密室劇は会話がいのち「ヘイトフル・エイト」「ラヂオの時間」「9人の翻訳家」。 大阪都構想の議論はなぜ会話が成立しないのか?

前回、ちょっと触れた大統領選挙ですが、
もうちょっと時間かかりそうですね。
ミシガンを現職が落とすのなら、4年前の見せた希望の否決かな。
株価上昇は、ねじれるから増税だけは拒否という意味。らしい。
 
より期待出来ない方を落とす選挙的なこと発言したひろゆき氏。言い得て妙。
最近は彼、積極的に政治に発言してますね。
 
結論が先に伸びそうな選挙の前に、こないだ結論出た選挙の話題。

MCのひろゆき氏をはじめ、作り手側は、煽らずに論点を整理してました。
 ・二重行政の実情とその根拠
 ・制度改革の必要性 (府も市も維新なのに)行政の運営で解決できないのか?
 ・都構想のメリットとデメリット
  
賛成反対のそれぞれの主張を聴いてみたいところ、
特に反対派の出演者は全く会話が出来ないと、盛り上がってました。
 なんでこんな人出すんだよって、

会話が成立しない理由は二つだと想像してました。
 話を聞けないという個人の問題と、

 結局は利権で、合理で反対してる訳じゃないから、
 答えられない、答えたくない。
 分かりたくないことは理解しない。

同じ言語でも、会話が成立しないのには訳があり、
私の経験では、職場でも学校でも家庭でも、そんな人ばかりでした。
「海外では言葉はどうするの?」って聞かれること多かったけど、
そんなの慣れっこだし、相手のこと分からないくらいで丁度いいよ。
利害が異なれば、相手はエイリアン。
おかげで、外国語の習得が苦手な人間になってしまいました。
(8カ国語を自由に操るスパイに間違えられたことはあります。)

それはさておき、 
会話は共通認識がないと成り立たないので注意が必要ですね。
 
麻雀で例えると、
 EX風林火山の藤沢監督は晴信という名前。ここからチーム名をとった。
 
わかりにくいので、脚本が話題なら、 
 「オリエント急行」やるなら周到に、何でもアリだから。とか良く言います。

中井貴一の大河ドラマ観てただけだし、クリスティの原作読んでないけど、
説明してたら会話にならない。
 
ちょっとした小ネタに気づいたり。 
 麻雀で、ゆーみんがマーメイドなのは魚だからだけではなく、
 柏崎出身だから。隣町には人魚像が並ぶと、ウヒョ助さんが教えてくれた
 上越市内にある9体の人魚像 どれが美女?

日本の児童文学の父、小川未明の代表作「赤い蝋燭と人魚」にちなんで上越市内には多くの人魚像が存在する。上越タウンジャーナルの調査で、計9体もあることが分かった。なかなかの美女、美少女ぞろいなので、人魚像巡りはいかが? (最後に地図あり)

ゆーみんそっくり
リーチ掛けて、河眺めながら水分補給するよね。
 
   
それはさておき、
東京都民のわたくし、
大阪のことは大阪が決めればそれで良いと思うのです。
ただ、東京でも二重行政ありそうだし、メリットの訴求弱いかな。

コロナでまだまだ大変なときに、制度変更の必要性が響かなかったかと、
そんな印象を受けました。
 
 
そこで、
会話といえば、密室劇。
相変わらず、だらだらと過ごしておりますので、
アマゾンプライムからセレクトしております。
 
密室劇とは

限定的な舞台の中で繰り広げられる会話がメインの物語を言います。
劇場型映画とも呼ばれ、お金をかけたアクションシーン等の派手なシーンがなく登場人物の会話で物語が進行していくので、脚本が命になります。
その為、【密室劇・会話劇】の様な映画がヒットしてから、「優秀な脚本と演者が居れば映画は面白く作れる」とまで言われる様になりました。

