餅は餅屋。
専門なことは専門家から学ぶ。
専門家は知識も実践経験も伴った人。
知識だけの人を盲信してはいけない。
ある分野の専門家でも、専門外のことは素人以下。
守備範囲の外のことを盲信してはいけない。
ややもすると、減点主義になってしまうのですが、
良いところは良いところでちゃんと評価しないとね。
そんな経験をしました。
無料のZOOMのセミナー。「リレジエンス」がテーマで、その研修への集客が目的。
に接続してみた。
珍しいダメさ、を体験することになり、
とても貴重でした。
リレジエンスとは、立ち直る力のこと。
簡潔に分かりやすくまとまってる動画。
個人的には、
大きなショックからの回復と、
日々のストレスへの対処の仕方は、
分けた方がいいと思うし、
ポジティブシンキングは根絶治癒にならないし、
判断力そのものは問題視しないし、
なんか、ブラック企業に利用されそう。
さらに、
レジリエンス学んでもレジリエンス自体は高まりそうにない。
困難への対抗をモデル化しただけ。そこが限界。
コンテンツそのものに弱点がある。と見る。
レジリエンス自体は高めるには、
思考法、脳のメンテナンス、リーダーシップ、etc
など必要になり、それは他で習得するよりない。断言してしまう。
ま、それはそれで、
どうでもいいけど、
とにかく、ZOOMセミナーは苦痛な2時間だった。
この人達は、構成とか、編集とか、効果とか、
考える能力がないのかなぁ。
研修を生業としてるはずなのに、
コンテンツ以前にマニュアル君たちの職業的技倆に呆れた。
まあ、一生懸命研究はしてるんだろうけど、
本来10時間超の研修を2時間で説明しようとして、
早口でしゃべり、10時間分の資料を消化しようとする。
本来15分のグループワークを3分で行う。
グループワークでスタッフは常に時間切れで終了。
結局、
資料の時間が足らず、無理に端折ったのに、延長。
グループワークは意味のある3分ものには成らない。
A4で5枚分の資料を一枚にまとめるのに、
文字のフォントを1/5にして、米粒の羅列の印刷物を配る。
そんな状態に自ら気づけない。
こんな状態で集客になるのかな。
その口が目的意識とか言うのか。。
認知が歪んでないか?
それでいいものかどうか? の判断力も無く、
そもそも自主的に全体の構成力が無いので、判断力を持ちようがない。
言われたことをただこなすだけのマニュアル君の認知能力を、
まざまざと見ることになりました。
前提条件を疑うことを知らない。眺め直さない。客観視できない。
もしかしたら、本当は、
2時間用の台本用意すること許されないような組織で、
ブラック企業の兵隊養成用の研修が目的、
なのかもしれない。
そうでないなら、ましな講師揃えないと、コンテンツがもったいない。
ま、それはさておき、
リレジエンスを実現するにあたり、自己選択の回復が先決だな。
自分に対するリーダーシップの問題。
自分に囚われず、状況を理性で客観的に眺めて、課題の分離。
意思決定と、感情に向き合う、をそれぞれを行い、かつ統合。
困難な状況への対応を再確認。
構成や進行がダメなので、自分の時間を任せるに値しない。
しかし、
ZOOMだから画像も音声も送信せず、音声だけ流すことは可能。
10時間超のコンテンツを早送りで聞き流す時間と、意味を再設定した。
退屈過ぎたら離脱しよう。
時間意識の無い人達に自分の時間を委ねないことは可能だ。
困難(と思いこんだ)状況を解除する技法の一つを、このときで使った。
あの時間のおかげで、この本に出会えました。オススメです。
ありがとうマニュアル君たち。
なかなか壮絶でも明るいのが素晴らしい。
知識も豊富な方ですが、知識だけでない全て実践ですから、
マニュアル君とは重みが違う。偉人です。
賢くて、どんなときも常に貪欲に学ぶ。
その時の私は、諦める事を受け入れ、覚悟を決め、「自分が生きたいように生きる事」を選択したのだと思います。
ポジティブシンキングが危険で、ブラック企業に利用されやすいのは、
判断力を奪うから、結局依存的になる。ポジティブの奴隷。
自由意志を発揮したいなら、現実の受容が出来ないと。
苦しむだけ。
マニュアル君と実践家のコントラストが、多くのことを教えてくれます。
