小林麻耶のリアルと世間というもの。胸糞な着地をどうする問題「鬼畜」「セブン」「ゲット・アウト」

ツイッターでバズってたの見かけました。
だいたひかるさん、
どうでもいいわけじゃない、深刻な決断したんですね。


立川志らく氏は、妹さんのことで大変だった人の前でなかなか鬼畜な発言ですね。
 これは台本どおりなのでしょうか?
なら、見事なヒール役で、この反響ですから制作側はしてやったりでしょう。
小林麻耶さんの正論で締めることで、
番組そのものが配慮不足と非難されることからは逃れてます。
  
しらく氏の発言だそうですが、

それは認めて、みんなで応援してあげないといけない

 そもそも、余計お世話。
 「応援してあげないといけない」ってその上から目線はどこからくるのだろう。

本当に周りの愛情があれば、不幸ではなく幸せになれる、そういった人は世の中にたくさんいる

 いや、愛情があろうがなかろうが、お前が決めることじゃないよ。
 
 
他人の幸不幸を勝手に一面的に判断する傲慢さの自覚あるのかな。
プロレスであろうとなかろうと、
自覚のない悪。最も始末に悪いものです。
 
本来、テレビに反応するべきではなく、
切り取りの可能性ある記事にも飛びつくべきでないのですが、
世間という、自分を善人と信じてる悪人のこと、何かと思い出しました。
 
 
この記事もリンクされてて、(オチは鮮やかだけど、それはまた別のお話)

親と子どもの利害が実は対立しているのに、親がそれに気づかず、自分に都合のいい解釈をしていることもたびたびあります。

あるいは、大人が「子どもにかわいそう」と思っていることを、当の子どもは「かわいそう」とは思っておらず、逆に、大人が「子どもにいいだろう」と思ってしていることを、子どもはむしろ迷惑に感じていたりすることもよくあります。

 
 母親は誰でも子供を愛していて、
 親が居れば、愛情を受け取ることが出来る。
立川しらく氏始め、世間はこの暗黙の了解を無批判に受け入れている。
 
それはその方が、社会にとって都合がいいから。
たまに思い出しますが、
 イギリスとアメリカを比較すると、
  イギリスは階級社会だから職業の移動は少ない。
  アメリカは自由の国でドリームもあるから流動的。
 という印象があるが、実際は大差ない。
 でもイメージは大違い。それは社会が必要とする幻想が違うから。
 日本にも、日本の社会が必要とする幻想がある。 
 
幻想どおりの生い立ちの日本人はそんなに多数派だとは思えないですが、
社会はそれを必要としているようです。
 
幻想の具現者として、世間というものが存在し、
幻想からはみ出した生存者には苛烈な対応を行います。
 がんで亡くなった妹さんの子供に、献身的に接してきた女性に対して、
 一般論であれ、配慮ない言葉を吐くことのできる立川しらくのように。
台本だから言えるのなら、なかなかのサイコパスじゃないでしょうか。
 
 
 
そんなこと考えましたが、引き続き、相変わらずアマゾンプライム観てます。
胸糞なストーリーだけど、世間の反応考慮して、結末を変えた映画をセレクトしました。
エンディングの変更の件なので、全てネタバレ全開です。
 
うろ覚えで、テレビでリメイクされた気がしますが、
ざっくりとしたストーリーだけ知って、観ました。 
立川しらく氏のおかげで、観るチャンスを得ました。

キャストが端役にまで、ゴージャスです。

岩下志麻は評判ほど上手くはないです。美人ですが。
 本来の正直さが出てしまってるのか、演出がそうしたのか、
 記号的な冷酷さでした。
 本物だったら、もっと外ズラよく他者には本性を見せない。
 周りを確認した上で安心して冷酷さ発揮します。
 サイコパスな二面性を描けていないので、そこが不満です。
 演技が一本調子に見えて、ホントの怖さを感じられませんでした。
 
 人間には自分の遺伝子を残そうという本能があり、
 幼児虐待は継父継母の方が、より発生確率高いと聞いたことあります。
 もちろん血は繋がっていても、心は別というケースも多数でしょうけど、
 もっと本能と嫉妬からくる哀しさを描いてもいいかなとは感じました、
 それやると、話がブレると演出が判断したのかもしれません。
 
緒形拳は凄いです。
 生殖能力はあるが、親として不能な男を体現してます。
 1978年制作、昭和の核家族時代の少し前に、
 父性の不在が描かれてるのは発見です。
 
 実際は、暴力的なケースより、こういう言いなりな男のこともあり、
 若井おさむさんのように、
 指示に従っただけという悪人の自覚ない悪人はより恐ろしいものです。
 むしろ、アテにならないのに都合のいいときだけ親ズラする姿には、
 孤立無援の深い絶望感を味わうことが出来ます。
 
