祝「素潜り漁師マサル」生還記念。生死を分ける意思決定とは「生きてこそ」「オープンウォーター」「ジャングル ギンズバーグ19日間の軌跡」

お久しぶりです。システム系の新たな取り組みでジタバタしてました。
 
 新人にブートキャンプで訓練も積ませず、
 いきなり最前線に放り込むようなブラックな体質。
 
そんな環境を経験したことはあるでしょうか?
私はあります。
  
 何で、そんな基礎的なことが、無知かつ出来ねえの?
 学生サークルか。
イラついても、無意味ですね。
   
その仕事ぶりで頑張られても、成果につながるかなぁ。
オレもそんな頑張りを頑張った過去もある。
 
カリスマ社長の専門性で、受注はイケイケどんどん取れても、
フルフィルメントつーか、遂行できる体制なのか?
  
過労死が労災認定されるような、組織も日本には存在します。
日本人の神風精神は時代を超えて。受け継がれていますね。
 
 
ところで、逮捕のうわさもあったマサルさんが、サバイバルから生還しました。
大変喜ばしい。生きてこそ。

エド・スタフォードの偉大さも再確認されます。
 
最初は「チェンソーマン」第一部完結記念で人肉映画を観ようかと企画したのですが、
も、
アマゾンプライムでは観れません。残念。
良いチョイスが出来なくて断念しました。
  
さらに、
も、も観ようとしてギブアップでした。
出来が酷いというか、嘘のつき方が不誠実です。お花畑な狡さが耐えられません。
どうやら、原作の方に問題があるようですけどね。
 

レビューを引用します。大岡昇平の薄っぺらい嘘。

一応言っておこうと思うが、この本は大岡昇平の戦争体験ではない。
フィクション。
「俘虜記」と読み比べて見れば分かる。
大岡昇平が捕虜になった時、どう考えたって、大岡昇平の周辺では人肉食など起きていないし、飢えてすらいない。
つまり、飢えも人肉食も、体験的に知らない人だ。
マラリアでは苦しんでいたし、部隊から捨てられる、という悲しい思いはしているが、捨てられたから助かった、という皮肉な結果になっている。

という事を踏まえて、野火を読んでみると、気の狂った将校が餓死する箇所までは、本人の戦争体験が反映されていて、リアルと言えばリアルなのだが、それ以降はダメだね。

 
これが「戦後文学」ですから、敗戦のショックが癒え始めた日本で、
ファンタジーとしての「戦争の悲惨さ」という逃げ場の発明。
そういう歴史的変遷の中で見ると興味深くはありますが、ダメだね。
 
絆だの家族経営だの、優勢なときは通用する綺麗事が、
戦局悪化すると、途端にブラックな組織に変容する。
悲惨なのは、失敗を認める損切りが出来ない、絶望的な頑張りを頑張ってしまう。
そんな日本人らしい、意思決定の傾向に、悲劇があるんですけどね。
今も変わらず。
悲惨なだけなら、疫病だろうと津波だろうと一緒で、
皆大変な中生きてるのに、
塚本晋也は「戦争の悲惨さ」に固執する。

さらに、
同種の悲惨な過労死という現実はスルー。
これは明らか世代間格差ですが、
何故かあの世代は、世代間格差だけには興味がない。

現実逃避は自己認知を破壊する。塚本晋也にある種の典型を見ます。
 
 
市川崑もこの映画ではダメなのですが、日本でロケしちゃリアリティが無い。
なんで映像にこだわらないのだろう。
 
モノクロームだから当時は誤魔化せたのかもしれない、
俳優さんの演技だけで乗り越えようとしても、日本の山林見せられては萎える。
投降する兵隊を現地の女性がマシンガン乱射して射殺シーンがあり、
そんなブラック企業辞めれば助かるのに、という現実的な出口を塞ぎます。
極めて卑劣な嘘のつき方ですね。
米軍でなく、現地の女性ってところが、糞です。
 
それが事実なら、国際法違反の重大なことで、ちゃんと向き合えよ。
日本軍の捕虜虐待は戦犯として裁かれるし、戦後裁判にもなってる。
「戦場にかける橋」でも描かれるが、
そういうことご都合で扱って、「戦争の悲惨さ」とは、まあ、恐れ入ります。
 
 
雨季のルソン島を行軍するのに、「美しい自然」とか、お花畑にも程がある。
 晴れれば刺すような光線、降ればぬかるみ。
 蒸し暑さは常に体力と思考力を奪う。
 知らぬまに忌々しい蛭が張り付いている。
 蛇にも虫にも出会うだろう。
 蚊は常にデング熱やマラリアのリスクだ。
 腐敗を嗅ぎつければ蝿は蛆沸かそうと集ってくる。
 蟻は痛くて痒くてゾワゾワとても不快。
 蜂は痛いだけなく、ショック死のリスク。
 
 
ただ美しいだけの自然なんて存在しない。舐めるのも大概にしろよ。
全てが観念なので、熱帯雨林のリアルがない。無いものは描けない。
オール記号。
空調効いてるスタジオで撮影してんのかな。 
 
  
私はサソリは死骸しか見たことなく、
もちろんエド・スタフォードには遠く及ばない。

しかし、 
お花畑派の観念が現実を舐めていることは分かる。
然るべき場所で役者も演技するのは、
サバイバルものでは、最低限のリアリティではないかな。
お前ら、あの蒸し暑さも、不快な虫の羽音も知らないのか。
 
