信頼出来ない語り手問題「メメント」「シャッターアイランド」「ファイトクラブ」。 炎上した幡野さん、切り返した岡田さん。

前回に引き続き、思いつくこともなく、ぼーっとアマゾンプライム観てます。

信頼出来ない語り手

信頼できない語り手の現れる語りは、普通一人称小説(ジュネットの言う「等質物語世界的」)であるが、三人称小説(同じく「異質物語世界的」)の語り手も、限られた視点からの情報を語ることなどによって信頼できない語り手となることがある[3]。読者が語り手を信頼できなくなる理由は、語り手の心の不安定さや精神疾患、強い偏見、自己欺瞞、記憶のあいまいさ、知識の欠如、出来事の全てを知り得ない限られた視点、その他語り手が観客や読者を騙そうとする企みや、劇中劇、妄想、夢などで複雑に入り組んだ視点になっているなどがある。

サプライズ要素の多い映画で、よくこの技法使われますね。
小説だと、道尾秀介さんが得意にしてる印象があります。
 
考察系のコンテンツ見てると、この言葉にも出会います。
小説と違って映画だと、映像で見せる故、狂人(Madman)系が成功確率高いようです。
個人的に、成功とは、
 アンフェアの誹りから逃れる
 設定の矛盾や破綻を起こしていない
 サプライズ効果を挙げている

と、考えて、成功と評価受けてる旧作を探して観ました。
 
 
 

昔ツタヤで借りて観ました。大方忘れています。
オチは知ってるので、知らない昔には不可逆的に戻れない。
なので、ちゃんと予習してから観ました。

とても良い解説動画でした。
ネタバレ全開で告白しますが、
 
  
私自身、記憶の改ざん行っていました。
 服を着替えるのは、
 血まみれでは、外歩けないからと思ってました。
 
見直したら、ヤル前に着替えてます。
それじゃ意味なくて、ただの強盗になってしまう。
辻褄が合わないので、勝手に脳内補正してました。
ま、人間の脳にこの機能があるから、ミスリードも効くんですけど、
いやー、記憶ってアテになりませんね。
 
最後、順行パートと逆行パートがクロスするところ、
ポラロイドみたいにカラーが浮き出るところは、
なんとなく覚えてましたが、
それ以外でも、いろいろとつなぎ方神経くだいてたのですね。
シーンの転換で飛ぶのだけど、ちゃんと繋がってて、
 エーッと、どうだったけか?
脳内で再編集なんとか出来る範囲で切り替えてたんですね。
 
それと、記憶よりも、カラーパートは色鮮やかでした。
これは、
当時のVHSのビデオより、今の動画配信の方が画質が良いだけかもしれません。
 
結末についての感想は、当時と同じでした。
 妻の死因やサミーの件は真相がどちらでも大勢に影響ない。
 主人公が記憶に障害を負って、復讐を決意したのなら、どうせ成立する。
 
 無理に別解ひねり出すより、テディの独白を素直に信じて充分だと思う。
 矛盾をむしろ増やしたり、補正の分量が多すぎる考察も多い。
 サミーと主人公の関係はどっちでもいいし、
 主人公の利用のされ方と、リピートは骨子として動かないし、
 「目標もって今を生きる」に変わりはない。
 
 目標を失ったら、リセットする系は、昔からあったな。
 あれ、けど思い出せない。
 
 これだった気もするけど、もっと明確な探偵ものがあった気もする。

 ジミーがサミーと最後に口走るのは、ちょっと無理じゃないか、
 テディのネタバラシだけで充分かと、
 不自然すぎるとの印象は変わらない。
 
 逆に、車の位置なんで記憶してるのと批判あるけど、
 そこは目をつぶる。
 この小説でも、進行した認知症では、そんなに物語れないとの批判あったものです。
 
 その批判は野暮だなあと当時感じたの覚えています。
 ほんとに10分前の短期記憶が全てリセットされてしまうなら、
 日常生活を一人でこなすのは無理。
 記憶もので、そこ指摘し始めると、際限なくお話成立しなくなっちゃう。

 奥さんが出てくるラストは、主人公の脳内イメージでいいだろ。
 「成し遂げた」の入れ墨ないんだから、それが無い理由を見つけてから別解考えろよ。
 大事なのは、
 達成感を味わっても、その幸福は刹那に過ぎない。
 それが肝じゃん。
 記憶障害の無い健全な人間でも、達成感という感情は長期に保存できない。
 お話は他人事でも、それだけは人間の脳に普遍で共通な機能。
 そこに、映画の余韻があるとしたものじゃないのか。
 逆に忘れることで、もう一度味わえるという皮肉な幸福。 
 
