的に合っているのはyoutubeの方で、玉砕戦じゃない。
 
 
 
必要なのは間違った成功を諦めること。

努力しても上手くいかない、まだ自分の努力が足りないのだろうか……もう無理だ、
でもここであきらめるわけにはいかない……
止めたいけれど、ここで止めたらすべて台無しになってしまうかも……
 
みなさんは、このように悩み、何かに見切りをつけられずに努力を重ねたことはないだろうか。 
私は心理カウンセラーとして、日々多くの人の悩みと付き合っている。そんな私が最近とても気になるのは、現代日本人の「あきらめの悪さ」である。
 <中略>
人はこのように激しく変化する環境におかれた場合、大きく2つのタイプに分かれる。しがみつく(=あきらめの悪い)人と、切り替えの上手い人だ。

 
 <強すぎる中間目標が妨げ>

「止められない」の背景にも、現在の行動パターンに関する「強すぎる動機」が存在する。
 <中略>
最終的な目標を達成するための、一段階手前の目標である。
 <中略>
「できる」「一番になる」「愛を得る」「仲間を作る」の4つである。

4つの中間目標に向かって盲目的に行動してしまう。止められず、満足せず、決められず、自分や社会を受け入れられない。

 
 <選択が困難な時代>

多くの情報から、自分が正しいと思う道を選ばなければならない。自分の将来を完全に背負っているという負担感がある。集団行動のときは、従っていれば、深く考えなくても何とか生きていけたし、自分だけが社会から落ちこぼれる恐怖はなかった。
 <中略>
社会自体の統一価値観が失われた今、誰もそれを与えてくれない。

<現実を受け入れがたい理由>

日本人は、努力が好きだ。そしてこの50年、その努力によって、人が動物として生きる上での危険をほとんど克服してきた。
社会が裕福になり、ほとんどの不自由を感じなくなった結果、我々は、どうやら「誤った万能感(何でもできるという思い込み)」を持ってしまったようだ。

日ごろから「心の切り替え」を訓練している人は、そんなダメな自分をあきらめられる。
 <中略>
うつの改善・悪化は、ダメな自分を受け入れ、これまで続けてきた努力を「あきらめる力」に掛かっているのだ。
4つの中間目標からの脱出力、プライドを捨てる勇気と言い換えてもいい。

現代人は「あきらめ」の練習を十分に積まないうちに大人になってしまう。

気がつきにくい精神疲労に襲われたとき、いったんレースから離れて、自分のエネルギーを回復させるという「あきらめ」ができず、結果として、うつ状態にまで落ち込んでしまうケースである。これは自殺にも結びつく可能性があり危険である。

 
バカポジティブの分かりやすい弊害の例として、思い浮かぶのは。
アンソニー・ロビンズが「出来る」でアンドレ・アガシをコーチし勝利を得たが、
のちにうつ病を告白したのは偶然ではない。
 
竹内結子さんはどうか分からないが、
三浦春馬さんや木村花さんは、努力で解決してきた人であり、
為末大は諦め上手である。

あきらめとは選ぶことでもある。今の作業の可能性、ほかの選択肢の可能性、未来の選択肢の可能性などから、一つを選ぶ作業。とても高度な活動だ。

 
  
諦めのやり方については、為末大がオススメ。

「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」

人間には変えられないことのほうが多い。だからこそ、変えられないままでも戦えるフィールドを探すことが重要なのだ。 
僕は、これが戦略だと思っている。 
戦略とは、トレードオフである。つまり、諦めとセットで考えるべきものだ。だめなものはだめ、無理なものは無理。そう認めたうえで、自分の強い部分をどのように生かして勝つかということを見極める。 
極端なことをいえば、勝ちたいから努力をするよりも、さしたる努力をすることなく勝ってしまうフィールドを探すほうが、間違いなく勝率は上がる。

 
諦めとは何か?についての考察が深く。実践に凄みある。

多くの人は、手段を諦めることが諦めだと思っている。
だが、目的さえ諦めなければ、手段は変えてもいいのではないだろうか。

「私がこの種目を選んだのは、勝ちやすいからです」

現役生活を引退してどのような業種に進もうかと考えたときも、僕は「自分が勝てる場所」をかなり意識した。アスリートが引退したあとの進路としては、スポーツキャスターが最も脚光を浴びるフィールドだろう。しかし、この分野は競争が激しく、なまじの実績だけでは通用しないフィールドである。仮に勝ったところで社会にインパクトを与えるという僕自身の人生の目的に近づけるかわからない。

 
 
私は、
優等生でなく欠陥車でも特徴ひとつで生き抜くことが出来ると、
小学生のうちに本から教わって幸運でした。

環境がどうあれ、とにかく生き延びる。それを目標に自分の力をつけて、仕組みをつくっていきたい。

人間は物心ついたときにはすでに剪定がある程度終わっていて、自分の意思で自分が何に特化するかを選ぶことができない。いざ人生を選ぼうというときには、ある程度枠組みが決まっている。

