変わった経緯の映画化「迷宮カフェ」「もらとりあむタマ子」「トモダチゲーム」 内容よりも構造が重要だから、サイゼリヤで「星付き料理人」がバイトする。理由

どういう構造になってて、それが何で構成されてるのか、
成立するってことは、ただ質にこだわればいいってもんじゃない。
構成を選ぶ。
肝に銘じたいと、再確認しました。
 
 
アマゾンプライムで、もうすぐ配信切れというジャンルから選びました。
のんびりしてられないので、早足でゆきます。
 
初見です。設定に興味惹かれて観ました。 

映画の紹介記事
https://mantan-web.jp/article/20150306dog00m200070000c.html

によると、

落ちぶれた週刊誌の記者・榎木田(大迫一平さん)は、訪れた客が次々に失踪(しっそう)するといううわさがある人里離れた山奥の古びたカフェを訪れる。カフェの主人・マリコ(関さん)は明るく活発な印象だが過去は謎で、榎木田は客を装って調査を始める。おもな常連客は、気弱なボディビルダーの松浦(角田さん)、婚約者に逃げられたアスカ(市川さん)、頭脳明晰(めいせき)で無差別殺人を計画していたというスグル(藤原さん)の3人。調査を進めるうちに次第にカフェとマリコの秘密が明らかになっていき……というストーリー。

低予算な2時間サスペンスかと思いきや、

今作は実際に娘を急性骨髄白血病で亡くした母親が骨髄バンクの少なさや骨髄移植に関する誤解や偏見を経験したことがきっかけで作られたという。骨髄移植について啓蒙(けいもう)したいという思いが込められているのはもちろんだが、説教じみておらず、角田さんのユーモラスな演技など、軽やかさと爽やかさを漂わせた雰囲気が心地いい。

 なぜ角田信朗なのか?
アンディフグのことがあったからかと、ようやく気づきました。
吉井怜さんもちょい役で出演でしたが、ヒロインやればよかったのに。
 
欠点を上げればきりがないのですが、そんなことはどうでもよくて、
骨髄バンクについての説明が中途半端なのが、気になります。

こっちのほうがよっぽどしっかり骨髄バンクが描かれてます。
 昔、渡瀬恒彦版をTVドラマで観ました。
 直木賞でいろいろ揉めたのも知ってます。
 
迷宮カフェはせっかく、
 犯罪者でも提供者(ドナー)になれるのか? というセリフあり、
 「半落ち」問題になった、その鍵を出すのに、
 劇中答えをはぐらかします。
骨髄移植の啓蒙が目的で、支援を集めて作った映画なのに、
骨髄バンクの仕組みについて、ちゃんと説明しない。
もっと、丁寧にやるべきだろと、反感持ちました。
 
脚本は別な人材を投入すべきだったのに。
撮影は、
 監督の地元群馬の風景が美しく描かれます。
 海がないというセリフもよいと思うのです。
 ほんとに、満足しました。

演出は、
 余計なことしないのは好感です。
 TVの2時間ドラマ同様の分かりやすさが適切。
 演技は概ね固い、
 というか平たく言えば棒ですが、(津川雅彦は別格で除く)
 それはそれで、気にならずお話追えました。
 荒唐無稽なストーリーなのだし、無理に感情表現されても。
 背景が美しく、人物はやりすぎない。
 よいバランスです。

脚本は、
 骨髄バンクを「半落ち」で理解した派からすると、
  低い確率のマッチングを長期間待つ必要があるみたい。
  期限の50歳までに患者とドナーと、かみ合うか低確率。
 むしろドナーは長生きしなきゃいけない。身元不明でも困る。
 「迷宮カフェ」では、
  一発検査で、一発でマッチングしないと、
 お話が成り立たない。
 それでもいいのか? 
 映画観ただけでは、
  ドナーとなる資格と、どの程度カジュアルなものか、
 それがよく分からず、モヤっとします。
 物語より重要なことがあるのに、そこ描かないのは、
 クオリティーとは別の意味で根本的に良くない。
 
