常に、複数の視点を用意しておくことの重用性痛感しました。
以前、小林麻耶さんがバズった件を記事にしたのですが、
大変なことになっているのですね。
ツイッターのトレンドを見て、番組内での発言で揉めたのかと、
私も連想しました。
小林麻耶夫妻のyoutubeを見た限りでは、原因は何であれ、
これはヤバいなあと。
出演させられない、
マネジメントが困難。
という状態には説得力感じてしまいました。
正直、
夫とは距離を置いて、心療内科受診したほうがよいかと。
今は、
小林麻耶夫妻のヤバい噂話と、
だんまりな番組とMCへの批判。(他人には説明責任と必ず言うくせに)
に話題が移ってゆきそうです。
当初は、
バイデン批判に触れたくない人は原因を「母親いない子供」の件に求め、
テレビの姿勢に日頃から不満ある人は、バイデン批判の封殺を主張。
そんな意見で溢れていました。
youtube見るまでは、そういう文脈でツイッター眺めてました。
私だって、
見たいものを見て、信じたいものを信じる。
そういう存在です。にんげんだもの。
原因自体は発言を巡る対立かもわかりませんが、
番組も事務所の対応自体は致し方なさそう。
情報ひとつで、別のジャンルの話題になってしまう。
自分のチョロさを思い知りました。
生きてゆくには、複数の視点を常に持つようにとの、教訓でした。
ところで、
「約束のネバーランド」の実写化が不安視されている中、興味深い動画見つけました。
制作される理由
・予算は10億円程度で、原作料も安く、意外と低コスト。
・原作のブランドに集客力があり儲かる(資金回収)確度が高い。
・タイアップや原作への購入など、スポンサードされやすい。
あの進撃の巨人も黒字とは知りませんでした。
不評な原因
・コスプレ感が拭えない。
・オトナの事情による設定変更。
・人気キャストありきのやっつけ感。
三池監督がかつて、
ガッチャマンは日本の予算では再現無理だけど、ヤッターマンなら如何か?
と極めてクレバーな逆提案(by宇多丸)行ったエピソード思い出します。
でも、その後は腹括って撮ってます。
それでもいいという、割り切りが感じられます。
企画は通りやすい反面、制約が多く、作品の完成度上げるのは難しい。
実写化映画はそういうジャンルなのですね。
評価をみてみると、
映画評じゃなくて、実写化評もとても多い。
作品の評価としては不当じゃんないか、
かつては、
イメージどおりかどうかなんて知らねーよ、
原作どおりがよいなら、原作読んでればいいじゃん。
映画は映画として独立した作品として見ろよ。
と考えていました。
が、
どう観るかはお金払って足運んだ人の権利ですし、
原作のイメージを忠実に再現しているかどうかを評価基準とするのも、
観る側が決めること。
まあ、
コスプレと言われようと狙った市場を裏切るわけにもゆかず、
かといって、制約優先しクオリティ低すぎると興行的にも厳しい。
仕事って、難しいものですね。
そこで、
限られた予算と、関係者の要求の中で、ちょっと特殊な市場に挑んでいる。
そんな視点を加味しつつ、
実写化というジャンルの映画をアマゾンプライムで観てみました。
ファンタジー系はさすがにキツそうなので、
設定に無理がなく、
通常の費用の撮影で、
人気者のキャスティングがハマる、
故に、
成功確率が高そうな、青春王道ものに限りました。
公開時にチャンスはあったのに見逃しました。
普通に青春映画の傑作でした。
文句なしです。サカナクションも効果的でオシャレ。
オタク心満載の大根仁監督はじめ、細部に神宿る作り手の漫画愛に拍手です。
テーマである漫画について、本物の原稿なので、一切の手抜きがない。
エンドロールも上下に流さず、右から左にめくるかと、期待しましたが、
期待の上を行く見事な工夫でしたね。
そして、開始から、
いっぷう変わったカメラワーク。
あ、漫画のコマ割りだと、時間差で途中気づきました。
大根監督らしい趣向。
「モテキ」も作家性で遠慮することはなかったですものね。
いろんな曲とダンス楽しかった。
で本作は、
漫画についての映画だから、敢えて漫画を読むように映画を見せてる。
