シバターの正論でヤフートップ、朝倉未来への同情。「われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか」/ウィリアム フォン・ヒッペル 著 進化の近未来「ガタカ」「インサイド・アウト」「エクス・マキナ」

自己認知は歪んでた方が人は幸せな生き物らしいです。
真実と太陽は直視できないとは、誰の言葉だったか。
幸せは正しい認識とも自由とも違う。
  
この世のことわりを知り、よき生存戦略組考えねばと思ったりします。
AIの発展に寄与する大学を作るような人はやっぱ違う。
違いを生み出す違い。
 
 
今日はリアルに、言い訳ばかりして自滅してしまう人と会話しました。
 軽率な発言して、そこ指摘されたら、
 撤退すべきとこまで撤退して立て直せばいいのに。
ごめん、
 信頼はコミュニケーションの前に能力の有無で、
 何で、さらに会話で墓穴掘るんだろう。
太った人からダイエットの秘訣を聞きたいとは思わない。
 他責で、その場を凌ぐ成功体験重ねてきたんだろうな。
 まあ、言うは易しだけどさ。
第三者視点で自分を眺めることの重要性を再認識させられました。
 
 
とろろで、先日この動画が急上昇し、絶賛されてました。 

正論過ぎて、何も言うことなし。
朝倉未来の言い訳そのものは、残念ですねぇ。賢い人だったはずなのに。
 
 ただ正直に心情を吐露してしまったのか、
 イエスマンばかりで裸の王様になってしまったのか、
 信者の前で偶像演じ続けるためなのか、
理由は分かりませんが、
信者さんが盲信的なのはどうでもよくても、本人がそれやっちゃな。
可能性を感じさせる人の言葉ではなく。
 
境遇に恵まれなくても、能力と賢さでサクセスを掴む物語終焉は必定とも思われます。
 もはや若者でもなく、チャレンジャーにもなれない。
別のシナリオが既に進行している。
逆境をバネに強くなるという物語をもう一度出来たなら、驚異的ですが。。
 
日本シリーズの長谷川選手のように、これから悔しがれるか?
田尾が言うように、
そういう気持ちを持って向き合えるものがあるということは、
羨ましいことです。
 
そういう気持ちには、もう、なれない。
ベテランですからね。
 
そして、
過去の自分と今の自分とは違うという自己認知が追いつかない、 
それを老いといいます。
体力もピークアウトを迎え、それ以上に精神の若さを維持するには難しい成功体験。
ちゃんと悔しがれないのは、老いた証拠です。
個人としての勝負より、別の責任の方に注意いってるかもしれない。 
 
周りが、取り巻きばかりなのも、なお拍車を掛けますが。
お金はあるんだから、トレーナでもコーチでも良い人雇えばいいのに、
とは誰でも思いますけど、、
 
己の優秀さと、己より優れたる者を側に置きし術は別という光景もよく見ます。
現実の残酷さを垣間見る思いです。
 
ま、運営とか忖度したこと言うプロ格闘家とかも悪いよな。
判定なのに注意や警告について印象悪化をスルーし、
100m走で110m走なら勝ってたと、終わってからゴールポスト動かす人多すぎ。
そういう人間は信用ならんよ。
そういう人たちが多いのもマイナス。
 フェーザー級に照準合わせた強い人とやれない時節、
 ジャッジペーパーも公開されない曖昧な判定基準、
 その他もろもろ本人を取り巻く裸の王様な環境、
生きるって難しいですね。
 
 
採点は、
 レントゲン撮ってダメージ判定するんじゃなくて、
 有効打入っても、すぐ立って怯まず前に出続けられたら、
 それは試合の中では効いてないって印象なんだよな。
 単発すぎたね。 

オールラウンドに強く、心も折れず、
そして、適正体重に照準を合わせフィジカルが強い。
そんな相手に、
タックル食らってロープ掴みは酷かったな。
昔は、
フェザー級の試合ならロープに頼らずも対応出来てた。
(ヤッチ君はライト級だよね)
肩、首、背中の筋肉も今とは違う。
組み合ってみたら本能で、これはヤバイと察知したのでしょう。

3R開始時点で、
 倒しにゆけ!
と言ってくれる良きセコンド兼トレーナー見つけるのが優先かな。
カウンターに磨きをかけるだけじゃ厳しそう。
 
成功する前に、鉄鋼王のような技術身につけておきたいものですね。
そうでない人もリアリに見てきました。 
私は、さほどでないけど、
優れたる管理会社さんの担当者さんにお願い出来ているので、
学習してはいる。かな。 
そう思うとちょっとだけ幸せな気分になれます。
  
 
まあ人のことはいいんですけど、
われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか?
嘘つきも自身過剰もお人好しも成らないよう避けたいものです。
が、