 ストーリー自体は何かとご都合でやっつけ、
 アイデア先行で、細部の整合性にこだわる気が端からありません。
 サイコパスを持ってくるところなど顕著ですが、
 設定がすべてアイデアのための道具として使われて、記号。
 もうちょっと真面目にやれよと言いたくなります。

 それでも、2時間弱を諦めずに最後まで観れたのは、
 撮影の美しさと、
 構成だけはキチンとしてるからと分かります。
  プロローグ(子供時代)
  登場人物と状況説明
  各人のエピソード  
   角田
   市川
   藤原
  小休止(群馬でのほのぼの共同生活)
  メインイベント
  クライマックスの盛り上がり
  エピローグ(子供時代の締め)
 
骨髄移植のドナー登録が短期間でも構わないなら、
真面目に人物造形とお話作れば、 
アイデアは活きたのに。
予算とは関係なく、、もったいない。
  
まあ、それでも、後味悪くないので、
2時間弱ついてゆけます。
劇場に足運んで、お金払ってだと別の感想になるかもしれませんが、
動画配信で観る115分は、楽しかったよ。
 カフェの様子、美術もよいし。
 愛着もって群馬の風景撮ってるのは好感だし。
 
こういう経緯で映画作られて、それで楽しめたのなら、
充分じゃないですか。 
特にオススメではないですが、私は満足しました。 
 
 
 
傑作との評価は聞いてましたが、観るチャンス逸してました、

傑作でした。
これは観ておいた方がよい。
オフィシャルのプロダクションノート
http://www.bitters.co.jp/tamako/p_notes.html

によると、

この企画が立ち上がったのは、2012年5月頃。元々は音楽チャンネルMUSIC ON! TV(エムオン!)のステーションIDという、いわゆる番組とCMの間に流れる、チャンネルの方向性や編成テーマのイメージを映像で表現する15秒、30秒の映像の新作を作るところから始まりました。通常、IDはドラマ性のない、抽象的なイメージ映像などで作られますが、今回はその短い映像の裏に、更に奥行きのある世界が広がっているような仕掛けをつくり、視聴者の皆さんに楽しんでいただきながら更に印象に残るものを作りたいと考えました。その根本となるチャンネルのコンセプトは“生活の中の音楽”、“季節感と人のぬくもりが感じられるチャンネル”というキーワードがありました。

映画観てから、PVも観るとより、満足感高まります。

タマ子は「卒業」できたのでしょうかね。これなら。
 

根岸洋之プロデューサーに相談したところ、監督たちも前田さんとの共同作業に手ごたえを感じていたらしく、なんとなく新たな企画のイメージを話しているのだけど、1本の映画にするにはちょっとスケール感の小さいお話ばかり浮かんでしまうとのことでした。いいのか悪いのかわからない話の様ですが、そんな小話がたくさん浮かぶという事は、実は山下監督は前田敦子という女優に相当魅力を感じているはずで、それこそこの企画にはぴったりではないかと考え、前田さんサイドに提案する企画を考える事になりました。

企画スタートは、楽しそうで、かつ有能。
 
そして、ブレないコンセプトと適切な人材の登用。

ここに才気溢れる脚本家で、山下監督の盟友である向井康介さんが参加し始まったミーティングで最初の段階に出てきたものは、前田さんと子供たちの季節の中での交流というイメージでした。大都市ではなく、故郷を舞台にしたものという基本がありつつ、サスペンスや幽霊の出てくるファンタジーまでいくつものアイデアが出てきましたが、最終的には一番地味な、大学を卒業して、実家に戻ってきてダラダラと暮らすタマ子という女の子のささやかな日常の物語になりました。決め手は「ダラダラしたあっちゃんは可愛いに違いない」という軽く妄想気味なものでしたが、山下監督と向井さんの中には共通のイメージとして、行き場の無い思いを抱える年頃の女の子の日常を愛おしくも淡々と捉えたフランス映画『なまいきシャルロット』(85)があったようです。さらに裏コンセプトとしては「誰も見た事のない前田敦子をみせてやる!」という威勢だけはいいものになりました。 

あっちゃんだけでなく、
お父さんも、中学生も、キャスティング素晴らしいのですが、
(演技が下手と思う人は記号的なことしか読み取らない人)
セリフが面白くないと成立しないドラマなので、
脚本の出来が命運を握ります。
等身大のものは、他で誤魔化せないし。

