矢地選手所属脱退らしい、誰と組むべきか手を切るべきかが運命を決める。 映画を撮る映画「キツツキと雨」「ロスト・イン・ラ・マンチャ」「地獄でなぜ悪い」  

監督のしごとは意思決定で、自分の監督は自分だから、
いい選択したいものです。勇気を出して。
 
前回紹介の村山シェフの本。

の中に、
 三年勤め学ばんよりは、三年師を選ぶべし
という諺が引用されますが、
独学より師匠が居た方がいいと、単純に解釈され、歪曲されることが多い。
有効な良い師匠を見つけることに、労力をかける方が優るとの意。
 
もともと、 
 独学vs師匠あり
 良い師匠vs効果的でない師匠
 
と二段階で別の比較が混在してるのが、良くない。
実際のところは、
 悪い師匠 < 独学 < 良い師匠 
の順でしょう。
ゼロはマイナスに勝りますが、時間掛かってしまう。
効果低い労力を掛けることと、師匠の有無自体は問題でなく、
よい師匠が見つかるかどうかかが大事。
歪曲してる人は悪い師匠にしかなりえません。
 
良い師匠の見分け方は未だに私は習得出来てませんが、
求める成果について、
 師匠が成果を出していて、
 弟子も成果を出してる。
これが良い師匠らしいです。
 
そんなこと考えてたら、目に留まるニュースが、、
矢地選手所属ジム脱退したとの噂あります。 
また石井師匠は他の格闘家とコラボしてるので、こちらも関係解消してるのかも。
個人的には、もうリングに上がって欲しくないですが、
トレーニングするなら、
良いところは残しながら悪いクセを直してくれるコーチに出会えるといいですね。

石井東吾先生は総合格闘技の選手として成果出してないですからね。
弟子も選手じゃない。
ジークンドーが総合で通用するかどうか、なんて、
壮大なテーマを矢地選手が証明する義理なんかなくて。
勝つために、
長所を伸ばしつつ短所の克服を指導してくれるコーチに、
出会えればよかっただけ。
華麗な技に魅惑されて、目的を見失ってしまった。
 
こういう失敗はあるあるなので、身につまされます。
 
 目的を間違うと師匠選びも間違う。
そして、意見を取り入れる相手を間違うのは致命傷になりかねない。
 
私ももう、高い授業料払わなくて済むようにしなくちゃ。
警戒してても欲のせいか、随分と痛い目にあってきました。
やっち君がこめかみに喰らう鈍い音のパンチほどでなくても、
   
それから多少の成長はあっただろうか?
その人の能力の限界見極めて、無理な期待しない自分になれてるだろうか?
方向性の間違ったメンター選びを避けられているだろうか?
 
コーチ頼みたいと思うこともあるのですが、
コーチとしての能力の見極めが難しい。期待で目がくらまないようにせねば。
 
盲信していい人なんて、現実にはなかなか居ないもんですし、
師匠に限らず、誰の意見を、どの範囲で用いるかor関わらないか、
 
選択が全てで、
自分の意志決定が自分の現実世界を作ってしまうと、
日々痛感するものです。
 
  
会社においては経営者、映画においては監督。
自分の人生においては、自分。
 
一番大事な役割は意志決定で、カメラマンや音響さんは専門的な技術必須なのに、
意思決定者は意思決定のスキルの有無に関わらず、成ってしまうこともあります。
あの夏、いちばん静かな海。」のエピソードを思い出したりします。
自分の人生において、自分は桑田佳祐監督かもしれない。
ある特定の分野で才能も結果も持っていても、全てに通用する訳じゃない。
 
その程度には、自己認知が歪んでる可能性は高く、
一流のものに触れる機会が少なければなおさら。
 
 
 
そこで、アマゾンプライム観たのは。
映画を撮る映画、とくに監督についての物語。
カメラを止めるな」は選びませんでした。
  
アマゾンプライム期限切れそうなので、急ぎ足で観ました。 
 
沖田修一監督については、まったく知りませんでした。
作家性をもった監督さんだったのですね。食わず嫌いでした。
もっと観ておけばよかった。
 
アンチ説明ゼリフで映画を作る。その心意気やよしです。
独特のゆるい会話で、ユーモラスな空気感を描きます。
未だに自信はない。けれど自分が面白いと思えるものを撮っていきたい。
https://www.manabinoba.com/movie/17427.html

「脚本はあくまでも頭の中でイメージして描いたものです。現実にモノがあって役者さんたちが動いているともっとこうしたほうがいいとか、いろんなアイディアが生まれてくる。そうしたらあまり脚本には囚われず、新たに思った方向に進んでいきますね。カットも役者さんたちの動きに合わせて割っていくんです。だから絵コンテはほとんど書かない。絵コンテが決まってないと撮影が間に合わないとか、そういう必要性が生じれば書きますが。そのため撮影したフィルムを見たら、自分の予想とは違う着地点に着くこともあります。さすがにコンセプトからの変更などはないですが。それに自分の思い通りになるって嫌なんです(笑)。いろんな人のアイディアに影響されるほうが面白いですからね」(沖田監督)。

小栗旬に投影される若造監督の頼りなさが秀逸。
この人で大丈夫かという不安と苛立ちの中、
職人として仕事するベテランスタッフの古舘寛治と嶋田久作がいて、
ほんとにこんな現場なんだろうなと、リアリティがあります。
  