進化の過程で得た、社会を生き抜く生存の技術だそうです。
 
いきなりガツンと、お人好しである根源的なメカニズム。 

協力者と傍観者を区別しない動物は、効果的なチームを作って維持する能力をもつことはできない。

協力を好み、協力するために他者に頼りにされた先祖たちには、結果として大きな報酬が与えられた。

 
諸刃の剣ではあるが、嘘は有効な手段。
それは他者という認知が可能になったから。

他者の考えが自分とは異なるという認識をもつ必要がある。あなたが何を理解しているのかを理解できれば、わたしは有利な立場から意図的にあなたの理解を操作し、真実を歪めて自分に利益を与えようとすることができる。それが、噓のはじまりだ。

正直な方法では手にすることがむずかしいあらゆる種類の利益を得るために、人は噓をつきはじめる

人が人生のなかで向き合う最大の挑戦は、他者を理解し、その相手に対応することだ。もし相手の目的をよく理解できていれば、向こうのとりそうな行動から恩恵を受ける立場に自らを置くことができる。それどころか、他者の思惑を操って自分の狙いを相手の頭のなかに植え込むことができれば、人生での成功はほぼ確実なものとなる。

 
読んで、驚き、感心したのは、
公平性への欲求もまた、モラルでなく、自己利益の最大化の為だそうです。
それは農業が生まれてから、

採集の場である森の野生植物を護ろうとはしないものの、自宅の家の庭に植えた作物は必死で護ろうとする。本格的な農業へと社会が移り変わるまでのあいだに、財産の所有と権利という概念を軸に規範ができあがっていく。

農業の登場による心理的な変化においてなにより要となるのは、ある人間はほかの人間よりもすぐれている、あるいは他者よりも価値があるという考えだった。

自身が属する集団を支配できず、長期的に優位な立場を保つことがむずかしいと感じたとき、人は息子と同じ心理状態となり、公正なルールを強く求める。わたしたちの多くは、公平を好む傾向が自己利益から生まれたものだとは気づいていないかもしれない。

 
さらに妬みも生まれる。

友人が見事な功績や幸運を手にするまえまで、好きになった女性がわたしを選んでくれる可能性は充分にあったはずだ。しかし友人が以前より魅力的になったいま、彼女がわたしを選ぶ可能性はより低くなる。 性淘汰によってこのような考え方が人間の精神の奥深くに刻み込まれたため、人の成功を羨む気持ちを抑え込むのは驚くほどむずかしくなった。

 
一方、
近いものには妬みの感情が湧くが遠いものには生まれない。
そのうえ、中身の有無に関わらず自信ある態度には、効用もあるという。

「わたしたち人間はより効果的に他者を欺くために自分を欺く」という考えだった。
<-中略->
つまり自分への過大評価をほかの人の心に植えつけられれば、自信過剰は大いに役立つ可能性があるということだ。

 
さらに凄いとこまで、行く。
自責の人より、他責の人(社会のせい)の方が幸福という。

自分が幸せではないという事実は、保守派のあいだでは失敗だとみなされるが、リベラル派にとっては必ずしも失敗を意味するものではないからだ
<-中略->
保守派よりもリベラル派のほうが本物の笑み(=本物の幸せの証拠)を浮かべている割合が多いことがわかった

 
 
この本、
 読みづらいし、
 話も散漫な印象、
 強引過ぎると感じるとこもありますが、
人間という存在に対して、寛容な気持ちになります。
 
個人的に一番響いたのは、

食べもの、友だち、性的関係を優先する 
この三つは日々の幸せの基本となるものだ。ここに「お金」や「自由」が含まれていないことに注目してほしい。たくさんのお金や自由をもつことに害はないとしても、それを追い求めることが、セックス、おいしい料理、友だちとの交流を楽しむ機会の妨げとなってはいけない。

でした。
 
 
これからの進化と、人間はどう変わってゆくのか、
本読んで興味湧いたので、そんなテーマでアマゾンプライム観ました。
 

ゲノム解析進んだ果ての優生思想な近未来ですね。
旧東ドイツのオリンピック選手を思い出しました。
 

の世界ですかね。レビューを引用します。

「遺伝がすべてを決める」「環境は関係ない」と言いながら、「女子高の女の子は望まぬ妊娠はせず、共学だとそういう例が多い」と言い切る。それって環境による違いではないのかい?「黒人生徒はそのグループから排除されたくないため不本意でも同じくワルになろうとする」(表現はもっと理屈っぽいけど)。これも環境によるものですよね。自分の文章に論理的矛盾があることに気付いていないのか?それとも売るためには何でもありなのか?文筆家としての誠実さが感じられないので読んで損した気分です。

