チームの判断と個人の選択。
自分が納得できる選び方で選びたいです。世の中は当てにならない。
それはさておき、
格闘家で勝敗予想してる人たちで、実力差あると言ってたのは、素人以下だな。
詳しいことは公式から動画出てから観ようと思いますが、
やっぱ、そんなに実力差ないんですね。
マッハ速人曰く、
運営の悪口言うとロクなことがない。
朝倉陣営は判定の有効さを読み間違えた。
実際はテイクダウンの数が判定を分ける。
なのに朝倉カウンター狙いすぎ、大事を取って行かなすぎた。
またロープ掴んで警告くらったので、
その減点を舐めすぎてたのかもしれません。
インタビューによると、優勢と判断してたとのこと。
セコンド陣が採点のルール把握しきれてなさそう。
内容的には、
対矢地祐介戦を思い出しますよね。
ヤッチ君は勝負脳でないから、簡単に挑発に乗ってくれて、
最後に弱点の下向くクセを突き、一発こめかみに入れて判定勝利。
このときはロープ掴んでも裁定は曖昧だった。
打撃も強く、タックルも鋭い上位互換のオールラウンダー、
挑発にも乗らない修斗チャンプに対して、
同じ悪いとこ出ちゃったか。
今回は、ロープ掴みにも厳しかった。
相手にも、審判にも対策されてしまった。
まあ、それにしても、
ポイントで負けてるから行かなきゃいけないと、
指示出せなかったセコンド陣の致命的なミスですね。
まあ、こういうこともあります。
僅差の判定経験が不足してるのは、マッチメイクの問題で、
セコンドとしては致し方ないとこも。
一緒に同じ成功体験だけ続けてると、違う状況に気づけなかったりします。
私も、仕事で自分がセコンド側になることもあり、
可能な限り違う視点を持って、
最大の効果と、リスクの軽減、
心がけていきたいものです、つい没頭する悪癖は直したいです。
嫌われても有効なアドバイス出来る存在でありたい。
チームのちょっとした判断が成否を分けるといえば、
ローカル路線バスVS鉄道 乗り継ぎ対決旅6 ~信州縦断!紅葉の旅~
v-tokyo.co.jp/suibara/backnumber/20201111/
を伊集院光が推してました。
蛭子さんの後継役として、黒瀬純が大活躍で、狙い通り、非難殺到したとのこと。
蛭子さん引退後、どう盛り上がるコンテンツになるのか、
様々試行錯誤してて、キャストだけ変えても盛り上がらず、
ついに盛り上がるフォーマット新たに見つけ、
旅を競技にして、
真剣勝負の中、
クズ役が上手に足引っ張る。
という基本コンセプトを再度昇華させました。
素晴らしいです。
USPと言いますが、蛭子さんは唯一無二の存在だと改めて思います。
ナチュラルにああいう役が出来る人は他に居ない。
伊集院光DJは朝の帯番組始める前は、ツタヤ提供の映画の番組持ってて、
終了の直前にぜひ、ということで蛭子さん呼んでました。
好きな映画がかぶるので、やっぱ同属嫌悪なんだと再確認してましたね。
そんな訳で、今日は、
蛭子さんが好きな映画をアマゾンプライムで観ました。
人生は自由とカネ
そう見切る蛭子さんが好む映画、
選んだ結果、制約の中でもがいて生きる人達の物語になりました。
「虎ノ門」というTV番組で蛭子さんが気に入ってましたね。
伊集院曰く、
映画好きには有名でも一般的にはそれほどでもないのに、
蛭子さんと好みがかぶって衝撃を受けた。らしい。
監督は犬映画の人として知ってて、
もともと、上品に最後心温まる良作を撮る人。と認識してました。
観てみると。
ビスタビジョンっていうんでしたか、画面の枠を丁度よく上手に使う人ですね。
音楽は世の中の評価ほどではないかな。
音楽だけじゃなく、エンディングは演出全般ちょっとやりすぎに感じました。
もっと淡々との方が好みです。
助演アカデミーは納得です。
それと、シャーリーズ・セロンの壮絶な人生を知ると、
この題材で出世作というのは、感慨深いですね。
で、
蛭子さんの内面を想像してみると、
誰かが決めたルールより、自分の自由意志を優先する。
社会的には認められなくても、善意で出来ている。
そういう点がヒットしたのかなと。
そんな感想も多いですよね。
自粛警察とか校則とか、ルールにがんじがらめな稀有な環境で生まれ育って、
遠い世界の他人事のように、
「社会のルールが」とか言える人の気持ちは想像できませんが、
縛り付けられた世界から、解放される喜びは理解できます。
くすんでた世界が一変、バラ色に輝いています。
その世界で既に生きてる人にはなんてことなくても、
ようやく自由を得た者には、エキサイティングなものです。
私には、その気持ち、よく分かります。
共感します。
なのですが、
私の感想は多くのレビューとは大分違いました。
キリスト教的な視点を重視してしまいました。
堕胎は宗教的な大罪。(今でも大統領選で論点になるほどの重要事項)
住んでもいない支配者(神)がルールを決める。
アンチ人間讃歌、自由意志より運命が支配。
使命を持って生まれてくる。神のみこころ。
基本ラインは、
なんのために生まれてきたのか?