ありがとう。養殖ハマチのような思考で居てくれて。
誰に何と言われようと、思われようと、そんなのちっとも関係なく、どうでもよかったです。私が決めた事は、私の責任において全てを覚悟して生きていく。自分が選択して人生を拓いていく、そこには何の迷いも曇りもありません。
すぱっと潔い気持ちだけがあり、充実した気持ちです。
ストレスに対処する方法については、脳の機能を学ぶ方が有効ですね。
キーワードはセロトニン。
このセロトニンには、「クールな覚醒」といって、脳の状態を、落ち着いた状態でありながら非常にクリアにするという効果があります。
一定量のセロトニンが規則正しく出ることによって、セロトニン神経は、ドーパミン神経やノルアドレナリン神経の過興奮を抑え、脳全体のバランスを整え、「平常心」をもたらすという働きをしているのです。
ストレスでセロトニンは減少してしまう。
ストレスを受けるとストレス中枢である視床下部・室傍核に刺激を与えます。その結果、縫線核を経由してセロトニン神経のインパルス発生を低下させてしまい、セロトニン量そのものを減少させてしまうのです。
セロトニンは活性化させられる。
すぐには変化してくれませんが、毎日セロトニン神経を活性化させ続けていると、構造自体が変化し、セロトニンの放出量が多くなるのです。
活性化させるには、
セロトニン神経を活性化させるものは、主に二つあります。 一つは「太陽の光」、もう一つは「リズム運動」です。
ゆっくりとした腹式呼吸を一定時間続けると、脳の「大切な部分」に変化が表れるのです。その変化が表れる場所というのが、うつ病やパニック障害と深いかかわりを持つ「セロトニン神経」です。
そして、もう一つ、エシディシのように号泣するのがオススメだそうです。
泣くとスッキリするのは、脳の中で「ストレス状態からリラックス状態へ」という、決定的な「スイッチング」が行われているからなのです。
一方で、ストレスの正体を承認欲求に求めます。
人間だけが感じる精神的なストレスが二つあることをご紹介しました。「快が得られなくなるストレス」と「他人に認められないストレス」です。人間だけがこの二つをストレスと感じるのも、実はこのストレスが前頭前野の発達と関係しているからなのです。
つまり人間は、前頭前野という脳の領域を発達させたことによって、他の生き物では感じないストレスを感じるようになってしまった。
承認欲求を満たそうとするのも人間に固有な脳の働きで、
満たされないとストレスを感じるそうです。
なお著者は、「他人に認められないストレス」を仏教の行苦から引用してますが、
苦しみのことは、苦しみの専門家から学んだ方がよい。
他者から承認欲求を得て満たそうとするのは、限界がある。
逃れられない苦は諦めるよりない。
脳の専門家の認識はちょっと甘く。
承認欲求の扱い方や、根源的苦しみの対処法は、他から学んだ方がいいですね。
とはいえ、
脳の使い方を意識して、ストレスに対処するのとそうでないのでは、
雲泥の差が生まれそうです。
そして、
学習意欲はドーパミンの快楽の作用なのですが、
レジリエンスが全てダメってこともなく、
困難から学ぼう、成長しようという、ドーパミン系の発想にも、
得るべきことはあります。
セミナーとしてはダメダメでも、そこから学べることはあるのですから。
そういう発想は、レジリエンスから学べます。
もうちょっと良い構成で、レジリエンスという概念の有効性伝えられたのに、
ZOOMセミナーあれじゃあ。
コンテンツ自体には良いとこもあるのに。
そこで、
良いともあるのに、
もったいない映画をアマゾンプライムで探してみました。
コメント欄で賛否の差の激しいものから選びました。
斎藤工は監督としては、ちょっと厳しいか。
映像であっても説明的過ぎる。
葬式の格差を描くのも、説明的過ぎてクドいと、私は評価しません。
セリフも上手くはないですけどね。
冒頭、リリー・フランキーと蛭子さんと杉作さんと空気階段もぐらが、
麻雀打ってて、発ポンして、「ホントは鳴きたくないけど」ってセリフありますが、
(実際そういう余計なこと言う人、雀荘にいるだろうけど)
映画そのものが、余計な説明いらないよって、思える場面が多いです。
火葬の説明とか必要か?