 緒形拳の演技で一番怖かったのは、
 酔って泣きながら己の生い立ちを独りごちるシーン。
 似たような境遇で育ちながらも、より過酷な仕打ちを我が子にしようとする姿。
 ややもすると、説明セリフになってしまうところ、
 毒親育ちの毒親という身の毛のよだつような恐怖を体現してます。
 
 機能不全な親から生まれても、人生はそれで決まる訳でもありません。
 ただ、家庭をもう一度やる勇気を持てる人とそうでない人は居ます。
 克服した人は偉大ですし、逆に、
 家庭だけが幸せではないので、別の選択も、それはそれで構いませんが、

  俺にもあの血が流れているのか、という恐怖。

 劇中最大に恐ろしかったです。
 作り物やベロベロバー(by宇多丸)でない本物の恐怖。
 緒形拳の迫真はほんとにリアルでした。

田中邦衛はちょい役にしてはクセ強すぎ。
 家から脱出した息子を保護し、家に連れ戻した警察官の役。
 無自覚に殺人を手伝うような善意の人なのですが、
 田中邦衛として見てしまう。目立ってしまう。
  
大竹しのぶはやっぱり天才なのでしょう。
 児童相談所に保護される息子に対し、
 「きっとお母さんが迎えにくる」と酷い言葉で励まします。
 晴れやかな笑顔で手を降って少年を見送るのですが、
 一点の曇りもない無理解な善意を表現してます。

あと、蟹江敬三も良かったですね。
 実情を知ってても、自己保身に終始し、
 間際になってようやく逃げ出す、
 しがない労働者役を好演してます。
 
小川真由美は普通かなぁ。美人ですけど。
 実の子を見捨てる母親役ですが、
 生活感と艶っぽさですね。
 もっと思い詰めててもいいかな。
 
 
昔の日本映画は奇をてらわず、役者さんの演技に演出委ねるのがいいですね。
そして、エンデイングなんですが、Wikiによると、

映画のラストで、利一が宗吉を「父ちゃんなんかじゃないやい!」と否定するシーンは、観客によって解釈が分かれることが多い。「父親をかばった」とする意見と、「父親を拒絶した」という意見である。脚本の井手雅人の意図は明確である。幼少時に尺八奏者である父・菊次が芸妓と出奔、伯父夫婦に引き取られた経験がある井手は、利一に過去の自分を重ねて、自分を捨てた父親への恨みと拒絶を表したものとしてこの台詞を書いたのだった。ところがそれではあまりに救いがないと判断した野村は、利一が父親をかばっているのだと解釈する刑事たちの台詞を加えて、どちらとも取れる演出を施した。この脚本からの改変について、井手は終生「違うんだなあ」と愚痴をこぼしていたという[8]。

立川しらく系の人は、「父親をかばった」と判断するでしょうね。
そして都合よく泣くはず。
 
野村芳太郎は、「救いがないから」というより、
 社会はその幻想を必要としてる。それが世間というもの。
ってことに配慮しつつ、刑事始めオトナはそう解釈する生き物と、描いてもいる。
井手雅人は嘆くことはないよ、そういう世間の無理解そのものを表現出来たんだから。
  
 子供は一度脱出を計ったが、
 警察に父親の名前や住所を白状したために、連れ戻されてしまった。
 挙げ句に妹、弟同様にまた殺されかける。
  弟は不審死なのに、医者はネグレクトを疑わない。
  警察は虐待の末の殺人を捜査しない。
 せっかく運良く助かった命、生きると決めたのなら、
 同じ轍は踏めない。黙秘するのは学習効果である。
 
あの人は親ではない、自分の親に自分がなる
それは、子供にとっては生きる希望なのだが、
世間の利害とは一致しない。社会は別の幻想を必要としている。
そこまで、見事に描ききってると思うんだよな。
観る人の生い立ちによって、解釈が分かれるのは適切なんだよ。
ネグレクトされた子供が分かってもらえないことも。
 
  
ま、胸糞といより、
この時代に上手に社会を映し出していて、感心が先に立ちます。
緒形拳の独白は、本当に怖ったです。
 
 
 
そういえば、

本作は実話に基づいたフィクションである。検事の河井信太郎から聞いた話がベースになっており、著者による話のメモが残されている。

実際の事件は、骨董屋の男が妾に3人の子を産ませていたが、商売不振で仕送りができず、妾が子を連れて男の家に来るところから始まる。その後、本妻に子を片付けろと責められ、殺害および殺害未遂を経て、松崎町で逮捕された。男は在獄中に発狂死し、本妻は在監中であったという[1]。

とありますが、
 公務員の守秘義務としては、どうなんでしょう?
 