とのことです。
予算より脚本ですけど、言うは易し。
  
密室劇で共通するところと感じるのは、あと、
・複数のキャラクターとその関係性が会話で明らかになってゆく。
 最大12人くらいが限界か。
・動きが少ないため、興味の持続するに、謎が中心に存在して、
 会話によって、最後それが解き明かされてゆく。
・舞台の映画化が多い。日本でも代表作は、
 「12人の優しい日本人」「キサラギ」(宇多丸さんは嫌いでも私は楽しめました)
 どちらも舞台劇が基。
・動きが少なく、舞台的なので、映画的な見せ方でセンスがバレる。
 脚本と演技だけでなく、演出の工夫も問われる。
 
ですかね。
告白の回想を全て映像で処理しすぎてしまうのは、
このジャンルに含めないほうが良いかもしれません。
映画の特性とはいえ、会話の妙を消してしまっては台無し。

  
タランティーノ上手いなぁ。

後編のタランティーノらしいアクションも痛快ですが、
会話も巧みですねぇ。
みんなロクでもない荒くれ者で、
 白人と黒人、賞金稼ぎと賞金首、男と女、北部と南部、
 金と命の値段、射殺と縛り首、リンチと法、野蛮と紳士、
 嘘とホント、裏切りと約束、etc
汚い言葉で関係性を表現してくれます。
あれだけ長いと、多少はダレますが、巧みだと思いましたよ。

どの映画のオマージュなのかって、考察は複数見かけましたが、
荒野の七人」は集まってから外敵と戦いますが、
ここでは、内部の駆け引きがメイン。
 
タランティーノらしさ満載の西部劇になってます。
会話とともに、弾丸も飛び交い、
居合抜きのようにぶっ放すのカッコいい。
 「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!
って名言を思い出す。

アクション満載だけでなく、
密室劇に珍しく、まずは撮影が素晴らしい。次に美術。
音楽はモリコーネ補正じゃないのかなぁ。賞を取るなら撮影と美術では。
 
脚本、というか編集も相変わらずオリジナルな見せ方の上手さ。
 あ、そこはナレーションで説明しちゃうんだ。
 逆に回想シーンは一通り映像でたっぷり。
 
章立てに分けているのも、長丁場なので、適時ブレイク入れる工夫ですね。
宇多丸さん評論で途中休憩も説明してます。

興行スタイル、上映形式ごとの再現なんだけど、今度はものすごいリッチな方に行ったのが今回の『ヘイトフル・エイト』と。

映画が始まる前に音楽がずっと流れていて。映画までの気分を高めるわけですよね。で、いくつかのショットは、いま日本で見られるデジタル上映版よりも長いそうなんですよね。で、途中、これはたぶんチャプター3。『ドミニクには秘密がある』っていうあの章の前ですね。あの章の前に、ある衝撃的な出来事が起こりますよね。あの、ある衝撃的な出来事が起こったその後に、15分間のインターミッション(休憩)が入るという、そういう形式なわけです。

流石に「七人の侍」はテレビで観た世代ですが、
昔はありましたね。休憩。
私の近年の体験だと、名画座で、「バーフバリ」前後編を続けて観た感じ。
昔の大作のゴージャス感まで再現しようとしている。
わたしゃ配信で観てますが、そこは汲みながら映像と美術を堪能しました。
 
お話は、
 前編で、各キャラクターの造形や関係性の提示。そこからの駆け引き。
 3章で室内で初めて殺されるところまで。
 余談ですが、回想シーン、ハラハラしました。
  そんな余裕ぶっこいてると噛みちぎられて、攻守逆転するぞって、
 まあ、後でタマ無しになります。

 後編が2構成で、映画全体では基本通り3部構成。
  回想による、あっと驚く謎解き。
  ここで、イギリス英語、フランス語、メキシカンとか多様性の意味が知れます。
  白人と黒人という単純化でなく、
  「ハイパーハードボイルドグルメリポート」の、
  メキシコ系と黒人のギャングの抗争を思い出しました。
  関係ないけど、
   経済良くしてくれるならトランプ支持の黒人も居て、キューバ移民は保守。
   メキシコに壁築くと発言したら、ニューメキシコ州周辺では勝てません。
  複数登場人物なのだから、関係性も入り乱れて当然ですね。
  インディアンが悪役では、ポリコレな現代では通用しない。
  