楽しい現場に良い人集まってきてよかったね。いい座組み。
  
 
低予算っぽいのでセットは無理だろうから、
よく繋がったなあ。

イメージにあうシチュエーションを関東近郊で探し、甲府フィルムコミッションのご協力で見つけたのが、“甲府スポーツ”。あの店舗は今も実在する“甲府スポーツ”さんをそのままお借りして撮影しています。現在は店舗としてのみ使用している一軒家の、今は倉庫としてのみ使用している部屋までフル稼働させていただき、おかげでセット撮影では出す事のできない実家のどこか窮屈でありながら居心地の良い独特の空間を表現する事が出来ました。

甲府の景色を撮ろうという意欲は持たずとも、
ちょっと寂れた地方都市の移りゆく季節を描くにはもってこいのロケ。
幸運も味方してます。企画がいいからでしょうか。
 
四季折々にタイミングを待つって、現代では贅沢なことで、

クランクアップを迎え、前田さんは「この現場が終わるのが寂しいです。物語に添いながら、約9カ月に渡って撮影できたのはとても貴重な体験でした」と語ってくれましたが、そこに携わったみんなが同じ気持ちでいた、温かく楽しい現場でした。

その幸福感が全編に溢れてます。
 幸せな現場だから、良いスタッフが集まるのか、
 良いスタッフと一緒に仕事するから幸福なのか、
多分、後者なのでしょうけど、
いろんな意味で、このタイミングという奇蹟でした。
何度も見返したいのに、終わっちゃうのは名残惜しい。
 
こういう小さな作品は配信で観るのも丁度いいんだよな。
 
 
それから、
 
にトライしたのですが、どちらも途中でギブアップしてしまいました。
配信終了間際かつ、
ご当地ものというジャンルで揃えようかと思ってたのですが、無理でした。
諦めた理由はそれぞれ書けるのですが、悪口中心過ぎるので控えます。
 
 
困った末に観たのがこちら。 

酷評はごもっともですが、
それでも、98分飽きずに、付き合ったのなら、作り手の勝ちだよ。
ファンでない限り、劇場足運んでお金払うとなるとまた別でしょうけど。
ツッコミどころ満載なのは、原作なのか脚本なのか判別も敢えてしませんが、
まあ、目くじら立てなくても、興味の持続に成功してればいいと、
ゆるい気持ちで最後まで行けました。
wikiによると、

2017年にドラマ(全4回)と映画2本の全3部作で実写化。主演は吉沢亮で[2]、独立局など地方局による共同制作でもある。

これもまた、ちょっと変わった企画。
TVドラマが中心で、最後は映画というより、
映画の前段としてのTVドラマというのも珍しい。興味惹かれました。
 
低予算で、頑張ってますよ。
「カイジ」からのインスパイアが「ライアーゲーム」少年少女向け、
さらに、そこからのインスパイアもの。
パクリと文句つける必要はなく。承知の上で観てて、
多分、原作に穴があるんだろうな、だとしたら脚本も健闘してる。はず。
 
リアリティライン上げる訳にはゆかない。
漫画的で、演出もこれには丁度いい。
そもそも、みんな。一人二人でなく、皆。
 高校生に見えない。
 
学園モノのAVみたいな佇まい。
 無名の高校生オーディションしたらより高コストなのかな。
 人気ものに集客力もあるだろうし、
これでよしとしたキャスティングなのだろう。
 
で、
 人物と状況説明をTVドラマで第一戦目。
 主要キャストだけ存分な二戦目が映画の前編。
 映画の後編で追加キャストと三戦目。全体の謎解き。
という構成なら、企画として見事だと、判断してました。
二戦目しか、観てないですが。
 
この手の話は密室劇になりがちで、当然ではありますが、
前編の映画は、ほぼ学校の屋上のみで撮影。
素晴らしいコスパ。
美しいフェイスも拝めて、それはそれでありじゃないかな。
  