 
胸糞映画の定番で、エンデイングの変更があった作品。
初見です。おぼろげな筋書きしか知らず観ました。 
脚本、演出、撮影、美術、役者、すべて完成度が高いです。
猟奇的なのって、チープだと白けちゃいますもの。

まあ、個人情報はちゃんと保護しましょうという教訓ですね。
 
モーガン・フリーマンがブラピの家庭に招かれる時点で、
フラグ立ったようなもんですから、
ストーリー無駄なく、コンパクトに2時間。
 
七つの大罪はハガレンで知ってますけど、
TV版の旧作では、憤怒と高慢が入れ替わってたりしてたか、
ま、それはさておき、

 何と何があと残ってるんだっけって、途中で数えますよね。
 ラスト(last)は、それが嫉妬で、それが憤怒か、、と驚きました。
  あのウザい新聞記者に対してアンガーマネジメントさえ出来ていたら、、

 罪犯し、罰せられることになった。
 個人情報の漏洩により、対象に近づくこと可能にするのですが、
 その二重写しには、そうきたか!!と見事にやられました。
 
よく出来たシナリオだなぁと感嘆しました。
映像も演出も名優たちの演技も素晴らしいですけど。
 
特に、これで一躍名を挙げたケビン・スペイシーのサイコっぷりが、
演技なのか、ほんとに変態だったのか、惜しい役者をなくしたものです。
擁護する気は一切ないですよ。ただ演技は凄い。
 
 
そしてやはり、胸糞な結末は二転三転したとのことです。
あくまでストーリーを具現化する手段『セブン』の徹底されたビジュアルの理由※注!ネタバレ含みます。
https://cinemore.jp/jp/erudition/213/article_233_p2.html

二つ目の画面がすぐに暗転するバージョンは、監督のデヴィッド・フィンチャーが熱望したものだ。実際にそのバージョンで編集してテスト試写をしたところ、あまりに唐突なラストに混乱を受け止めきれない観客が続出、結果は散々たるものに。。この案も採用されることはなかった。
 
このように紆余曲折を経て今のエンディングに落ち着くのであるが、フィンチャー自身は気に入っていないらしい。そもそもセリフに引用をすること自体が嫌いなのだとか。

私も、最後は蛇足かなと、感じましたが、
そんな経緯があったんですね。
 
テストマーケティングの結果というのが、さすがハリウッド。
デヴィッド・フィンチャーにとっては胸糞の結末でも。
お客さんあっての興行ですもの。 
  
 
 
それから、大統領選も近いし、胸糞で結末を変更したもう一本をセレクト。
これも公開当時観るチャンス逃してしまい初見です。

ネタバレも何も、ストーリーは一本道。
うーん。ちょっと感心しません。理由は二つあって、
 出来がイマイチ。
 日本人の立場として疑問。

・出来がイマイチ  
 ポリコレの主張のためでなく、作品は作品としての出来で観ないと。
 今のハリウッドなら大好物なので、下駄履かせてもらえるだろうし、
 瑕疵を無視して、考察だの、伏線だのって言ってもなあ。
 別に対して上手くないよ。

 私は音楽はこれでもいいと思いますが、カメラワークがうるさすぎ。
 お話に集中できません。
 演出は基本的に評価できません。
 カメラがうざくて、恐怖演出が安っぽく見えちゃう。
 役者さんはみんな上手いですが。
 
 脚本もなぁ、アイデアはありふれてます。
  マレーシアとかベトナムで、
  日本人旅行者を狙ったポーカー詐欺があるのですが、
   日本語学んでる娘さんが居ると自宅に招き、
   暇つぶしにポーカーしないかと誘う、
   最初は勝たせて掛け金釣り上げて、
   いかさまで、最後に有り金すべて巻き上げる。 
  それ思い出しました。
 ロボトミー的なのも普通ですし。
  
 観てるときは、
 これ娘さんもグルじゃないと破綻するぞと、ハラハラはしましたが、
 それは杞憂でホッとしました。
 
 終盤の親友と娘さんの電話のシーンはセリフが説明的過ぎませんか?
 もっと端折って、自然な会話だけで充分通じます。
 
 全体的にも、ベタな印象があります。
 
 一番駄目なのは、
 最後主人公は逃げることより、一家の殲滅を優先するところ。
 これじゃ、GetOutでなくKillOut。
 なにのんびりしてんだよ、いいからサッサと逃げろよ。
 ツッコまずに要られません。
 