  後編の後編で時間が戻りエンディングに向かいますが、
  宇多丸さんのリベラルな主張は、ちょっと違うと。
   それは成長でなくて、
   環境が与えた関係性より、個の関係性の方が力が強いということ。
   

人に影響力を与える要素は心理学の6つの原理、「返報性」、「一貫性」、「社会的証明」、「好意」、「権威」、「希少性」に分類できる。説得のプロたちはどのようにこれらの原理を利用

   劇中とっても、法則に忠実です。
    「社会的証明」は多数派工作、「希少性」は賞金額かな。
    「好意」はコーヒー汲む親切(?)か。 

    権威の利用は導入と結末で効果的。
    どうでもいいけど、アメリカでキリストはリンカーンだって聞いたことあり。
    
    一貫性が貫かれているので、観客は役の信頼を信じることが出来ます。 
 
    劇中主に信頼関係が生まれるのは、返報性の法則。
    理由はさておき、信頼してもらったので、信頼を返しています。
    承認して、承認されるというやつです。
     

人に好かれて人の心を突き動かすための行動

   肌の色とか、先の戦争の勝者と敗者とか、それも共闘か敵対か関わりますが、
   状況が進むにつれ、人間は関係性が変化してゆくもの、
   法則に則って、淀みない。
   密室劇はこうでなくっちゃ。
   
   最後、そんな体力残ってないって、ツッコミは野暮ですね。
   助演女優賞ノミネートは納得です。

   ああ、それと、
   宇多丸さん「会話で距離を制する」と言ってます。
   付け加えると、
   主導権握るボールコントロールオフェンスは常に勝者とは限らない。
   アメフトよりサッカーではより顕著で、
   敢えて、相手にボール与えてカウンター狙うのは普通です。
   ポゼッションより、勝ちやすい弱者の戦術。
   そこまでコミコミで面白いです。
   
アクション満載なのに、密室劇の楽しさ味わえました。
長いけど、2倍美味しい。
 
 
外国語苦手なので、母国語で探しました。初見です。 

12人の優しい日本人」はテレビで観て、三谷幸喜をこのとき知りました。
それから脚本家として名声を獲得して、映画監督に。
wikiによると、

三谷が初めて手がけたフジテレビの連続ドラマ『振り返れば奴がいる』の脚本が、三谷の意図に反して制作スタッフにシリアス調に書き直されて放送された経験から生まれた作品で、1993年に三谷が主宰する劇団「東京サンシャインボーイズ」の作品として上演された。
映画化されると、ラジオという低予算な世界で想像と声だけで演じることから生まれる壮大なスケールのストーリー、テンポの良い展開、絶妙な笑いで人気を博し各賞を総嘗めにした。

これをフジテレビで作るところがいいですね。
布施明はたしかに亀山社長の雰囲気あります。
 
脚本はさすが素晴らしく、いつもの役者さん達も達者。
あえて大仰なのも、それはそれでよし。
舞台的な演出は徹底したほうがいいと思う。
音楽はおしゃれと思いました、服部隆之さんなのか、納得。
 
充分私は楽しめました。
特に、西村雅彦のセリフは秀逸で、斜め下をゆくプロ意識。
織田裕二のドラマより、実写版「進撃の巨人」と「シン・ゴジラ」思い出します。
 樋口監督は、全部飲まされて、前者はあんな出来。
 後者では東宝も反省したし、樋口監督は身を挺して庵野秀明を守った。

劇中の謎は、
 どんな無理難題がぶっこまれるか? そしてその解決は?
   