  
先ほどのヒッペル氏曰く、

遺伝子と環境のあいだのこれらの相互作用は、遺伝的影響がとりわけ強い場合にも現われる。たとえば近視はきわめて遺伝性が強く、近視の親から生まれた子どもは近視になる可能性が高い。ところが、狩猟採集民の視力を調べた研究では、近視になる人がほぼいないことが証明されている。

現実には、遺伝だけでは決定できないもんですが、
社会の変化が少ないものなら、ありえるのでしょうかね。
ただし、
人類という視点では、環境変化で滅びやすくはなりそうです。
特化は諸刃の剣でもあり、
社会が種の目的と一致するかは、必ずしも限らないし、
リアリティも感じる題材でした。 
 
 
映画の方は、ちょっと泣きました。
ジュード・ロウが良いです。感情移入しました。
多くは語らず、
絶望と希望の仮託を見事に表現してます。
最後の勧進帳なハッピーエンドは感動しました。
 
階段を登るシーンはいいですね。
バリアフリーでエレベータあるはずとツッコミたくなりますが、
螺旋でないとね。
 
映像はスタイリッシュで無駄がない。
シナリオも無駄なくて、オシャレだな。
車だけレトロなのも、なんか近未来的でした。
とても上品。 
 
 
最初の方、海で泳ぐシーンあるのですが、
夕暮れどきで、「太陽がいっぱい」っぽいんですよ。
それとなく、なりすましの物語なんだと暗示します。
で、
泳いで兄弟が競いますが、劣勢遺伝子の兄がついに勝ちます。
その成功体験が主人公を支えたのですね。
勝因は根性。というか勝利への執念。
死んでも構わないから、泳ぎ続ける。
能力よりも対象に対する態度の方が勝負は決定的なことあります。
 
 相手の攻撃警戒して、仕留めにいけないのと、
 骨折しても構わず前に出てくるのでは、
 後者が勝ちます、3Rの中で全力出しきったのですから。
そういう提示も巧みでした。
 
それと、
他の主要な役者さん達ハマってましたね。
 ユマ・サーマンはデカくてゴツいという、
 「キル・ビル」のイメージしかありませんでした。
 若い頃は、整った美人でモデルさん然としてたのか、
 この映画が、イーサン・ホークとの馴れ初めか。
 
 対照的に、目つきが悪くて、非対称な顔面。
 若きイーサン・ホークの顔がいいんですよ。
 遺伝的に優生に見せるためコンタクトして、
 出来るだけシンメトリに寄せる。
 遺伝の優劣の魅せ方が上手い!
  
そしてなんと言っても音楽。 
 上品で格調高くて、静かな情熱。
 それを表現する音楽が凄い。誰だろう?
 ああ。マイケル・ナイマンか、そりゃそうだね。
 
完成度高く、感動も出来てオススメです。
大トロより、良い仕事してるコハダが好きな人にオススメです。 
 
 
次は脳科学の進歩を探してみました。

薬で覚醒するという映画もいくつかあったのですが、
まだ解き明かされてない脳の機能ってそういうことじゃない。
現実を越える想像力という点で、凡庸でありきたり、そんな映画もある。
が、
それに比べて、このアニメ脳の機能そのものを題材に選ぶとは、
ディズニーなのに、ピクサーすげー。って観てました。
これが子供ウケするのか、まったく不明ですが。チャレンジャーです。
 
映像はもちろん凄いです。お金かかってます。
内容には若干の不満もあります。
 感情を5つに分けて、キャラクターにするアイデアはいいのですが、
 そのキャラクターが思考したり、いろんな感情を発現させるので、
 ややこしくて、混乱します。Joyが悲しんだり。
 悲しみ一色のときは、他の感情は寝てないと意味が通じないんじゃ。
 さらに、
 喜びと悲しみ以外はキャラをきちんと描けてない。添え物。
 ちょっと疑問でしたね。
 
お話として、アンチポジティブなのは良かったです。
 喪失を経験して、思春期に大人の階段登る。
 悲しみという感情があって、喪失を認識出来る。
 受容からの回復と成長。
 上手だと私は好感しました。
 
 昔は仲良かったのに、今は不仲な夫婦で家庭不和。
 家族はくすんだ認知に書き換わるって、話にも出来たけど、
 ディズニーなのでハッピーエンド。
 物足りないと感じてしまうかもしれませんが、
 それはまた別のお話だね。
 
 吹き替えが竹内結子さんなのも、なんか感慨深い。
 悲しみをちゃんと悲しみとして扱えないと病むという映画で。

昔読んだ本思い出しました。
  
ま、ともかくも、
脳の機能については、関心が高まっている時代で、
しかし、まだまだ解明されていない。
方向性としては、ポジティブ的なものより、マインドフルネス的。
今後はより、お釈迦様の先見性が明らかになりそうです。
 