 身を守る手段ではなく、殺すことが目的化してる。 
 こりゃだめだよ。サスペンスが成立しない。
 ポリコレが好物でなければ、興ざめしてしまう。
 
 そもそも、手段が目的化してないかなぁ。
 Wikiによると結末の変更は、

 
当初の計画では、屋敷を脱出したクリスがアーミテージ一家殺害容疑で警察に逮捕されるというエンディングになる予定であった。ピールはレイシズムの過酷な現実を反映したエンディングにしようとしていたのである。それは「黒人であるバラク・オバマが大統領に選出されたのだから、レイシズムは終わったと看做しても良い。もうレイシズムについて語るのを止めよう」と主張する人々に対して、「レイシズムはまだ終わっていない」というメッセージを打ち出すためでもあった。しかし、製作が本格的に始まるまでに、警察が黒人を不当な理由で射殺するという事件がアメリカ国内で相次いだ。そこで、ピールは敢えて本作をハッピーエンドにするという決断を下した[15]。

 殺害してるし、
 正当防衛主張できるかどうか、審議あって然るべき行動でしょう。
 拘置所で身の安全が確保出来ないというなら、そりゃ別の話。
 多くの場合、死にもせず、廃人にもされず、めでたしのはず。 
 逃げることより、殺すこと優先してんだもの。
 結果無罪判決だったとしても、友人が迎えに来ただけで解決はしない。
 判決に関わらず、そのエンデイングは充分ハッピーだろ。
 
 ま、どうでもいいけど、更に、 
 大統領が誰でも、エンデイングと関係ない。
 理由になっていない。 

 というか、差別の問題だけで超大国の元首選ばれない。
 
  ヒラリーは経済対策にエコとか言い出して、
  製造業を中心とした低所得者層に希望を与えなかった。
  そして、激戦区を積極的に遊説し、国益と景気回復を訴えた方が当選した。
  差別の問題をメインイッシュにしたかったのは、それが好物な界隈だけ。

  オバマが勝ったのは戦略も上手かったけど、
  イラク戦争とリーマンショックで消耗させつくした共和党に対して、
  「Yes We Can」と希望を抱かせた。
 
  大事なのは希望。
  今回は、もうちょっと希望を打ち出す人に出来なかったのかな。
  与党分裂したのに、鳥越俊太郎出馬させるみたい。
  小池百合子は五輪利権の自民党の談合を上手く使った。
  開かれた都政って。
  
  勝つ気あるなら、希望を述べる人であるべきで、
  批判は、
  相手に投票すべきでない理由であって、アナタに投票する理由じゃない。
  どっちになるか知りませんが、
  このコロナでは、都知事選同様、賢い人は手を挙げないのかな。 
 
 脱線したけど、
 ポリコレは浸透しても、それも実態には関係ないんだから、
 変更する必要なかったんじゃないの。

 ま、どちらの結末でも、逃げずに殲滅は脚本が駄目過ぎる。
 個人的には、
  逃げようとして途中まで成功して、警察に保護される。
  が、
  警官は白人で、あの一家とグルだった。
  親友の電話だけが虚しく響く。
  
 って、結末だと、予想してたんだけどな。
 娘さんがグルで安堵したのもつかの間、脚本が残念過ぎる。
  
 どうでもいいけど、伏線的なのでは、
 綿で防御、鹿の角が凶器は感心しました。
 
 あと、ヘッドロックとチョークスリーパーは別物。
 伏線回収なら、裸絞は一本背負いで切り返して欲しかったな。
 どうでもいいですね。
 
 
・アジア人は名誉白人ではない
 日本人ピアニストがNYでリンチにあったと、
 コロナの加害者との偏見から。
  大坂なおみ選手のガラの悪い写真添付し、
   これにはだんまりかよ?
 って、コメントつきで。
 そんな投稿見かけた気がする。
   
 もちろん対象が武漢出身の中国人だったとしても酷い話です。
 別に大坂なおみ選手に声を挙げて欲しいとも思いませんが、
 田中まー選手とその家族にも身の危険感じる出来事あると聞きます。
 楽天復帰したらどうでしょうかね。
 
 重要なことなので日本語でもう一回書きます。
 
  アジア人は名誉白人ではない。
 
 それはそれで、はっきりしたじゃないですか、
 お金で買えるもんでもないし。

 自分の肌の色確かめてから、ポリコレに乗った方がよいよな。
 他国のことだからって、能天気過ぎないか?
 黄色いからって、傍観者とは限らず。対象になることもある。
 私は日本人のあの描き方は、日本人として賛成できません。
 
ここだけは、予想外の方向で、ちょっと胸糞でした。

 

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