ま、しかし、
お話の内容上、前半で状況説明するのは仕方ないかもしれない。
なら、
手際よく30分くらいで説明と割り切って、回想シーンまとめたら。
それから、
1時間くらい掛けて、きっちりワンシチュエーションやりきるべきでしょ。
勇気が無い。
アイデアは良いのに大変もったいなく感じました。
キャストは、原案を活かすなら、
斎藤工は放送作家でよいでしょ。
大手広告代理店の社員に見えません。
高橋一生が原案どおり現金輸送車の運転手なのも活きてません。
お固い公務員とか、こちらを創作にすべきで、
兄弟の配置とコントラストが合ってないのが、とても気になりました。
ただし、
映像は綺麗で、間は良いです。
葬式でいろんな人が生前の様子を語るところは、ちゃんと面白い。
せっかくいろんな人配役出来たんだから、
佐藤二朗はじめ、演者さんに任せて、
ワンシチュエーションをたっぷり観たかったですね。
アイデアが途中でネタ切れかな。できれば頑張って欲しかった。
葬式のシーンで救われてる映画でした。
皆とてもいい、
ただ監督は厳しい。魅せるところとそうでないところの区別が出来てない。
低評価な理由は、余計なことしなきゃいいのに、でした。
ドラマを作ろうとして、失敗してます。
休暇で来た安藤サクラが、
周りの人巻き込んで演奏会を実現させて、
休暇が終わって帰ってゆく。
主人公の女の子は少し成長してる。
それで良かったはず。
がんばれベアーズで充分でしたよストーリーは。
おじいの死とか要らなかった。
脚本が邪魔してます。
物語の進行と説明を安藤サクラが一手に引き受けるので、
彼女が大根に見えます。致し方ないと観てました。
女の子は敏感なだけじゃなく、
せめて歌は上手いとか、プラス面もありそうな気がしますが、
ただマイナス面というのはちょっと違和感。
ま、それは別のお話になってしまうので、やむを得ないか。
良い点は、
演奏をちゃんと頑張ってることと、沖縄民謡が本物なこと。
主題である音楽をちゃんと扱っているので、説得力あります。
日本映画では題材の扱いが雑なケースも多いなか、頑張ってます。
役者さんは皆、達者です。
とくに、渋川清彦がイイ。
本職がミュージシャンだからか説得力抜群でした。
ほんとに、がんばれベアーズで良かったのに。余計なことを。
これは、高評価多いのに、低評価に同意というケース。
2020年の目で見るから仕方ない面もあります。
難しい役どころなので、内田有紀はどうでしょうか、
そこまで美人でなくても、もっと上手い人が望ましい。
最初から、薬の過剰摂取が常態化してる時点で、
心に問題抱えてるのは自明です。
闇があるはずだけど、そう見えない。それは、
内田有紀の演技の問題なのか
あるいは、
あえて「カッコーの巣の上で」的なことやりたいのか、
どっちなのか分からないので、観てて乗れません。
どうやら、
一見正常そうで笑わせておいて、
後半、心の闇を明らかにするという展開と段々分かりますが、
笑わせようとしてるところが、面白くないです。笑えません。
なんか全部が上滑りしてる。
人物の描写が記号的で、表面的で、薄っぺらく感じます。
で、後半、内田有紀が実は深刻と言われても、
そりゃそうだろうな。としか思えません。
ラストも治った理由が特にないので、また戻って来るんだろうな。
という印象しかありません。
心の闇が露呈したときの心情表現が、
もっと上手い人じゃないと成立しないんじゃないかな。
脚本が表面的であっても、役者さんが良ければなあ。。
アイデアはいいのに、惜しい。
あんだけ豪華で達者なキャスティングなのに。
良いとこは、飽きさせない演出。
画は面白いです。楽しい。
笑いは滑るし、心の闇を描くには浅すぎるけど、
映像はとっても良い、センスあるなと観てました。
他にも観ようとして途中でGiveUpしたの何本もありましたが、
最後まで観れたのは、絵力のおかげです。
笑わそうとか、どんでん返しで驚かそうとか、
邪心抱かずに、上手な役者さんで心の闇に迫っていれば、
もっと良い映画になったんじゃないかな。惜しい。
構成要素って、たくさんあるので、
全てが良くハマるとは限らない。
良い部分を自覚的に大切にすることって、
余計なことをしないこと。
大事ですね。