   
矢地選手見てると、どうしても為末大と比べてしまう。

強靭な身体、強い精神力を持った選手が、脆弱な思考力しか持ち合わせていないことも多い。そういう選手は何をやればいいかが決まっているものに関しては、人並み以上に耐えられるけれども、何をやればいいのかを考えることに関しては、耐えきれない。だから他者に答えを求める。
積み重ねと違って、「何をがんばるか」という選ぶ努力には、冷静に自分を見てだめなものはだめと切り捨てる作業がいる。これは、精神的にかなりつらい。

ジークンドーとの出会いは、
強くなることじゃなく、転身の兆しだと思うんだよ。
スロー過ぎて試合では使えないと、自分で気づくしかないけど。
 
 
 
わたくしごとで恐縮だが、
良い最終結果を得るときは上手く諦めが出来てた。
目的は明確であった。
 労働の代わりに、
 安定的、定期的、長期的に収入を得る仕組みを手に入れて、
 自由に成る。
 
そこから、
 労働の代わりに投資を選び、
 投資の中でも時間の自由な不動産を選び、
 不動産の中でも、身動きの軽い収益物件に絞る。
 
 目指す物件を手に入れるためには、
  ストライクを明確にして、良い紹介を受けられるよう行動を改める。
  物件探しを習慣化して、感情を消費しない。無駄打ちもコストとして受け入れる。
  
 しかし、撤退条件は最初に決めていた。
  100軒現地調査をしても手に入らないなら、別の道を探そう。
 
   
働くことと違い、
「できる」「一番になる」「愛を得る」「仲間を作る」とか、
そんな執着はまったく関係なかった。
自由を欲して、自由を得た。
 
そもそも幼年期から集団に対して、疎外感、不信感を持っていたのも幸運でした。
 

しかし「この道が唯一の道ではない」と意識しておくこと、そして自分が今走っているこの道がどこにつながっているのかを考えてみることによって、選択肢が広がるのは確かなのだ 

 
 
今の目的は、大きくは、相変わらず、自由になりたい。
もうちょっと特定すると、
 精神の苦しみから自由になりたい。
なのですが、
 
働くことの宿題に関して、まだ不明確ですね。
何が得たいのかが。
 単純にお金欲しいの?
 出来る自分が承認されたいの?
 孤独を紛らわせたいの?
 仲間と一緒に達成感味わいたいの?
 
ブレてるから、まだ引き寄せられていない。

大きな決断ほど勘にゆだねたほうがよい気がする。
 <中略> 
無意識と意識のバランスが普通の人に比べて格段にいいように見える。勘にゆだねるときゆだね、論理的に詰めるときは詰める。

それが今の課題かとも思う。
  
ただひとつだけ、異論があるのだけど、

「あなたはオンリーワンだからそのままでいい」という考え方の落とし穴は、社会に存在する物差しで自分を測ることを諦めなさい、というところである。
 <中略> 
「社会側から自分は一切認められなくてもいい」という諦めと一体なのだ。

いや、
ゴールが「苦しみから自由になる」の場合、
そういう諦めが必要っぽいんだよねぇ。勘だけど。
 
働くことを考えると、私はまだ整理がついていない。
 
 
 
それはさておき、人の頭のハエを追うと、  
ヤッチ君も、
 よく休んだら、
 思い込みから解放され、
 目的から見つめ直して、
人生再設計されること祈念してます。

  
人気ものになれる人なんだし、資質と目的は一致している。
 強くなくていいし、
 勝たなくていいし、
 かつてファンの期待に応えなくていいし、
 悪い環境から縁切っていいし、
 
youtubeのせいで弱くなったのなら、決して悪い変化じゃないよ。
敗因を「勝ちへの執着」に求めるのは、
いろんな意味で間違ったものを信じてるよ。
 

自分の将来に薄々気づいていながら諦める、やめるという選択に踏み出せなかった背景には、何かこの社会の根源的な問題があるような気がしてならない。

応援してくれる人が一人でもいるかぎり現役を続けたいという考え方をしていては、引退後のキャリアで苦労するのは目に見えている。それは、応援してくれる人の責任ではなく、自分の責任でしかない。

ダラダラとフェイドアウトするようなやめ方ではなく、儀式のようなものをもって終わらせるのも一つの方法だ。
 <中略>
この日までにレギュラーを取れなかったらやめる。それを周囲に対して表明しておいてもいいし、自分と約束するだけでもいい。

どうしても実現したいこと、手に入れたいものがあるのなら、「この時点でこれが出来ていなければ終わりにする」という基準を、繰り返し繰り返し設定することが必要になってくる。 

得難い資質を活かして、よりよい未来を選択されたし。
朝倉未来が遠回しにアドバイスしてたように。
 
 
 
為末大はAKB総選挙にも触れて、強みを活かす戦略性を語る。

指原ってあんなセンスすごいのだから、顔いじらなくていいのにな。
美人にならなくても、勝てるとこで勝ちゃいいんだし。

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