 事務所のゴリ押し、大御所、スポンサー、
 事実関係、辻褄合わせ、生放送のハプニング、etc
 
職人の意地を見せたり、斜め下のプロ意識発揮したり、
解決策は楽しかったです。
妥協に妥協を重ねても番組づくりは楽しい。
 
 
問題は、映画監督としての三谷幸喜。
後に賛否分かれる萌芽をデビュー作にみます。

 舞台だと、場面切り替えは、暗転してスポットライトで表現できます。
 空間を共有しつつ照明ひとつでシャープにゆきます。
 映画だと映像見えちゃうので、のんびりしてるとダレる。
 ややもすると、いらない説明にイライラしてしまう。
 映画的手法で上手に省略しないと。
 
 渡辺謙とか冗長なんだよ。
 役者にたっぷりやらせることに重き置きがち。
 映画の演出としては上手くない。
 ただ、宇多丸さんの批判は私は全面肯定でなく、
 舞台的手法で処理するのは、一概に悪だとは思わない。
 でもねぇ。
 場面転換はもっとコンパクトにやってよ。
 
 
 更に、どうしても擁護できないダルさの要因があって、、
 伊集院光が三谷幸喜監督の「ラヂオの時間」を酷評「ひとつも面白くない」
 の理由とも重なりますが、
  ラジオってタイムキーパーいないの?
 テレビとラジオは尺が絶対で、特にライブだとそれ無視はありえない。
 物語の進行に時間がご都合なのだけど、それだと緊張感が出ない。
 空間を共有して同じ時間が流れる舞台とは、違うよね。
 そんなこと、三谷幸喜は熟知してるはずなのに、
 映画だとスリルを描くの得意じゃないなぁ。
 
 舞台化できる小さい話でなく、大きくなるとより目立つから、
 批判されちゃう。脚本も大振りになるし、
 テレビだと脚本家が監督兼任しないので、こういう問題は起こらない。
 映画監督としての三谷幸喜の賛否両論を改めて再確認しました。
 
それと、
 「カメラを止めるな」の元ネタと言われてますが、
 いや、パクリではないですよ。インスパイアなら分かりますが、
 それはあんまり。解体しオリジナルで構成しなおしてます。
 
 制作の裏側を描くものは幾多ありますが、肝はそこじゃなくて、
 「ラヂオの時間」の弱点から着想を得た。かも。

 観たら、気づくと思うのですよ。タイムキーパーの不在に。
 ちゃんと完成版の作品を単体で見せずに、プロセスだけでは、
 「感動した」って説得力ないし。

 前述のように、 
 時間の速度の一致がないと、リアルな緊張感は生まれない。
  
 優れた脚本家兼演出家だから、気づいたんですよ。多分。 
 それで生放送の制作の裏側を描くならと、
 テーマだけもらって、イチから作った。
 
 オトナの事情でなく、インディーの悲哀が材料なのは、
 人によって現実のリアルが違うから。
 
 
結論としては、個人的に三谷幸喜映画監督には、
 舞台を前提に、小さくて精巧な脚本を目指して、
 本題に関係ないものは入れない。特にギャグ。
 基本は舞台的演出でも、映画的省略も優先しダレないように。
Well-madeな作品をこれからも作って欲しい。
 
 
 
コロナの後は、まだ映画館行く気にならず、初見です。 
偽の8ヵ国語を操るスパイは、感動で泣いてしまいました。

密室劇は会話が命。
知らないことで驚けることもありますが、
知ってるから楽しめることの方が多い映画です。
人を選ぶ映画かもしれない。
 
 
文学や小説、言語と翻訳についてや、フランスと9人の国民性や文化。   
ただのどんでん返しミステリーでなく、
楽しむには、教養を強要されちゃう映画かもしれない。
 
 見せ方に関しては適切と思いました。
 クドいという人も居ると思うのですが、私は丁寧と好感です。
 それが意味のないカットに見えるなら、人を選ぶってことでしょう。

 9人はそれぞれ、
  EUから(ゴネてるイギリス入れて)7、地続きでロシアと中国(北京語)。
  
  共通語のフランス以外で、ラテン語系はスペイン、イタリア、ポルトガル。
  北方ゲルマン系がイギリス、ドイツ、デンマーク。
  毛並み違うのは、ギリシャ、ロシア、中国(簡体)。
 