達成感はドーパミンの仕事で、短期的な快楽。
セロトニン系と違い、長期的に満たされるものではない。
人間はこの世で幸せになれないように、プログラムされている。
幸福と生き延びることは、二律背反だったりする。
この世に生まれた哀しみをちょっと、思い出しました。
 
 
 
初見です。

信頼出来ない語り手の上手な例として、評判なので観てみました。
評判どおりでした。
ネタバレ全開で書きますけど。 
 
 なにかと、古典的。
 音楽はちょっとうるさいかと思いましたが、
 映像も音楽も、構成も、演出全般に。
 マーティン・スコセッシが監督であることも、知らずに見てました。
 ヒッチコックみたいと。
 インタビューで明かされてますが、狙ってオールドファッションドをやったそうです。
 アート系に逃げず、
 謎解きものとして、完成度高く作りたかったのでしょうね。
 とっても、成功してますよね。残念な点もありますが、
 この完成度は実現があり難いレベル。
 名優さん達揃えたのも、プロデュースに舌を巻きます。

 それと最初に、背景はちゃんと抑えて置く必要のある映画でもありました。
 解説系でそれないがしろにしてるのは感心しません。 
  ・ダッハウ強制収容所について、
   私はアウシュヴィッツは知ってても、
   ダッハウという固有名詞は知りませんでした。
   そこで米軍が行ったことについても、
   私は知らずとも、アメリカ人の観客にとってはメジャーなことであると、
   勘定に入れて、作り手の意図を補正しました。私は。
   例えば、「この世界の片隅に」で、
   「8月6日に広島に行く」というセリフがあれば、
   結末が想像着く人そうでない人が居るようなもの。
   ダッハウについての史実を入れ直して、前提にして二度見しました。

   物語の病院施設はダッハウをモチーフにしてることが分かります。
   正門はそっくりに作られてますし、警備員の制服もやけにそれっぽい。
   最初の段階で、
    電流有刺鉄線は史実として当然喚起される。
    C塔のイメージは共有される。 
    既に人体実験がイメージされるように仕組まれている。
    人体実験では「冷たい水面につける」も行われていたと観客は知ってる。
   マックス・フォン・シドーでダメ押し。
    
   個人的には、似たようなもの見たのは、
    プノンペン郊外のキリングフィールドでした。
    あそこも、しゃれこうべ陳列されてて、
    小学校改造したポルポト時代の政治犯収容施設。
    水攻めの拷問もありました。
   映画では、寒さと飢えとチフスの夥しい死体が映されますが、
   リアリティのある恐怖かどうか、鑑賞時に大きく影響します。
 
  ・ロボトミー手術が有効な手段と信じられてた時代であること。
   「カッコーの巣の上で」、「女優フランシス」、手塚治虫の「ブラックジャック
   私の経験では、劇中に登場するはこの3つ。
   ブラックジャックも読んだ記憶あります。確か床屋さんで。
   それはさておき、
   第二次大戦終結の記憶も新しい時代は、
   ジャックニコルソンのあの演技のようになってしまうのは、
   人体実験の暗部でなく、合法で有効な手段だった。
   それを踏まえて、進歩派でも、主流は投薬。
   それ以外のセラピーは確立されてそうもない。
   敢えてそんなやべー時代設定にしたことは最初から汲んであげたい。
   古典的な作りとも呼応してます。
 
 背景が無視され過ぎる考察多くないか?
   
 
 それはさておき、
 精神病棟で「実は患者でした。」はかなり古典的。
 あ、それやるんだ。って観てて素直に驚きました。
 ここからの脱出劇じゃないんだ。
 ま、
 野暮なこといえば、服着たまま荒波を泳ぎ切ろうとしたら、
 現実では確実に溺れますけどね。
 それも古典的なツッコミでした。
 
 観終わった後でも、患者論と陰謀論に解釈が分かれるようです。
 そういうふうに作られてますものね。
 「老婆と貴婦人」のだまし絵みたいに。
 大事なことは、どちらから観てもちゃんと成立してること。
 人間のゲシュタルトは一度そう見えたら、そう見えるように統合されること。
 信頼出来ない語り手をよく効果的に使ってます。
   
 作り手の意図としては、
 陰謀論に見せといて、患者論でドンデン返し。と思われます。
 が、
 それでも、陰謀論が根強いのは、
  嵐の後のC塔に導いたり、一人でフリーにしたりと、
  治療にしてはリスキー過ぎる。
  
  看護師が患者役で演技してたにしては、
  巧すぎる、役者か!