↓
人の役に立とう!
↓
どう役に立つのかは自分で決める、正解はない。
↓
結局使命は思し召し、運命には抗えない。
あえて、孤児院とか堕胎とかを設定に選ぶと、
人間は厄介な生き物なので、
「なんのために生まれてきたのか?」と自問してしまいます。
「人の役に立つ」はとりあえず、手っ取り早い手頃な解答なのですが、
「役に立つとはどういうことなのか?」という問いが生まれてしまう。
劇中では闇の医者、志願兵、季節労働と職業が提示されますが、
困ったことに、「役に立つ」を明確に判断する方法が見つかりません。
人によって、コアバリューが違うものです。
画一的な規則に従っても、現実が否定することもあります。
人間は答えが分からないまま、生きてゆきます。
劇中でも「成り行き任せ」とよくセリフが出ます。
一旦旅には出るが、
全託、神のみこころのまま、ということです。
結局、使命を悟り、運命を受け入れる。
キリスト教なのかどうか、他の宗教でも言いそうですが、
魂の救済が心地よいという映画でした。
不満もあって、
登場人物をむやみに善人に仕立てるのは共感できない。
悪人も善人風に描いた映画です。
善人ばかりの映画でなく、演出が善人風なら善人とするのは、
それは、観客が判断を映画に委ねすぎ。
「ミスト」は特に主人公補正が顕著でしたね。
ミスターローズを善人に描くのは無理筋。
鬼畜エピソードは要らないんじゃないかな。唐突にぶっこみ杉。
堕胎は別の理由でも充分成立するし、
壊れた人に描かないと他の行動と整合性なく、ついてゆけない。
あとは、運命を受け入れるというのは、もっと静かな行為のはずで、
エンディング盛り上げなくても、とは思う。
まあ、良作です。
意外と蛭子さん、ハートウォーミング好きですね。
これも、ラジオで語らってました。
ああ、ジョン・カーペンター版は既にリメイクなのですね。
だから、「THE THING」で通じるタイトルなのか、いい邦題付けました。
「E.T」や「ブレードランナー」にぶつかったのは不運かな。
真っ向勝負だったのかもしれんけど。
私は錯覚してて、「エイリアン」の後だったのか。
SFで恐怖ものとしては、リドリー・スコットの演出に軍配あげちゃう。
人狼ゲーム的な裏切り者探しの密室劇としては、
「そして誰もいなくなった」あたりが最初なのかな。
心理サスペンスとしての需要は他の作品で満たすよ私は。
人数が多くて、キャラクターを描き分ける時間が少なく。
南極調査隊の隊員って、皆あんな荒くれ者ばかりなのか?