   
  スペインは、
   気弱でどもりで不器用。情熱的じゃないんですね。
   「カルメン」じゃないってからかわれたり。

  イタリアは、
   直情的。陽気なジローラモさんとはちょっと違う。
   わけあって、私は「神曲」思い出しました。読んでないけど。

  ポルトガルは、
   パンク、それはイギリスじゃ、、サウダージってイメージありますが。
   ポルトガル文学は私は無知で何の連想もなく。
 
  イギリスは、
   繊細な若者。パンクというより無頼。英仏どちらにも造詣深そう。 
   英文学はジョイスで、仏文はプルースト。 
  
  ドイツは、
   几帳面。イメージどおり。
   わけあって、私は「ファウスト」思い出しました。読んでないけど。 

  デンマークは、
   どんよりとした日本海のイメージですね。しらんけど。
   鑑賞中気づきませんでしたが、アンデルセンがいた。
   醜いアヒルの子は才能の開花のおとぎ話で、
   彼女だけ、「アマデウス」がテーマでした。
  
  ギリシャは、
   見た目哲人風で、皮肉屋。
   ユリシーズってオデッセイアのことだっけ、
   そんな理由で拳銃向けられるのは笑った。やっぱお荷物だと思ってるのか。 

  ロシアは、
   とにかく美人。
   出版社の社長は金持ちで傲慢でした、
   彼女はそこから盗もうとしたりするから、罪の罰を受けちゃう。
 
  中国は、
   パリで長年暮らせるなら、エリートで優秀なんだなやっぱり。
   古典は別に、文革後の文学は私は分かりません。
   ノーベル賞作家が拘束されてたりしてたかも。
   そんなこと思い出す会話もあります。
 
 
 9者9様の会話がとても楽しい、
  ずっと日本にいるからかもしれません。コロナでのストレス解消ですね。
  陸続きの国境越えると、言語が代わります。
  似てることもあれば、全然違うことも。
  覚えても、スペイン語のようにいろんな国では使えない。
  お得感がないですが、それはそれで楽しい。
  数字だけは、必死で覚えます。ほんとに死活問題ですから。
  劇中でも数字出てきますが、
  モッ、ハイ、バーでも、ヌン、ソム、サンでも駄目だと思う。
 
 
 
 構成について書きたいので、ここからはネタバレ全開です。
 あ、その前に、翻訳について。
  
 原文がフランス語なら、言語体系が遠いほど時間かかりそうで、
 同じ時間って、不公平じゃないかなと。
 例えば、
  I have a brother. を 私にはひとりの兄弟がいます。
 では、高校英語では丸でも、小説の翻訳じゃ通用しない。不自然。
 日本語にはそもそも単数複数の文法上の違いもない。
 兄なのか、弟なのか、それはギャンブルでも訳さなきゃ。
 できれば最後まで読んでから、決めたい。
 良い訳文は賭けに勝った訳文だそうです。

 また、
 文章としては正確でも、リズムを失ってるようなのは読みにくい。
  ぎょーてーぎょーてーはらぎょーてー
  ここは意味よりもリズムが大事と三蔵法師は漢字に変換したそうです。
 
 日本語しか出来なくても、激怒するような翻訳はありますよね。
 両方に精通してればなおさらでしょう。
 
   
 情報漏えいを恐れ、各国語の翻訳者をカンズメにしたのは実話だそうです。
 劇中この曲が合唱されますが、
  
 行き過ぎた商業主義にささやかな愛で対抗すると。
 トリックよりも、愛について共感できるかどうか、
 まったく見方が変わります。人を選ぶ映画。
 
 
英仏それぞれの古典の大作、「ユリシーズ」と「失われた時を求めて」、
鑑賞のために、若干の知識は必要かな。
wikiを読んでも、何言ってるのかさっぱり分かりません。