 陰謀でしたなら説明できることも、
 患者でしたでは、無理そうな点があること、
 どちらでも、主人公は妄想するものだったとしても、
 陰謀論のほうがアクロバティックなことやっても吸収できる。
 患者論はアウエイなのは必然なのですが、
 ちょっと残念なところです。
 
 逆に伏線と言われても、
  フェリーは患者用しかないのだから、捜査官でもそれに乗るしかないし、

  劇中どう描かれていようと、ナチスの収容所を見たことあれば、
  史実として自動的に電流有刺鉄線は喚起されてしまいます。
  知らない昔には戻れません。トラウマなら尚更。
  
 作り手の意図は汲むけど、
 考察系で根拠や伏線とされてることは、
 全面的には賛成できません。
 細部に拘って、全体統合を余計に崩壊させんなよ。
 
 ラストのディカプリオが、どう現実を受け入れるべきか、
 については、
 陰謀論でも患者論でも成立しますので、
 (陰謀論でも逃げられない諦めはあるのだし)
 それはそれで、上手だと思います。
 
 スタートの石碑の文言とエンドのセリフが対になってて、
 門をくぐって始まり、出て終わる。
 「第三の男」みたいで、教科書のような着地です。
 脚本に若干の瑕疵はあるけど、完成度高いな。
 
 
 
サスペンスではないので、前出の2作とは毛並み違い、
信頼できない語り手を使ったのは、とっても効果的ですが、
そこは謎の為でない。 
今とは違う本当の人生を描くため、

面白い。初見です。
こんなに有名なのに、公開時はそれほどでもなかったんですね。
ただ、痛快とはいきませんでした。
これ、9.11前なのに、
 ツイッターのバイトテロとか、
 元はヨガ教室とかだったオウムとか、
 ISの勧誘とか、
そんなこと、予見してますよね。(サリン事件よりは後か)
だから、後から評価上がったのかもしれません。
  
逆に、単純に人間讃歌にせず、
テロリストの心理の方にいっちゃうのが、凄いっす。
創造に向かわないってとこが凡人には出来ない。
 
破壊にはカタルシスはあるし、
それで承認欲求も一時的には満たせるけど、
そこに溺れてもまた、いずれ身を滅ぼす。
それを踏まえてもなお、今だけを生きるアナーキーな肯定。
 
ISとかオウムとかのカルトあえて連想せずに、
資本主義の否定を喜んでる人はそうとう危ないけど、
 
そういうことまで分かった上で、
デビッド・フィンチャーがお金かき集めて、
これ作ったのなら、人間心理についての理解が、遥か彼方ですね。
出資者も上手に転がす訳です。
 
 
ファイト・クラブを「荒削りな知識人集団」だからテロじゃない、
という論調も見かけました、
いやいや、
オウムやISに限らず、連合赤軍の時代から、皆高学歴だからね。
知的と危うさに相関性はないよ。むしろより先鋭化しやすいくらいで。
テロリストがバカという偏見は差別だよ。
 
冗談はおいて、 
立て続けに見たので、石鹸はナチス思い出しましたけど。
自分を生きてるようでも、人なんて不満さえあれば簡単に洗脳できる。
知性は関係ない。本能、感情、理性の順で出来ている。
 
石鹸は浄化で、爆弾は破壊。
そんなことも考えないではないけど、やんなくていい。
 
破壊しないと、解放はやっぱ出来ないけど、
外側に向けても、ほんとはなんにもない。
でも、そんな空虚さえ、TooMuchな時代には爽快であることは否めない。
 
その辺のバランスは絶妙で、
得たい感情は観る人が選べばいいって感じですね。
 
ま、
なりたい自分と不本意な現実、その対比を描くのに、
信頼できない語り手を使ったのは、映画史に残る出色の出来。
 
 
 
ところで、「信頼できない語り手」というワード、幡野さん思い出し、
最近、燃えてます。
 
DV被害者を「うそつき」呼ばわり
 幡野広志コラム炎上でcakes編集部が謝罪・再発防止策を公表
https://www.j-cast.com/2020/10/27397552.html

幡野氏は「正直なところぼくはあなたの話を話半分どころか話8分の1ぐらいで聞いています。眉毛は唾で濡れています、ウソだけど」と相談内容を信用せず、「ぼくだろうが警察官だろうが、弁護士だろうが裁判官だろうが、大袈裟にいったらダメだよ。まぁ警察官も弁護士も裁判官もみんなすぐにあなたのことを見抜くとおもうけど」と説教し、回答を拒んだ。