大場つぐみのラッキーマンから始まり、
それが大河ドラマ書いてるクドカンにもダブリ、
さらに漫画は脚本より、
作者個人の責任も、
職業の過酷さも、
重大なものなのだと、提示します。
この時点で監督100%信頼して、最後まで楽しめました。
格闘シーンも工夫されてて、「エースをねらえ」思い出します。
「テニスの王子様」なら試合自体が描かれますよね。
キャラクターもプレースタイルと関連持たせたり。
「エースをねらえ」ってスポ根なのに、試合は描かない。
イメージ処理されて、0-30とか数字だけ流れて終わってしまう。
抽象的な戦いが上手にイメージで再現されてました。
凡百な演出なら、セリフで説明されちゃうかもしれない。
キャスティングも成功して、ほどよい再現性。
やりすぎてコスプレにならならリアリティラインを保ってます。
映画は2時間なので群像劇にせず、
省くものはバッサリと省く、
主役は主役、脇は脇と割り切って、
説明過多になりすぎないバランス絶妙でした。
もしかしたら、原作厨には不評かも、ともよぎりますが、
丁度よい、作品のクオリティの優先具合と思います。
作品として成功させた大きな要因でしょう。
原作厨視点では、主役の二人逆の方が似てるとの評あり、
そうかもしれないし、最初はそのキャスティングだったかもしれない。
それでも充分成立したはずですが、
寡黙で芯の強い中井先生役は佐藤健にやって欲しいかな。
社交的な嶋田先生役は神木隆之介にチャラく演じてもらったほうが、
双方の資質を活かしてると、判断はあったと想像してます。
「ガラスの仮面」思い出しました。
飾ってるサインが、ゆでたまごなのは当然として、
なぜ、もうひとつは江口寿史なのかと当初不思議でしたが、
締め切りを巡る物語だからでしょうか、
編集長役にリリー・フランキーというのも皮肉です。
断らず原稿落とす人が無理を諌める。
そういえば、リリーさんを役者として重宝するのは、
白石監督より是枝監督より、大根監督が先でしたね。
物語のピークから最後までは、
山王戦からのスラムダンクで構成して、切りよく2時間で終わる。
なんというか、粋ですね。
映画単体としては、とても楽しい作品ですが、
実写版を観たかった人達からは不満の声も多いようです。
それを映画評と呼ぶのは疑問ですが、
その視点で観ると不満は分かります。
映画「バクマン」は漫画やアニメのバクマンの皮をかぶった「まんが道」だから。
時代背景が昭和でないので、藤子不二雄でなく少年ジャンプのゆでたまごから借りて、
トキワ荘をストレートにやる。大場つぐみ的な頭脳戦はやらない。
おもねらない思い切った改変でした。
2時間の映画作品としては成功していますが、
実写化評としては、期待の肩透かし。
続編作ろうとか、変な色気は端からなかったのでしょうね。
だから純粋に素材としてバクマンを扱えた。
それもまた、痛快でした。
漫画愛というテーマは中心に据えたまま、
確信犯的な裏切り、デスノートみたい。
初見です。原作も読んでません。
実写化に定評のある大友監督でしたが、これは興行的にはいまひとつだったそうです。
丁寧に撮ってるのに、残念ですが、その理由も分かります。
「渡る世間」方式を採用してしまった。
テレビやネットフリックスなど連載形式なら、
連載マンガと同じように物語進めても問題ないでしょうけど、
映画で、各人のエピソード詰め込むのはオーバーフローします。
特に、
プロ棋士の世界、
トヨエツ家族、
三姉妹家族と。
それぞれ場を共有しない物語が並列的に展開しますから、
連載時にはネタに困りませんが、一本の映画では無謀。
理想は「のだめカンタービレ」のように実写連載して、最後に映画で。
とか、全部語り尽くせればいいですが、
連載をまとめての一本では、尺が違う。
そのための工夫はどうしても必要なのに、、
ちょっとしくじったかな。惜しい。
有村架純はどうでしょうか、
悪役には向いてない気がする。無理してる感が。。
個人的には女性に見えなくて苦手です。
集客力ある人気ものとして無理に出番増やしたとの評もあり、
脚本自体も歪んでるように感じました。