私は、
流石に水道水はヤバイので、ペットボトルの水を買っていた軟弱者だが、
下痢や嘔吐がより体内の水分を奪うことは知ってる。
灼熱の中歩けんよ。

肉を食うという行為は体力がなければ出来ない。
死体の前に、ヘヒやトカゲは貴重なタンパク源だったはず。
そして人に限らず、
死肉は感染症のリスクそのもの、よく焼きで済むかどうか、
放置すること自体も危ない。クラスター化するよ。
 
私にも、言う資格はあるだろう。
 あんたら能天気なもんだな。と。
もうちょっと、マシな嘘つけよ。
 
 
随分脱線してしまった。
とにかく、チェンソーマン綺麗に畳めてよかったね。
 
そんな訳で、リアリティある生還というテーマに、撤退という名の転進をしました。 

やっぱ、ロケじゃないと。ちゃんと凍えるように寒そうです。
もっと長期撮影で、段々と髭面で汚くなってくともっと良かったですが、
制作は予算との戦いですから、そこまで贅沢は言えませんね。
 
人肉はグロくなく、ライトに描かれてます。
それでも抵抗感は伝わります。
冷凍保存ですから、食中毒や感染症のリスクは低いですが、
生き残るためには他に選択肢もなく。
 
遭難時の基本はジタバタ消耗せず、救援を待つこと、
ですが、
 捜索打ち切りをラジオで知る。
 それでも冷凍肉で飢えをしのぎ、
 春を待って、救援を村まで呼びにゆく。
 
その人間讃歌が素晴らしい。
綺麗事でなく、死にゆくもの生き残るもの、その偶然性がリアルで良きです。
 
 これ以上この状態は耐えられない。
 冬のうちに下山を試みるのは自殺行為。
いつ先発隊は出発するべきか?

生死を分ける意思決定が正解でよかったね。
清々しい作品です。
  
 
山でなく、海のを探し。トラのにしようかと迷いましたが、 

生還失敗の方を選びました。

決め手は、ロケが本物とのことで。
海難ものでも嘘っぽい作りはいっくらでも出来るけど、
これは低予算が幸いして、
役者をリアルにサメが泳ぐ海に放り込んだそうです。
 
実話の方は、保険金詐欺絡みって噂もありますが、
うーん、ウエットスーツ着てても、
 体温奪われて、オーバーナイトは無理だろう。
 周りは水だらけなのに、喉が渇くのも皮肉だなぁ。

映画では、
 バカップルが危機的状況を受け入れてなく、
 最初は能天気なのがホントに怖いです。サメよりも愚かさの方が怖い。

リアルに怖いのは、
 客の数に対して、スタッフの数が圧倒的に足りてないところ。
 数の点呼だけで済ましてしまうところ。
 ブラック企業然とした利益の出し方です。

 私もシハヌークビルでスノーケリングツアーに参加したことあって、
 潮に流されそうになり、スタッフに助けてもらいましたが、
 5人くらいに一人のスタッフという割合でないと、
 安全は保証出来ないんじゃないかな。

 日本の高速バスでは、
 よりブラックで点呼も杜撰なケースもかつて経験しましたけどね。
 北陸の方のやつは、何度か体制がヤバイのありました。
 
ま、いずれにせよ、能天気は人生の敵です。
色合いは違いますが、ポジティブな死ってどこか似てます。 
 
 
で、 
寒いサバイバルな作品は多いのですが、
緑の地獄を扱ったものは少なく、
あっても、
ゾンビとか拷問とか、すぐフィクショナルに逃げちゃう。

サバイバルとしてのリアルについては微妙ですけど、
実話ならではの凄みがあるので、これを選びました。
 
まあ、演出がどうかな、音楽がウザいです。
いや、君ら無軌道なだけだから、そこで感動させようとしてもねぇ。
作り手が誘導するように、こちらの感情は動きません。
 
風景は南米で撮ってハメ画で、
役者さんたちは、オーストラリアで演技したようです。
ラドクリフが見る幻覚を中心に描く、
樹海で迷い、精神的にもヤバくなる姿は共感するものの、
 
南米の山奥でもっと辛い目にあって欲しい。

蛆虫食うか、罠にするか迷って欲しい。
 
とはいえ、音についての言及があってよかったです。
山がちな地方にゆけば、トッケーくらいは鳴きますし、
虫はとにかく不快だし、
それはリアルに描こうとした作り手の心意気を感じます。
 
実話映画の素晴らしさは、そんな中盤よりも、
無軌道なバックパッカーの姿です。とてもリアルですね。
ヤベぇガイドとか、あるある感満載。
 
彼らのリスクコントロールでは、
それじゃ、死んでも文句は言えまい。
 
さらにラストが衝撃で、
一見妥当な選択したほうが助かっていない。
ダメそうな方が救助される。
  
ロケは安全に配慮して行われたと思われますが、
実話が持つ現実の重さが伝わります。
やっぱ、間違った人と一緒に行動すると、大抵痛い目に合います。
 
日本人の通念とは逆で、
単独行の方が助かりやすいと、実感があります。
間違った教育ばかり受けてきてしまったかな。。。

日本で暮らすと、リアリティを喪失した虚しさが我が身を襲うのには、
きっと訳があるんでしょうね。
実質の無い仕事に遭遇する確率は高い、そんな時空に私は存在してる。
何十年も掛けて、再確認しています。
 
不動産はリアルだから、救いがあります。
ちゃんと絶望して、降参して、大家への道に出ることが出来た。
ホントに幸運だったなと、
しみじみとしてしまいました。 

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