役者さんはこれまでのキャリアでいろんな現場経験し、
いろんな監督やスタッフと接しますから、この役どころのストックあるのでしょうね。
小栗旬は沖田監督横に見ながら素晴らしい再現度。
いい役者さんだな。
 
役者の役の人が、セリフ噛んだり、NGシーンがとてもいいです。
監督の一番の仕事はOK/NGの決定ですから、
それを決断するときの優柔不断さが、
お前が決めろよって笑ってしまいます。
 
   
不満は一点だけ、ちょっと長い。
長い理由が省略が上手くないから。
ゆるいテンポなのはいいのですが、説明が冗長。
セリフでなくとも、説明はくどい。
  
例えば、
 脱走の駅のシーンは、ドアが閉まったらそこで発車でいい。
 山崎努の撮影後とかいらない、
 エンディングも撮影終了で終わってもいい、
ことが済んだら、さっさと終わればいいのに。
 
ま、とはいえ、
 山奥の村に嵐のようにやって来て去ってゆく撮影隊と、
 翻弄される無骨な役所広司と地元の生活。
それをリアルな映像でほのぼのと観るのは楽しいことです。
明日はいい天気。そんな気分になります。
 
逆に、地元で試写のシーン追加して、エンドロールにしたい。
 
 
ベテラン俳優の体調悪化といえばこの映画。
全編ちゃんと観るのは初めてです。 

テリー・ギリアムは沖田監督とは真逆で、
自分のイメージを具現化することへの情熱にあふれる監督。
 
画面で見るリアルテリーは、少年の目で熱心に語ります。
降板したジョニー・デップも興味深く打ち合わせしてます。
これはものすごい映像になるぞ、と期待に胸を膨らませ、
ちと予算は厳しいが、
意気揚揚とロケ地スペインの砂漠に向かいます。
 
撮影の天敵は雨ですね。古今東西。
ハリウッドが選ばれたのは雨が降らないかららしい。
雨を降らすことは出来ても、逆は人間には無理。
 
あーあ、
よくこんな映像残ってたな。
なんとかやりくりしようとするんですけどね。
駄目になってくプロジェクトってこんなもんです。
  
 やりたいことに妥協ないのに、予算に余裕がない。
 リスクに対してプランBを用意していない。

後諸葛亮で指摘するのは簡単ですけど、 
予算に見合う映像化から逆算する三池監督はクレバーだな。
 
ま、狂った情熱だからこそ、名作生まれたりしますから、
そんなこともあります。
ジョブズだって、結果は運次第だったよ。
スマフォが試作される前に資金がショートしたリスクはあった。
 
それでもアダム・ドライバーに変えて、完成した執念は凄いね。

ギリアムは19年間の間に9回映画化に挑戦してその都度失敗した[5][6][7][8][9][10]。

で、出来や興行の結果も、期待ほどでないってのが、
なんとも、この世の現実を見せつけます。
 
風車と戦うドン・キホーテ。
 
個人的には執念見せないで、予算に見合うシナリオ見つけて、
もっと他の作品撮った方が、現実的に成果残せたはず。

もし、ハリウッド資本でチャンスアゲインあるなら、
 配役の問題なら、ギリアム自身がドン・キホーテやればよかった。
 振り回されるスタッフがサンチョ役でもいい。
 
それなら、キャストで悩む必要なし。
失敗から学ぶチャンスを逸したことが敗因かと。
 
プロジェクトに関わる人には、いろんな感慨が湧いてオススメです。
 
 
監督役を誰にキャストするか、若い頃の長谷川博己と星野源で大成功ですね。
これも実話に基づく映画。 

最初は爆笑問題を起用しようとして、スケジュール合わず、
こうなったらしい。
  
矢地選手といえば坂口拓ということで、この映画にしました。
ウエーブの真偽はともかく、アクションはキレキレ。
朝倉海とはスパーリングして矢地君とはしない。
見る目はあるんだろな。 
 
それはさておき、園子温ですが、
ここまで自由に映画撮れる監督は日本に他にいない。
そして、星野源の歌詞もいいですよね。

人間讃歌は勇気の讃歌。
全力歯ぎしりレッツゴー。
 
タランティーノオマージュやるからか、
この頃から長回しも多用するようになったと、
確か園子温自身が本で語ってた記憶あります。

必要なことだけ映し、ややせっかちにテンポいいので、
退屈しません。
それに見せるべきところは長回しを採用してて、
演出的にもバランスいいし、
最初の真っ赤な床を白い少女が滑ってくシーンとか、
観賞用の画もよく魅せてくれます。
画のセンスは抜群です。 
 
セリフ噛んでても、そのまま使うとか、
なんか逆に感心してしまいました。
 
本当に楽しい。
上映会で関係者が挨拶するシーンが私は一番好きかな。
 
いろんな物語が錯綜しますが、 
破綻してるようで、決して全体統合が壊れない。
園子温は狂った世界で生きる正常な人なんですね。
テリー・ギリアムとは逆で、溺れない人。 
 
ま、兎にも角にも、
映画は楽しい。楽しい地獄。生まれたときから出口はない。
 國村隼も堤真一も楽しくてイッちゃってる感が素晴らしい。
動けない場所から、同じ地獄で待つ。
 
 
現実は脳内の投影で、映画を見てるようなもの。
観客であることを忘れるなと、マインドフルネスは説きます。
投影は自分が監督で、配役も自分で選ぶ。
勇気ある楽しい選択したいものです。

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