ユリシーズ」アイルランドなんですけど、それは言わない約束で。
 ジョイスはパリで暮らしてたんですね。

意識の流れの技法、入念な作品構成、夥しい数の駄洒落・パロディ・引用などを含む実験的な文章、豊富な人物造形と幅広いユーモアなどによって、『ユリシーズ』はエズラ・パウンド、T・S・エリオットといったモダニストたちから大きな賞賛を受ける

小説のプロットを神話と対応させるこの方法は、『ダブリン市民』に所収の「死者たち」から徐々に試みられていたものである[14]。T・S・エリオットは、これを「神話的方法」と呼び、『ユリシーズ』出版に際してこの手法の開発を科学上の新発見になぞらえて賞賛した[15]。

 ま、とにかく、小説の技法や修辞についても、膨大な情報を含んでいる。

 映画では、視点についての議論されますが、

「意識の流れ」は一人の人物に焦点を合わせる手法であるが、『ユリシーズ』の後半では語りの視点が複数化・非個人化するとともに作者固有の文体というべきものが消失し、古今のさまざまな文章のパスティーシュを含む実験的手法がとって代わる[19][20]。

 神の視点なのか、犬が叙述してるのかという論争があった気がします。
 視点の転換はこの映画の肝ですよね。
 引用多く、豊かな人物造形もなぞってますか。
 
  
失われた時を求めて

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』等と共に20世紀を代表する世界的な傑作とされ、後世の作家に多くの影響を与えている[9][10][8]。

 敢えて、選んでますよね。
 

眠りと覚醒の間の曖昧な夢想状態の感覚、紅茶に浸った一片のプチット・マドレーヌの味覚から不意に蘇った幼少時代のあざやかな記憶、

 幼年期にフランスでの夏休みが連想され、
 

小説自体についての小説といった意味も兼ねた『失われた時を求めて』の画期的な作品構造

 小説についての映画であり、
 

『失われた時を求めて』は長さが長大なだけでなく、1つの文章も非常に息が長く、隠喩(メタファー)の多い文体となっている[8][17]。また、数百人にも及ぶ厖大な数の登場人物のうちの主要人物も数多く、その関係も複雑で、物語に様々な伏線が張られている

 映画は2時間なので9人ですが、伏線やメタファーが好き。
 
 語り手は、

物語の主人公。姓・名とも物語中では不明。パリの裕福なブルジョアの家庭に生まれた男性。父親は高級役人。母親と祖母(母方)の愛情を一心に受けて育った。身体が弱く繊細。読書好き。兄弟はいない。

 
文化圏の違う日本とは育ってきた環境が違うから、仕方ないけど、
そういう教養は前提としてるみたい。

ああそれと、引用といえば、「風立ちぬ」
 これは誤訳だそうです。
 「風立ちぬ、いざ生きめやも」は誤訳とはいうけれど。
http://promontory.cocolog-nifty.com/promontory/2013/08/post-12cd.html

原詩のほうは、一般的によく使われるフランス語の言いまわしで、特に難しいものではない。英語に訳すと、「The wind is rising, you should try to live」くらい。

 映画の中では、千載一遇のチャンスには、乾坤一擲の勝負を挑む。
 「ときは今 あめが下知る 五月かな」
 そんな印象を受けちゃいました。
  

己の生への強い意志を詠じた原詩とはまったく反対の意味になってしまう。
 それゆえ、堀辰雄の「いざ生きめやも」は誤訳の典型として知られてきており、例えば大野晋、丸谷才一の両碩学による対談で「風立ちぬ」が取りあげられたとき、両者により、堀辰雄は東大国文科卒のわりには古文の教養がないと、けちょんけちょんにけなされている。
 ただ、誤訳といえば、誤訳ではあろうけど、私は小説「風立ちぬ」では、「生きめやも」でもいいと思う。
 結核に冒された人達の生活を描いたサナトリウム文学を代表として、結核患者が著書の作品には独特の世界が広がっている。