まあ、
 その暴露どうでもいいだろ、平然としてろ。
 暴露がデタラメ過ぎるだろ、適当すぎ。悪魔の証明だし。
  そのトリックは時間的に無理じゃね。達筆で速記か。
  そもそもそれで信用するかよ。
  裏切り者でないとの判定の根拠が弱い。
 それは嘘の証明にならないよ。運営がテキトー過ぎる。

とツッコミながら、楽しんでました。
映画館でじっと座ってるには辛いかもしれませんが、
手際のよいグラフィックス処理での説明とか感心してました。
これはこれで、ありとしても。いいんじゃないかと。
 
内容が壊れてても、骨子が、
 ゲーム進行しながら、
 グループ内の裏切り者あぶり出し、
 ゲーム運営側に反撃する。
 で、
 暴露が後編映画への伏線になってる。
壊れてない。
最後まで観つつでられた要因はそこかと思う。
一つ一つは強引でも、興味の持続に成功してる。
要らないとこも良く端折って、繰り返しの退屈も避けてるし、
ベタさも棒さも、説明もこのバランスでいいんじゃないかな。
作家性とは別で、この丁度良さは監督立派だな。
 
それと、
嘘の証明は悪魔の証明なので、
そこは原作に問題あるんだろうなと、想像してます。
 心の中はそのサービスカットでは証明は出来ないし、
 Aさんが罪人であることと、Bさんの過去は全く関係がないし。
まともなゲームマスターなら、そんなご都合な判定はしない。
せめて、 
多数決の判定をもうちょっと上手に使えば、処理できたかもしれないな。
 明確な証拠な無く異議申し立てある場合は、
 オーディエンスが決めるでなくて、
 プレイヤーの多数決にしとけば、もっと駆け引きできる。
 そんで、
  嘘はもっと些細なものが決め手になるべき。より効果的。
  伏線となる暴露は単体にしとけばよかった。
  
まあ、そんなこと考えるのも楽しいし。
 ミシュラン星レストランとファミレスでは、期待してることが違う。
 ファミレスでドリンクバーつきハンバーグ定食に、
 良いコスパで満足することもあります。
逆にTV向きの演出なので、映画館だと、この丁度良さ味わえないかも。
 
 
 
ツイッターでこの記事が目について、シンクロしました。
サイゼリヤで「星付き料理人」がバイトする理由
https://toyokeizai.net/articles/-/387737

サイゼリアの凄さは、経営の凄さ。
この本オススメします。

地下とか2階とか、悪い立地が好きなのにも訳があります。
 
東洋経済の記事にもどると、
学ぶ姿勢が貪欲で、変人といえるほど凄い人です。

サイゼリヤの仕組みを肌でも頭でも吸収しなきゃならないので、「俺だったら~」なんて余計な考えが入り込む隙はありません。そんなことを考えている時間があるんだったら、お客様を満足させることに没頭したほうがいい。

マニュアルと一体化するほど没入すると、雑念がなくなりどんどん楽しくなってきます。

バカになるには、これまでの経験や実績を脇に置いておくこと。自分が気持ちよく働くためにも、真剣勝負でなきゃいけません。そのためにはプライドを脱ぎ捨てて、たくさん失敗して、たくさん怒られる覚悟を持っておくことです。

 
 
ま、単に精神論に終わらずに、
それを活かす別の場を持っていることが、なにより重要とは思うけど。

仕事が終わって「今日は大変だったな」と振り返っているときに、「あのやり方はすごかったな」「ああいう場面では、もっといい方法があるかもしれない」と気づいたことが次々に出てきます。それを自分の本業で生かせれば上出来です。

それは、バイト中には出さない。
マニュアルが決まってる飲食だからってことも大きいけどさ、
一般化できることもあり。
 
こちらの記事も読みました。 
すごい人のやり方を「丸パクリ」するのが近道
https://toyokeizai.net/articles/-/387756

・一流になりたいなら一流に学ばない限り、そのレベルには到達できない
・一流に学んだほうが超速で成長できる

人生は、どんな人と出会って、その人からどんなことを学べるかによって、大きく変わります。「人生を変える人と出会ってない」と思うのなら、これから出会えばいいんです。

サイゼリアの経営とシステムは一流と認めて、バイト続けたんでしょうね。
自分の個人店の生産性は3.7倍になったそうです。
 
さらに元ネタも誘導されるまま素直に読んでみました。

生産性がどんどん上がっていくと、ストレスもなくなっていくので、スタッフ同士も仲良しになりました。僕も、みんなも、どんどん幸せになっていったんです。

コロナ禍で黒字を達成できたのは、僕が原理原則を守っていたからだと思っています。
その原理原則とは、「より良い方向に変化し続ける」ということ。 
当たり前のことではありますが、これ、できていない人が多いんです。