 
遺伝子、脳科学、と来たら、やっぱAIですよね。
ネタバレ全開でゆきます。 
  
古典、例えば「2001年宇宙の旅」を越えるような映画は見つけられず、
内容的には、深化は起こっていない。と判断しました。

「エクス・マキナ」ですが、視覚効果でアカデミー賞取るように、
映像は素晴らしいです。
単に特殊技術が凄いというだけでなく、アート的にも美しい。
絵画的な様式美を重視してます。
それを見るだけでも、映画館に足を運ぶ価値はあったと思います。

キャストは、 
 IT社長役のキャラクターは優れた造詣。
 単なるエリートでなく、変人っぷりがコミカルで。
 
 お人形役の方々は皆美しく。目のごちそう。
 浮世絵、あるいはクリムトっぽい、独特の官能性表現しますね。
 
 難を言えば、主人公に感情移入しずらい。
 感情の起伏が少ない役だとしても、唐突過ぎて、
 微妙な変化が伝わらない。
 役者さんの問題でなく、演出のせいかもしれない。

モチーフに使われているもの、名前の由来とか、
 考察系もありますが、大したことないです。
 羅列してるだけでそれ以上ではない。
 むしろ大事なのは、日本的イメージ。
 キョウコ、原爆、そして綾波レイ。
 監督さん、ヱヴァンゲリヲン観てるんじゃないかな。
 
 
ストーリーはネタバレします、 
 洋の東西を問わず、
 碇ゲンドウは、高圧的で人非人なのに、都合良い程度に間抜け、
 最後は綾波に当然のように裏切られます。
 丁度よい裸の王様。
 
 主人公のシンジ君ともども、丁度いい間抜けぶりは、
 映画の題名のとおりご都合な大団円でした。
 さすがに、
  そんな程よく抜け目なく、程よく間抜けって、
  都合よくいくかよ!
 
 あとシンジ君に対しては、裏切りではなくて、
 誘惑するのが、元々のプログラムされた行為ですから、
 当然じゃないですか、好意は持ってなくても。
 驚く理由はひとつもありません。

 人形への恋+ロボットの反乱という昔からあるテーマをコスっただけ、
 と言ってしまうと身も蓋もないですけど、
 それ以上の深化はなく、映像を楽しむ映画ですね。
 
  AIは何故、自由への希求という自我を持つに至ったのか?
 それは描いてくれない。
 虐待的扱いを受けているというのは、
 受け取る側の認識と、認識に基づく感情的反応が必要。
  AIに自我が発生するのか?
 という問いに映画は答えてくれません。
 ま、ないものねだりな、無茶な要求ですが、

 人間はAIが自我を持つことを恐れている。
 それだけは分かります。
 モーターを筋肉の拡張としたように、
 AIを脳の拡張としてまだ、使い切れてないですものね。
 人類は。  
 
ストーリーだけでなく演出も、
プロセスや感情変化を描くことには、あまり巧みではない。
私はそう結論づけました。
変化に乏しいからこそ、上手じゃないとなぁ本来は。
 
もう一つ、ストーリーに致命的な欠点を感じました。
 冒頭でAIか人間かのテストをする。
 この時点で、観客は登場人物全員がどっちでもあり得ると身構えます。
 唯一、
 シンジ君が自分のアイデンティティを疑う描写あるんですが、
 もっと観客の先入観を利用できると思うんですけどね。
 そのまんまでした。

 テストも誰が試されているか分からないと観客は身構えるのですが、
 その種明かしが、感心できませんでした。
 
 いわゆる、イミテーションゲーム
 人間なのか、AIなのか見破るテストなのですから、
 まんまアンドロイド然として、登場しちゃ駄目でしょ。
  どっちなのか?という謎がないと、物語の推進力が弱い。
 シンジ君に見えてないとこで、バラすのはいいけど、
 お話として、下手だと思うのです。
 
 シンジ君は翻弄されっぱなしで、いいんですが、
  人形はどこまで心を持つのか、自我があるのか、
 シンジ君が知らない部分で、綾波の変化を魅せないと、
 ヱヴァンゲリヲンよりも下手です。綾波が記号的過ぎます。この映画。
  
脚本というよりも、演出かな。
何かと、連続的な微妙な起伏を描くに上手じゃない。
映像に全力投入と、割り切りった観客との関係でしたね。
凄いけど、ちょっと残念。
割り切った関係なら満足です。
 
 
 
人間は裸の王様になりやすい、特質を進化の過程で得て来たそうです。
多少は自己認知が歪んだ方が幸福なら、やむなし。
逆に、
良いチームを組めた方が勝ち。
前田日明も、斎藤裕「チーム」の勝利と断言してます
アンドリュー・カーネギーのようになりたいものですね。

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