トヨエツ家族の設定が無理では、
プロ棋士目指すかどうかは、奨励会入会時点で決めること。
入会できるかどうか、残れるかどうか、プロになれるか、
はそれぞれ、奨励会での勝敗が決めてくれる。
無理やり断念させるタイミングではない。
男性の場合は、
高校卒業時点で考えることになるだろうけど、
子供のうちに入れて辞めさすはナイ。
女性なら、
2級で女流プロになれるし、里見先生でも三段リーグの壁は厚かった。
無理に辞めさせる理由はもっとナイ。
主人公の天才を無理やり憎ませるための設定にしか見えない。
不自然すぎる。
更に、主人公の父性は途中で佐々木蔵之介に交代してるので、
トヨエツが師匠として出たり入ったりするのは、
作劇的にはブレてる。
師弟関係が疎遠で、ちゃんと家庭が喪失してないと、
父的なことは将棋の世界に、
母的なことは三姉妹家族に、
という感情移入にノイズになってしまう。
関係性入れすぎて、打ち消し合ってしまう。
前編の段階で、脚本の問題を感じました。
前編から後半への引っ張りが弱い。
後半どうなるのだろうという興味の持続が弱い。
前編と後編の繋がりはそれほどなくて、
丁寧に一人ひとりを描いているけど、
後半はまた別の三姉妹のお話になる。
これでは後編で苦戦してしまう。
前後編のよいところは、
二本映画撮るよりは、コスパが良く、
前編で掴んだ顧客を引っ張れること。
一方で、
前編が弱いと新規は見込めず後編は苦戦してしまう。
そもそも、渡る世間形式を踏襲してしまったところに、
企画段階で厳しかったのではないかな。
割り切った原作との距離感が必要だったのではないか。
更に物語の畳み方は、実写化としても不評。
原作知らない私でも、それはないよと思った。
助けを乞うておいて、助けてもらって、
やり方が気に入らなければ拒絶って、
勝手過ぎるもの。
そういう人を出すのは勝手でも、それを善人に描くのはどうだか?
原作のイメージ壊すだけでなく、
脚本としても瑕疵だと思いました。
作品の完成度としても、痛かった気がします。
人物がブレてしまう。感情がその後の展開に寄り添えない。
伊勢谷友介は好演でしたが、
いじめも、毒親も省いてよかったのでは。
話が散らかりすぎ。
孤児となり、引き取られるも喪失は埋まらず、
生きる手段だった将棋の世界が父となり、
三姉妹家族が母となり、
まれには学校にも理解者がいて、
孤独な天才少年が人間的にも成長してゆく、
それを見せるだけでも4時間はギリギリの尺に見えます。
それでも登場人物は多いですから。
実写化映画は脚本の整理があって初めて成功するもの。
実感しました。
丁寧に撮ってて、役者さんもいいだけに惜しい。
そこで、
未見で実写化大成功の作品観てみました。
原作も読んでません。
岡田斗司夫が宇多丸の高評価を忖度だと、けなしてたのは覚えてます。
そんなにひどいのか?
観てみて。
両方の言い分は分かった。
確かに、映画単体での完成度は犠牲にしてるが、
それは計算済で、
実写化ものとして敢えてこのバランスにしたんじゃないかな。
前出のバクマンとは逆のアプローチ。
映画としてけなすのは簡単だけど、それはそれで一面的かなとも。
キャスティングで100点満点の成功。
広瀬すずが、このタイミングでこその成功。
群像劇化しない程度の人物造形に留める。
私はベタな演出も説明ゼリフも苦手ですが、そこは潔く割り切ったんだなと、
それよりも、
長いお話を端折りつつ繋いで、
とにかく、見せたいシーンをたっぷり見せる。
忙しいので説明ゼリフで補完でよし、まどろっこしいことする時間はない。
それに、原作から来た人は、あらすじも背景も詳しいんだし、
宇多丸さんは忖度しすぎで、
映画としては感情移入しづらい点もいくつもあるけど、
小泉監督は思い切りよく割り切って、賭けに勝った。
そこを中心に評価すべきじゃないかな。
この世は適者生存ですが、丁度いいを見つけるのは至難の業。
欲張らない方が、勝ちやすいのかもしれないけど、
運ゲーにも思えて、
選ぶのって難しいけど、選べないのは不戦敗って感じですね。
複数の視点を持って、さらに選ぶ。
そんなことを学びました。