やっちゃいましたねぇ。

私はcakesで読んだときは、
 この相談文では、嘘と断定できる要素がないし、
 確かめられないものは確かめられない。
 何か確証があるのかな? とは思った。
 それ以上のことは気に留めず、
 出来がいい回答とは思えないけどスルーした。 
 幡野さんを非難するほどの根拠もないし。
  
 語り手が信用出来ても出来なくても、
 当事者がもう続かないと思ってるのなら、
 とにかく、
  今の環境とは距離を置いて、
  第三者に入ってもらうしかない。
 とは思ったよ。

 「薬物の使用を疑った方がいいです」とも回答に書いてあったけど、
 「方がいいです」じゃなく、
 そうだったらどう対処するのかを書くのが、回答だとは思ったよ。
 その可能性は絵空事じゃないもの。
 否定できる理由は特にない。

まあでも、
何の根拠もないから、出来の悪い回答とスルーしただけでした。
今でも、子供の味方の論調は支持してます。
でも、やらかしは擁護できないという傍観者でしかないです。
卑怯の誹りは逃れられないけど、それしか取れる立場が思い浮かばない。

編集部のリスクマネジメントについては、あんまり期待できなそうですが、
10月19日掲載記事に関するお詫びと今後の対応について
https://cakes.mu/posts/32122

冷たい読者でいようと思ってます。
丸くなるなら、他での相談の方が優れているし、
今と変わらず、 
相談者が「信頼できない回答者」と自覚の上で意見求めるのが、
最適だと思ってます。
 
 
一方で、 
岡田斗司夫さんは、優れた回答者だったと、再確認しました。

朝日新聞のマネジメントもキチンとしてたそうです。
 斜め上で、役に立つ。
 必ず相談者の味方である。
で、思い出すのが、
 
悩みのるつぼ【 好きと言われて苦しい】
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51552172.html

好きな人の人称代名詞はあいまい、言い寄ってくる男性の人称代名詞は「彼」と具体的なので、そう考えました。すると好きな人のことを「添い遂げられるわけでもない」と決めつけているのも納得できます。

スレッサーのような切れ味。洞察が深い。
  
  
幡野さんのミスってどこだったのか、後知恵で気づきました。
相談者には嘘というか、隠し事はある。
そして、
秘めていることの中身を分析する前に、嘘の方向性を特定してしまった。
初動の失敗ですね。
 
DVを受けてることかもしれないし、覚醒剤かもしれない。
義父の仕事って、反社っぽくないですか?
カタギじゃないようなブラックな雰囲気が漂う。
 
幡野さんが質問文からイメージしたようなノーマルな環境なのかな。
DVだけでも当然犯罪ですけど、
相談者は犯罪的なことは隠して、悩みだけ相談したかった。
幡野さんは日常とかけ離れたダークな世界を想像できなかった。
それなら、辻褄は合うんですよね。
 
  
本人か周りの人か、精神的な問題抱えてる場合も多いし、
隠したいこと残しながら、相談するケースも多い。
相談文は自ずから信頼できない語り手になりますよね。
 そうであってもホントでも、通用するアドバイスをする。
 基本スタンスとして徹底的に「相談者と同じ風呂に入る」。
が正攻法なようですね。

ただし、幡野さんは岡田さんではないので、
私はそれを期待しません。
ユニークな存在で居てもらいたいです。
 
今回みたいに
断定してやらかして、信頼できない回答者だけど、
そのときは、後のフォローを「金銭的負担もこみで頑張る」でどうでしょう。
責任を取るとは、経済的損失を負うことなのだから。
相談での収益をそう使えばいいよな。
  
経験上、 
毒にも薬にもならないアドバイスは誰も救わないから。
 
意地悪な言い方すれば、
無知なまま回答し続けて欲しいです。
既知なら正解に到達できでて、無知だからやらかすと思ってるのなら、
それば危うい。
問題は、無知の無知であって、DVへの無知そのものではない。

https://cakes.mu/posts/32108

DVについて無知であるにもかかわらず、回答をしたことを申し訳なく感じています。

たぶんいまのぼくには、まだ答えられる相談ではなかったんだとおもいます。これからぼく自身もDVについて学んでいくし、cakesの編集部の人たちと一緒に講演や研修に参加する相談もしています。

原因究明で認識が誤ってると、誤った対策講じて、
同じ失敗やることもあるんだよなぁ。
今、答えろよ。
 
 相談者さんが、現在の環境から距離を置くための支援を、
 失敗した回答者として、させてください。特に金銭的なことでも。
で、いいと思うけどなぁ。
 
にんげんだもの。
人は他者とは通じ合えない存在。
なんで観れねえんだよアマゾンプライム。

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