読んで分かりましたが、著者の村山シェフはバカなのでなく、
とてもなく合理的な思考の持ち主です。
どんな起業でも成功したでしょう。
ただし、
これだけ危機感を原動力にした意欲あるなら、サラリーマンになっちゃだめ。
前提条件を疑わない人の道とは違います。
目的意識を他者に委ねない生き方。

その本質とは、「食で人を幸せにする」ただこの1点に尽きます。それは星付きレストランもサイゼリヤもまったく変わりません。 
僕は星付きシェフの驕りや固定観念をバイトで手放すことができたんです。 
慢心や固定概念は成長を妨げ、判断を鈍らせます。サバンナ思考的に命とりです。

だから、学ぶためのバイトという選択も素晴らしいです。
 
投資したくなる経営ですね。

教わった通りに仕事をして、教わった通りに後輩に仕事を教える。
これ、普通にやっていることですよね。でも、
「本当に、それであなたは幸せになれますか?」
「本当に、みんなは幸せになれますか?」
「本当に、稼ぐことができますか?」

人が定着しない、殺伐とした生産性の低い構造をつくった僕が全部悪かったんです。

仕事の生産性を上げるには、幸せであることが一番です。幸せなら、気分よく補い合いながら働いて、チームとしての全体最適を図れるので生産性が上がります。 
一方で、生産性が上がれば上がるほど、時間的にも精神的にもゆとりができてみんながより幸せになります。 
この好循環を実現させているのがサイゼリヤです。

サイゼリヤの基本理念は「人のため 正しく 仲良く」。僕はこの社是が大好き

ノウハウの部分では、完コピの極意が書かれます。

師事したい人に対して、「僕の情熱はあなたよりも上だ」という熱意を見せないと、それ以外に自分が勝てるところなんか一つもないんだと、僕は思っていました。

僕みたいに弟子入りは何回してもいいと思います。 
ただし、複数の師匠に同時に弟子入りするのはやめたほうがいいです。一人の師匠に対して全力で向かい合う気迫がないと、中途半端に終わります。

身近に学べる人がいないと思っているなら、自分の眼が曇っている可能性もあります。 
すごい人のすごさに気付けるのって、自分には何が足りないかをわかっていて、学びたいという気持ちや、謙虚な気持ちがあるからだと思います。

 
効果良く学べる人間になっておいて、
固定観念にとらわれず、思考停止しないために、
責任軽くて、異なる環境に身を置く。
ただし、どこに身を置くべきかの選定は入念に準備する。

僕はサイゼリヤの創業者の正垣泰彦会長の本を何冊も読んでいるし、正垣会長が影響を受けた渥美俊一先生の本は62冊読み込んでいます。 
働く前にサイゼリヤがどういう店なのかを知ったうえで入ったから、「本で書いてあったのはこういうことか!」とスルスル理解できました。 
何の準備運動もないままプールに飛び込んだら、おぼれてしまうかもしれません。

 
チームマネジメントに言及されますが、
サイゼリアでは、社員でもバイトでも改善提案はキチンと採用される。らしいです。
ラーメンろたすさんが動画で身近に見れますが、
職場の参加意欲が生産性の明暗を分けるようです。
私も反面教師でないとこ見つけて、関わってゆこう。
喜びのある場所。 
「もらとりあむタマ子」のように小さくても、光るもの見つかるといいな。
  
多くの職場がそうでなくても悲観はしません。
これから機械化AI化されるための日本の準備と、私は見ています。
 
ま、人のことはいいから、自分の人生の構成、
もいちど、リスタートしないとな。
まだ、モラトリアム気分が抜けないけど。

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