疑心暗鬼の際の反応や感情表現が一律すぎないか。
役職の違いもあまり活かされていないし、
逆に、
着想を得たと言われれる「ヘイトフル・エイト」はこの問題上手に解決してます。
現在の目で観ての見どころはなんといっても、
ギミック。
ジョン・カーペンター節炸裂な手作りな特撮。
B級な手触りがいとおしい。
「寄生獣」より前の映画ですよね。
「サイレントヒル」とか「バイオハザード」とかもホントに影響受けてる。
スピルバーグやリドリー・スコットのSFよりも、
クリーチャーの造形の決定版として、
後世に与えた影響は大きい。と思う。
ストーリーの感想は蛭子さんと一緒で気が合いました。
いくらなんでも英語でその犬ヤバいと伝えろよ撃つ前に。
北欧のインテリさんなら英語上手なはずだし、
カタコトでもなんとかなるだろ。
もはや最後は、人間だけ生き残ったかどうかは、
もうどうでもいいじゃん。
そんなこと拘る気にならない。
あとは、
皆絶賛してる犬の演技ですが、私も助演賞あげるべきと思いました。
「蛭子さん的」オススメ作品8選
https://giseleweb.com/articles/detail/51159
から探してみました。
最初はパク・チャヌクを試したのですが、演出に不満でギブアップ。
フランソワ・オゾンに変更しました。良かったです。
蛭子さんと違い優しい気持ちではなかったけど。
エンディングが描くのは自由の爽快さですよね。
フランソワ・オゾンなので、やっぱゲイゲイしい映画。
これこそ正に、宗教的には運命に逆らう行為、
先天的なるのものと、社会と個人の自由意志が対立する。
あ、その前に、音楽は素晴らしい。
今回紹介の中でも、突出してると思うのですが、世の中的には違うのか。
歌のシーンは格別ですが、劇伴全般に良いですよ。
過不足なく、重すぎず、美しく。
衣装はおフランスのオサレ全開でしたね。
女装がテーマですから、衣装がダサイと台無しになるところ、
何が違うのか分からない私でも、センスの差を感じます。
ヴィルジニアに扮して着飾るときは、
クレールはモノトーンで中性的な衣装。
コントラストも見事で、シンブルでもゴージャスでもオシャレ。
演出は、天丼好きが意外でした。映画的表現が効果的。
映画の観客、テニスをプレー、姿を見て驚く、
別のシーンで重ねるのですが、時と関係の変化を上手に表わす。
脚本は、原作は着想のみで、物語はオリジナル。
ヒロインに翻弄されっぱなしでした。
えホモなの? そうじゃなくて不倫なの?
そう簡単な性癖ではない。面倒くさいなあんたは。
それが嫌な人に感じないのが、ちょっと他の人には書けない。
キャストも結果的に成功ですね。
ヒロインは美人すぎない。
夫はパーフェクトなイケメン。
死別する女友達はゴツくて肉食的。
その夫は線が細く髭が濃い。
最初はパーフェクトな夫が女装役だったそうです。
それで上手くゆかず、変更したそうです。
完璧なフェイスな女装で綺麗に騙せちゃうと、テーマがボケちゃうし。
不器用に運命抗わないと。
内容は、とりあえず、
女装とゲイは違う。
百合なヒロインはバイってことでOK。
という理解が必要。
ヒロインの夫婦のまぐあいを描く必要あるのかと、
そんなサービスショットでもないし、
と観てるときは思いましたが、
ああこのひと、ホモセクシャルを隠してるのでなく両刀。
自由な欲望をもともと秘めてるのか。
ヘテロセクシャルな人には理解しにくいです。
それにしても、
パーフェクトな旦那さんにも幸せになって欲しいですねえ。
同時に、女装に対する仕打ちも思わせぶりで酷いです。
欲望に素直とは人を翻弄することでもあるので、
映画ではサラッとしてても現実はもっとドロドロしちゃうだろと、
私はツッコまずには居られませんでしたが、
どの程度ヒロインに共感できるかは、あなたのサガ次第です。
まあ、とにもかくにも、いろいろあったのだろうけど、
今しあわせなら、それでよかったね。
そんな風に終わるので、後味は良い。
ひとつ気になったのは、
パリで女装が歩いてても、そんなに気になるかな。
オゾン監督が言うんだから間違いないでしょうけど、
こういう人たちが街に普通に歩いてる感覚思い出しました。
あ、それはバンコクだったと後で気づきました。
感覚だけが先に蘇って、周りが奇異な目で見る方が違和感感じちゃった。
ま、これは個人的な体験ですね。映画のせいでなく。
テーマ自体は深刻で、ヒロイン酷いのに、
オシャレで軽やかに自分を生きる。
そんな風に描けるのはフランソワ・オゾンならではですかね。
魂が満たされる、良い選択をして、生きてゆきたいものです。