 関係ないですが、アニメの「風立ちぬ」思い出しちゃいました。

 メフィストフェレスがそそのかし、最後はベアトリーチェに導かれ、そしてお別れ。
 宮崎駿にとっては、創作が生涯の伴侶だったのでしょうね。
 「他の人には分からない」とテーマソングは歌います、
 不本意なことはいろいろあったけど、
 最後くらい妥協しない、教養のないバカのためには作らない。魂の叫び。
 愛するものだけ愛したい。
 
 
ネタバレ全開しますが、構成は、
 前編で、
  実話に基づく状況が展開され、材料は出揃う。 
  同時に、謎も提示される。
  伏線と暗喩、会話の果たす役割は大きい。

 後編で、
  視点の切り替えをサクッと行い。(やっぱりと思う)
  そこから謎解き、二部構成かと思いきや、
  後半の後半はもう一つの謎が決着する。

プロットの欠点はあります。
 2回分の謎については、
  手段と目的が一致してるか。
  ジュラル星人のように回りくどいし、現実的か。
 それが気になると、評価できないか。

そんなに私は気にならないのは、
「自分のものは自分で守れ」ってセリフあり、著作権のことでなく、
己の愛するものをどう扱うかということが貫かれている。から。
テーマに沿っているから、共感しちゃうんですね。
  
なんと言っても、主人公に。 
 「作者に合わせて欲しい」と度々要求したり、
 みんな必死なのに居眠りしてたり、
 豪華な部屋を用意したり。
 伏線回収してます。
 
 一個目の謎の、いっくらなんでも、気づかれるよ。
 って疑問も、二個目の謎で解消されます。
 
 ジョイスとプルースト。英仏両方の文学の薫陶を若くして受けた才能。
 恐らく家庭は不和で、友達もいなさそう。
 本をいつも胸にしまっている。
 プルーストは大作なので分厚い。
 現実的な意味だけでなく、本は彼の命を救った。
 
 
 私事でおこがましいですが、著作では、
 「二葉亭四迷の思い出」を引用しました。

今人のうちに友が得がたければ、古人にそれを求めるよりほかないと、私は旧著のなかに書いたことがある。本を読むことは死んだ人と話をすることで、私は本によって大ぜいではないが、何人かの故人を知った

 文語であれば、伝統が味方してくれて、名文と誉れ高い翻訳も多い、
 しかし口語にはお手本がない。
 言文一致を自ら始めて、それを成し遂げた天才が描かれます。
 しかし彼は、小説は男子一生の仕事に非ずと、政治を論じた。
 不本意な小説しか彼の名は上がらなかったと、山本夏彦は書いている。
  撞着に満ちた、そんな人だから好きだと。
 悩み病んだ二葉亭を見かねた友人の尽力で、彼はモスクワ特派員に任命される。
 喜んだはずだが、到着する前に船中で命つきてしまう。
  思い出を語る、愛惜に満ちた文章であると。

 うろ覚えですが、
 時空を超えて友を得ることもある。というエッセイ。
 映画では、年齢を超えた友情も、共通の興味を通じ描かれる。

 二つの謎は、彼が愛して守るべき二つに対応して、
 最善は尽くしました。
 友は、カネでころんでもいなかったよ。
 
  
私は豊潤な時間を過ごせましたが、
上司の命令を拒絶する意味も愛の無い人には分かんないかもしれない。
だとすると、人を選ぶ映画ですね。  
 
 
 
関係無いけど、幡野さん人生相談継続してますね。
奇跡はまず起きないけど、希望なんてゴロゴロ転がってる

婚約していた彼が、彼の両親の反対を機にだんだんと態度が変わり、現在連絡が来なくなってしまいこれからどうしていいか悩んでいます。

親身に相談乗っててよかったですね。やっぱ愛がないと。
 
突き放した言い方すれば、
 男も女も、「母が」「母が」で瓜二つの依存。
 このまま親になられても、子供は大変だよ。

喪失は変化のチャンスですから、
別れて、治療つづけながら、ゆっくり回復して、
自立を掴み取って欲しいものですね。
親になってしまう前に。
 
ちなみに、ユーミンで一番好きな曲。

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