客を快にして帰す。「亀は意外と速く泳ぐ」「地球防衛未亡人」「ドロステのはてで僕ら」時間は有限だから論点思考に学ぶ私は。

三木聡監督はかつて、観客を快にして帰していた。はず。
亀は意外と速く泳ぐ」で確認。
 
地球防衛未亡人」の方がマシと言われてクリック。
 
コメディって難しいのに、ずっとハイアベレージなのはヨーロッパ企画かと、
ドロステのはてで僕ら」を鑑賞。
 
 
客を快にして帰す。と動画で学んだ。

それが出来なければ二回目は無い。反対語は焼畑商法。
満足いただけるような仕事するには、最初が肝心と思う。
座組で勝負あり。我が身を振り返ってそう思います。
 
 
 
「大怪獣のあとしまつ」私にとって何が問題なのか?
↓を読んで、整理しながら、考えてみた。

問題視する方向性が世の中と違う。
 
 
せっかく東京に住んでて、スクリーンで良き体験する。
その機会損失をさせられるのが、一番の問題。
特に外国で掛からない日本語の作品は、
いずれ外に出てしまえば、今しか出来ない貴重な体験。配信は構わない。
 
老舗の大手のアコギな商売が、
いつまでもまかり通って、配信の時代に淘汰されないのは、
観客として不利益被る。「浅草キッド」すらスクリーンで見れない。
「デビルマン」より酷いかどうかは、ドーでもいい。
 
 ”酷評の映画を叩くのはイジメ” 的な意見も見かけるのだけど、
 他の産業だったら、誇大広告や偽装と問題になりかねない。
 適切な新陳代謝を阻害するようなかばい方すると、
 回り回って、結構な自分の不利益になったりする。
 退場してもらった方がよい。
 
 
次に、 
三木聡監督の評価も十把一絡げはいかがなものか?
得難い才能の発掘も低調になるのではないか。と懸念してしまう。
 良かったころの作品は評価されて欲しい。
 仮に、今は枯渇したのだとしても、
 才能は才能として評価される世界でないと。
  
 
亀は意外と速く泳ぐ」鑑賞。
得難い才能だったと、改めて思う。
笑いはくだらなくても内輪ネタであっても、決して安易でも下劣でもない。 
話の腰折るようなことはしない、お話は淀みなく転がって、退屈させない。
  
今、言われるような雑さ、不快さは無い。
オシャレで、むしろ爽快感すら感じさせる。
客を快にして帰していた。 
センスが古いのではなく、”昔出来てたことが出来なくなった”が正解と思う。 
 
福田雄一監督が引き合いに出されるが、まったく違う。
むしろ、福田監督は「時効警察」でオフビートな会話のエッセンスだけ学んだ。
アドリブじゃなくて、計算された笑いをやってた。
コメディは一番難しいジャンルで、ほんとに得難い才能だった。
 
   
TVの時代になって、映画は斜陽化。
今の韓国のようには、資本の原理が働かず、
大手でも、志低い商売は横行するようになった。けど、
マスを狙わない市場で、日本の映画は才能を発掘してきた。
ちょっと思い出しただけ」のテアトルのように。
ミニシアターが当時東京で普及したのは、ジャームッシュの功績大きいと思う。
大衆性はなくとも、好まれる映画もあることを教えて貰った。
 
昔の三木聡も、万人受けはしなくとも、根強いファンは掴んだ。
彼でなければ出来ないコメディで、観客は満足した。
 
ただ、リドリー・スコットやイーストウッドのように長持ちするには、
職人監督としての力量も同時にないと。
引き出しが限定されると、やはり行き詰まるものかな。
 
ま、いずれにせよ、
才能も情熱もあった過去まで否定するのは不当。
ほんとに、得難い才能だったのだから。
  
 
 
一方確かに、河崎実は生活賭けて、くだらないを追求してる。

チープさと雑さは、まったく別ものなのだと体感。
想像よりもずっと高い完成度のくだらなさ。
ミニチュア特撮の異常なこだわりには驚いた。
棒演技も意図的な演出で、「帰ってきたウルトラマン」オマージュ。
風刺もギャグも適度なバランス。このくらいなら三木聡も叩かれなかったか。
 
真面目にふざけるとは、こういう作品を言う。
不真面目にふざけると、それはそれで伝わっちゃうから。
快か不快か、運命を分けた。
 
 
 
小劇団(ノリ)でコメディ頑張ってると言えばヨーロッパ企画かなと思いだして、
ドロステのはてで僕ら」観ました。
クラファン利用して、完成に漕ぎ着けている。
昔劇場で観た、「サマータイム・マシン・ブルース」も時間操作系だった。
今回は自主で映像化。凄い。
映画としては、資金潤沢なら、もっといろいろやれたんだろうなぁ。
という物足りなさはあるけれど、
映画にも並々ならぬ情熱が伝わります。
  
劇団の人が映像も自主で頑張ってるのはレアかな。
今後もより大きな予算で続くといいね。
 
 
 
時間とカネを奪っておいて、不真面目は不快だよね。
他人の時間を奪うことに鈍感な人は無能。ってキンコン西野も言ってた。
最近、営業活動してみたら、
 自分の仕事じゃないことして、すべきことは疎かな人に会い。
 逆に、必要にして十分なこと以外はしない心地よい人とも会話した。

「大怪獣のあとしまつ」にはその不快さがあるんだろうなと、
配慮なくて、
かつ本人に情熱が無いと応援も出来ない。
 
客を楽しませようというより、製作委員会のいいなりになった雰囲気漂う。
実写版「進撃の巨人」のように、何でも飲んじゃうとクオリティは維持できない。
まあ、壊れた組織相手に企画通しても、結局徒労に終わる。
組む相手見極めんとね。
時間は有限だからなおさら。 
おカネの投資より、時間の投資は深刻だと、その希少性を実感する今日このごろ。

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